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 唐突に襲ってくる吐き気と悪寒に、男は苛立ち混じりに舌打ちをした。自身の身体がこれほどまでに疎ましく思ったことは、かつてなかった。

 脱水症状である。五日間―またはそれ以上、寝る間も食べる間も惜しみ馬をひたすら走らせた。脱水症状になるのは至極当然といえた。

 だがいま男がいるのは閑寂とした荒地だ。気を失ったところで、助けてくれる物好きな輩などいるはずがない。男は意識を手放すわけにはいかなかった。

 黒馬もここまでよく耐えられたものだ。傷だらけの馬蹄がいかに走り通しているかを物語っている。

 男同様に馬も完全に体力の底を尽きかけているのは明らかだった。それでも決して駆けることを止めないのは、常とは異なった手綱さばきをする馬上の主人を思っての行動だろう。男の逸るようなその手綱さばきは、馬にさえ異常な事態が起こっているということを分からせるものだった。

 ―――限界は、近い。

 男は自分の限界をもう当に分かりきっていた。

 だからこそ男は焦りを禁じ得ない。

「殿下…!」

 殿下、と。

 男は我知らずその名だけを繰り返し口唇で紡ぎだしていた。

 殿下、殿下、殿下―――ヒナギク、と。

 男は頬に伝う汗を手の甲で拭いながら飽くことなく、何度も彼の名を舌へと乗せた。

 それは、男にとってあまりにもいとおし少年の名であった。

 生まれながらにして皇子という高い地位を冠し、直にはアースタの王になるという過酷な運命に、いつも気を張りつめて生きている少年。

 護る、と決めたのだ。

 何があっても。例え全世界を敵にまわすようなことになったとしても。自分の命を引き換えにしたとしても。

 そして男は隊長になった。

 国を護る職務に就くことで、少しでも少年の身を危険から遠ざけられたらと思案したからだ。

 政争という争いにいやおう無しに巻き込まれる彼に、外界からの危険だけでも気を揉むことがないようにと配慮したからだ。

 戦争というのは、非情なものだ。時代の節目には必ずといっていいほど起こるものである。戦争を幾ら避けようとしてもそれが叶わないことを男は長年培った経験で知っている。

 だからこそ、今回の戦争においても避けることはかなわずとも、なるべく少年に火の粉がかからないように片をつけたかったのだが。


「…全てが…遅かった…!」


 男の、喉の奥からしぼりだす声音に震えが走る。歯を食い縛り、胸中に湧き出た憤りを鎮めようとするがそれも無駄だった。後悔と行き場のない怒りに苛まれ男は、叫び出したい衝動に駆られた。


 軍はオーディの侵攻を阻止しようとアースタの国境地に向かっていた。皇軍のほどんどが同様に国境に配属されるなか、王もまた自身の責務を果たすためか、今回の戦に同行していた。

 国境をもう着くであろうという折のことだった。一足先に偵察にやっていた部隊の情報で、オーディの軍が国境から離れたガラドナの荒地で野営をしているということを知った。

 ガラドナでは地の利はこちらにある。ガラドナがアースタの領地に属していたからだ。王の判断はくだされ、夜に乗じて奇襲をかけるということになった。

 その結果が―これである。何万人にも及ぶ人間の死。

 兵の皆にはきっと家族がいたのだろう。自らの帰りを待つ妻であったり、親であったり、子であったり。

 きっと皆が帰る日を夢見ながら死んでいったのだろう。

 彼らの心中を察すると男はやりきれなかった。



「……くそ…っ!」









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