幻想
花梨を迎えに行き、柊花はおやつにホットケーキを焼いた。すると、花梨は蜂蜜をたっぷりとかけて、ペロッと食べ終えてしまった。そして、牛乳をグイッと飲んでようやく満たされたのか、幼稚園での出来事を身振り手振りで話し始めた。
「そうだ! きょうは、おりがみでハートをつくったの。ママにもおしえてあげるね」
花梨は部屋から道具箱を持ってきた。そこから折り紙を取り出すと、
「ママはピンクね」
そして先生の口調を真似して、立派な講義を披露したのだった。
「そうだ……」
柊花は納戸の新聞ラックから、古いチラシを数枚取り出すと、クルクルとひねってステッキを作った。
「わかった!」
今度は花梨がステッキの先に作ったばかりのハートをテープで固定した。
「やったー! かわいい?」
花梨はアニメの魔法使いを真似して振り回して遊んでいる。
しばらくすると、静香が両手に買い物袋を抱えて帰ってきた。柊花は冷蔵庫を開けて食材を入れようとするが、その余裕はなかった。仕方なく飲みかけの牛乳を捨てて、買ったばかりの牛乳を仕舞う。すると、いつものように、
「チルドルームは開けないでね」
と、静香から念を押された。静香は、この新しく購入した冷蔵庫の真空チルドルームがご自慢で、いつも『ここに入れておくと、いつまでも新鮮さが保てるのよ』と言っている。そして、いつまでも大事にステーキ肉を保存したりするのだが、結局、カレーライスの具材になったりと、本領を発揮されることは少なかった。
「花梨ちゃん、おやつにしましょ~」
静香は嬉しそうにドーナツの箱をリビングテーブルに置いた。そして
「熱いお茶、淹れてちょうだいね」
柊花を一瞥した。その顔は派手なメイクで、より一層近寄りがたい雰囲気を醸 (かも)し出している。案の定、花梨が困った顔をして、柊花の顔を見つめていた。ホットケーキを食べたばかりで、ドーナツを食べられないのだ。
「すみません、お義母さん。今、ホットケーキを食べさせたばかりで」
「また、そんなもの食べさせて!」
静香は憤慨した。
「あ~あ、こっちのドーナツのほうが美味しかったのに」
静香はチョコレートコーティングされたドーナツをつまみ上げると、花梨の前で大きな口を開けてほおばった。
「これ見て! ママとつくったの」
花梨は静香の態度を察知してか、ハートのステッキを見せた。柊花にはその姿が、まるで本物の魔法使いのように映り『機嫌が良くなれ!』と唱えたように見えた。しかし、
「何これ……? ヘンなの」
そう言って、花梨を冷たくあしらった。きっと、どんなにすごい魔法使いでも、この姑に魔法をかけることなんて無理なんだろうな……と、小さくため息をついた。気を取り直して熱いほうじ茶と一緒に取り皿を用意しリビングに運んだ。しかし、
「洗い物が増えるでしょ! まったく」
取り皿を突き返され柊花は唖然としたが、こんなことは日常的だった。以前は和樹に愚痴をこぼすこともあったが、今ではその気力さえ失っていた。
午後6時を過ぎると、柊花と花梨はふたりで夕食をとる。以前は和樹の帰宅を待っていたが、花梨が幼稚園に通うようになり、夕食もお風呂も早く済ませるようになったからだ。そのとき、静香はリビングで和樹のYシャツにアイロンをかけていた。
結婚当初、柊花は仕事を続けていたので静香の気遣いにはとても感謝していた。しかし、妊娠を機に専業主婦となったとき、家事に専念しようと思っていた。和樹のYシャツのアイロンがけも妻の役目と、張り切っていたが「いいのよ。柊花さんは」と、静香に拒まれたのだった。そのことを思い出し、柊花の箸を持つ手が止まった。すると、花梨が首を傾げ「ママ?」と呼んだ。柊花は慌てて「何?」と、ニッコリ微笑んだ―。
和樹が帰宅すると、花梨は走って玄関に向かった。柊花は花梨をお風呂に入れ、そして洗面台で髪を乾かしている最中だったので、タオルを持って慌ててその後を追った。
「花梨、ダメでしょ!」
濡れた髪をタオルで包み込んだ。
「髪を乾かさないと、風邪ひくぞ」
「は~い」
花梨は低い声で答えた。そのとき、美和も帰宅したので、柊花は和樹に「お願い」と耳打ちをした。
「それじゃ、パパが乾かしてやるよ」
花梨を抱きかかえて洗面台に消えた。柊花はキッチンへ急ぎ、静香の手伝いをした。
和樹と美和。そして、静香の三人での夕食。このとき決まって柊花と花梨のときよりも品数が多い。サーモンとアボカドのサラダを目にした花梨が「美味しそう!」と、和樹の膝によじ登った。柊花は
「歯を磨いたでしょ?」
と窘 (たしな)めたが、花梨を抑えられそうにない。すると和樹が、
「花梨はサーモンが好きなのか?」
と言って、一切れ食べさせた。嬉しそうに食べる花梨の姿を見て和樹は目を細めていたが、柊花の心は穏やかではなかった―。