8
耳をついて離れない。
焼きついている。
あの戦争で見た虐殺の全て。勝利を確信しした者の喚声に、炎で悶え苦しむ人々の踊り狂う様。
それはバンを一生苛むものになるのだろう。
バンは覚悟をしてきたつもりだった。
人を殺すということを。
戦争というものを。
全てを承知でバンは兵に志願し、自ら戦争に赴いた。つもり、だったのだ。
だが覚悟など一体何になるというのだろうか。人を殺す覚悟など、したところで何の役にたったというのだろうか。
結局、自分は戦争を甘く見ていたのだ。
その事実に気づくのに戦場に出てそう、時間はかからなかった。
軽蔑してもいいよ、と照れ隠しに頭をかくバンに、けれどリリカは優しくかぶりを振った。
「軽蔑なんてしない」
「……」
「…私の初出陣もバンと似たようなものさ」
「…!」
初出陣。
それはリリカが初めて戦争に出兵したことを指す。
バンの独白を聴いた直後。
リリカもたどたどしく開口すると胸中を吐露し始めた。
「…そうなんだ」
「そう。国を繁栄させるために…そう意気込んで、自ら戦にださせてくれと父に頼んでな…近くの小国を襲撃した」
国のために、何かのために、と覚悟をして戦争に志願したのはバンと同じだった。
「初めて人を殺した時を…今でも鮮明に覚えてる。私よりも年上の人だった…父と同い年ぐらいかな」
思いを馳せるかのようにリリカは視線を伏せる。時折、嘲笑ともとれる笑顔を浮かべながら顔を膝からもたげる。喉の奥を鳴らして笑うリリカの微笑は、自嘲に歪んでいた。リリカという少女が、ひどく心ともなく見えたのは多分バンの気のせいではない。
「…その日は一日…震えがとまらなかったよ」
「リリカ」
「誰だって怖い、戦争は。人の命を奪う覚悟なんてそうつくもんじゃないしな。もしも人の命を奪っておいて怖くないなんて言う奴は…ろくな人間じゃないさ」
一通り喋り終わったらしい。リリカが口を噤むと戻ってくるのは、硬い沈黙だ。
先刻とは違い、その耳に痛いほどの沈黙は決して気まずいものではなかった。
リリカはバンに視線を転じる。浮かべた微笑には慈愛が満ちていた。
「私も確信した。お前はいい奴だ。軽蔑なんて、しない」
「………うん」
目尻に浮かぶ涙を、バンは乱暴な手つきで拭う。
改めて傷の手当てをし終えたところで、バンはリリカへと箸休め的に話を振った。いや、ずっと言おうとして言えなかった台詞でもある。
「…リリカ」
「なんだ」
「助けてくれて、ありがとう。今もそうだけど…あの変な奴から助けてくれたとき」
「ああ、その話か」
戦場での話を振ると途端にリリカは苦渋を噛み潰したような顔をする。触れられたくない話なのだろう。リリカも衣服を破った布着れを傷にあてながら、幹に体をもたれさせた。仰ぎ見る空は、血のように混じりけのない紅を、何度も塗りたくったかのように、真っ赤に染まっていた。嫌な色である。それこそ戦場を思い起こさせるような。リリカは無意識に眉をひそめた。
「あれは本当に…私の勝手だから、気にするな」
「でもそのせいで、リリカは」
「…違う。あの戦争の前からこうなることは分かっていたし…それにラカンは…」
―ラカン。
リリカの発した名前にバンは聞き覚えがあった。どこで聞いたのだ、と記憶を探ってみると必然的にあの戦場に行き着く。
バンはまだ少年だが他の子供もよりも聡かった。
バンは推測する。
多分ラカン、というのが彼女の国の王にあたる存在なのだと。そしてラカンと、リリカの仲はあまりおもわしくないのだ、と。
憶測の上に、国の情勢や内情を知らないバンにはその考えが正しいかすらよく分からないのだが。
「…とにかく、バン」
「え?」
「私はもう大丈夫だ。だからお前は私と別行動の方がいい」
リリカの顔は依然として芳しくなく、蒼白としている。橙色の色の中にいてもその顔色の悪さは一目瞭然だ。
どこが大丈夫なのだ。口をついて出そうな台詞をバンは慌てて呑み込んだ。
「…なんで?」
「…いいんだ。私は大丈夫だから」
「違うだろ!」
思わず声を張り上げてしまう。バンの怒声に一瞬リリカはたじろいだものの、怯む様子はない。
血の気のないリリカの表情は、暗く、目だって虚ろだ。虚ろな双眸がバンを捉えたが、それさえもすぐに伏せてしまうほどだ。
リリカの呼吸が乱れてきてることがバンには分かっていた。明らからにリリカの容態はよくない。
バンはまるで頑是無い子供のように何度もかぶりをふった。
「何でまたそういうこと言うんだよ!そんな状態のリリカを…置いてけるわけねえじゃん!それにリリカはどこに行くんだよ!」
「…いいから行け!そうしないとお前…殺されるぞ…。“蝙蝠”が来る前に…早く!」
焦燥に駆られているのだろう。バンを急かすリリカの口調は荒い。
リリカの手が空を切る。
何かを掴もうとしたでもない。バンを追いやるための仕草だったがそれさえも力がなかった。
何故こうも焦燥しているのか。バンには判然つかなかったが、リリカの台詞から、自分の心配をしていることだけは明らかだ。
―リリカはこんな時まで自分の心配をしてくれているのだ。
一体如何にして。
リリカを置いてなどいけるのだろうか。
バンは弾かれたように声を荒げる。
「それでもいい!」
「……っ!」
「死んでもいい!だってリリカは理由はどうあれ俺を助けてくれたんだよ!そのことには変わりないんだ」