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滅殺のオーバーライン  作者: 7GO
ムーンライト・ムーンダウン
8/19

2



 アカリは呆然としていた。

 床に座り込み、呆けたまま両手でカップを持ち、そこから暫し、ゼンマイが切れた人形のように動かない。

 カップからは湯気が出ていて、それが淡い光を放つ天井の照明を目指し揺らぎ、やがては消えて行った。

 夢心地だった。今、自分は夢を見ているのではないか、そうアカリが考える程、今の状況は幻想めいていた。

 しかし、カップから伝わる熱と、撃たれた太腿が訴える緩やかな痛みが、これが夢幻ではないことを如実に現していた。

 


「早く飲んだほうがいい」



 無意味にぼんやりとしていたアカリに、そう声が掛かる。

 覚めた様に、アカリは机を挟んで対面に座している男を見た。

 男はアカリの方は見ずに、机にどっしりと置かれている銀色の何かに、細いコードを繋ぎ始めた。

 ぴぽっ、ぴぽっ、ぴぽっ、ぴぽっ。

 笑ってしまいそうな程に軽快な電子音が続く。

 次いで、男の目の前に現れる四角い平面のホログラム。

 虚像電子タッチパネルのそれを、男は無骨な指で滑らせる様に触った。


「冷めてしまったら、増血効果が薄くなる」


 言われるがままにこくりと頷いた後、アカリはコップの中で波打つ、あまりにも濃すぎる赤色の液体を口の中に入れる。

 苦い。

 不味い。

 口一杯に広がる、鉄の味。当たり前だ。これは合成血液を配合した増血剤、それを湯に溶かしたものだからだ。

 アカリはそれを、しかし何一つ言うことなく、ただ飲み続けた。

 ある意味で現実逃避に近いものだった。鉄の苦味が彼女の友だった。



 訳が、分からなかった。


 表向きにアカリは無表情、無感情だったが、頭は混迷が渦巻いていた。

 ついと、視線を下げる。水色のいタオルが彼女の下半身を覆っている。

 そこから伸びる己の太腿が見える。ぐるぐると巻かれている白い特殊筋繊維の包帯が見える。その中心が僅かに赤く染まっているのも見えた。


 ゆっくりと視線を上げる。

 アカリの目に飛び込むのは、やはり机に置かれた銀色の何かだ。

 それは腕の形をしていた。

 コードが繋げられた、機械的な装飾目立つ、銀の腕。

 アカリは、それが意識を失う瞬間に捉えたあの『銀』だということが、直感で理解出来た。

 そしてその正体も、アカリは知っていた。

 戦闘式強化外骨格、パワードスーツと言われる装着機械、その腕部だ。



 かつて、アカリは情報通を気取る職場の同僚に(無理やり)聞かされていた。


 主に『外』で使われているパワードスーツ。

 通常なら高価、どころで済む話ではなく、その維持費も含めて、ここ、0系列地区では取り扱えない代物だ。

 しかし、0系列地区の最終処刑機関、ヘイトレッドの長が、その中古の型落ち品を仕入れて、それはやがて地区の自警団に支給されると言う、そんな噂を同僚は語った。

 だけれども、噂はそれだけでなく、きっちりと話の『落ち』が着いた状態で、アカリの耳に届いた。


『送られてきたのが腕だけとか脚だけとか頭だけとかで、マトモに扱えなかったんだって』


 ゴシップに目がない同僚の言葉を思い出す。

 その中古品は、単独運用が出来ないバラバラの部位ばかりだったと言う。


 パワードスーツには、大まかに分けて二種類存在する。

 腕を強化し覆う機械、脚部を強化し覆う機械、腹部を、背中を、という具合に、体の一部に纏う部類。

 もう一つは、装着者の全身を纏い、身に付けるとまるで傍から見ればロボットの様に見える部類。

 送られてきたのは、型番も型式もデタラメな、後者のバラバラ部位だった。


 全身を覆うタイプの物は、それぞれの部位が別の部位と連動・連結して、始めて役割を達することが出来る。

 例えば、アカリの目の前にある、人間で言うところの肘まであるこの銀の腕も、マトモに可動するにはそれより先の肩の部位が、あるいはもっと先の首や肩を覆う部位がなければ、到底『ヒト』が扱える物ではないのだ。

