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時空の歪み  作者: 中野拳太郎
13/25

第三章  解雇と難病  △△△ ぼくは亀  4





   ― 十一月 ―




 いつものように会社に着く頃には、はや一仕事してきたかのように疲労を抱えていた。

 朝の通勤列車は、酷いものだ。いつまでも覚醒しない脳で、立ったまま揺れに耐えつづけながらの、乗客との格闘。それらをすり抜け、やっとのことで、会社に辿り着く。

 この先何十年、同じことの繰り返し。本当にぼくはやっていけるのだろうかと不安に思う。


「お早う」


 可愛い後輩に挨拶をした。


「お早うございます。先輩、ちょっと・・・・・」


 ぼくが会社に行くと、後輩の咲ちゃんがえらく神妙な趣で、会議室に行ってくれ、といった。

 いつもと違う顔。やや緊張を浮かべた顔に、ぼくは嫌な予感を抱いた。今までに見たことのない顔だったからだ。いつもだったら軽口を叩く余裕があるのに。何だその切羽詰まった顔は。何かがある。





 会議室に呼ばれ、行ってみると腹の突き出た、五十過ぎの間瀬(ませ)課長がどっしりと座っていて、半ば、こちらを睨みつけるように見てきた。


 何なんだ、一体? 


「君は、最近、遅刻も多いし、無断欠勤も・・・・・。たまに、ある。少し、生活も乱れているようだな。

 ま、でも、それを今更問い質すことはしないが。君も知ってるだろ。うちの会社が大口の会社に手を引かれたこと。それで利益が減少に転じ、赤字を生み出していることを」


 間瀬課長の説明も何処となく、取って引っ付けたような、おかしいものだった。

 一体、何がいいたい? ぼくが遅刻、ましてや無断欠勤? そんなことはない。

 確かに、あの時。地震があった時だ。遅刻はしたが、無断欠勤であるはずがない。ちゃんと連絡はした。―そんなことは前置きに過ぎない。

 ぼくは必死に冷静になり、考えてみた。会社が芳しくない状況なのは分かっている。それじゃ、一社員に何がいいたい? 考えてみた。

 

 ― 読めた。間瀬課長は、実際は、睨みつけているわけではないのだろう。ただ、解雇を言い渡すのに顔が強張っていたんではないのか。緊張もあっただろう。それが顔に出ているだけだ。


「だから、簡潔に言うとだな、人員整理を行ってくれと、上からのお達しがきているんだ。分かってくれないか・・・・・・」


 解雇? じゃ、俺は会社をクビになるのか? 


 ― 会社をリストラにあうというのか? いきなりのことで、眩暈を感じ、立っていることが苦しかった。


「そもそも君は、うちの会社のことを理解していない。とにかく、座りなさい。今からする話は、立ってするものでもない」


 ぼくは、椅子にヨロヨロとしながら腰を下ろした。そう。まるで何か悪さをした生徒が、職員室に呼ばれ、今まさに先生に問い質される時のように。


「そもそも、広告代理店とは、クライアント企業の広告活動、つまりマーケティングを代理的に行うものだ。

 クライアント企業の目的や予算に応じて、どんなコンセプトで広告を作るか、そして、どうすれば成果が最大化できるか、といったマーケティング戦略や企画を立案する会社なんだ。君も知っているだろ。 

 そこで、広告代理店の仕事は、大きく分けて営業とプランナー・スタッフに別れているのだが」


 ぼくの耳には間瀬の声が入って来ない。彼が一体何を言っているのかを、全く理解することができなかった。


「お前は、営業。それじゃ、一体営業の仕事とは、何だ? クライアントから案件を頂いてくることじゃないのか。

 では、そのクライアント企業が、広告を出したいと考えた時に広告代理店に依頼をしようと考えるわけだが、依頼先の候補はたくさんある。

 さて、そこで、数ある広告代理店の中からウチに依頼してもらう努力が必要となってくるわけだが。今まで、お前は、一体どんな仕事、どれほどの努力をしてきたというんだ」


 必死で頭を叩き、回転させる。


「はい。自社のメリットを様々提案したり、営業活動を通じての、日頃の関係性が有利に働くように、クライアントとも接してきましたが・・・・・・」


 本当は、もはや意味を持たないのかもしれない。もうどんなに頑張っても解雇は免れないのだろう。それは、わかっていた ー。


 間瀬だって、今更、こんなことを言わなくてもいいはずなのに。なぜ言う?

