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陰陽師と天狗と熱  作者: 坂月恭
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あたたかなよる

 暦学生である光栄(みつよし)に調伏の仕事が回されることは稀だ。彼の同僚には、安倍晴明や吉良一族の方が陰陽師として名が立っている。

 何より、頭として祖父の賀茂忠行が、陰陽師として父である賀茂保憲が仕事をしているのだ。いかに賀茂の血筋とはいえ、比べると劣って見えるのが光栄だった。


 その青年に仕事が回ってくるということは、他の者の手が空いていないか、面々が出向くほどのことではいと押し付けてきた場合だけだ。


 今回は、他の手が空いていなかったらしい。

 訪れた屋敷の門前で、溜息が出るのを抑えることは出来なかった。邸内から見え隠れする嫌な空気に、庵で待っているだろう左季(さき)に遅くなると式鳥を飛ばして知らせることにした。

 懐から出した紙の鳥形に、息を込めて手のひらから放す。ふわりと舞い上がり、二三度その羽を確かめた鳥は南東に頭を向けている。幻の鳥は、その姿を風に隠す前にまるで光栄を励ますように、ヒュイ、と鳴いていった。自身の式にすら後押しされるとは、主として認められているのか不安になる。


 意を改めて踏み入ると、屋敷の雑色よりも小鬼が迎えてくれた。


『遅いぞ光栄』


『呼ばれたらすぐに来いよなー』


『仕事こなして早く暦博士になれよー』


 冷やかしの中にこの屋敷の屋鳴りが混じっていてうるさいことこの上ない。全て黙殺し、通行の邪魔になった何匹かを蹴飛ばして敷居内に入った。

 痛いやら返事しろやら聞こえたが無視だ。顔を上げると、灯りを手にした下人が待っていた。


「陰陽寮の方でしょうか?」


「ええ、賀茂保憲の代名です」


「賀茂様の。主がお待ちです、どうぞこちらへ」


 促されるまま上がり、邸を進んだ。

 右京だと聞いたときにはどんな場所かと思ったが、綺麗に掃き清めてある。廊の端にちらちらと見える屋鳴りの数も多く、下人の灯台よりも彼らの青白さの方が火の役目を果たしていた。

 どうやら、ここの主は普段から人に好かれやすい人物のようだ。心配そうな屋鳴りたちの中で、誰も囃し立てて鳴きわめくものはいない。


 通された一室に、主らしき老体が眠っていた。火を入れなおした家人が下がると、光栄は枕元近くに座した。老体は、虚空を見つめて浅く呼吸をくり返すのが精一杯に見える。


「……陰陽寮の方です」


 名乗らないでいると、下人が痺れを切らした。目の前の男が衣の中で身じろぎ、光栄を見た。

 もう、臨終の顔だった。保憲はわかっていて仕事を回したのだろう。

 無碍に出来ない筋からの頼みがコレでは、いくら晴明でも会う前に帰ってしまう。吉良兄弟では、どちらも嫌そうな顔を見せる。人が終わる姿など、誰も平素見たくはないものだ。


 それでも、話が出来るように男に群がっていた鬼を払い、男の意識を光栄に向くようにした。呼ばれた以上、何もせずに見送るのは家人の手前できない。


『光栄、邪魔をするな』


『我らは我らの務めを成しているだけだ』


 細く喋り、何度も手を伸ばし魂を引きずり出そうとする冥府の使者を右手で作った剣指で牽制し、男の息が整うよう待った。


「……わしは、死ぬのか」


『この男、連れて行かねば我らが消される』


「何か心残りがおありですか?」


 身を乗り出した彼の下人が、衣を掴んでその存在も引き留めようとした。鬼の感に触ったのか、一層声を騒がせるが、姿が見えていない下人には最初から聞こえなかった。光栄の耳が痛むだけだ。


『有りもせぬ。お前が呼ばれたのはこの下郎の一存よ』


『本に人は意地汚い』


『光栄、離れよ。この男も引き千切ってもらっていくぞ』


 ふと、老体の目に涙が見えた。


「向こうに……妻は、待っているだろうか……」


 鬼も、下人も、黙った。老体のにごり始めた瞳が、光栄を見ていた。


「一人で立ち尽くすには、寂しく心細い場所でございます」


 本当のことは、わからない。

 父や祖父、兄のように面倒見てくれる晴明の言を信じるならば、その場所は、冷たく先の見えない霧と河のせせらぎに混じって呻きが聞こえるところだ。誰かを待たせているのならば、きっとはやくと思うだろう。


「……そうか。ならば、行かねばならんな」


 口角を上げ、ゆっくりとまぶたを落としていく。一息で肉体から離れた魂が、鬼に手を引かれて昇っていく。


『陰陽師殿、面倒をかけた』


 霧散する男が、そう言った。光栄は頭を振って見送った。


 下人に主の死を知らせると室から出た。来た廊下を戻る中、屋鳴りが青白く点滅しながらきしりきしりと泣いているのを聞いた。家人にも妖にも好かれた主は、それだけで幸せなひとだと思った。向こうに行っても、幸せだろう。


 物忌がすんだら親父殿に文句の一つでも言おう。


 門戸をくぐり抜け、ようやく詰めていたものを吐いたときには夜闇にうっすらと星が見えていた。遅くなると伝えたが、左季に早く会いたくなった。会って、その香りに触れたい。


 小さな庵へと足を向けたとき、そこに式鳥を肩に乗せた左季が立っていた。いつもの狩衣姿に、青い陰火を灯している。


「左季」


 ゆっくりと歩み寄ると、青に照らされた左季は微笑んでいた。


「光栄、帰ろう」


 白く小さな手を差し伸べ、光栄を待っていた。

 そっと伸ばした左手で握りしめると、伽羅の香りが広がった。あの小さな庵に左季と帰る。それだけで、いいような気がした。


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