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滅殺のオーバーライン  作者: 7GO
ムーンライト・ムーンダウン
7/19

1


 地区07。

 月が極彩の雲に侵され、抵抗するように僅かに顔を見せる、そんな夜だった。



 アカリの胸中に浮かんだのは、ただ諦観の念だけだった。

 彼女は自分の死に様を、幾つか考えたことがある。

 何時、何処で、どの様にして死ぬのか、アカリは日々の生活の合間に、細々と想像していた。

 

 これは、その何パターンかの内の一つだ。彼女が想像した時は、月明かりのない完全な暗闇だったけれども。



「うううううう、動くなよ! こ、声も出すな! そそそ、そのまま、そのままでいろ……」


 こうして仕事帰りの深夜の闇で、碌に人が通らない路上で、強姦されて、殺される。

 全く以て想像の範囲内だった。

 彼女が描いていた『私が考える私の死因』の第一位。強姦殺人。

 在り来りすぎて、アカリには絶望も悲しみも憤怒もありはしなかった。

 助かる望みは端から抱いていない。そもそも、希望なんて、「あの時」から今まで抱いたことすらない。



 アカリは仰向けのまま、自分に跨って手を震わせながら銃を握っている男を見た。

 男はオーバーライン、ではないと、アカリは思う。



 銃を向けられている為下手には動けないが、自分が少し体を揺さぶれば、上に乗っている男は比較的に簡単にバランスを崩すのではないか。

 そう彼女が考えるくらいに、己の腹部を押え付けている男の脚力は貧弱だった。

 これがオーバーラインなら、きっとこの男の微かに震えて見える脚でさえも、万力の如く自分を縛り付けている筈だから。

 月光が、僅かに男の顔を照らした。頬は痩けて、だけど興奮に赤く染まっている。目の焦点は……デタラメだ。


 恐らくはアッパー系の薬物。頬の痩せ具合からすると常用者か。しかし強姦慣れはしていない様に見える。

 オーバードーズ……薬物の過剰摂取により、普段抑えられていた性的欲求が爆発し、衝動的な犯行に及んだか。


(そんなところね)


 世間話の様によくある話だったので、自分のその考察にアカリは笑いたくなった。最低三日に一回は耳に入る話だ。

 自分もまた、他の犠牲者と同じく当たり前の様に語られて、当たり前のように忘れられるのだろう。

 よくある、話だ。



(まてよ)


 ふと、彼女は思う。

 アカリの視界に映る男は、銃を持つ手をカタカタと小刻みに震わせて、空いた片手で四苦八苦しながら彼女の上着を剥ぎ取ろうとしている。


 下半身へと冷たい風が吹いているのが伝わる。寒い。

 履いていたジーンズはとうに脱がされており、下腹部を守るのは下着だけだ。

 しかし男は、そのまま行為に至らず、何故だか上着を剥がすのにやたら執着している。嗜好だろうか。

 手際が悪すぎるが、それはまぁいい、彼女は浮かんだ他愛の無い思考を捨て置く。


 ただそんな被害者候補が憐れむぐらいに致命的に動作が遅い男を見ると、もしかして、これは殺されないで済むのではないか、強姦で終わるのではないか。

 そうアカリは考えたのだ。この男は、正常、と言うか効率性のある動きをしていない。

 上半身を脱がしに掛かる、と言うのが何よりも『慣れていない』証左だ。

 強姦するのに胸部を露出させる必要はない。これはここの地区での常識だ。


 唾棄すべき事柄ではあるが、0系列地区では、犯罪者によるこんな格言がある。


『可及的速やかにとりあえず殺せ』



 犯罪行為時における目撃者は即座に全員始末しろ、と言う意味だ。後々の禍根を絶つ為である。

 ヤるだけヤッて殺る。終末的な思考だが、大体がそうしている。


 当然、アカリの頭にあった『私の死因』もそれだった。ヤられたら殺られる。普通のことだ。ここでは。

 しかし、このようやっとアカリの上着を手で剥ぎ取り終わり、露わになった彼女の胸部にゴクリと喉を鳴らす男を見れば。

 私を殺す余裕はないんじゃないかな、そう彼女は思うのだ。脳内のシミュレーションでは、もう既に己は死んでいる予定だった。

 冷めた目で、彼女は蒼褪めた月と、それとは対照的な赤ら顔の男を見た。


(まぁ、どうでもいいか)


