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「ナイトバーンの最新型だ。それも五機! しかも貸付じゃない。貰えるんだぜ、タダで!」
「……」
「オーライ、ああ、分かってる。これは報酬で、条件はお前だ、確かに、タダとは言えないな」
熱が入った様に言うイチローとは対照的に、マリはどこまでも冷ややかだ。
イチローは煙草の煙を深く吸った。彼の熱意を象徴する様に、咥えられた先端の火が赤く瞬いた。
「破格だぞこれは」
口端から白煙を出しながら、イチローは続ける。ホログラムのナイトバーンは、尚もゆっくりと回転している。
「お前を一週間『外』に出すだけで、念願の戦闘機体が手に入る! なぁ、分かってくれよ」
「オペレーターは?」
「無論、俺だ。この本部から遠隔操作する。俺だけじゃなくて、操作適性のある奴の目星も何人か付けている」
「機械は信用出来ない」
「精神的揺らぎが多いオーバーラインよりは確かだぜ。こいつさえあればだな……」
「私よりも?」
マリの射抜くような囁きが、イチローの熱弁を止めた。
瞬間、彼は温い煙に満ちたこの部屋が、まるで永久の凍土に閉じ込められてしまったかの様に感じた。
時は流れている。部屋は変わらず温い。白煙は流動的に揺らめいている。何も変わってはいない。
けれど、イチローは確かに、極寒の如く凍てつく空気を身に受けたのだ。
その冷気を発している人物は、勿論、目の前のオーバーラインだ。
彼は腕を組み、目を伏せる。乾いた唇に添えられた煙草は、我関せずと煙を出し続けている。
一つ唸り声を上げる。フィルターを歯で挟んで、イチローは口を開いた。。
「……お前より、とは言えない」
「だから、私が居れば何も問題はない」
ぐぅの音も出ない。
イチローは溜息を吐きながらまた煙草を床に捨て、足で残り火を消した。ことさら強く踏んだ。
四本目を取り出す。
火を点ける。黄ばんだ部屋に紫煙がゆっくりと舞う。
(まぁ、こう来るわな……)
天井を見上げ、ゆらゆらと上昇する煙を意味なく目で追うイチロー。
遠隔操作式戦闘用機械の必要性、それを問われれば、もちろん彼は『要る』と答える。
そして同時に、マリは問うているのだ。
『その機械を導入するメリットは、私が一週間ここを離れるリスクに勝てるのか』と。
難しい問題である。
長期的な目線で見れば、高々一週間マリが『外』に出るだけで、半永久的な戦力が手に入るのだ。
ヘイトレッドは常に人手不足に喘ぎを上げている。そこに沸いた、戦力増強の機会。普通なら、こっちを選ぶ。
だがここで、マリの抑止力的存在が引っ掛かってくる。
果たして彼女が一時的にいなくなって何が起こるのか――答えは未知数だ。
未知数と言うのならば、その『仕事』もそうだ。
アルラクイック社所有の工場を占拠した、未登録オーバーライン。
それらがどれ程の実力なのか、皆目検討がつかない。彼らの情報は、送られてきた資料になかった。
マリの実力を鑑みれば、負けはない。工場に住み着く程度のことしか出来ないオーバーラインでは、先ずマリは負けないだろう。
自信がある。彼女への信頼があるのだ。
けれど、可能性は0ではない。
ヘイトレッドの長として、イチローはあらゆるリスクを考えなければならない。
マリが『外』に出て、何か起こるのか?
何も起こらないかも知れない。よしんば起こっても、他ヘイトレッドで十分制圧出来る程度の事かも知れない。
マリが負けて、死んでしまう事があるのか?