責任感ある間瀬もそうだが、ぼくの性格もそうなんだろう。どこまでも真面目な自分。無意味な時間が流れていくのを、誰も止められずにいる。

 とにかく、意識を保つのだ。頑張って意識を集中させるんだ、と思う自分と、もうどうだっていいではないか、と自棄になっている自分がいた。どっちつかずの自分の本性に、壊れかけているのを認識する。


「それだけか?」


「は?」


「俺は、それだけか、と訊いているんだ」


「いえ。それと、そういった中で、様々な営業努力を行い、契約を勝ち取ることに重きを置き、活動してきたつもりです。

 それから、コンペの際だって、プランナー・スタッフを巻き込んで,良い企画案を提案し、契約を勝ち取るようにしてきました。それが、営業の最も重要な仕事だと思ってきました」


「ほほう、口だけは達者なんだよな。それで、どうだ? お前はちゃんと仕事を獲ってきたというのか。ウチのチームの中で、一番成績の悪いヤツは、一体誰だ?」

 

 後頭部をガツンとやられたような衝撃だった。違う。この期に及んでも、ぼくのことをコケにするつもりなのか・・・・・・。


「― それでも、三ツ沢物産の社長とは上手くやっているし、いつも僕のいない飲み会は、つまらない、といって・・・・・」


 すがるしかなかった。職を失う恐怖を現実的に捉え、身体の震えを止めることができなかったのか、それとも今目の前にいる間瀬に一矢を報いることを、と考えていたのか、わからなかったが、とにかく、ぼくは必死になっていた。


