正常なる異常
「……おかしい。」
「どうしたんですか?」
「階層主が居ない。こんなこと……絶対に有り得ない。」
階層主とは、文字通りその階層の主である。
大半は階層の最奥に一部屋構えて侵入者を待ち受けており、一度倒されても長くて一日、早ければ一時間も掛からずに復活する。諸説あるが、その階層で死んだ生物の魔力でしているというのが最有力説。
俺達が今居るのは階層主が本来居る筈の小綺麗な部屋。これが有る限りその大半の例には洩れることはない。
つまり、ここには確かに階層主が居たという紛れもない証拠だ。
ダンジョンでは魔物が死ぬと素材だけが残る、といえども返り血や飛び散った肉片は残ってしまう。
それはつまり、小綺麗なこの部屋で殺しあいは行われていない証左。
総じて、階層主は居るがこの部屋から出ていってしまった、と言えるだろう。
「だが、そんなこと絶対に有り得ない。」
「けど、もうそれは絶対ではありません。現に有り得てますから。」
絶対と言い切る教官に対し、冷静に分析するトリストラム。そうは言っているが彼も珍しく困惑を顔に出して冷や汗をかいている。
だが、心得たりがない訳でもない。俺を監視していた奴ならば、魔物を何らかの方法で使役出来ていたので、有り得なくはない。
教官にその旨を話してみるが、それこそ有り得ないのだと言う。
通常の魔物を使役するスキル、ジョブは自分の魔力で造り出した生物、野生の魔物または子供の頃から育てた魔物等、信頼関係のある魔物でなければならない。
故に、ダンジョンの魔物を使役するには自らがダンジョンを造り出さなければならない。
ダンジョンの魔物は俗に言う地縛霊のようなものである。その階層から出ることなど、ましてや階層主が部屋から出ることも無い。
ダンジョンは云わば自然災害。どんな人間も災害だけはどうにもならない。要はダンジョンを造った前例はない。
「だけど、その通常からはもう既に逸脱している。」
「んじゃ、異常も正常になる特異な空間ってこったな。うわー、生きて帰れる自信無ぇー。」
「パロム棒読みすぎ。」
和まそうとしてか、わざとおどけて見せるパロミデスに知ってか知らずか注意するパーシヴァル。
特異な現実から目を背けるための一時的な『日常』は功を奏し、目に見えない過度なストレスから彼等の精神を守る。
「教官の想定していた死への恐怖心よりかは効き目が強すぎなようですね。」
「強すぎるなんてものじゃない。私でも怖いのだからな。」