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地区03。
薄暗い路地に、二つの影が対峙していた。
一人は男。へらへらと軽薄に笑う、若い男。
一人は女。血の如く赤いジャケットを纏う、サイバーグラスを着けた女。
「コンバット」
呟きと共に、女――マリが両手持ちのブレードを下段に構えながら、強く踏み込む。
その進行上に居た男は、されど動かず、ズボンのポケットに手を突っ込み、ヘラヘラと笑っていた。
「へへへっとぉ!」
女の振り上げの斬撃。
残像さえ見えかねない、目にも止まらぬ速さ、の筈だ。
しかし、男の目はその軌跡を捉えていた。
最低限頭を後ろに引いて、その首を狙った必殺剣を寸での所で回避。
黒い線が宙を舞う。男の前髪、その一部だ。
繊維の焼ける臭いが僅かに男の鼻腔に届く。
ヒートブレードに切り取られた毛髪は、男の未来を暗示するかの如く、暗い路地に散っていった。男は笑った。
「あぶねあぶね」
男の姿勢は変わらず、態度も変わらない。
両手を見せず、ただ嘲笑っている。挑発するかの如く、身体を前に傾けている。
マリのブレードを纏う赤光は、獲物を求めて唸り続けていた。
発光する刀身は地獄にある灼熱のマグマを想起させるかの様に、只管に赤い。
その刃が向かう先は、常に男の首へ向いている。
ブレードが振るわれる。情けなく。容赦なく。
振り下ろし。横切り。もしくは、突き。
男は、全部が必殺のそれを、しかし紙一重で避けきっていた。
「ひひっ」
避け損なったら一発で首を飛ばされるだろう。
そして、回避を重んじなければ、彼女の首切りには対処出来ない。
しかし少しでも間合いを間違えてしまえば――
「ぐぇ」
呻く男。
当たっては、いない。
マリが放つ首を狙った袈裟斬りは、男を完璧には捉えていなかった。
しかし、刹那に動くマリの手首。蛇の様なその返し。
避け切れず、首に僅かに掠る。
ブレードに纏う刃が、僅かに男の皮膚を削った。紅血がポタリと地面に落ちた。
男の首から出る鮮血。しかし出血は即座に止まり、男は笑った。男はオーバーラインだ。
発揮される人外の治癒力。この程度なら、この通りだ。
無論、何もデメリットがない訳ではない。無条件で回復する訳ではない。
傷の修復や流れた血の生成は、全てがその者の体力を必要とする。
こうなれば、消耗戦だ。
しかし、マリは驚異的な剣技とフィジカルで常に男を圧倒し、無傷。
男はマリの殺意を避け続けるしかなく、そして少なからず、何処かを損傷してしまい、そして修復しなければならない。
どちらが有利なのかは、火を見ずとも明らかだ。
まるで無慈悲な処刑機械だ。ブレードも、マリも。
クリーンヒットはせずとも、何処かしかに掠ればいい。
一発一発に満ち満ちている、凶悪な殺意。
しかし、男はヘラヘラとした笑いを絶やさない。
男は分かっていたからだ。己の武器を。
驚異的な反射神経、体力、回復速度。
そう、この明らかに不利な場景は、しかし男にとっては日常なのだ。
男はポケットの中で単分子ナイフの柄を握る。
嘲る様な笑み、あたらないこともない斬撃。全てが釣り餌だ。
攻め続けた相手が疲弊し隙を見せた時、初めて男の殺気は姿を見せるのだ。
男は笑う。
マリは攻める。
斬撃。回避。斬。避。斬。掠。血。修復。嘲笑。斬。避。
千日手の如く繰り返される動き。
裏路地に響く単調な音。刃が光り。偶に血が瞬き。男は笑う。
やがては、マリは執拗な斬撃を止めた。
軽やかに体を引き、バックステップで距離を取る。
男はマリを見る。伺う。
鏡面反射加工のサイバーグラスで覆われた彼女の表情は、読めない。ただ無機質な青い輝きだけが、男の目に映る
(勝機か? いや……)
