300年前 旧ハイランド
しっとりとした薄茶の粘土を、作業台の白く繊細な指がこねている。内部の空気が抜けきったところで粘土を拳大にまるめる。額や目のでっぱり、鼻筋や唇、あごなどをおおまかに造形する。ナイフの刃先で細かい部分を削るうちに、はかなげな美しい女性の顔がかたどられていく。
「そんな人形を作ったところで売れやしないぞ」
イライトのごつごつした灰色の顔を、娘のレイラは肩ごしに見上げた。
イライトは、がっちりした体に毛皮のチュニックにズボン、それにサンダル履きだった。レイラの手のなかの作品を一瞥して目をそむける。
「くだらないものをこしらえるんじゃない」
父の口調は吐き捨てるようだった。イライトが手にした皮袋をどっかりと岩床に置き、自分もその隣に腰を下ろした。
ここは海岸にほど近い、岬のすそにうがたれた洞窟の岩屋だ。
「ずいぶん遅かったわね。母さんが姿を見せるかと浜辺に寄り道していたの?」
レイラの指摘に、イライトの顔色がふいに変わった。
「そんなわけないだろ。粘土を掘りだすのに時間をくったんだ。人形なんかを作ってる暇があったら、さっさと商品を売りに行け」
「わかったわ」レイラはナイフを置いた。
レイラの作っていたのは、彼女の母親の似姿だった。作りかけの人形を作業台に押しつぶして立ちあがった。
レイラの父イライトは、その姿形は人間だが、大地母神が鉱物から生みだした大地の精だ。イライトの体は同名の粘土鉱物がもとになっている。それを出生土といい、命の尽きた大地の精はその土に還るとされる。
レイラの母メイは海の民マーメイドだ。岬に近い岩場で日光浴しているメイを、イライトが見初めたとレイラは聞いている。
イライトは、海岸をおとずれるメイと、毎日、逢瀬をかさねていたという。レイラが生まれると、メイのあらわれる回数が1か月に1度になり、レイラが物心ついころには3か月ごとに減った。レイラが17歳になったときには、メイが海上に姿を見せる機会はなくなった。
大地の精と海の民との婚姻にはもともと無理があった。母親は娘をもう忘れているだろうとレイラは思った。イライトはメイを忘れられないようだ。いつでも海岸に立ち寄る父をレイラは知っている。
レイラを捨てて海に帰った母だが、その血は娘のなかに色濃く残されていた。マーメイドの血は、レイラに特別な生命を与えたのだ。
レイラは、イライトの作った陶器の壺を行李に背負い、港に近い町に出かけた。陶器商人に壺を売って帰路に着いたころには日は暮れかけていた。赤く染まった運河ぞいの道をレイラは歩いていた。
4頭の馬をつないだ箱型の馬車が河岸に止まっているのが目についた。その横を通りかかったとき、客車のドアが勢いよく開いた。袖飾りのついた腕が伸びてきて、レイラの手首をつかんだ。
レイラはその手を乱暴に振り払った。馬車の前後から御者と従者がまわってきて、レイラを押さえこもうとする。レイラは激しくあらがったが、2人がかりで行李を外され、馬車に押しこまれた。
座席に倒されたレイラにおおいかぶさってきたのは40年配の男だった。白いかつらのその男は、あごのとがった顔に山羊髭を生やし、目を欲望にぎらつかせている。レイラの襟を胸もとまで引き裂いた。
迫りくる男の顔面に、レイラは頭突きをかました。ひるんだ相手の手を逃れ、客車の反対側のドアにとりすがる。ドアは開かなかった。レイラは首をつかまれ、座席に引きずり倒された。
貴族らしい男の顔が怒りで赤くそまっている。レイラの喉にかかる力が増した。しだいに意識が遠のいていく。自分はまた死ぬんだと思いながら……。
*
暗い海面に波が白く砕けている。青黒い空にそびえる岬の突端がいっそう濃いシルエットになっている。岬の洞穴からもれる明かりがオレンジ色に映えていた。
「レイラか。ずいぶん遅かったな。人のことは言えないぞ」
イライトの口ぶりには皮肉な調子がうかがえた。出がけのレイラに浜辺の寄り道を指摘され、それをこころよく思っていないのだろう。
レイラは洞穴の入り口に全身びしょ濡れで立っていた。ろくろを回していたイライトが、レイラの首のあざと、破れた服の胸もとに気づいたようだ。その太い眉毛がぴくりと上がった。
「ああ、これ」レイラは喉元に手をやった。「絞め殺されて運河に捨てられたの」
「そうか」イライトが壺の制作に戻った。「それで、商品はどうした?」
「いつもより高く売れたわ。その代金は運河に流れてしまったけれど」
レイラの父は、ちっと舌打ちしただけだった。
続