△△△ぼくは亀 3
飛んだ災難だった。
仕事が遅れに遅れ、ようやく片付き、家路へと向かった。地下鉄の二番口に向かう。いつもは三番だが、今日は何となく違う入口にした。
階段を降り、右手にいった所に、ファストフード店がある。その横を通り、改札口へと向かった。
いつものように満員だった。仕事終わりに休憩がてらコーヒーやパンで一息つくOL、サンドイッチを齧るサラリーマン。
皆顔が油断しているな。特に一人でいる人ほど、ぼやんとした人が多い。疲れているのだろう。それでも、他に人がいる場合は、その仮面を完全には、取ることができないんだ。ぼくもそうだが、サラリーマンは大変だな。生きていくということは、大変なことなんだ。
茶系のコート、パンツスタイルのショートカットの女が、友達とご飯を食べていた。
その横をぼくは歩いた。何処かで見たような気がする。あの女・・・・・・。ふと、そんな想いに駆られ、しばし足を止め、女を見た。何処だったか、忘れたが・・・・・・。
突然、電信柱に、頭をぶつけたかのように思い出した。あ、あの地下鉄に、一足先に、乗り込んでいった女だ。楽しそうに友達が喋っているのを、何度も目を見ながら頷いていた。
ぼくはそれを見ながら、ああ、いいな、と思いながら、先を歩いていく。本当は、ああいうシャキッとした女性がタイプなんだ。
楽しそうだな。ぼくと違って。そう。あの、地下鉄に乗れた彼女と地下鉄に乗れなかったぼく。
人生ってそうなのかもしれない。成功する人と失敗する人との境界線なんて、深い理由もなく、所詮そんなものなのかもしれない。
人生は、複雑に思えるが、意外と単純なものだ。それとも、人間は、複雑には考えられないのかもしれない。だったら・・・・・・。
一人、暗い夜道をとぼとぼと歩き、ようやく、九時に帰宅した。
ドアを開けた瞬間。部屋からは、何かいつもと違う雰囲気が漂っており、それで違和感を覚えた。
疲れなのか・・・・・・。そのせいだと、思い、深く考えることをやめる。人間は、複雑にはできていない。だったら思考を単純にさせればいいだけのこと。
「お帰りなさい。遅かったわね」
由梨が出迎えてくれた。その彼女の笑顔も、どことなくいつもと違ったものを感じた。具体的には説明できない。何だろう。
例えば、トイレットペーパーを買いにいかせたのに、彼女は、他のものを買っている内に忘れ、それで帰ってきてしまう。そして、僕に問い詰められると、なかったよ、と嘘を付くような顔。
だが、今の僕は、何も問い詰めていないし、彼女はただぼくに向って笑顔で、お帰りなさい、といっただけだ。考え過ぎか。
「ああ。行きの電車が止まってね。会社に遅刻をしたんだ」
「え?」
「伝馬町で、人身事故。人が飛び降りたんだって。それで、電車が来なくてさ、仕方なく、タクシーで会社に行ったんだよ。
そのタクシーも何時間も待たされちゃってね、結局十時過ぎに会社に着いたんだ。その前には、ほら、地震もあったしね。
だから、仕事も山のようにあって、こんな時間になってしまった、というわけだよ」
「大変だったのね。疲れただろうから、すぐにご飯にしよ。お腹空いてるでしょ。地震大丈夫だった? かなり大きかったけど」
「うん。少しの間は、金山駅もパニックに陥ってたけど、それでも、しばらくすると日常が戻ってきたかのように、皆何事もなかったように歩き出した。不思議なんだけどね」
「そうなんだ。私は一人だけだったから、あんな大きな地震があって、凄い揺れたから、何か怖くなっちゃったけど・・・・・・。皆忙しいものね。気にしないんだ。じゃ、ご飯にしましょうか?」
「ああ。そうしてくれ」
「タクシー代、会社からは、出ないよね?」
「うん」
「損しちゃったね」
「だね」
ぼくは鞄を置き、スーツの上着をハンガーにかけた。
「今日は、何してたの?」
「え?」
少しの間があった。その間がいやに重苦しいものを含んでいた。
「な、何って、別に、今日は、学校もなかったから、家で、のんびりしてたよ。あ、そう、そう。溜まっていたドラマの録画してたやつを、見てたんだ。それで、午後から買い物にいったけど、何でそんなこと訊くの?」
「いや、別に意味はないけど。だけど、いい身分だな。ぼくが会社に遅刻し、仕事が溜まってたからそれを処理するのに、こんなに時間かかったというのに、だよ」
「ご苦労様です。今日は早く寝て。それで、明日は元気になってね」
ここで、攻めるようであれば、喧嘩になり、余計に疲労が溜まったであろう。だからこのようにやり過ごしてくれたことにより、少しのガス抜きにはなった。由梨は、頭の回転はいい。
「ああ。そうするよ」
その日は夕食を共にし、すぐに寝た。その違和感はベッドに入った瞬間に深まった。
だが、明日の仕事のことを考えていると、自分の体を休ませなくては、と思い、その違和感に目を瞑ることで、疲れもあり、徐々に、深い眠りへと落ちていた。
ただ、今晩は、由梨の就寝がいやに遅く、いつまでたってもベッドに来なかったことを、意識がなくなるまで、頭の中に疑問として残っていのだがー。
それも疲労困憊のこの身体が、睡眠を浴していたのもあり、瞼を閉じた瞬間に、それも消えて、無くなっていた。