 単純に、筋力の問題だ。重すぎるのだ。送られてきた、その部品たちは。


 地区の自警団は武装しているが、『ヒト』で構成されている団体だ。

 そして、バラバラのパワードスーツは、その重量の為、ヒトではマトモに扱えない。

 では、ヒト成らざる者の集団、ヘイトレッドではどうだったかと言えば、彼らもまた、この部位を使うことはなかった。


 必要がない。


 それで終わりだったと言う。

 ヘイトレッドに所属するオーバーラインは、それぞれが既に得意な得物を持っている。得意な戦法・戦術を確立している。

 彼らにとって強化外骨格は、ただデカイだけの機械でしかなかったのだ。

 代表的なヘイトレッドの所属員である『滅殺』など、それを一度も着けることさえなく、邪魔、とだけしか言わなかったという話だ。


 ヒトにも、ヒトじゃない者にも拒絶された数々の部位は、日の目当たることなく、どこかの倉庫に保管されている……


 という顛末をアカリは思い出し、そして改めて、所々にコードが伸びているその腕を見た。

 思い出す。舌を刺す苦味に影響されたか、殊の他鮮明に、記憶が蘇る。


 話と共に同僚に(無理やり)見せられた、噂の『送られてきたであろう部位たち、その完全品』のホログラム越しの映像。

 かつて『外』で流行ったと言う、今は型落ちしたパワードスーツ。

 その一つ。輝く銀色が特徴の、全身装着型強化外骨格、『ガルヴォルン』


 間違いない。

 いま彼女の目の前にあるのは、その『ガルヴォルン』の一部で、件の噂の使われずに眠っている筈の腕部なのだ。


(それって)



 容赦ない苦味と交友していたアカリは、そこで思い至る。

 視線を更に上げる。目に映るは宙に浮いたホログラムと、それに向かう男。

 短いくすんだ茶髪に、若干黄ばんだ肌、真剣な瞳。体型はがっしりとしており、歳は若く見える。アカリより少し上ぐらいか。

 その男を、アカリはじっと見る。

 ガルヴォルンの一部、銀の腕は、先ほどアカリを救ったあの『銀』の筈だ。

 よくよく見れば、腕の先端、指先の部分に、明らかにデザインではない赤い染みが浮かんでいる。

 つまり、この茶髪の男は、銀の腕を以て、あのやたら手際悪い強姦者を、仕留めた。


 ――ヒトでは到底扱えない物を、その身に着けて。


(それって、つまり)


 ――そういこと、なのだろう。


 超常の筋力を持つ変異した人型生物。

 ヒトでないヒトの形をしたヒトの様な何か。

 絶望と資格により一線を超えた、超えてしまった者の末路。



 正規覚醒のオーバーライン。



 アカリを薬物に染まる狂人から救ったこの男は、よりによって狂人の代名詞とも言えるオーバーラインだったのだ。



『いい感じなんじゃないっすか』


 突如、機械音声がアカリの耳に届いた。物思いに耽っていた彼女は、唐突なそれに驚きカップを落としそうになってしまった。

 男は横に線を引くように指を動かした。消えるホログラム。そして流れるように、男は銀の腕に接続されているコードを外し始める。

 アカリはそれら機械技術に明るくないのでよくは分からなかったが、男が行っていたのは、機械腕のメンテナンスだろうと当たりを付けていた。

 それが今、終わったのだ。


 こくん、とアカリは嚥下した。それは己の唾液か、液状の増血剤か。どちらにしても苦い。


 アカリは意を決した。


 彼女が目覚めてから今の今まで碌な説明なく、ただ淡々と機械の腕を弄り始めた男。

 最低限、ここは男の自宅であるだとか、あの狂人は死んだとか、軽く手当てをしただとか、そう言った話は聞いた。というか、聞かされたのはそれだけだった。

 そんな彼に、正体と真意を聞こうとしたのだ。何故。何者。どうして。

 意識を戻したばかりの頃は、何もかもが予想外で、ただ只管に呆気に取られてしまっていた。

 話を始めるタイミング的にも、今が丁度いい。


 男は机から銀の腕を片手で持ち上げ、退かす。




 アカリは口を開いた。



 男は、どこからか『二本目』の腕を出して、机の上に置いた。

 