「それがどうした?」


 普段は、温厚であった間瀬課長の顔が、ぼくの食いつきに、火が付いたのか、鬼のように赤く、怒り出していた。


「いつまでも体育会系のノリでやってられる年でもなかろうに。もう少し、大人になったらどうなんだ。

 この先、お前が三十、四十、五十歳になった時、そんな仕事のやり方でいいと思っているのか。 いいか。いつまでも若くはないんだぞ。

 それにだ。今の会社の状況を考えれば、俺が何を言いたいのかを、把握してくれないか。もう決まったことなんだから。

 仕方がないんだ。いくらお前が悪あがきしようと、どうあるべきかを理論しようが、決定事項を覆すことなど、できんのだー

 俺だって、本当は、お前を救ってやりたい。でも、自分のことで精一杯なんだ。お前を助けることで、次は、自分の命が、狙われないとも、言い切れんのだ」 


 間瀬の声が大きくなっていた。何も言い返せなかった。何も出来なかった。

こんな時にぼくは、思った。親友の鴨川だったらどうしたのだろう、と。

 急にこんなことを聞き、暴れ出したかもしれないし、あいつのことだから、あっさりと、わかりました、と無駄な時間と決別し、すぐにこの部屋から出て行ったのかもしれない。

 あるいは、相手の心に波風を立てるくらいの捨て台詞を吐いて、部屋を出て行ったのかもしれない。

 だって、物事はもはや決まっていたのだから。どうすることも出来ない。だから、議論する時間さえ勿体ない。


そういうことだ。






 ぼくは、あまりのショックで、間瀬課長との話がどうやって終わったのか、また、どのように家まで帰って来たのか、まったく覚えがない。


 そんな時に限って由梨の機嫌がよかったから、余計に現実を恐ろしく感じた。


 彼女は腕によりをかけて、いくつもの料理を作り、テーブルに並べていた。

 ぼくは、スーツの上着を脱ぎ、言われるままにテーブルに付き、箸を進めた。

味なんて分かるわけがなかった。何度も味、どう、と訊いてくる由梨を邪魔に思い、あっと言う間に食を平らげ、ソファにどかりと座り、そのまま目を閉じてしまった。


「ちょっと、何? 何なのよ、私が腕によりをかけて作った料理に、何の反応もなし?」


「あ、あ、ごめん。美味しかったよ」


「うそ。まるで心ここにあらずって感じで。きっと何を食べたのかも分からないでしょ」


「そんなことは・・・・・」


「じゃ、何を食べた? このテーブルには何が載っていた? わかる? 思い出せる?」


 顔を真っ赤にして、怒っていた。当たり前だ。由梨の立場になって考えればわかることだ。でも、今のぼくには、そんな余裕がない。


「あ、あ、それは・・・・・・卵焼きに・・・ウインナー・・・・」


「あたしに喧嘩売ってる?」


 話にならなかった。どうやら由梨の怒りが、頂点に達してしまったようだ。




「ごめん。会社で・・・・・・」


「会社で何? どうしたのよ?」


 由梨の棘のある言葉にどう話していいものか、悩みに悩んだし、心も痛かった。




「リストラにあった・・・・・・」


 この一言を口にするのに、長いこと時間がかかった。


「え?」


 二人の間に沈黙が落ちた。




「会社の業績が悪くて、それで、人員整理だって・・・・・・。会社の方は今月末までの在籍になるが、有給が余っているから、もう、明日から休もうと思っている。そして、職探しでもするよ」


 それでも由梨は何も言わなかった。


「なるべく、早く見つけるよ」






「何が、明日から休もうと思っている、よ・・・・・・」


 由梨の怒りに震える声が、ぼくの背中に突き刺さる。


「は?」


「いい気なものね。そんなに簡単に職が見つかると思ってるの? 今の待遇を維持出来る企業が、そうやすやすと見つかると思ってる、って訊いたの。

 甘いわよ。そんな考え。どうするのよ。仕事が見つからない、っていうことは、給料が貰えず、収入がないってことなのよ。

 毎月の家賃だって、食費だって、光熱費だって、どうするのよ。眞人に貯金がないことくらい分かっているのよ。ここから追い出されるわよ。それでもいいの?」


 何も言えなかった。こんなにも生活のことを考えている女だとは思ってもいなかった。

 そのことを知り、実際驚いた。女というものは、男よりも現実的な生き物なのかもしれない。

 年下のまだ学生の女に、言われたことにショックを隠せない。きっと女は、男よりも精神年齢が上なのだろう。身体は年下でも、精神年齢は上だ。






「― どうするのよ」


「どうしよう」


「優しいだけでは、駄目なんだよね。眞人、もう一度訊くね。就職、すぐに見つかる? 見つかったとしても、そこで働くの、大丈夫?   

 新人なんだから、年下に教えてもらわなくちゃいけないのよ。その時に、自分のプライドに嘘を付くことができる?

 どう? 腹が立って、もう辞めてやる、なんて思わない? 

 私だって、来年三月には大学を卒業し、四月からは就職するんだからね。その時に、もしかして、眞人は、無職のままで、ずっとこの部屋にいるの。

 もし、眞人がそうなって、私が外で働いてて・・・・・・。一体、あなたは、この部屋で何してるの?

