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柊花はパントリーからお気に入りのアンティーク缶を取り出すと、慎重に茶葉をスプーンで計量しティーポットへと投入した。そのとき、シューっと音を立ててやかんのお湯が沸いた。ガスコンロの火を止めて、ティーポットにお湯を注ぐ。柊花はダイニングチェアに腰をおろすと、ガラス製のティーポットの中で茶葉が揺れ動くのを、のんびりと眺めていた。香りを楽しもうと、柊花は庭に出てミントの葉を摘んでいた。ハーブの香りが嫌いな姑から「臭い、臭い」と言われ続けても、庭の木陰で立派に成長するミントが、柊花はとても大好きだった。
しばらくすると、バタバタと大きな足音で階段を駆け下りる音がした。柊花が家に入ると、
「これ、やってちょうだい!」
静香が手渡したのはパールのネックレス。また娘の部屋から拝借したようだ。
「遅れると、ドリンクを選ばせてくれないのよ……」
柊花はネックレスを受け取ると、慣れた手つきで姑の首に回し留め金を留めた。静香は玄関へと急ぎスリッパを脱ぎ捨てて慌ただしく家を飛び出して行った。柊花はスリッパを揃えてラックに仕舞うと
「せわしない人」
と、つぶやきダイニングへ戻った―。
柊花は紅茶を飲みながら静寂な時を楽しんでいた。茶器は柊花の姉・菜月 (なつき)が結婚のお祝いにプレゼントしてくれたものだ。柊花の好みを熟知していて、とても素敵な茶器セットだった。しかし、静香がティーカップを割ってしまい、和樹とペアのカップでお茶を楽しむこともままならなかった。柊花が菜月にそのことを謝ると「怪我しなかった?」と、プレゼントのことより静香の心配をした。その言葉に柊花はカップを割られたことを根に持っていた自分を恥じ、そして姉の寛容な振る舞いに脱帽したのだった。
朝の頭痛もすっかり治まったところで、自室からノートパソコンを持ち出し、ダイニングテーブルにセッティングした。2階の部屋では飲食しないようにしていたからだ。
「Mio's Smile Again」
このブログを見つけたのは、柊花がレシピ検索をしているときに目に留まった料理の画像からだった。そして、このブログを運営しているのがカリスマ主婦の美央 (みお)。美央がアップした料理やお弁当はとても可愛くて、柊花はブログを見るのが楽しみになっていた。そしてコメントのやりとりをするうちに、すっかり仲良くなっていた。
最初は社交辞令的な挨拶が続いたが、美央の置かれた立場が、まるで自分と似た境遇に、柊花はさらに親近感を寄せるようになっていた。一人娘がいて、長男の嫁。そして夫の実家で同居していること。そうするうちに柊花は美央とSNSのチャット機能を利用して、リアルタイムで会話もするようになっていた。
そのときポーンと電子音が鳴り「こんにちは」と、美央からのメッセージが表示された。柊花もすかさず返答した。すると「ルームにいるからおいでよ」と部屋名を教えてくれた。
ここではとりとめのない会話で盛り上がり、ときにはコメントをしてその場を楽しんでいた。すると突然、玄関の扉が開く音がした。柊花はドキっとして、慌ててチャットルームから退出をした。
「なにか飲み物ある?」
それは勤務中であるはずの美和の姿だった。柊花は冷蔵庫から冷たい烏龍茶を取り出しグラスに注いだ。
「どうしたの? こんな時間に」
そう言いながら、グラスを美和に手渡した。
「近くまで来たもんだから」
美和はソファーで携帯電話をいじりながら、そっけなく答えた。柊花がキッチンで烏龍茶のボトルを冷蔵庫にしまっていると、
「柊花ちゃん、こんなことしてるんだ~」
そう言ってダイニングテーブルに置いてあったノートパソコンを覗き込んだ。美和は柊花のことを「お義姉さん」とは呼ばなかった。柊花も美和とは同い年とあって、とくに気にはしていなかったが、威厳が欠けることを、今更ながらに後悔していた。そして、
「お兄ちゃんには黙っててあげるね」
と言った。柊花は、悪いことをしてるつもりはなかったが、パソコン画面を見て絶句した。そこに表示されていたのはチャットのアダルトルーム。いろんな人からコメントが届いていた。チャットルームから退出した……つもりだったが、別のルームに入室してしまっていたようだ。柊花はマウスを掴むと、急いで退出をクリックした。
「それ、どうやったら出来るの?」
美和がのんびりと尋ねてきた。
「えっと……」
柊花が口ごもっていると、
「ヤバイ! そろそろ戻らないと」
美和は陽気な足取りでリビングを出て行った。慌てて後を追うと、
「今夜、ゆっくり教えてね」
と言い残して、美和は出て行ってしまった。
柊花は美央に突然退出したことのお詫びメールを送ってパソコンの電源を切った。あのような場所では、まさに一期一会。そして、突然落ちる(退出する)こともめずらしくなかった。しかし、ルームに戻る気になれなかった柊花は、美央にだけメッセージを送った。どうせならメールのチェックでもすればよかったと柊花は少し後悔したが、すっかり気持ちが沈んでしまった。