 アカリは呆然とした。

 床に座り込み、呆けたまま両手でカップを持ち、そこから暫し、ゼンマイが切れた人形のように動かない。

 カップからは湯気が出ていて、それが淡い光を放つ天井の照明を目指し揺らぎ、やがては消えて行った。

 デジャブを感じた。


「……早く飲みきらないと、冷めるぞ?」


 そんなアカリに気づいたのか、男の台詞もまた焼き直しのごとく同じ様なものだった。

 言って、男は再び二本目の腕にコードを繋ぎ始める。

 電子音。ホログラム。滑る指。

 何もかもが、先ほどの情景のやり直しだ。

 アカリは発言のタイミングを逃してしまった。



 ――なんで腕は二本あるの。


 そんな哲学めいた疑問がアカリを満たし、仕方なく、また鉄の味と友達になった。

 苦い。不味い。





 コウスケ、と男は自らをそう名乗った。同時に敬語は要らないと、そうも言った。


 男とアカリ、二人は変わらず、床に座りながら机を挟んで対面している。 

 左右両方の機械腕のメンテナンスを終えた男、コウスケの方から、アカリが言葉を発する前に口火を切った。


「痛みは?」

「……ちょっとだけ、痛い……かな」

「金があるのなら、明日病院に行った方が良い。弾は貫通していたし、傷や出血も後遺症が残る程ではないだろう。だが俺は医療は素人だ」


 コウスケは軽く首筋を掻いた。


「きちんとした知識がある人に見て貰え」

「あ、はい、うん……」


 アカリは茫洋に頷いた。両手には空っぽになったカップが未だ手放されずにある。

 畏まって コウスケを見る。視線が彼の瞳に吸い寄せられる。

 彼の黒い瞳は、何か言いようのない暗い闇を宿していた。ゾッとするような、冷たい闇。

 アカリは気圧されたことをなるべく顔に出さないよう心がけながら、名残惜しげにカップを置いた。

 男の正体がなんであれ、言わなければならないこと、あるいは聞きたいことが、山ほどある。



「……コウスケ、さん……どうも、ありがとう……その、助けてくれて」

「……礼は必要はないんだが……まぁどういたしまして」



 アカリが頭を下げると、コウスケは少しだけ微笑み応じた。

 彼のその極めて自然体で、ある種人間味ある行動は、アカリを少しだけ混乱させた。思っていたのと、違う。


「あの、御礼は……」

「必要ない。別に、善意ある行動って訳でもないんだ」


 軽く笑いながら頭を振るう男の様子に、ますますアカリは困惑した。二つの意味で。


 一つ。


 強姦から助ける。自宅に連れて行き手当てを施す。

 前者だけならまだともかく、後者は完全に善意の賜物ではないのだろうか。

 アカリは、想像していたコウスケの人間像が音を立てて崩れていくのを感じた。

 この男は、所謂シリアルキラーで、人を殺すのに快楽を得ているのではないか、先ずはそう思った。彼女の未来想像死因、第二位。

 しかしそれだと自分を生かした理由はない。殺さない理由はない。

 さらに言えば、手当てをする必要もないのだ。

 増血剤や、筋繊維の包帯は多少高価な代物なのであり、今から死に行く者に、わざわざそうした施行をする理由はない。

 もしかして、殺人鬼の類ではなく、こうして強姦から助けた後に、改めて己に何かしらを要求するのかとも思ったが、コウスケは金銭の類も、アカリに性的な奉仕も求めなかった。

 

 どこからどう見ても善人に属する様に見えるが、そうでないとコウスケは言う。謙遜している、と言う空気でもなかった。


 二つ。


 これは簡単だ。

 目の前にいる薄く微笑む男は、あまりにも、人間で、あまりにも、正気に見える。

 ――狂気の塊、オーバーラインだとは、とてもアカリには思えなかった。


「あの、コウスケさんは」


 増血剤で粘着く口内を感じながら、アカリはまたコウスケの瞳を見る。変わらず、深く、黒い。


「……オーバーライン、だよね?」


 少し馴れ馴れしいかも知れないが、極めて友好的に聞こえるように心がけ、アカリは問うた。

 下手に嫌悪感や敵意は見せられない(そもそもそんな気持ちは端から抱いてないが、相手がどう受け止めるか分からないからだ)

 今更自分の生き死にには拘らないが、せめて知りたいことは知っておきたかった。


「そうだ」


 あっさりとコウスケは言った。拍子抜けするぐらいに。   

 彼はもう、笑っていなかった。射抜くような暗闇の瞳が、アカリを萎縮させる。

 だが彼女もまた、引かなかった。知りたかった。何もかも。


「じゃあ、ヘイトレッドの……?」

「……違う」


 アカリの問いにコウスケは首を横に振った。

 やっぱり、とアカリは胸中で頷く。

 処刑機関、ヘイトレッド。彼らは少数精鋭だ。今現在、所属しているオーバーラインは五人しかいない。

 そして、新しい人員が加わった、と言う話も聞いていない。

 アカリは市井の噂話に興味はなかったが、お喋りな同僚のお陰でいくらか地区の事情に詳しくなっていた。



 オーバーラインではあるが、ヘイトレッドに属していない。


 ここでの一般常識で言えば、それは殆ど死の宣告に近い。

 例外もあるが、0系列地区において野良のオーバーラインは、殆どが殺人鬼なのだ。

 誰にも縛られず、秩序を守らない、強大な狂人。出会い即ち、死。

 


 そしてアカリを助けた男は、アカリに献身したこの男は、カテゴリー的にはその他の凶悪な殺人鬼と同じなのである。


「どうして」


 アカリはぼそりと呟いた。

 それは、彼女の内にある全ての疑問が詰まっていた。


 どうして助けたのか。どうして傷の手当をしたのか。

 どうして見返りを求めないのか。どうしてそんな暗い瞳をしているのか。

 どうしてオーバーラインになったのか。どうしてヘイトレッドに属していないのか。どうしてあの銀の腕を着けていたのか。

 どうして。どうして。どうして。

 ――どうして、両親は死んでしまい、自分は空っぽになってしまったのか。

 そんな、男とはまるで関係ないことも、アカリの脳内に浮かんでしまう。


「なんで……?」


 彼女の口から出た短い言葉は、世界の真理を親に訊ねる幼子の如く、無邪気で、どこか哀しげだった。

  


「主語がないから何を聞きたいか分からんが」


 コウスケは殊更に優しく、ふわりと暖かい毛布を掛けるかの様に、落ち着いた声で言った。

 


「増血剤が体に浸透するまで、まだ少し時間が掛かる。気になるなら、話すよ。俺の、つまらない自分語りになるけど」


 コウスケは薄く笑い、右手をひらひらと動かした。

 アカリはまた子供の様に、こくりと頷いた。






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