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時空の歪み  作者: 中野拳太郎
17/25

△△△ ぼくは亀  5



 来る日も、来る日も、毎日。一人で食事。


 何を食べているのかさえも分からないこの状況。マンネリとした一日を何度も繰り返すだけ。

 だから髪の毛はボサボサで、無精髭を生やしていても、誰にも気兼ねすることもない。気楽だが、侘しい。依然として職はない。

 何もヤル気が起きなかった。毎日、毎日、起きては、無意味にテレビを付け、何とわなしにそれを眺め、スマホをいじり、時々新聞を読み、家にある本を読むでもなく、眺めているだけ。それで時間を潰し、一日が終わっていく。

 何という無駄な日々。この灯りのないトンネルの中で、逃げ場のない鬱蒼とした森の中。ぼくは一人苦しんでいた。誰も助けてなどくれない。


 由梨と別れたというのに、彼女の顔が脳裏にこびり付き、頭から離れない。きっと未練たらしい動物なのだろう。いつまでもいい時のことを思い出すだけの男。


 そこから動こうともしないし、動くこともできない。


 きっと出て行かれた側は、大なり小なりの未練があるはずで、反対に出て行った方は、相手のことなどこれっぽっちも思ってはいない。

 今頃は、違う男にすり寄っていっているに違いない。そういう女だ。それに、女の方が切り替えも早い、と聞く。男と女とでは、頭の構造が違うのだろう。


 こんなことではいかん。と思い、ようやく外に出ることにした。


 ここまで気持ちを持ってくるのにかなりの時間を要した。もう少し、部屋に閉じ籠っていれば、尻に根が生えていたのかもしれない。




 一人だけでカフェに入り、コーヒーを飲み、寛ぎ、何をやるでもなく、他の客を見たり、窓から見える道路を歩いている通行人をぼんやりと眺めていた。どうせ時間だけはある。


 時間が過ぎ行くのを長く感じた。こんなにも時間はゆっくりと、無意味に流れるものだと初めて知った。

 だが、ぼくの知らない所でも、このように世界はちゃんと動いていることを、外に出て来て改めて知った。

 会社に行き、そこで皆と関わり、仕事をし、それが終われば、帰宅する。

時には仲間同士で呑みに行ったり、恋人と合流し、カフェで寛ぐ。というのもあるかもしれない。いいな、縛られた生活の中で、癒しを求める生活は。

 今のぼくは、自由ではあるが何も強制されることもないし、もしてや誰かと関わることもない。言ってみれば、一人であるがために、孤立し、孤独だと感じている。


 改札口には多くの人がいて、様々な方へと歩いて行く。電話を片手に話しながら、前へ向かっていく男。

  横一列になって、後ろのおじいちゃんの通行を省みず、ワイワイ楽しみながら歩く女子高生たち。

 一旦立ち止まって、スマホに夢中になるサラリーマン。何をやっているんだろ。時折笑顔を見せていた。そんな人々をぼくは目で追ってはいたが、実際は大して見てはいなかったと思う。お得意の見ているフリ。




