1話【田舎めし】
あなたが食べたいものを作ります。
出張・キッチンカー(結屋)
誰にでも一品くらいは、忘れられない思い出の味というものがある。
お母さんの味、お婆ちゃんの味、家族と旅行先で食べた味など……
そんな大切な思い出が時間と共に薄れてゆく。
同じものは作れませんが、あの頃の雰囲気を懐かしむことの出来る擬似食とお考え頂ければ幸いです……
微かな記憶に残る香りを頼りに一緒に作り、一緒に食べながら楽しい時間を過ごしましょう。
この出張・キッチンカーの仕事をやり始めて二年が過ぎた。
予想外にお一人さまの存在は多く、仕事に困ることはない。
今日もまた、昔を懐かしむ寂しん坊さんが一瞬の陽だまりを求め彷徨っているようだ……
「キッチンカー、結屋です」
「もしもし、あの……」
「はい、ご予約ですか?」
「あの、田舎めしとか出来ますか?」
「擬似、田舎めしですね……」
発端は婆ちゃん孝行だ。
「これでアタシから旅立ちな……」
「婆ちゃん」
俺の家族は婆ちゃん一人だ。赤ん坊のときから俺を育てた婆ちゃんは、俺が料理学校を卒業すると同時に、それまで営んでいた自宅兼食堂を売った。
その金の半分を俺に手渡す。
「これでアタシから旅立ちな……」
年寄りは小さいが背負うと重たい。
体は固くてスーツケースにも入らん。
賢人は身軽に生きな……
そして残りの半分の金と一冊のパンフレットと申込書を渡された。
「手続きをしておくれ」
「ああ、俺にまかせろ」
ふざけやがって。
俺を舐めんじゃねぇーぞ……
俺は老人ホームのパンフレットと申込書を破り捨てた。
いつかはその日が来るだろう。そのときに金がなく貧しい老人の暮らしはさせられない。
金だけは婆ちゃんの通帳に入れたまま銀行の金庫に預けた。
そして俺は婆ちゃんが用意してくれた旅立ち用資金で、キッチンカーを購入し婆ちゃんが休める空間に改造した。
残りの金で婆ちゃんが生まれた町、寄居商店街に古民家を買って、新しい我が家を作った。
寄居商店街の一角にある古びた家だが、キッチンカーと同じ(結屋)と言う茶屋にした。奥には三部屋と小さな居間がある。そこで婆ちゃんと料理学校の友人、守と三人で新しい暮らしを始めた。
出張・キッチンカーをやる理由は、
婆ちゃんを連れて歩けるから……
茶屋だけで食っていけるだろうか、と心配だった俺の苦肉の策だ。
週末だけの仕事として考えていた。だが、毎週日曜日だけでは間に合わず、平日でも動くようになり、茶屋を任せられるようにアルバイトを雇った。
「婆ちゃん、田舎めしだって」
「ハイハイ、メールをお見せ」
最初は渋っていた。自分という存在が孫の足かせになると不安だったようだ。
俺はずっと婆ちゃんの足かせだ。
婆ちゃんは足かせを外すどころか、温かい手で足かせが外れていないか、と目配り気配り育ててくれたんだ。
足かせカモーン……
「賢人、夕方に商店街に行こうかね」
「了解」
大衆食堂の女将だった婆ちゃんにとって、料理は子育てより簡単らしい。
老人ホームにいく覚悟を決めた当初は、この仕事で邪魔にならないようにとキッチンカーの畳スペースで本を読んだりしていたが血が騒いだようだ。
「婆ちゃん、ヤバイ手伝って」
「ああ、仕方ないねぇ」
この日から毎日、キッチンに立って楽しそうに過ごしている。
今の時代に感謝だ。
自由が許される時代と言うべきか……
サラリーマンなら婆ちゃんを連れて歩けない。
修行中の見習いなら、婆ちゃんと会う時間すら取れないだろう。
フリーターやネット事業……
これらが当たり前の世の中だから、通用するキッチンカーの仕事だ。
何でもアリのやったもん勝ち。
田舎めしの注文が入って来週に予定しようと思っていたが、婆ちゃんの一言で明日の夜になった。
通常、予約されると相手からメールが届く。
思い出のエピソードや食べた物の特徴。味や誰と食べたか、など……
その内容を見て婆ちゃんは、時々、(急いであげてね)と俺に言う。
そして、その感は的中する。
用意した食材で婆ちゃんが何かを作り始めた。懐かしむ料理は昔の料理だけに、ほぼ、婆ちゃんが板長である。
俺と守は呼ばれない限り茶屋で店を預かる。
「あれ、結さんはおらんね」
「居ますよ」
婆ちゃんは人気者だ。
「どうも、結さん、おる?」
「はい、お待ち下さい」
結屋は商店街のお年寄りたちが集まりワイワイと賑やかに過ごしてくれる。
「あら、また来たかね」
「うん、来たよ」
「俺も来たよ」
長い時間の為せる技か、また来たか、なんて人に言えば嫌われるのが普通だ。
