序章
自作サイトからひっぱってきた小説です
手直しがてらにのっけていきます
かなり前の作品になるため文章があわわわということになっております…
ご注意ください
この物語は絶望から、始まる。
何千―――――いや、何万であろうか。
足並み揃った騎兵が、城門の前に整列している。騎兵の後方へと並んでいるのは、数万にも及ぶ歩兵達であった。
皆の表情にはそれぞれ、不安や緊張、これから起こるであろう戦争への悲壮な決意が浮かんでいた。
萎縮しそうな胸中を隠し、精一杯の虚勢を張る姿は人々の憐憫を誘う。
兵士の中にはまだ年端もいかないような子供もいる。老人もいる。
しかしそれは国から強制的に集ったわけではない。ここにいる兵士の殆どが自ら志願したと知っているから、見送りに来ている人々の涙は止まらなかった。
息子や、と慟哭する母。長年連れ添った夫の出兵。それぞれの思いを胸に、皆が兵士達の無事を祈る。
殊更に浮かない顔をする少年がいた。不安に思う気持ちが表情に表れてしまっていた。
まだ十五、六の少年である。いや、少年というにはあまりに身体の線は細く、華奢だ。いささか頼りない雰囲気であったが決して女々しいというわけではない。
その証拠に皆が涙を浮かべている中、彼の夜空のように深い藍色の双眸は濡れていない。必死に口元を引き結び少年は涙をこらえて立っていた。
『行って参ります。殿下』
『うん…気をつけて。こんなことを言ったらおかしいかもしれないけど、』
怪我をせぬように、と。呟いたのは殿下と呼ばれた少年。
瞳を曇らせる少年の不安を払拭するように、恰幅のいい老人が笑い飛ばした。彼は銀の甲冑を纏い馬に跨っている。
戦争に赴く者の一人だ。
『なんて顔をなさっているんですか、殿下!この私がついてる限りはオーディ共に我が国の土など踏ませませぬ!』
『エトワール殿…』
『そう曇っていられてはせっかくの可愛いらしいお顔が台無しです。殿下は安心して我らの帰りを待っていてくださればいいんです』
『…分かった』
張りつめていた空気が幾分緩和される。
和らいだ兵士達の雰囲気に気づき、エトワールと呼ばれた老人は揶揄混じりに諫言飛ばした。
『殿下が安心したからといって、何お前たちまで安心しとる!気を抜くんじゃないぞ。オーディ共に首を駆られたら市場に売られてしまうぞ』
兵士達の中から笑い声が沸き起こる。
これから戦争に行くというのに、兵士の皆が笑うことができるのは偏にこの国が、今まで戦争には全く無縁であった平和な国だからだろう。
『…和んでいる場合じゃない、お前達。エトワールも』
『へ、陛下!』
毛並の美しい白馬が颯爽と現れた。声にしたがって視線を向ける先には白馬に跨った男の姿。
陛下と呼ばれた男は、さすがその身分にあわせてか硬質のいい甲冑を纏っていた。
身分の高い者にふさわしい金の兜が、照り付ける太陽の光を反射させている。
まさしくそこには王者の風格があった。
『くれぐれも気をつけてくれ。この戦争においてなるべく死者をだしたくないのだ』
『殿下だけでなく、陛下まで…なんという恐れ多い御言葉をかけてくださる。…このエトワールも命を掛けて、陛下を守る所存で………』
『だから、死なれては困ると言ってるいるだろう』
これには殿下と称された少年までもが失笑する始末である。少年の笑い声に倣って、皆が声を押し殺して忍び笑いだ。
これが最後になるのかもしれない。
その不安は拭えない。だからこそ皆が、その最後をいい物にしようと笑っていた。
まさかこれから戦争に行くだなんて誰が思うだろう。
この先に訪れる運命を一体誰が、予想できただろう。
『あんた…気をつけて。気をつけてね。このお腹の子のためにも。生きて帰ってきて』
『ああ、リーシャ。まだ名前も考えてやれてないからな』
年若い夫婦は涙する。
『僕も足が弱くなかったら、行けたのに』
『いいって。お前だけでも生きててくれたら、母さんを哀しませずにすむから…』
『…そんなこと言うなよ。馬鹿兄貴』
まだ幼い兄弟のつたない別れ。
『どちらがたくさん敵を殺せるか勝負しません?』
『不謹慎だぞ。こんな時までふざけやがって』
『性分ですから』
戦争に胸を弾ませる兵士。
そして。
『殿下』
『あ…、デューイ』
声をかけられ振り返る少年の藍色の瞳の先。黒い甲冑を纏った青年が立っていた。背格好からして二十代後半ぐらいだろう。長身痩躯の青年の体が少年の目線に合わすように、腰をかがめた。
清閑な顔つきはこれから待ち受ける運命を知っているはずなのに力強い。青年の強い光を放つ漆黒の眼差しに、優しい色が宿った。青年の顔つきが少年を前にして、ほわっと一瞬にして和らぐ。
少年を安心させようとして浮かべられた微笑だ。誰かのために微笑もうとする精神はとても尊いものだ。
『行って参ります』
青年の、自分に向けた慇懃な態度に少年は苦笑するしかなかった。
『デューイはえらいね…俺なんかに気を遣わなくていいのに』
『殿下はとても尊い御人ですから』
『デューイはいつもそんなことを言う』
そう言って少年は口を尖らすが、直ぐ様に表情を一変させる。今にも泣き出しそうな表情で、少年は呟いた。
『デューイ…』
『はい』
『…死なないで』
少年の切々とした願いは、けれどこの非情な世界においてあまりにも甘すぎた。そしてあまりにも、幼すぎた。
遠くから出発の合図。
時が来た。
戦争が、始まる。
『殿下』
『………』
『俺は絶対に死にません。俺は貴方を…ヒナギク様を』
護るためにあるのだから、と。
デューイのつむいだ台詞は、馬の嘶きによってかき消されてしまっが。
少年に満足に告げることができぬまま、デューイの隊も出発していく。
馬蹄が、地面を踏み拉く。
不規則に続く馬の足並みに倣って、砂埃が上げられる。
砂塵は兵士達の後ろ姿をも覆い隠してしまった。
―――遠い。
その姿はあまりに、遠かった。
彼らは知らない。その国の運命が、破滅に向かっていたなどとは。思いもよらない暗雲が、皆の頭上に立ちこめていることなどは。
ここにいる誰もが、知るよしもなかったのである。
* * *
『よいか、お前達!』
興奮した様子の馬に跨り、年かさの男は叫ぶ。
彼が引き連れているのは何万もの騎兵だ。砂塵が辺り一面を覆う。視界はすこぶる悪い。それでも彼等の軍の士気は上がるばかりだ。
『皇軍が戦争に行っているいまが、好機!』
叫ぶ男の横に連なるように並んだ騎兵達。騎兵の一人が掲げる旗が風を孕んで翻る。
その旗に描かれた青い龍が、危険な光を帯びてはためいている。
『オーディ共なんかにあの国は渡さん』
男の視線の先には、白亜の城壁からなる美しい都しかない。欲望の色をたたえ見る王都は、どんなに魅力的に彼の目には映っただろう。
剣をおもむろに引き抜いたかと思うと、男は剣の切っ先を王都に向けた。
馬は嘶く。砂塵があがる。怒号が空気をも震わす。居丈高に男は叫ぶ。
『狙うは王都!いざ、出陣!』
今まさに火蓋は切って落とされた。