 なるようにしかならない。アカリとて、何も好き好んで強姦されたい訳でも、死にたい訳でもない。

 多少は注意を払っていた。職場から自宅までの帰路、一応は、比較的安全な所を通っていた。結果はこれなので、あまり意味はないのかもしれないが。

 何にせよ、こうなった時点でもうどうしようもない。護身用の小型電磁ナイフは、その効果を発揮する前に、投げ捨てられたバッグの中で眠りについている。


「なんだよ……」


 ふと、アカリの上から男の呟きが降ってきた。

 改めて男を見る。目尻に涙が浮かんでいた。


「も、もももももももっ、もぉ、もー! あ、く、なけ、泣けよっ、そん、そんな目でっくそ、くそくそくそ、お、おおおれ、俺を、バカにしてるんだろ! くそ、くそくそくそっ! 見てろ!」


 吃り激しくそう言った男は、さっと銃を持った腕を動かした。無造作に、アカリの下半身に向けて。そのまま、トリガーを引く。

 深夜に響く、銃声。


「っ……く……!」

「うわああああああああああああああああああああああ!」


 アカリは焼け付く様な痛みを太腿に感じた。撃たれたのだ。だが思ったのはそれだけだ。あるのは血が流れる感触と、ひりつく痛覚だけ。

 顔を苦痛に歪ませて、軽く呻いて、それで彼女のリアクションは終わった。


 叫んだのは撃った男の方だった。


 銃声の音が思いの他大きかったことに驚いたのか、それともただ叫びたかっただけなのか、アカリにも、男にも、理由は誰にもわからなかった。

 再び、銃をアカリの顔に向ける男。相変わらず、その手は震えていた。

 男の焦点定まらぬ瞳は、挙動不審な動きを更に高め、暗い夜をあちこちと彷徨った後、再び視線をアカリの胸部に移した。喉を鳴らした。


「っく、はは、お、俺は、ほほ、本気だぞ」


 だからなんだ、とアカリは言いたくなった。

 冗談でも本気でもなんでいいから、早いところ終わらせて欲しい、ヤるのか、殺るのか。

 どちらにせよ、どちらともだとしても。


 もう、どうでもよかった。

 諦め。恐怖はない。太腿が訴えている痛熱でさえも消えてしまいそうな程に、アカリは空っぽだった。

 空っぽ、アカリの心には、ぽっかりと大きい穴が開いている。

 両親が死んだ、あの日から。



 アカリの歳は20。肉親の類は、全員が既に他界。彼女が知っている限りは、だが。

 ある種では、彼女は恵まれている方だった。

 特に問題行動を起こす性格ではなく、協調性もあり、ドラッグもやっていない。つまり、マトモな働き口があるということだ。

 日用品や衣料衣服、合成食材を扱う地区07唯一の商店、そこで『外』からの商品の仕入れや管理担当を任せられる程度には、彼女は優秀だった。

 電脳空間への知識がそれなりにあったのもそれを後押しした。基本的に『外』とのやり取りは、全部電子情報で行われるからだ。

 


 仕事は無論、楽ではない。夜遅くまでの作業……それはもう慣れたのだが。

 しかし、それでも彼女は幸運だ。給料も安く、日が変わる迄の業務を重ねていても尚、アカリはまだ良い方だ。同年代の同性と比べて。

 致命的なドラック・アンド・セックス。ここでは、薬物と性風俗は命に関わる事柄だ。

 その二つに関係ないアカリは、正しく恵まれている。比較的に、ではあるが。



 比較的に恵まれている。

 所詮は五十歩百歩だ、アカリは己の境遇について訊かれたら、こう答えるだろう。

 

 0系列地区に蔓延るのは、狂気と絶望だ。恵まれているとかいないとか、関係ない。

 それは天から降る虹色の雨の如く、等しく地区の住民に降り注ぐのだ。害意を含んでいるのもまた同じだ。

 アカリの両親は、地区の狂気で死んだ。薬物覚醒のオーバーラインによる無差別大量殺人。

 それに巻き込まれ死んだ。狂気が齎した犯行は、アカリが16歳の時に起こった。その時はアカリは自宅に居り無事だった。

 

 

 

 狂気の後、残るのは絶望だ。


 アカリは『比較的』マシな人生を歩めた。身寄りがない彼女に、今の勤め先である商店のオーナーが声を掛けたのだ。

 同情もあるが、それだけではない。

 そのオーナーは元々アカリの両親の上司であり、アカリのことを知っており、つまりはアカリの性格、引いては仕事への適性があるのも知っていた。

 ここでは優秀な働き人は貴重だ。特に、頭を働かす類の労働力は。

 オーナーは当時のアカリの労働力の原石に目を付け、彼女はそれに応えて見せた。  

 


