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どこに怒りをぶつければいいのか、少女もまた分からないのだろう。
憤慨はするものの、見るからにその怒りを持て余しているようにも見えた。
想像とは遥かに違う少女には呆気に取られるしかない。
だが自分を救ってくれたことには何ら変わりはない。改めて少年が礼を口にしようとした―瞬間だ。
『あっ…』
目をみはる暇もなく、少女の身体が地面へと崩れ落ちた。
少年は慌てて駆け寄る。抱き上げようとした少女の身体は鎧のせいだろう、想像以上に重く少年の細腕では力を必要とした。
少女を一瞥する。見れば少女の身体は鎧の上からでも分かるほどに傷ついていた。
先刻のあの戦いをこんな身体でやっていたのか。
まだ真新しい傷など傷の深さは様々だ。
驚きこそしたものの、やはり心配が先に立つ。
どこかに運ぼう。
そう瞬時に判断し、少女を運ぼうとした少年に声がかかった。まだかろうじで意識を繋ぎとめているらしい少女からだ。
その少女が、弛緩した身体で精一杯口にするのは驚きの台詞であった。
『…逃げ…ろ…』
『…!…』
『こんなとこ…で…死んでなんに…なる!はやく…!』
自分も怪我を負っているというのにも関わらず、少年を心配する少女。
遠目からは分からなかったが黄金の鎧は血がこびりついて、所々色が変色している。無数の切り傷によって鎧は傷つき、また鎧を纏っていない剥き出しの肌は幾つ者痣や傷で痛々しいほどだ。
『………!』
少年は、誰にともなく頷いた。
華奢とはいえ自分よりも背の高い少女の身体を、歯を食い縛って背負う。
なるべくここから離れようと重たい足を引きずりながら少年は、戦場を後にした。
* * *
* * *
そうして今に至るわけだ。
助けたつもりなど少年にはなかった。
むしろ助けられたのはこちらの方なのだから。
だが、先程から少女は「何故助けた!」の一点張りで、警戒を解いてはくれなかった。
あまりにも頑なな態度に、この状況である。
もう少し態度を緩和してくれてもいいのに、と少年は辟易しつつ思う。が口にすることは恐ろしいので出来ない。
「手当など頼んでいないし、別にお前を助けようとしたわけでもない。ましてやお前のためについた傷でもない」
「…でもさ!」
「お前は責任なんて感じなくていいんだ。もうほっておいてくれ…」
その台詞には、どこか突き放した調子がある。
まるで自身の生すらどうでもいいような投げ遣りな態度の少女に、幾ら温厚な少年も怒りを覚えずにはいられなかった。
あの時。
情けない自分を叱咤したのは他ならない彼女だ。
諦めるな、と。
死にたくないなら諦めることはするなと。
そして何よりも、今も少年の心を穿つ台詞がある。
―こんなところで死んで、なんになる。
あれは、自分の幻聴であったのか。
拳が戦慄くのが分かった。少年は唇をかすかに開口させると、怒りを露にした震える声音で口火を切った。
「…じゃない」
「なんだ?」
苛立つように、少女は聞き返す。
眉をひそめ目尻をつりあげる少女の面輪は、お世辞にも友好的とは言えない。
「…バンだよ…バン。お前って名前じゃない。俺には親がつけてくれた誇りある名前があるんだ!」
バンと名乗る少年は、ほとんど食ってかかる調子で少女に対して言い募った。
「それになんだよ!あんたはさ!俺に何て言ったか忘れたのかよ!死ぬなって言った。諦めるなって。ここで死んで何になるって!」
少女の台詞があったからこそ、バンは生き延びることを選んだ。
たくさんの仲間が死んだ、あの戦場に背を向けて。逃げ出した、と言われればそれまでかもしれない。
けれどバンは自分の死を無駄にしたくなかったのだ。
国のため、などという甘美な台詞に囚われ気づかなかった。
戦場で自分が命を落としたところで、犠牲者が増えるだけだということに。
自分が何かをできるのは、やはり命あってのことだということに。
「それを何だよ!そうやって俺を叱り飛ばした自分はさ馬鹿みたいに意地はって!」
「………」
「…もういいから? 何故助けた?……そんなの決まってるじゃん」
失礼なことを言っている自覚がバンにはあった。
なによりも少女とバンでは、立場や状況が違うことを。
分かってはいるが止まらなかった。一度堰を切って溢れた感情の波にどうしようもなかった。
少女に対してだけではない。戦争という、抗うことのできない大きな運命に対しての怒りが、バンの憤慨を増長させていたのだ。
「……あんな所で死んで…何になんのか、考えてみろよ!あんたが俺に言ったんだからな!もうそんなことも忘れたのかよ!馬鹿野郎っ」
言い募るバンの勢いに押されてか、しばしの沈黙が走る。
バンは一通り自分の気持ちを吐露し満足したようで、乱れた呼吸を整えている。
ただでさえ静寂としているこの森には、生物の気配さえ皆無に等しい。口をつぐんでしまえば耳に痛い沈黙が残るだけだ。
気まずい沈黙が流れる中、観念したように少女が息を吐く気配。
少女は背中を丸める。膝に顔を埋めながら、おもむろに開口した。
「………ごめん」
「…えっ」
「お前って呼び方じゃ失礼すぎるもんな」
更に身体を縮こませ、膝をかかえこむ少女の姿は、ようやく歳相応の姿に見えた。
顔をもたげるその少女の表情からも、妙に大人びた冷淡な色は消えている。
「私の名前は、リリカだ」
「リリカ……さん」
「ああ、呼び捨てでいいよ。傷の手当ては本当にいい。まずバンの傷を手当てしたほうがいい。火傷は後々面倒になる…」
バン少年の腕や足には、火傷の傷跡が鮮明に残っている。
あの戦争の無残さを克明に物語っているようだ。
リリカの切り傷よりも深刻そうな火傷あとに、彼女は眉をひそめた。
あの無愛想な面輪の陰に、巧妙に隠してある彼女の素顔が垣間見えた瞬間だった。リリカの表情―それはまさに戦争を厭う顔であった。
ようやく見ることの叶った彼女の素顔に、バンの張り詰めていた緊張が解けた。
思わず口から息が零れる。安堵の息だ。
「…よかった」
「え?」
「リリカが本当はいい人だって分かって。いや…分かってたんだけどさ。オーディの人間は怖い人だと思ってたからさ…。あ…、別にその…怖いっていうか…なんていうか」
「…野蛮で、粗暴で低俗な人間、か?」
「ごめん…」
「いいんだ…。間違ってるわけじゃない」
「でもさ…俺…!ううん…やっぱりオーディも同じ人間だって思ったんだ。それで…リリカはいい人だって…」
バンの台詞にリリカは、ただ一言「そうか」と静かに相槌をうった。
「なんで俺、オーディの人たちのことそんな風に思ってたんだろう…」
「………」
「変だよなぁ。同じ人間なのに、そんなさ…」
殺しあうなんて、と。
開口しかけたバンはしかしそれ以上言葉を発することができなかった。
不自然に訪れる沈黙の中でリリカは聴いた。
火傷の傷に、大木のくぼみに溜まっていた露でしめらした布きれをあてがうバンの、か細い泣き声を。
それは本当に耳をすまさなければ聞き逃してしまいそうな儚さである。
気丈に振舞っているもののバンはまだ子供だ。
歳の頃は十五。
本来なら親の庇護下にいて、平穏な生活を享受しているはずであった。
「…情けないなぁ…」
「………」
「今になってまた震えだすんだ、俺。…怖かった、怖かったよって」