げに恐ろしきは無意識の悪意なり
「……で、何の為に飲んでいるんだ?」
「すまなかった。てっきりレイもそのテの輩かと思ったのじゃ。」
「その事はもういい。思い出したくない。質問に答えろ。」
「いや、それは飲んだ方が調子が良いからと。」
「あんな砂糖が融けたような液体飲んで調子が良くなる訳がない。」
割れたマグカップを片付けた後に詰問した。リィンは困った顔で頬を掻き、大きな溜め息をついた。
「嘘ではない。あれを飲む事が体調管理になる。そういう生態なのじゃ、蜜人というのはな。」
「だが、老廃物を飲んでなど……」
「生物の在り方としては歪なのは私もそう思う。だがこの生態を造り出したのは神なのじゃ、どうしようもないの。」
そう言って立ち上がると、本棚から装丁のない本を取り出して見せた。
表紙には『蜜人』とだけ書かれたものを、リィンはパラパラと捲りつつ話し始めた。
「私ら蜜人はとある邪神が徒にエルフから派生させた種族じゃ。」
「だからエフォルフなのか?」
「いや、あの蒸留水がエフォックという名前からじゃから、たまたまじゃの……お、ここじゃ。」
一旦栞を挟んで本を閉じ本棚に向かい、今度は金糸の用いられた装丁の本を取り出して持ってくる。
題名はただシンプルに『聖典』と書かれているそれを、またパラパラ捲りつつ話し始める。
「私ら蜜人はある宗教では聖なる神として崇められているものを邪なる神、その上それが種を創造したとされている……そうそう、この神じゃ。」
指で示された二つの文献を読んでみると、表現の差異はあれどどちらも姿形や性質が同一である。
挿絵にはふくよかな男性が熊の皮を身に纏い、女性を侍らせて高笑いしているように描かれている。
最後の晩餐や受胎告知等と比較するのは些か可哀想な気もするが、それにしても宗教画にしては趣味が悪い。
「『聖典』では削いだ贅肉で人を造ったとされる事から父母の神、『蜜人』では己の欲を満たす為に私らを造ったとされる事から、欲望と堕落の始祖と呼ばれている。」
「成る程、どちらにせよ贅肉が始祖の証という訳か。」
「因みにこれを信ずる神官らは皆一様に肥っているぞ。」
贅肉が何かしらを生んだのも、それに追随するように神官共が肥っているのも分かった。
だが、疑問点はまだ残っている。
どの神話、どの宗教でも神が自分達を造った事を皆褒め称える話はあっても、貶めるような話は聞いたことがない。
「あぁ、そりゃあおそらく抑圧からの強い反抗心がそうさせたのじゃろう。」
「反抗心……誰に?」
「レイはこの国の歴史を知らぬのか?ここ数百年程前までは私ら蜜人は家畜、使い魔の一種じゃぞ?」
突然何を言われたのかが理解できず目を丸くしていると、本当に知らないのかと呟いて話し始めた。
「と言ってもまあ昔の奴隷とどちらがマシかと聞かれればの話じゃがな。昔の奴隷は不眠不休で働き続けさせられる消耗品。対して蜜人というんは体液は蜜のような甘味、エルフの系譜なだけあって見目麗しいのが多い種族。その上繁殖力と寿命はエルフ並で希少価値も高い。貴族共の良いエサじゃろう?肉体的には奴隷の方が、精神的には無針蜂……すまぬ、蜜人の方が辛いと私らの間では言っていたものじゃ。……じゃからこそ、その両方を課せられている今の奴隷は見ていて気分が悪い。」
リィンは苦虫を噛み潰したような、バツの悪い顔で胸元を抑える。
自分達のような社会的弱者の差別、扱いが改善されたかと思えば別の社会的弱者が非道い目に遭っている。
大人でも割り切るには相当強固な精神力が必要になるだろうそれを、まだこの幼い体で堪えている。
「辛いんだろうがその罪悪感、無力感は絶対に割り切るなよ。その瞬間からお前は人でなしになる。」
「ふふ、レイは優しいな。……安心せい、端から割り切ろうだなどと虫のいい事は考えておらぬよ。」
そう言うと俺に背を向けてエフォックをティーポットからぐびぐびと飲み始めた。
いやぁ、長らくお待たせしてしまい申し訳ない。
話を繋げるのに時間が掛かってしまった。
レイはまだ大人しいようだ。