 そんな時だ。もうそろそろ帰ろうと、思ったその時。


 久しぶりに外出したばかりに見なくていいものを見てしまった。こんなことなら、家でゆっくりしているんだった、と後で思うが、後悔先に立たずだ。


 なぜなら、街で、男の肩に寄り添いながら歩く、由梨の姿を見たからだ。


 ぼくは、きっと、間の抜けた顔で見ていたのだろう。何の緊張感もなく。まるで小学生が、無意味なテレビを見るように。

 その後ろ姿をずっと眺めていた。彼らの姿がなくなるまで。ふとした時。人に見られている気配を感じた。



 振り返った。


 ショートカットの落ち着いた女が、物珍しそうな目で、ぼくを見ていた。あの切れ長の目の彼女が、ぼくの背後に立っていた。


 何ともいえない間の悪さに、一体、ぼくはどんな顔をして、その間を埋めようとしていたのだろう。こんな所で、会いたくない人と遭遇してしまった。二人も。


 あの日から喋りはしなかったが、毎日同じ地下鉄に乗り、目を合わせることが何度となくあった。

 どうやら向こうも意識しているような。眞人は、そんな期待を持つようになっていたほどだったが・・・・・・。

 最初は分からなかったんだ。だが、やがて、毎朝地下鉄で見かけるあの女であることに今、気づいた。

 まさに嫌な、見られたくないところを見られてしまった。何でこんな所で、何でこんな場面で、でく合わさなきゃならないんだ・・・・・・。


 それに気づいたぼくは肩を竦め、反対方向へと向かった。なんか、無様だな・・・・・。


 彼女は、何を思っただろう。こんな馬鹿面を浮かべ、別れた女の背中を見ている惨めな男を見て。

 きっと不審者丸出しのぼくに対し、軽蔑の目で見ていたに違いない。恥ずかしいったらありゃしない。

 違うんです、あれは、別れた元彼女です。そんなことを言おうものならば、更に怪しさ倍増だ。


 でも、もういいかー。ぼくの人生、どうでもいいとさえ思った。


 どうなろうとも・・・・・・。






「最近どうしてるんだ?」


 久しぶりの電話。タイミングよく親友の鴨川諒一からだった。

 誰かと喋りたい、そんな風に思っていた時に、電話がかかってきたこの救いの電話。やすやすと終わらせてなるものか。そう思って、何とか話題を考え、長引かせることに務める。


「どうもこうも、部屋に籠ってるよ」


「不健康だな。二十六の青年が。お前、このままじゃ、孤独死しちまうぞ」


「かもしれないな」


 冗談ともつかないセリフを口にすると、しばらくは沈黙が落ちた。鴨川には由梨と別れたことを言っておいた。その辺を察しての空気だったのかもしれない。


 どれくらい時間が過ぎたことだろう。


「今からお前ん家に行くわ」


 この鴨川の一言で、救われたのは、間違いなかった。事態が好転していくのを感じることができた。


「いいよ。くんな。めんどくさいから」


 しかし、素直になれない自分をめんどくさく思った。こんなところで意地なんか張ってもしょうがないのに。それくらい今のお前は、窮地といって差し支えないほどの状態なんだぞ。カッコつけてる場合か。もう少しで、廃人にもなり兼ねなかったんだぞ。


