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    Ⅱ








『お主だけでもこの事態をはやく…国に知らせるのだ…!』

『しかし、俺は!』

『馬鹿者!…お前がここに残ったところでなにが変わる?犬死になだけだ!』

『エトワール殿…!』

『もう我が軍は駄目だ。ならばその命を…国のために、あの御方のために費やしてみろ!私に構うな…ゆけ!』

『…すまない』

『無事に王都に、殿下の元に、辿りついてくれ…頼んだぞ、デューイ』










 ―――かつて。

 かつて、アースタビンカは小国ながら栄華を極めた国だとして、他国からも一目置かれていた。

 治安も良く、国の情勢も安定している。気候も比較的穏やかで滅多なことがない限り豊作が続く。

 傍から、それこそ彼の目にもアースタの国の平和は確立されているものに思えた。

 その矢先の事態である。

 アースタの崩壊。

 アースタの人々は忘れていたのだ。その平穏たる日々に慣れ親しみすぎたあまりに。

 世界のいまやほとんどが、戦乱の最中にあるということを。





「――…皮肉なもんだよな」

 王都から幾等も離れていない都。その名をベルリアという。

 ベルリアはアースタの国の王都から比較的近い南の場所にある。

 だが実質的な戦の被害にあったのは王都だけで、ベルリアはまだ平和を保たれている。

 それも今だけだということを少年は知っていたが。

 呟いて朝食なるスープをすする少年の横。彼の連れらしき青年は、あまりの少年の不穏な発言に眉をひそめた。

 青年は目も覚めるような大層な美貌の持ち主だ。だが発する声音の低さからして、男。

 彼らのいる酒場の客達が、内心で肩を落としたことなど知るよしもない。

「コウガ…。あまり大きな声でそのようなことを言うものではありません。それからスープは音をたてて飲むものでは…」

「…はいはい」

「コウガ!」

「…お前なんでわざわざついてきたわけ?俺一人でもよかったのに」

 コウガと呼ばれた少年の台詞に、美貌の青年は答えに窮したように押し黙る。それから少しの間を置いて躊躇いがちな開口。

 地の底からはいでたような声音はあながち揶愉でもない。

「…それは私を国に返すという脅しですか?コウガ」

「いや、そんなつもりはないけど。あんまりうるさいと、もしかしたら」

「…っ!私の今の状況を知ってるでしょう?」

 そう話をふられてコウガは、したり顔で笑う。

 わざと間の抜けた声で相槌をうつと、嫌味たらしく音をたててスープをすすった。

 勿論、わざとだ。

「叔父さんいい人じゃねえ?」

「知ってます」

「じゃあ愛人になってやるくらいいいじゃん」

「それとこれとは話が違うでしょう!」

 食ってかかる青年が、椅子から勢いよく立ち上がり机に向かって拳をたたきつける。

 注目されてるというのにも関わらず、青年はコウガに向かってまくしたてて文句を羅列した。

 周囲の注目をものともしないその二人の様は、やはり人目にさらされていることが常であるがゆえのことだろう。


 彼らはその外見からも常人から並外れていた。

 それは青年の美貌だけではない。コウガの容貌にいたって突出した美貌の持ち主というわけではなく、平凡そのものではあったが、彼の髪の色はあまりにも鮮やかな真紅であった。

