琉金の君
「マスター、あれは何ですか?」
まだ空気に湿り気を帯び初夏に差し掛かろうとする時期。とある施設のロビーで、とあるアンドロイドが天井にはめ込まれた大きな水槽の中で泳いでいる、小さな赤い魚を指差して問うた。『マスター』と呼ばれた男性は、天井の水槽で泳ぐ魚を見て荒い口調で答える。
「あれは『金魚』だ。見た事なかったっけ?」
「はい。初めて見ました」
天井から複数の金魚と水面の波紋が、照らされるライトで床に影を落とす。影絵のようなそれを体に浴び、アンドロイドとマスターは金魚を見上げる。アンドロイドはひらひらと踊る金魚を見上げ続ける。アンドロイドのその瞳は機械仕掛けにも関わらず輝いて見える。それを横目に見たマスターが、今度はアンドロイドに問う。
「なぁ。金魚を間近で見て見たくないか?」
「出来るんですか?」
「ああ。ホームセンターで売ってるからそこでも見られる。というか、飼ってもいいそ。金魚くらいなら」
マスターの言葉に、アンドロイドは更に瞳を輝かせる。
「いいんですか? 飼ってみたいです、金魚!」
「いいぞ。ただし、しっかりお世話するんだぞ?」
「はい! 頑張ります!」
「いい返事だ。用事も済んだし、金魚買いに行くぞ」
「はい、マスター!」
マスターに付き従いつつ、アンドロイドはホームセンターにたどり着く。大型のホームセンターの一角にある、こじんまりとしたスペースが金魚を売っている水槽コーナー。草とは違う、水草の青々とした匂い。ポコポコと音を鳴らすエアーポンプの音が賑やかだ。そんなのを気にせず色んな金魚を見ているアンドロイドに、マスターが解説をする。
「金魚、といっても色んな種類がいる。和金とか、コメットとか。有名なのは出目金とか……」
マスターが話をしている最中、アンドロイドは1つの水槽に釘付けになっている。その水槽をマスターも覗き見する。少し小さめの金魚が一匹、静かに漂っている。
「『琉金』とかいう品種だな。泳ぎは早くないが、比較的飼いやすいはずだ」
「この尾びれ、とても綺麗です……。機械である私には付けられない、美しいモノですね……」
「この品種は特に尾ひれとか綺麗だよな。俺としては和金は有名どころだし飼いやすいらしいからおススメだぞ? ……あれ?」
マスターがそう言いアンドロイドを他の水槽へ連れて行こうと手を引っ張る。しかし、その手はピクリとも動かない。マスターが見やれば、アンドロイドは琉金の水槽にピタリと眼を近づけて動こうとしない。瞬きの機能も呼吸機能も止めて、静かにただ琉金を見つめる。
「……もう決まっているみたいだな?」
「ひゃい!? ななな、なんでしょうか?」
「そこまで驚くなよ。なぁ、この金魚飼いたいか?」
「何となくですが……、この子が良いです!」
「よし、じゃあ店員にキープしてもらって、必要な物品を買うぞ。いいか?」
「ありがとうございます、マスター!」
ほころぶ様な笑顔でアンドロイドはマスターに答えた。
______
ホームセンターから帰って少しして、殺風景なアンドロイドの部屋に1つの水槽が鎮座した。それを間近で静かにアンドロイドは見つめ続ける。静かな駆動音と気泡の音が室内に響く。透明なガラスケースの向こうで、一匹の金魚が水草と共に静かに漂う。パクパクと開く口。瞬きをしない、黒真珠のような瞳が餌を見つけて泳いでいく。アンドロイドは金魚の挙動1つ1つを金魚の眼の様に瞬きせず見つめている。数分、数十分、数時間経った頃、マスターが部屋に入って来て声を掛けて来た。
「おい、そろそろメシ作ってくれないか? もう20時だぞ」
それを聞き、アンドロイドはハッとした様子で慌ててマスターに向き直る。
「も、申し訳ございませんマスター! 今お食事をご用意いたします!」
「簡単なものでいいから頼むわ。量は少し多めで」
「畏まりました!」
バタバタと焦ってキッチンへ向かうアンドロイドを見送り、マスターは琉金に目を向ける。琉金は自分達より先に夕食を終えたらしい。それでも腹が減っているのか、はたまた酸素を取り込むためか、小さな口はパクパクと動いている。マスターが琉金を見ながら、先日届いたチラシを思い出す。
「さすがに普段着で行かせるのはナンセンスだよなぁ……。仕方ない」
そう言い琉金から目を離し、アンドロイドの部屋を出て行った。
______
琉金を飼い始めてから、アンドロイドの生活行動が劇的に変わった。以前は暇さえあればマスターの後ろに着き何かしらのお世話を焼こうとしていた。しかし今ではそれも少なく、手が少しでも空けば自室で琉金を眺めている。じっと眺めている時もあれば、水槽越しに触れようとする時もある。冷たいガラスの温度と、機械仕掛けで少しだけ高いアンドロイドの温度。決して交わる事のない温度だ。それを見たマスターはアンドロイドに声を掛ける。