「待ってろよ。理恵も連れて行くから。多い方がいいだろ。だから、そんな陰気くさい声出してんじゃねえぞ」


 その言葉を聞き、どん底から少しだけ、這い上がれたような気がしたような。そして、今、心がゆっくろと、楽になっていくのを感じた。






その日の夜。


 鴨川諒一とその彼女、真鍋理恵まなべりえがアパートにやってきた。

 コンビニでビールとスナック菓子を買ってきてくれたとのことで、二人は、買い物袋を抱えていた。


「眞人君とは、久しぶりね」


 ドアを開けると、まるで雪崩が起きたかのように勢いよく、二人が元気良く、入ってきた。その中のジーンズとセーターといった軽い服装の理恵が言った。


「よく来てくれたね。ま、狭いけど、入ってよ」


 僕は、彼らの勢いに飲まれながらも、部屋に招き入れた。


「そんなの気にすんな。俺とお前の仲じゃないか」


「鴨川だけじゃないよ。他にお客さんもいるんだから」


「私は、気にならないけど。だって、男の人の部屋の割には片づいているし」


「馬鹿、こいつ、慌てて掃除したんだぜ。だって、いつもは、もっと散らかってるし、汚いもん」


「それを言わないでよ」




 ここに友達の由梨がいないことに、どうにも居心地の悪さを醸し出してはいたが、そこは大人の彼女だ。すぐにこの雰囲気に慣れ、明るい声を出してくれた。


「理恵は、今までと変わらず、友達である由梨と定期的に会っているんだよな」


「うん。まあね」


 鴨川って、何て無神経で、タイミングの悪いことを訊いたり、言うんだろう。


「由梨は、元気にしてるかな」


 ぼくは、敢えて嫌な雰囲気を作ってみた。


「ええ・・・・・・」


 理恵は、何と答えていいのか分からないようで、ぼかしながら言った。


「ま、そんな陰気な話なんかしなくていいんだよ。せっかく俺たちが来てるんだから。

 ほれ、眞人、この前言っていた広告の・・・なんていってたかな。お前が任されていたプロジェクトだよ」


 何処までも無神経な男。腹が立ってきた。


「会社ね、ぼく、クビになったんだ」


 ぼくは酷く低い声で、さも暗さを出そうと、投げやりに言った。


 重々しい空気がこの部屋に充満したことで、幾分気が晴れてきた。嫌な性格だと、自分でも思う。


「え?」


「うちの業績が悪くてね、解雇だよ。突然だよ。今までぼくは会社のために、身を粉にして働いてきたというのに、その辺のことはまったくわかっちゃいないんだ。あのバカ会社は・・・・・・」


「そうなんだ。でも、ほら、お前まだ二十六だから、いくらでも就職先くらいあるさ。

 それに、そんな白状な会社、辞めて正解だよ。先がないよ。そんな小さなことで、人員を切るぐらいなんだから。ま、リストラで難を乗り越えようなんて・・・・・お先真っ暗な会社のやることだよ」


 こいつは、頭の切り替えが速いというのか、強がりなだけの男なのか、よくわからない男だ。


「鴨川に言われても、何の気休めにもならないし、このぼくの怒りが収まることもない」


「ま、会社の話しはそれくらいでいいや。他の話しをするけど、相変わらずお前、引っ込み思案だったり、時にはグイグイ行く時があったりして、全く違う性質のキャラが出てくるから、こっちも対応が難しいよな。

 だから、俺、こいつと付き合うと、変な意味じゃないぞ。友人としてだ。

ま、関わった、といった方がいいかな。

 何事にも驚くことがなくなった、とはいわねぇが、ま、鈍感になったのかな。いい言い方をすれば、動じず、平静でいられるようになれたんだ」


「そうかな。ぼくは、気分屋ってこと?」


「そうだよ。その通り。例えば、あれだよ。俺とナンパした時があったじゃないか。その時、女の子に、俺から声かけるんじゃなくて、こいつがかけてたんだぜ」


 鴨川は、理恵の顔を見て言った。


「そうかと思えば、俺たちが初めて出会ったあの合コンだけど。こいつ、あの時、引っ込み思案の眞人が出てきてさ、女の子たちと全然喋らなかったもんな」


「でもさ、由梨の隣にずっと座ってたから、いつしか由梨の方から喋りかけてたもんね」


 理恵が明るい声で言った。


「あ、そうそう。俺は、こいつに、けしかけてやったのに、それでも、全然喋らねぇんだもん。いつもの勢いはどうした。一体、合コンに何しに来たんだ、ってね。言ってやったんだけど、全く・・・・・・」


「でも、びっくりだけど、いつの間にか付き合ってて、そして、知らない間に、同棲してたもんね ー」


「そうだよな。まったく奥手なのか、やり手なのか・・・・・。この男だけは、分かんねぇよ」


「いじゃん。いいじゃん。昔のことだよ。それより、お酒買ってきたんでしょ、出してよ。出してよ、早く」


 それから三人はビールやら缶チューハイを飲みながら、スナック菓子を食べ、一通り喋っても、彼らは根を生やしたかのように、いつまでもこの部屋で寛いでいた。

 でも、僕に取っては、久しぶりに明るさを感じることができ、楽しかった。


 しかし、今日のこの会は、いやに鴨川が気にしていたな。そう思う。

 鴨川は、無理に笑いを取ろうと、面白くもないジョークをスベらせ、ぼくはそんな鴨川を無視し、理恵ちゃんが、鋭い突っ込みを入れていた。


「君たち、漫才してるのかい?」


「漫才じゃないよ。諒一君は、天然的なボケなだけ」


 ぼくの心が軽くなっていった。久しぶりに笑ったような気がした。身体の中のモヤモヤが出ていき、少しだけ軽くなれたんだ。そして、明日から頑張ろう! そう思った。


 






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