男は忍ばせてあるナイフを殊更に強く握り、しかし、未だ収める。
まだ、まだだ。
焦るな、男は自分にそう言い聞かせる。相手はその辺の雑魚ではないのだから。
男はマリの情報を幾らか得ている。何しろ彼女は有名人だ。
彼女は、ブレードだけでなく、銃も使う。無論男ならそれを楽に避けられるが、しかし油断は禁物だ。
男に隙はなかった。マリの戦法も幾らか知っていた。幾らか。
マリは物言わず、ブレードを両手に持ち、そのまま正中に構える。
その刃は、無機質で耳障りな駆動音を出していた。
青のサイバーグラスが、意味有り気にきらりと光を反射させた。
「滅殺」
マリは呟いた。
男の体は半分に割れた。
「あっれ」
男の右半身の瞳は、きょとんとした色を映し、左半身の瞳を捉えていた。
果てしない血飛沫が舞う中、二つの瞳はこりゃないぜ、と言わんばかりに悲しげに細められていた。
幾らかの情報、戦法。残像めいて背後に移行する赤い光。
ああ、そうか、殺伐と消え行く意識の中、男は一つ気づいた。
(これを見たやつは皆死ぬんだな)
だから、情報になかった。そもそも何をされたか分からない。なんとなく、いつのまにか女が自分を通り過ぎたのは理解できた。過ぎ様の一刀両断。喰らったのはこれだ。多分。
男は死んだ。
赤く染まる地面に、べちゃりと音を立てながら、揺らめいて男のそれぞれの半身が倒れた。
背後で倒れる男を、マリは振り向いて一瞥する。
――そこそこの実力だった。
思ったのはそれだけだ。
彼女はヒートブレードの赤熱機構のスイッチに指を添えて――――放した。
そのまま男の死体を放置し、彼女はブレードに纏う熱源を消さず、暗い路地を出た。
「あっはー! 虹! 虹! とび。とびっとびとびとびとび! ゆるふわぁーっ!」
「た、助けっ……あ」
そこには、地面に倒れた男性に馬乗りになっている少女が居た。
少女。
未だ十代半ば程度の、少女だ。顔は幼く、体つきも貧相だ。
口からは涎が垂れ、首元には毒々しい紫色の痣が見られる。
少女は彼女自身より遥かに体格の良い男の首を、焦点が合ってない瞳で絞めていた。
瞳の色は、虹。無秩序に染まる七色。
「あっ、あ…………あ」
「コンバット」
「あひひひひひひひひ、扉が! 扉! 羽虫、青、鍵はあひひ、あひひひひ、あひっ」
男は死んだ。首を絞められ、呼吸が出来なくなり、白目を剥いて、そのまま死んだ。
少女も死んだ。首を切られて死んだ。ごろり転がった頭部の虹色の瞳は、狂気に濁っていた。
マリは少女の首を切った後、今度こそブレードのスイッチを切り、背中の鞘に収めた。
彼女はサイバーグラスに手を当てた。ピピピ、と電子音、後、男の声。
『あろーあろー。ザザ、こちら本部。ザザザ、終わったか』
ノイズが混じった男性の声がサイバーグラスを通し、骨の伝導を利用してマリに届く。
マリは無表情で、泡を吹いて絶命した男と、それに覆いかぶさった首なしの少女を眺めた。
「嘲笑は処理。その後、アウェイク使用者を確認。即処理。被害一。死体数は三」
『ザ、またザザか。ザザ、了解。事後班にもザザザ伝えザザとく。距離は近ザザいか?』
「現在座標送信。戦闘時座標からはそれほど離れていない」
『ザザザ、あいよ、ザ、帰ってこい』
「了解」
短い電子音と共に、通信が終わる。
マリは周囲を見渡した。
二つの死体と彼女以外、今居る通りには誰もいない、様に見える。
しかしマリは感じていた。恐らく避難しているのだろう、この無法の通りに住む浮浪者たちが、自分に畏怖の目を向けているのを。
マリはそれを意に介さず、踵を返した。
無法であり無慈悲。分かり易い終わりの地。0系列地区。
曇天の空は、いつもの様に極彩色の雲に覆われている。
両翼を広げた巨大な鴉が、嗤う様に飛んでいた。