「直接触ろうとするなよ? 魚は人間の体温で火傷する生き物だからな」
「はい、わかっています。でも、少しでもこの子に触れてみたくて……」
「ま、水槽越しなら構わんだろうが、仕事を疎かにはするなよ?」
「すみません……。この子が心配で……。」
「気持ちは分からなくもないが。……と、そうだ」
部屋を出ようとしたマスターがアンドロイドにある物を見せた。
「マスター、これは?」
「浴衣に帯、下駄だ。近々夏祭りがあるから、お前と一緒に行こうと思ってな。いつもの恰好じゃ味気ないから、これでも着ていけ」
「あの、マスター。この浴衣の柄は……」
「いいだろ? 藍色の生地に金魚柄」
ニヤリと笑うマスターから、アンドロイドは恐る恐る浴衣一式を受け取る。滑らかな生地に、赤いひらひらとした帯の肌触りが心地よい。まだ新品独特の匂いもする。下駄は黒く艶があり、赤と白の鼻緒が良く目立つ。ゆらゆらと泳ぐ金魚が沢山刺繍されている。残念ながら今回購入した琉金ではない、ごく一般的な金魚柄なのだが。
アンドロイドはひとしきり眺めた後、ゆっくりと浴衣の金魚の柄に触れる。当然触れられるが、そこに冷たさも生き物の息吹も当然感じられない。それでもアンドロイドはふわりと笑い、浴衣一式を大事そうに抱きしめた。
「ありがとうございます、マスター。なんだか少しあの子に触る事が出来た気がします」
「そうか、それなら何よりだ。祭りでその浴衣着るのも楽しみにしておけよ」
「はい!」
______
夏祭り当日。朝からそわそわとアンドロイドが辺りを彷徨く。どうにも落ち着かない様子だ。昼過ぎになってももじもじとして落ち着かないアンドロイドを見かねて、マスターが声をかける。
「祭り、そんなに楽しみか?」
マスターの声かけにハッとした様子で振り向くアンドロイド。そして恥ずかしげに頷いた。
「お祭り、行ったことなかったんですもの」
「あれ? そうだっけ? 2回は連れていったような……?」
「一回も連れて行ってくれませんでした。マスターは何処ぞの女性と数回は行ってるご様子ですが」
今度は不貞腐れたようにマスターにぼやく。昔お祭りに連れて行って貰えなかったのが、実は不満だったらしい。慌ててマスターが謝る。
「ごめんってば。今日は連れていくから、な?」
「……まぁ、浴衣着せて貰えますから、許します」
まだ若干拗ねてはいるが、ご機嫌は取れたらしい。このアンドロイドは表情が豊かだ、と改めて思う。だからこそ面白く気に入っているのだが。
マスターが重い腰を上げる。
「さて、そろそろ浴衣の支度するぞ。浴衣着たら、髪の毛セットしないとな」
「はい! ちなみにマスターは浴衣に着替えますか?」
「いや、甚平でいい。そっちのが楽だ」
「かしこまりました」
そうしてアンドロイドはマスターの着替えを手伝い、マスターはアンドロイドの着付けとヘアセットを手伝う。お互い準備万端な状態だ。支度が終わる頃には、日は夕方に差し掛かっていた。マスターが玄関で下駄を履く。
「おい、そろそろ行くぞー」
「あ、待ってください! あの子に挨拶していきます!」
「はいはい、俺の分まで挨拶しといてくれ」
「はい!」
アンドロイドは慌てて自室にある水槽の琉金に顔を向ける。相変わらず何処を見ているか分からない目をしている。そんな琉金に餌を与え、声をかける。
「行ってきますね。お利口で待ってて下さい」
そしてまたバタバタとアンドロイドは玄関に向かった。琉金は返事の代わりに餌を啄んでいた。
__________
「なかなかに楽しかったな。お前はどうだ?」
「楽しかったです! 花火、あんなに綺麗なんですね……」
時刻は20時過ぎ。マスターとアンドロイドは帰宅する途中だ。同じ道を帰る人も多い中、これから祭りに向かう者もいる。マスターはイカ焼きを食べながら帰っている。
「マスター、食べ歩きははしたないですよ」
「いいじゃんお祭りの時くらい」
串焼きのイカ焼きを頬張り、その食感と香ばしさを堪能していると自宅が見える。と同時に小雨が降り始めた。
「おっと、雨か。急ぐぞ!」
「はい!」
マスターとアンドロイドは小走りで帰宅する。幸いあまり濡れなかったようだ。
「ただいまー。小雨降る前に行って正解だったな」
「はい。マスターが風邪を引いてはいけませんからね」
「だなぁ。さて、服着替えてくるか。お前も濡れた浴衣から着替えな」
「はいマスター」
マスターはアンドロイドと分かれて自室に戻った。そして若干濡れた甚平を脱ごうとした、その時だった。
ガタンッ
何か大きいものが落ちるような音が家に響く。音のする方へ向かえば、アンドロイドが自室の入口で膝から崩れ落ちていた。慌ててマスターがアンドロイドに駆け寄る。
「おい! どうした!?」
アンドロイドからの返答は無い。ただ信じられないものを見る目で水槽を見つめている。マスターも水槽を見やる。
