黒い髪と瞳の少女
恐怖によって全身の血が引く音が聞こえた。実際のところそのような音は鳴ってはいない。だがラゴエスの耳にはその音に加えて全身の血管に何かが這い回る感触も起きていた。
もうすぐ死ぬ。
恐怖で視界がぼやけ出した。諦念で生への執着を失おうとしていた。死を受け入れたためか自ずと人生を振り返りだした。あまりにも短い人生だった。いつの頃か冒険者に憧れ訓練し、そして今日冒険者となった。その記念すべき日が自身の命日にもなった。
そのぼやけた視界の向こうで突如人影が増えたような気がした。その人影が男の一人に向かい蹴り上げるような動きをした。なぜだろうか、気が動転して幻影でも見えたのか。
「うわあ!」
幻影ではない。悲鳴で我に帰ったラゴエスの目にはハッキリと男を蹴り上げる人間の姿を確認した。同時にラゴエスを殺そうとしていた男もその声で振り返った。
「ぎゃあ!!」
その人物は次なるターゲットに鳩尾目掛けて肘打ちを繰り出した。
「ぐわあ!」
その男が倒れるとその姿を見届けることなく三人目の後頭部に蹴りを入れる。突然仲間が次々と倒されて立ちすくんでいた男の懐に人影が入り込まれ投げ、宙を舞い地面に叩きつけられた。
「何やってんだ貴様ぁ!!」
最後の一人となった男は人影に向けて飛びかかった。勢いよく剣を振り下ろしたが華麗にかわされた。
「くそぉ!」
男は次の斬撃に向けて剣を振り上げた。だがそれにより露わになった脇腹に人影は拳をねじ込んだ。その攻撃により肺に強烈な衝撃が与えられそのまま失神した。
「ふう、急所へ見事に入ったな」
初心者狩りを倒して一息つく人物の姿があらわになるとラゴエスは目を疑った。小柄だとは思っていたが目の前に立っているのは少女であった。年齢はラゴエスと同じくらいの十七、八歳。屈強な男達を薙ぎ倒したとは思えない端正な容姿と華奢な体つきである。
その少女の風貌には特徴がある。髪と瞳がこの辺では珍しい黒色であった。ちなみにこの大陸では一般的に栗色の髪に鳶色の瞳が多くラゴエスも同様である。
それに加え衣装にもこの辺では見慣れない独特の構造をしたものを着ている。少女が纏う上着の胸元にはボタンはなく左右の襟を交差させ、腰元はベルトの代わりに長い布で上着を縛っている。着衣するのは手間取りそうだが体型が変わっても着続けられる合理性はある衣装だ。
この姿を見て思い出した。東方に住む人はそのような出立ちをしていると聞いた事がある。この大陸にも移民や出稼ぎで滞在している者がいる。彼女はその辺りからやってきた冒険者だろう。
「ところで君、大丈夫か?」
「ええっとぉ、ありがとう」
危機が去って心にゆとりが生まれたのか、その娘の容姿を改めて確認した。少女の特徴である黒い髪と瞳に神秘的な何かを感じた。その容姿はこの大陸でも美形に分類されるだろう。
「ジロジロ見ないでくれ」
その言葉に慌てて目を逸らした。
「いや、そういうわけじゃ…。あっ、後!!」
少女の背後には先ほど投げ飛ばした男の姿があった。男は投げられた時に頭をぶつけたのか、そこを押さていた。
「このアマがぁ!!」
男は落とした武器を手に取り飛びかかってきた。
ドサッ
咄嗟に音の方に目をやると男は岩壁に叩きつけられた。
「な…何が起こったんだ?」
一瞬の出来事だった。少女は投げ技のフォームを取っていた。男が襲いかかってきたその刹那、男の腕を掴み投げ技を繰り出していた。再び投げられた男は今回ばかりは気を失い戦闘不能となった。
「すごい…。女の子がこんなガタイのいい男を軽々と投げ飛ばすなんて」
ラゴエスは思わず称賛した。
「これは柔術だ。相手が出している余計な力をもらって、その力の向きを変えて投げ飛ばした。相手の力を利用しているからこちらに力は必要ない」
柔術という言葉程度なら聞いたことがあるが見るのは初めてであった。小柄な者であっても魔法で吹き飛ばしたかのように相手を軽々と投げ飛ばす。武術の師範が小話で言ってはいたが、現実味のない内容だったので実際目の前で披露されるまではそんなことが可能なのか半信半疑であった。
「とにかく助かったよ。あっ…、ところで君は何でこんなところにいるの?」
「私か?初心者狩りを狩りに来たんだ」