9
あの戦場の中。
皆が自分の命だけで手一杯だった。
助けてくれる者などいるはずもない。この戦場の中で、死ぬしかないのだ、と。
絶望に打ちひしがれた自分を他ならぬリリカが救い上げてくれたんだ、と。
「どうせ、死んでたかもしれない命なんだ」
「……」
「…リリカのためなら死んだっていい!」
「バン…」
さながら―それは愛の告白だ。
つむがれたバンの台詞と威勢のよさに一拍の空白があった。
いや、それは一拍というにはいささか長い沈黙である。
呆気にとられているリリカの顔が不自然にゆがんだのを、バンは見逃さなかった。
次いで口元を震える右手が押さえる。気分でも悪くなったのか、と危惧するバンの心配はどうやら杞憂に終わったようだ。
静寂を先に破ったのは腹を抱え笑い出したリリカである。
涙目になったリリカに、バンは自分の口走った台詞が情熱的なものであったのか気づかされた。いたたまれないことこの上ない。羞恥に顔を赤らめていると、笑いに耽っていたリリカから弁解がされた。
「…ああ、す、すまない。私には弟がいるんだが…弟がお前みたいなことを言った時があったんだ!
ちょうどお前と同い年ぐらいで。思い出したら…可笑しくて」
弁明する台詞の割には誠意がなく、なによりも台詞の節々で笑いを堪えている所がある。
どこか腑に落ちないものがあるが、リリカが笑ってくれただけでもバンにとっては価値のあることだ。
無理矢理と言っても過言でないが、そう自分に言い聞かすことにした。
「…バン」
「な、なんだよ」
「怒らないで聞いてくれ。やっぱりお前はいい奴だ。私が保証する」
「……そりゃあどうも」
ぶっきらぼうな調子になってしまったが、それは決して不愉快だからという負の感情によるものではない。リリカにそう保障されたことが、バンには妙に気恥ずかしかったのだ。
目尻に浮かぶ涙を拭いながら、リリカは言う。
「…命を落としても、知らないからな」
放たれた台詞にバンは一瞬耳を疑った。
リリカへと慌てて視線を転じるが、特に変わった様子もなく立ち上がろうとしている所である。まだその動作はぎこちなく、疲労の色が見えた。
思わず手を貸してやるが、リリカは他人に触れられることを極度に避けているように思えた。
それは手当てをする段階で明らかだったからだ。
手を差し出したものの、拒絶されるかもしれないと心配してただけにバンの驚愕はひとしおだった。
「ありがとな」
ぎこちない礼を述べ、リリカはバンの手を借りたのだ。
リリカが初めて自らバンに触った瞬間でもある。
口元が綻ぶの分かりながら、照れ隠しに伸びた鼻の下を指でこする。にじみでてくる嬉しさは、バンの頬をだらしなく弛ませた。
リリカは外していた剣を手に取ると、慣れた手つきで腰にさす。肩慣らしにか、腕を軽くまわす。
伸びをして息をついたリリカが、肩越しに振り向く先にはバンがいた。
「早めにこの森を抜けよう」
「…リリカ!」
やはり、あの台詞は気のせいではなかった。
昂ぶる気持ちと嬉しさとが渾然し、バンの瞳が期待に輝いた。
リリカの瞳からも、あの鬱蒼とした色は消えている。
リリカは柄を握る指に力をこめながら、あの戦場の時の頼もしい表情で頷いた。
その姿は、少女というには毅然としており勇ましい。
まさにリリカは金色の鎧を纏うに相応しいとバンは確信した。
リリカは、只者ではない。だがリリカが何者であろうともバンはついていくだけだ。いや、ついていくのではなく、守りたいとバンは心の底から思った。
リリカを守りたいのだ、と。
「行くぞ、バン」
「うん!」
確固たる足取りにもはや迷いはない。
二つの華奢な影に恐れはなく、暗い帳が広がる森の中へとその姿はおぼろげに消えていったのだった。
Ⅴ
時は遡ること一刻。
まだガラドナで戦が行われている最中である。
肉を切る感触に、男――シルバは眉を顰めた。
慣れ、というのは恐ろしいものだ。徐々に人を殺しているという感覚が鈍化してきているようでよろしくない。
シルバは鮮血で切れ味の悪くなった剣を振り下ろしながら、しみじみ得心づいた。
だがそう納得している暇はない。人を殺したくないと思いながらも敵兵は容赦なく向かってくる。
シルバは敵兵の剣を受け流すと火花を裂くように斬撃を返す。
白刃はすでに錆がひどく使い物にならない有様だ。代替するはずだった剣も使い切ってしまったようで、シルバはもはや使い物になりそうもない剣で敵兵と刃を交えていた。
そのため一撃で仕留めることは困難だ。仕留めたと思っていた敵兵にはまだ息の根があり、最後の足掻きといわんばかりに突き出された刃を剣で受け止める。何度か刃鳴りが響き、火花を散らす。
身をひねって斬撃を避けようとしたが、にわかによろめき地面に片膝を突いてしまった。死体に足をとられたのだ。
好機と言わんばかりに敵兵から振り下ろされた剣に、シルバは一瞬自らの死を覚悟した。
だが予想した痛覚はシルバには訪れなかった。
眼前の敵兵の頸部が両断され、血煙をあげながらシルバの視界から消えたからだ。
地面に倒れ臥せった敵兵の代わりに、見覚えのある男が姿を現した。