 私、そんなの嫌かも。ついていけないかもしれない。だって、そんなあなたなんか、見たくないもの」



 

 その日はお互い、何事もなかったようにしてベッドに入り、寝た。でも、眠れるわけがなかった。

 身体は色んなことがあり、疲れていたが、気持ちが高ぶっていて、眠れない。

隣で寝る由梨を見ても、目は瞑っていたのだが、寝息らしものを数回訊いただけで、寝ているのかどうか・・・・・・。


 ぼくは、六時にベッドから起き上がり、シャワーを浴び、身支度を整えていたが、由梨が起きてくる気配はなかった。

 朝食を食べる気力もなく、何処かへいくあてもなかったが、取り敢えずアパートを出た。



 正直、由梨と顔を合わせていることが辛かった。もう少しすれば、彼女は起き、学校へいく準備をするはず。そして、やがてはアパートを出ていく。

 その後、アパートへ一旦戻ればいい。それから、それから・・・・・・。どうしよう? ぼくは一体何をすればいい。


 考えよう。とにかくこれからどうするのかを考えるんだ。ぼくには行くあてなどもなく、ただ街をほっつき歩くことしか出来なかった。

 離職票が廻ってきたから動こう。先ずは、職安に行き、失業手当を貰いながら、職探しをすればいい。

 だが、これからのことを考えると、お先真っ暗で、ほんと、どうしていいのか・・・・・・。


 そろそろラッシュアワーの時間に差し掛かるころで、多くの人が駅に向かって動き出していた。

 だがぼくには何処かへいかなくてはならない義務はなく、また、何かをやる義務もない。


 何処をどう歩き、ほっつき歩いてきたのか分からなかったが、歩き疲れて、ぼくはベンチに腰かけ、物思いに耽った。


 無職、夢も希望もない。あるのは消失感と脱力感だけだった。今のぼくは抜け殻の状態に近く、ただ由梨が学校へ行くのを待っているだけの男に成り下がってしまったようだ。

 立ち上がって、何処かへ行こう。このままの状態がいいわけはない。何時間もこのまま、この場に居座れば、不審者に思われてもしょうがない。


 とにかく立ち上がるんだ。そして、歩こう ー。歩かないことには始まらない、そう思った。





 昼前に、ぼくがアパートに戻ってくると、テーブルに手紙が置いてあるのに気づいた。


 それは寒々しい物で、この季節には、目にしたくないものであった。冷たい字で、書かれたものだ。それを読むと、一気に部屋の温度が下がった。




   今まで有難う。




                由梨




 短い言葉と共に、彼女はこのアパートを出て行ったようだ。


 ただその短い言葉が、今のぼくにどれだけ重く、心に突き刺さってきたことか。

 彼女の荷物が、まだ部屋に残されていた。それはまるで行き場を失くし、主を待つ健気な子犬のようでもあった。

 だから眞人は、それに手を振れることができなかった。もはや、それは他人のものになったのだから。


 本当は彼女の温もりを感じていたかった。だが、今では、触れてはいけないものとなってしまったのだ。


 涙がポツリと頬を伝い、床に落ちた。


 職もない。パートナーもない。貯金だってないことを改めて知ると、空虚なこの現実を思い知らされる。


 こんなことを考えていると、手が震え出し、どうしようもなく怖くなってきた。

 まさか、まさかの展開で、これが昨日までのぼくだったら、この自分の境遇にどう思っただろう。

 人間の人生なんて、こんな風に一瞬で狂ってしまう。安定、だとか豊かなる生活なんていうものとは、本当は紙一重で、誰だって、不安定なこの地表に立っているものなのだ・・・・・・。

 もしかしたら、こうなることが早いか、遅いかの違いなのかもしれない。


 でも、わかるような気がする。由梨は現実主義者的な女なのだ。ぼくが無職になれば、彼女にとっては何のメリットもない。

 だから今までの情だとか、思い出なんていうものが、何の役にも立たないことくらい、予想が立てられたはずだ。

 だから、こんなにもあっさりと出て行かれてしまった。由梨が、ぼくの面倒なんか見るはずはないんだ。そんな女でないことくらい最初から、わかっていた・・・・・・。

 でも、実際あの手紙を目にした瞬間、猛烈に淋しさと、悲しみを同時に受けてしまい、ぼくはパニックに陥ってしまった。

 立ち直れるかな ー。






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