「あ……、琉金が……」
そこには、死が浮かんでいた。
「あぁ、ああ、うそ、ですよね……?」
アンドロイドが水槽に駆け寄り、琉金をすくう。琉金は口も目も動かさず、ただ静かに横たわる。冷たい、死の温度だけが伝わる。
「ああ、ぁあ、あああぁぁああ!!」
アンドロイドは琉金を手のひらに包んで胸に抱き、慟哭した。目から流れる雫は琉金に落ち、そのままアンドロイドの膝に流れる。
マスターはどうにかしようと、声をかける。
「あ、えっと、その……。なんて言うか……。残念だったな……」
マスターが狼狽えながらも慰めるが、叫びは止まらない。
「あのさ! 屋台で金魚すくいあっただろ? そこで新しい金魚買わないか? 代わりには___」
「この子の代わりなんていないッ! いないんです! いない! イない! いナい! イナい! いなイ! イなイ!」
「えっ!? ちょ、どうした!?」
アンドロイドがバグったかのように何度も叫ぶ。
「イナイ! イナイ! コノ子! カワりナんテ! イナイ! ドコにモ! どこニモ! カワり! イない! イナい!」
アンドロイドから故障の警告音が鳴り響く。それに合わせて叫びは続く。マスターは慌ててアンドロイドの背中にある電源を切った。
「……こうなったら、仕方ない!」
「イナい! コノコ! イナイ! ドコn……」
電源を切られたアンドロイドは、糸の切れた操り人形の如くダラリと床に崩れ落ちた。大事に包まれていた琉金の遺体は、アンドロイドの下で真っ赤な花と化している。
「どうしようか……。業者に問い合わせしないと。と、その前に掃除だな」
マスターはそう言い、アンドロイドの機体を退かし、潰れた琉金をすくう。そして自宅の庭の隅にこっそり埋めて手を合わせた。
「済まなかったな、助けられなくて。……さて、業者に連絡してアイツ直さないとな。その前に掃除だな。浴衣もクリーニングして隠しておくか」
マスターはそう言い、自宅へ戻るのであった。部屋はやたらに静かだ。エアーポンプの音も、アンドロイドの声もない。静かな家の中、マスターはアンドロイドの業者に電話した。
_________
「お、懐かしいな。祭りやるのか」
マスターはポストに入っていた祭りのチラシを見て紅茶を啜る。後ろに控えているアンドロイドがポットを片付けながら問う。
「マスター、私は祭りに行ったことあるんですか?」
「ああ、数年前にな。ただ行った後お前が『故障』しちまったから、仕方なくメモリーとか故障箇所を初期化パッチあてたんだけどさ」
「そうだったんですね。ご迷惑をおかけしました」
アンドロイドは眉を下げて謝る。マスターは「いやいや」と断りを入れる。
「『故障』ばかりはどうしようもないだろ。お前が直ってよかったし」
「ですがメモリー初期化にあたって、マスターとの記憶も以前のはありませんし……」
「これから思い出は作ればいいんだ」
そう言ったところで、マスターはふと考える。アンドロイドには祭りの思い出がない。なら、今度の祭りで新たに思い出として連れて行ってはどうだろうか、と。マスターはチラシをチラ見しているアンドロイドに振り向き、問う。
「なぁ、今度の祭り行きたいか?」
「えっ! いいんですか!?」
「せっかくの思い出だ。いくぞ」
「…はい! ありがとうございます、マスター!」
それから数日経ち、祭り当日の夕方。
マスターが自室で祭りに行く支度をしていると、ふと背後から声がかかった。アンドロイドの声だ。
「マスター、支度が出来ました」
アンドロイドの支度なんて殆ど無いはずなのに、やたら時間のかかったアンドロイドに振り向かず声をかける。
「随分時間かかったな? 何かやっていたのか?」
「はい。少々手間取りましたので」
「『手間取る』って、何を___」
振り向いたマスターが見たのは、アンドロイドだ。『あの日』の浴衣を着た、アンドロイド。金魚の尾ひれを連想させる帯、泳いでいる金魚柄。紛れもなく『あの浴衣』だった。
マスターは教えてもいない浴衣の存在に冷や汗を流す。いつ知った。隠してあったはずなのに。まじまじとアンドロイドを見て、そこで浴衣に違和感を感じる。
浴衣の金魚の柄が、全て琉金に変わっていた。
背中に冷たいものが流れる。『故障』以来、金魚について存在も教えてないのに。感情を司る機器だって初期化したのに。だが、変わらず丁寧に刺繍された琉金がこれ見よがしに浴衣を泳いでいる。マスターは言葉も出ず呆然とする。
そんなマスターには、琉金の君は静かに微笑んでいるように見えた。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
企画で書いた作品で、『金魚』をテーマにしたものとなっています。
アンドロイドは最後、何を思っていたのか。
考えてみても面白いかもしれませんね。