 人間には珍しい色彩を纏うコウガ。彼のこの特異なる外見には、血筋というものが絡んでくる。

「はぁ…こんなのが皇子なんて、世も末ですね。髪を隠せと言ってるのにフードもかぶってない」

「誰も、特にここの人間は多分知らねぇよ」

 言ってコウガは自分の髪を一房つまむ。

「この髪色が、スーリザンの王族の証だなんてな」

 コウガは他国の王族であった。平凡な少年に見せて彼はその実第六子にあたる王太子だったりする。

 だが第六子といえば王位継承からはほど遠い位置にあるのもまた事実だ。

 それゆえにコウガも王太子という身分でありながら、呑気に物見遊山なぞに耽っていられた。

 少しはその身分を気にしてほしいとも青年は思う。そのせいで青年はなにかと気苦労が耐えなかった。

 この旅に出て何度薬に頼ったのかもはや青年には分からない。

 青年は胃潰瘍持ちなのだ。

「やっぱりコウガがはお忍びに向いていないですね。アースタに行くと言った時に無理にでも止めるべきでした」

「お前賛成してたじゃん」

 指摘され青年は、ひとつ咳払いをする。

 話を逸らすかのように注意を促す青年に、コウガは肩をすくめた。

「とにかく…外に出る時は外套をかぶってくださいね。変なトラブルに巻きこまれるのは御免ですから」

「ティーティは心配しすぎなんだよ。まだ王都じゃないしそんくらいは大丈夫だろ」

「大丈夫じゃありませんよ!先ほども外の様子をみてきましたが、ここも変な輩がうろつきはじめています」

 それこそ、本当にここはアースタかと疑いたくなるくらいの変貌ぶりだ。

 なによりもいつもの華やかな雰囲気さえ、今のアースタにはない。

 失われた活気、彩り豊かだった色彩は色褪せ、もはやアースタの面影は無いに等しい。

「…戦は恐ろしいです。まさかあの美しかった国をたった数日でここまで変えてしまうとは」

「…そうだな」

「王都はもっと被害がひどいと聞きました。それこそ生きてる人間の方が少ないくらい。もうこの国は…」

 それから先は声が続かない。奇妙な沈黙に包まれながら、コウガは胸騒ぎを感じずにはいられなかった。

 辺りを伺い見ると、ティーティと呼ばれた青年は声をひそめた。

 何かを囁くようにコウガの耳元に唇を寄せる。

「先刻…、多分アースタの国民は知らないと思うのですが…オーディとの戦はアースタの大敗…皇軍の方もほぼ壊滅状態だそうです。しかも…」

「…」

「アースタ王の…所在は行方知らず」

「…それ、本当か?」

「先程、アナスタシアの飼鳥から便りが。間違いないですよ。情報源はアナスタシアですから」

 ティーティは言い終えると、木製の椅子に腰を下ろした。まだ飲みかけの珈琲はとっくに冷めきってしまっている。

 銀色のスプーンで一度かきまぜると沈殿していたカスが全体に浸透し、茶色い表面に波紋がわたる。ティーティはそれを一気に飲みほした。

 深く息をつく。

「もう残念ですが…この国は駄目ですよ。前にはオーディ族、後ろにハルバリア。そのうえアースタ王の生存は不明…」

「ティーティ…。あいつは…、あいつは無事かな」

「…それは、」

 この物見遊山の目的でもあり、コウガの唯一の友達でもある。

「なんとも…言えません」

「そう、か…」

「ですが、まだハルバリアの方は…何も。アースタの国民に示していないのですから………」

 生きてるのでは、という台詞はけれどティーティの喉をつかえたきりだった。

 壊滅状態だと聞いたあの王都で、皇軍の護衛もなしに、何の力も持たない少年が生き残ることは難しい。想像に難くない。

 知っていたからこそ青年は押し黙るしかできなかった。

 沈黙は続く。気まずい沈黙の流れる中で、周囲の雑音だけが妙にコウガの耳に障った。



『王都はもう見る影もないらしい』

『王妃様はどうなったんだ?皇子は?大丈夫なんだろうか…』

『王都には…出稼ぎに行った娘がいるってのに…』

『噂によると皇軍も全滅らしい。王様も死んだって話だ』

『終りだ…!この国はもう…だめだ…』




 人々の会話を聞きながら、皆が異口同音に同じ台詞を口にするのをコウガは聴いた。



 "アースタはもう終りだ"



 美しい国だった。平和で慈愛に満ちた。その国はまさに楽園だと人々にはうたわれたものだ。

 その国の終わりはあまりにも呆気ないものであった。力によって容易く移ろいゆく世の理不尽さを、儚さを一体誰に責めればいいのだろうか。一体誰に嘆けというのだろうか…。

 歯を食い縛り、自身の不甲斐なさに呻くしかなかった。激情に耐えきるにはあまりにも、コウガは幼すぎて愚直すぎた。

 焦燥に駆られながらコウガが思いを馳せるのは、深い夜空の藍色の瞳だ。


「ヒナギク…」

 その声音は祈るような、切実さを帯びていた。










         Ⅲ







「ひどい有り様じゃな、これは」


 一面に広がるガラドナの荒地を見渡しながら、女は言う。

 美しい女だった。

 長い髪を頭頂部で一つに結いあげている。ウェーブかかった赤色の毛束は、風を孕んではためいていた。

 うっとおしそうに髪をおさえながら女が見遣る先には、戦が行われていたその跡地だ。目を覆いたくなる惨状が女の前には広がっていた。






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