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滅殺のオーバーライン  作者: 7GO
キリングマシーン・キリングワールド
4/19

3(了)

 地区06。

 そこは生活感が見えない部屋だった。

 汚れた灰色の壁、フローリングの床、雑多に置かれた箱や機械。

 散らばった衣服。鞘に収められたブレード。無造作に置かれたホルスターに、銃。

 あとは携帯食料の袋や水が入ったボトルなどが適当に部屋を彩っている。


 その部屋の住人、マリは冷たい床に座りながら、ボルトや配線が剥きだしになった古い機械にコードを差込んだ。

 彼女は素顔を晒していた。

 いつも瞳を覆い隠している青のサイバーグラスは、コードを介し機器に繋げれらている。


 接続と同時に機器から出たホログラムは、サイバーグラスの現在の状態を示していた。

 ホログラムは赤。警戒色。 


『これちょっと無理っすね』


 古いメンテナンス用機器が、機械音声でそうガイダンスした。

 マリはそれを無視して、宙に浮かぶホログラムをタッチする。

 成れた手つきで無形タッチパネルをまるでピアノを弾くように滑らす。次々と映像情報が切り替わり、表示された数値が上下する。

 暫くそれが繰り返され、ぴぴぴ、とサイバーグラスが電子音を奏でた。

 機器のホログラムは黄色になった。


『使えなくもないような気がする』


 機器の音声を聞いて、マリはまたホログラムをタッチ。立体映像は陽炎の様に淡く消えた。

 無造作にコードを引き抜き、サイバーグラスを顔に掛ける。

 人形の様に整った白い顔を、青のグラスが覆う。

 マリは白魚の様に細い指で、ついとサイバーグラスの滑らかな表面を撫でた。

 何かを思う様に。意味はない行為。冷たい青い光沢をただ触る。

 暫し、そんな無意味な行儀を続けて、やがて緩慢に立ち上がった。


 マリは壁に掛けられた己の愛剣に手を伸ばそうとして、止めた。来る。

 備え付けられたインターホンが、歪な高音を奏でた。


 マリは部屋着のまま、玄関に向かった。扉の横にあるホログラムを出し、タッチ。

 電子ロックを解除し、ドアを開ける。


「あ、おねぇちゃん! こんにちは」


 現れたのは隣人の少女、リョウコだった。

 年齢はマリは知らないが、恐らく十に届くか届かないぐらいだろう。

 ここの系列地区の住民らしく、体型は細い。黒い髪は無造作に長く、ところどころ飛び跳ねており、あまり清潔とはいえない。

 しかしその顔は、ここの系列地区の住民らしくなく、無垢な笑顔で輝いていた。


「なに」


 乱雑にマリが問うと、リョウコはしかし笑みを絶やさず持っていたタッパーを掲げる。


「あの、これ、おかあさんが、いつも、おつかれさまって」

「……そう」


 たどたどしく語るリョウコ。マリは若干逡巡してから、タッパーを受け取った。

 中身は聞かないでも分かった。いつもの合成肉と合成野菜の炒めのものだ。

 お裾分け。前時代によく見られた風習だ。今となっては無償の善意は稀。

 これは一人で暮らしているマリの為の、隣人の善意、ではない。

 事前報酬に近い、あるいはただの偽善だ。見返りを求めた、善。

 何かあったら助けてくれ、と言う無言の信号。


 0系列地区、最強のオーバーライン。殺戮人形、滅殺のマリ。

 ここの守護天使に対する、ゴマすりだ。


 だけれども。

 彼女が何も言わないので誰も知る由がないが、通常、マリに媚びるのはまるで意味がない。

 必要があれば殺す。なければ殺さない。可能ならば守らないこともない。

 この程度だ。マリの行動倫理は。

 更に言えば、彼女に美食的な感覚はない。栄養補給は無味の高カロリーレーションで十分だ。

 ついでに言えば、マリは合成ピーマンが苦手だった。

 何も意味がないのだ。本来なら。


 しかし、マリは受け取る。きちんと食す。ピーマンもだ。


 隣人、リョウコの家は母一人子一人。

 母親は、この地区では珍しくない、限りなく黒に近いグレーな職業に就いている。

 簡単に言えば違法風俗だ。この系列地区は無法地帯なので、法を遵守しないのは問題ではない。

 限りなく黒に近いグレー、と言うのは安全面の事だ。黒色は危険。ともあれば、死の色。

 ここで風俗の職業に就くのは、あまりにも無謀だ。ヤる事をヤって殺してしまえばいい、そう言った考えを持つ人間は少なくない。

 無論彼女たちを守る護衛は居る。装備を固めた屈強なガードが、彼女たちに約束している。

 だがその護りは、地区に溢れる狂気に対してはただ惨めだ。

 後先考えず殺して殺して殺して殺す。そんな人間も、いる。それがもしオーバーラインなら、そこで何もかもおしまいだ。

 風俗業は、常に死と隣り合わせなのである。


 安い保存用タッパーに込められた合成の炒め物は、愚かな母の懇願だ。

 何かあった時。自分に何か、あった時。どうか、娘だけは。娘のことを。


 だから、娘に、リョウコに持って行かせる。少女の未来を案じて、この殺戮人形に頼っている。

 だから、マリは受け取る。受け取ってしまう。殺戮人形が。殺戮人形なのに。



 少女はそれを知らない。少女には何も分からない。

 リョウコはあどけない笑みを浮かべている。

 マリは繊細に、慎重に、リョウコの頭を撫でた。指にざらついた髪が絡む。少女は目を細めた。