 ただ、アカリは空っぽだった。


 なんなく食い扶持の為に仕事をしているだけだ。昔から。あの時から。今でも。母と父が死んだ、あの日から。

 当たり前の様にある狂気が。大口を開けてニヤつく絶望が。アカリの内にあった感情を全て喰らい尽くしてしまった。

 下手人である薬物覚醒のオーバーラインに対しても、怒りや恨みなどはなかった。ここではそれは天災のようなものだからだ。

 そのオーバーラインが誰で、どんな人間だったのかも、アカリは知らない。

 ご他聞に漏れず処理されたと言うのは聞いたが、それだけだ。

 正体、生い立ち、理由。何もかも、興味を持つことさえ出来なかった。

 空虚。

 生きる理由がない。死ぬ理由もない。フラフラとただなんとなく生きている。それだけだ。



 それでもアカリには、一つ、密かな趣味があった。

 前時代のアニメーション。

 今『外』で流行っている毒にも薬にもならない様な小動物が戯れつく短い物ではなく、きちんとストーリ-性がある、古いアニメーション。

 それを見るのが、彼女の趣味だった。


 勧善懲悪の極めてシンプルな行動倫理に基づいた、分かりやすく陳腐な物語。

 正義の味方が悪を倒す、鼻で笑ってしまいそうなほどの、綺麗事の世界。

 アカリがそれを見るのは。仕事終わりの疲れた体で、狭い部屋に篭もり電子ホログラムに映るその世界を目にするのは。


 あるいはSOSだ。あるいは懇願だ。あるいは。

 

 助けて欲しかった。両親を。正義の味方が。

 満たして欲しかった。空っぽの自分を。誰かが、何かが。

 だが、なにもない。誰もいない。この終末の地獄で。救いはない。



 アカリは夜毎、宙に浮かぶアニメーションを、自分でも分からない感情が宿る目で、只管に見続けた。

 



 ――そしてアカリは今、宙に浮かぶ無慈悲に輝く月を、凍えた瞳で胡乱に見ていた。



「は、はは、ふ、うううううう……俺は、俺ッ、はっ……ははははは……」



 アカリの結末は、これだ。 

 狂った男に馬乗りにされ、犯され、あるいは死ぬ。

 アカリに抵抗の意思なしと見た男は、手の銃を剥き出しになった彼女の腹部に乗せ、広げられていたアカリの両腕を自らの両手で掴み押さえる。

 男は、顔を近づけた。

 アカリは、改めて諦めた。


「い、いいいいいまから、俺が、だい、だいて、抱く、だっ、ああががががががががががああああああああああああああああああ!?」


 今度の男の叫びは、明らかに意味があり、明らかに苦痛に満ちた声だった。

 アカリは目を見開いた。上に乗っていた男が、突如吹き飛んだのだ。奇声とともに転がる男。

 そしてアカリは見たのだ、男が飛ぶ寸前、月明かりに照らされ、刹那に脇腹に突き刺さった、銀の拳を。


「ぜひっ、ぜひっ……ひーっ……ひっ、ごひゅっ、ごひゅっ」


 

 男は不整な呼吸を繰り返した。上手く息が出来ないようだ。

 四つん這いで、男は咳き込んだ。次いで、嗚咽。地面に飛び散る男の胃液。


「一発で顔を飛ばしてもよかったんだが」


 闇夜に声が聞こえた。低い男性の声だった。

 アカリは首を動かして、声の方を見ようとした。

 しかし、今になり太腿が痛みを主張しだした。

 半ば夢心地だったが、彼女は撃たれているのだ。

 アカリは呻き、自由になった手で太腿を押さえた。手に生暖かいぬるりとした感触が伝う。思っていたよりも、銃撃の傷が深かった。血が止まらない。

 認識した途端に、意識が朦朧としてくる。かたん、と腹部に乗っていた銃が落ちる。その音でさえも、遠く聞こえた。




「……バカの血で、人を汚したくはなかったんでな」


 そこで、アカリはバチバチと何かが弾ける音を聞いた。

 姿は見えない。見ることが出来ない。ドクドクと流れ出すアカリの血潮。薄れゆく意識。



 

 アカリがその意識を失う瞬間、銀色の両手の男が、その手に紫電を纏わせて、四つん這いの男に突撃する姿がパノラマの様にゆっくりと見えた。

 自分を強姦しようとした男の悲鳴は聞こえなかった。なんとなく、男が死んだのだとは分かった。

 私も死ぬのかな、アカリは他人事のようにそう思い、瞼を閉じた。そこから、枯れ果てたはずの涙が溢れた。




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