だが、食堂をやって来た婆ちゃんの雰囲気か、話術か、嫌われるどころか、また明日やって来る。
婆ちゃんの幼なじみたちは、みんないい人ばかりで婆ちゃんは楽しそうにしている。
アルバイトの丸ちゃんが婆ちゃんを見て言った。
「結婆って凄い人気者だよね」
「なっ、無敵感半端ないよな」
「なんですか? 無敵感」
「えっ……」
守はアルバイトの二人と話をすると度々質問をされて世代を感じるらしい。
茶屋を任せるアルバイトの丸ちゃんとイッちゃんは花屋のカスミちゃん経由で働くことになった。
「丸って名前、変でしょ」
「イッちゃんの方が変よ」
「だって、まあるい子になるようにだよ」
「アタシなんか……」
イッちゃんは言いかけてやめた。
婆ちゃんが二人の会話に口を挟む。
「一番幸せになるようにだかね」
「結婆……」
「一人でも多くの人に愛されるようにだがね」
「うん……」
イッちゃんはちょぴり頬を赤く染め、小さくうなずいて見せた……
翌日は田舎めしを作りに車で一時間半走って、指定されたキャンプ場にやって来た。
「遠いところまで……」
「今日は楽しみましょう」
簡単に呼び名だけ言い合うと早速、車を開いた。幅広に作られた屋根を突き出し、テーブルや椅子、バーベキュー用のコンロを屋根の下にセットする。
車内と二ヶ所で料理をするのだ。
「清、これ頼むがね」
「ああ、はい」
婆ちゃんは初対面もなんも関係ない、呼び捨てでこき使う。
「靴脱いでよーく踏んでな」
ビニール袋に入ったご飯を清に踏み込むように言った。
「清は幾つだ?」
「十九です」
働き始めて一年目の新入社員のようだ。
「賢人さんは幸せですね」
「ああ幸せだ。清は?」
「……」
清はそれには答えない……
婆ちゃんが踏みつけたご飯を出すように言った。
「ほれ、こうやっておくれね」
「こ、これ……」
清は、潰れた米を小判形にして割り箸を刺す婆ちゃんの手に釘付けになる。
「ほれ、清もやれっ」
「あ、はい」
「おお、清は上手だ天才だな」
「オ、オババ……」
清は婆ちゃんが田舎にいる自分の婆ちゃんと重なって見えたようだ。
弱火にかけられた鍋から、甘辛い味噌ダレの香りが漂い二人を包み込む。
キッチンカーでコトコトと煮込まれた土鍋を守るが持って来る。
弱火でゆっくり焼かれている米のようすを見ながら鍋を開ける。
「これだ、これが食べたかった」
「お食べ、うんとお食べね」
蓋を開けると、熱気と一緒に味噌の香りが舞い上がり鼻につく。
「味噌煮込みうどんかぁ」
守は初めて食べると言って喜んでいる。
「味噌煮込み、この赤だし……」
東京に来て赤だしのうどんを見つけても味が違ってガッカリしたと清は言った。
「どうやってこの味を?」
「かぼちゃだがね……」
婆ちゃんは清がメールで、甘い出汁とカボチャ好きの婆ちゃんの話を書いてくれたから気づいたと言った。
赤味噌と一緒にカボチャの煮物を裏ごしして入れたから甘い出汁になったのではないか、と考えたらしい。
「婆ちゃんの味噌煮込みうどん」
「清、頑張り過ぎはいかんが……」
「オババ. 、俺、情けないな」
「清が天才だからヤキモチだぁ」
俺と守は、話の噛み合わない内容を聞いているようだった。
「清、いじめと嫉妬は違うぞ」
「オババ」
「嫉妬はやいたもん負けだ」
メールの内容にはいじめられている、なんてなかったが……
「嫉妬される何かを持ってる証拠」
「オババ」
「俺、生きてアイツを見返す」
「そうだ、死ぬのはそれからだ」
「ど、どうして、わかったの……」
「清の婆ちゃんが降りてきたか?」
婆ちゃんはガハハと笑った。清も笑った。
清のメールは……
婆ちゃんはカポチャ好き、婆ちゃんの口癖は清は天才、甘い味噌煮込みうどんが食べたい。
もう一度だけ清は天才と言って味噌煮込みを作って欲しい。
この文から何故、清が自殺することと、甘い味噌煮込みうどんに辿り着いたのか、俺にはわからない、そう言うと婆ちゃんは言った。
「修行が足んねぇ、年の功だが」
みんなで踏みつけた米がいい感じに焦げめがついた。
味噌ダレをハケで塗ってパクリ……
「うめぇー」
清より先に守がそう叫んだ。
「ヤバイ、マジ美味いです」
「清、天むすは帰りに持ってげ」
「オババ、ありがとう」
婆ちゃんは自分の役目は終わった、と言わんばかりに用意さらたキッチンカーの畳に横になり寝息を立て始めた。
食べて片付けて、清に見送られながら車を走らせる。
バックミラーに映る清は全身を使って大きく手を振っていた。