「……おねぇちゃんの髪は、きれいだね」

「……」


 あまり、行水の類は出来ていないのだろう、少女に髪には少しフケが見える。

 ここでは、当たり前だ。水は貴重……と言う程ではなくとも、それこそ湯水のようには使えない。

 少女は羨望の瞳を浮かべている。マリの、流れるような艶のある黒髪を羨ましく思っている。


 無論、マリは特別な手入れをしている訳ではない。

 それでも尚、マリは異常なまでに美しい髪質だった。

 否。異常なまでに、ではない。異常なのだ。正常ではないのだ。ヒトでもない。


 最早『そう言う生物』なのだ、マリは。


「おねぇちゃん、あたしね」


 少女は尊敬している。憧れている。夢を見ている。

 熾烈で。美しく。綺麗で。何より強い。

 そんなマリに、リョウコは。

 リョウコは笑っていた。目は真っ直ぐで、光に満ちている。

 マリは目を逸らしたくなった。グラス越しでも尚、少女の瞳は、あまりにも眩し過ぎる。


「おねぇちゃんみたいに、なりたいな」


 マリは何も言えなかった。







「あ、食べおわったら、げんかんの前においてって、おかあさんが」

「分かった」


 マリが頷くと、リョウコは少女らしく無邪気に笑いながら、手を振り己の家に戻る。

 渦巻く敵意。悪意。害意。殺意。悲哀。狂気。惨憺たる情調の世界で、しかし少女は笑っていた。

 絶望の世界に、一欠けらの希望を見ているのだろうか、その笑みは、どこまでも純粋だ。

 マリは少女に倣い笑みを浮かべようとしたが、彼女の口角はぴくりとも動かなかった。





 なんとか合成食材の炒め物を完食したマリは、ブレードを右手に、一人部屋に立っていた。

 彼女は既に着替えていた。

 黒いボトムズ。赤いジャケット。腰にホルスター、50口径マグナム銃。手にブレード。顔にサイバーグラス、長く後ろ手に纏められた黒髪。いつものマリ。


 刃を掲げる。マリはサイバーグラス越しに縦に構えた刃を見る。マリの世界を見る。


 メタリックの刀身には、薄く血が染み付いていた。それは消えない印章だ。あるいは烙印か。

 数々の生命を屠り。骨を断ち。臓物を裂き。心臓を抉り。焼き斬り。首を刎ねた。

 その愛剣は、彼女自身を象徴するかの様に、無慈悲に、機械的な煌きを見せている。

 マリは何を思うのか。何を感じるのか。何をしたいのか。何になりたいのか。


 何に、なりたかったのか。


 彼女は俯く。

 白い肌が、天井から見下ろす電光に照らされている。


何度も繰り返された自問自答。マリは、それを拒絶する。拒絶しようとする。


 思考する。やめろ。考える。考えるな。知っている。知っていた。最初から、決めている。

 決まっていた。


 殺せ。滅ぼせ。害を討て。

 殺せ。殺せ。殺せ。ミカ。殺せ。殺せ。殺せ。ケンジ。殺せ。殺せ。

 リョウコ。憧れ? 自分に? 殺せ。その辺の少女でさえも、必要とあれば首を刎ねる自分に? なりたい?

 馬鹿げている。関係ない。考えるな。殺せ。無垢な憧れ。鮮烈の赤。ミカ。殺せ。殺せ。鴉。ケンジ。殺せ。



 殺せ。

 染め上げる。余計な思考や人間性を全て投げ捨て、マリは脳内を一色に満たす。

 感傷を捨てる。情感を捨てる。複雑性を伴う人間らしさなど、必要ない。ただ単一であればいい。

 滅殺。




 ピピピ、とサイバーグラスから電子音。

 音と同時にグラスに表示される情報を、マリは即座に目で追う。

 地区05、薬物覚醒のオーバーライン、出動要請、座標送信済み。

 処理対象、容姿は十歳前後、男児、その他詳細……

 マリは今から行く、と機械的に呟き、短く息を吸って、吐いた。そこには人形が居た。




 マリは鈍色の鞘にブレードをしまった。

 鞘から伸びた収縮金属を肩を中心に体に纏わせ、それを背負う。

 サイバーグラス越しに虚空を睨む。そこには壁しかない。そこには何もない。それでいい。余計なものは見るな。

 その顔付きに心の色はない。笑顔など、ある筈もない。人形であればいい。


「殺す」


 これが、彼女の世界。殺戮で彩る、苛虐の世界。





 その後、地区05において、マリはあっさりと子供の首を刎ねた。

 壊れているからだ。しょうがない。


 ついでに、またも薬物覚醒のオーバーラインが現れたので、同じく首を刎ねた。慈悲などない。


 そのオーバーラインは片腕がなかった。そのオーバーラインは先の男児の母親だった。


 全てが終わった後、マリは顛末を聞いた。


 事故で片腕をなくした母親。

 父親はとうの昔に死亡。母親は仕事が出来なくなり、苦しくなる生活。

 想像力のない子供が、まるで前時代のアニメーションのヒーローの如く、力を得て母親を救うために、先を考えず、どうなるか知らず、意味もわからず薬物でオーバーライン化。

 無論、精神は崩壊。

 そして、即処理。

 その後、子供を失った母親が、半狂乱になり同じく薬物覚醒。即、処理。


 よくあることだ。ここでは。

 無知な子供の薬物覚醒。子を失って自棄になった親の薬物覚醒。

 ここは終末の絶望郷、0系列地区。


 果てない地獄の奥底で、マリは昨日も今日も明日も、機械の如く害悪の首を刎ねて周る。





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