考えにくい。0系列地区最強が、こと戦いにおいては生温い『外』の連中なぞに遅れをとるのか。
しかし、それでも。
とんでもない『何か』が起こるかも知れないし、マリは死んでしまうかも知れない。
かも知れないの選択思考は、多岐に渡る。どれが正解でもない。
イチローはメリットを重視し、マリはリスクを重視した。要は意見の相違だ。
人型戦闘用機体、ナイトバーン。その最新型が五機。
相当な富豪か、もしくは大企業でなければ決して手に入らない戦闘用機体。
それらは狂人と揶揄されるオーバーラインより、戦力として高い安定性を誇っている。
『外』の限られたヒト、組織でしか持ち得ない武力が、今イチローの手の届くところにあるのだ。
しかし、仮にそれとマリを天秤に掛けるとしたら、どちらかしか手に入らないと言うのなら、イチローはマリに全力でベッドする。
長い付き合いからの情ではない。
戦力。コスト。安定性。
なにを取ってもマリの方が遥かに優れているからだ。
戦闘機体の利点は、肉体的疲労がなく、精神的揺らぎもなく、任務に忠実であることだ。
オペレーターが本人ならば、裏切りやサボタージュなぞ考える必要がない。
けれどこれらの利点は、そのままそっくりマリにも当てはまる。
マリは疲労を感じさせない。揺らがない。今の様な命令拒否もあるにはあるが、少なくとも背信的な行為は、マリは絶対にしない。それはイチローも分かっている。
彼女はそれに加え、何より強い。尋常じゃない程に、どうしようもなく、強い。
ナイトバーン側にある数の利も、やがてはマリが覆すだろう。
(こいつはマシンよりも長く動けるからな)
純粋戦闘力、肉体損傷回復速度、精神的安定性。
何をとっても、マリは他のオーバーラインより頭一つ抜けている。
だが、それらを以て尚、彼女の真骨頂は別にある。
――長期継戦能力。
ナイトバーンはマシンだ。
そして機械である以上は、どうしたって定期的なメンテナンスの必要がある。
マリにとって、機械でいうところのメンテナンスは、ただ目を瞑り座るだけで済むのだ。
半刻もすれば、コンディションは十全。
後は適当に水分や食料を摂取出来れば、彼女は無尽蔵の如くに稼働し続けられる。
仮にマリが消耗したとする。
それは同時に、『マリが消耗せざるを得ない相手』と言う事にも繋がる。
その時点で、かなりの化け物だ。ナイトバーン程度では鉄屑にされてしまう。
ナイトバーンに任せたいのは、地区の見回りである。
薬物覚醒の完全に精神崩壊しているオーバーラインなら、マシンのスペック内で対処可能だ。
短絡的に暴走した正規覚醒のオーバーラインが相手ならば、その時は手が空いたヘイトレッドの戦闘員が動けばいい。
最悪、時間稼ぎも出来るし、不意を撃てば、マシンでも潰せる可能性もある。特に成り立ては、往々にして油断している。
問題は、雑魚ではないオーバーライン、だ。
詳細の確認は取れていないが、何人か、居る。ここに。この0系列地区に。
表立ってないだけだ。
姿を見せないのは、何かしようとする気がないだけか、それとも、殺戮人形に脅えているのか。
後者が潜んでいる可能性は捨てきれない。
滅殺という処刑器具が見えなくなった時、果たしてそれらは大人しく檻に収まっているのか、それとも――
かも知れない。可能性。こうなるだろう。
全ては仮定だ。箱の中身を見るには、開けなければ話にならない。
煙の様に渦巻く果て無き思考に浸っていたイチローは、振り払うように頭を振った。
――考えても答えはない。
マリを見る。ソファーに身を沈めることせず、ただ浅く腰掛けている。
そしてやはり無表情で、無言。もう語ることはないという態度。
手に持った煙草をまた下に落とす。床で吸殻が乱雑に並んでいる様を胡乱に見ながら、重い息と共にイチローは言う。
「……その仕事はすぐって訳でもない。まだ少し、先方に連絡するまで時間がある。お前の考えは分かった。けどさ」
「……」
「まぁ……一考してくれや。また呼ぶ」
イチローには目の前の細身の女が、途方もなく強固で強大な鋼鉄の壁に見えた。
聞いてない訳ではない。手応えがない訳ではない。
しかし決して破れらない。鋼鉄の精神。
マリの考えを変える為には、マリ自身が変化を望まなれければならないのだ。
それが、彼女なのだ。
イチローがもう行っていいぞと言えば、返事なく、マリは立ち上がった。
壁に立てかけていた愛剣を背に纏い、無言でイチローの背後にある扉へ歩いていく。
何処までもドライな彼女の様子にイチローは肩を竦め、五本目の煙草に火を点けた。
そこで、マリが止まり、振り返った。そのまま逡巡する様に棒立ちになる。
扉の開く音が聞こえてこない事を訝しんだイチローは首を回して、扉の前に立つマリを見た。
「どうした」
「……もう少し、控えたほうがいい」
「お? なんだ、煙草か? 知ってるだろうが、俺の脳細胞は煙を絶えず求めていてだな……」
「違う。そっちじゃない」
また、空気が凍てついた。イチローは手に持つ煙草を揺らした。煙が這い出る。マリは、じっとイチローを見ていた。
マリの隠れた瞳は、白煙のカーテンに覆われたイチローを捉えている。
白い靄の如く立ち込める煙。その向こうに居る白髪の中年。
そして、金庫に仕舞われたかの様に隠された、男の内から伝わる微かな臭い――――ドラッグ。
「……分かるか」
とイチロー。
「最近良く嗅ぐ。ホワイトソーン。危険薬物」
「あんなパチモンと一緒にするな。『外』で造られた、ちゃんとした合法薬物さ。ホワイトラックって言うんだけどな」
「……」
「ホワイトソーンはその劣化コピーだ。この地区の馬鹿どもの誰かが、テイルシュート社をハッキングして部分的に薬物のレシピを手に入れて造った、不完全な粗悪品だ」
そう言ってイチローは、薄汚れたジャケットから細長い金属のシリンダーを取り出した。
それを二三振れば、机の上に丸い白色の錠剤がポトリと落ちる。
イチローは錠剤を指で摘み、またマリを振り返り、錠剤を掲げた。
マリの超過視覚は、その小さい錠剤に精密な文字で『WL』と書かれているのを捉えていた。
「ホワイトラックは、分量さえ守れば優秀なサポーターなのさ。マルチタスクの効率を高めるな。必要なんだよ、俺には」
イチローは錠剤をシリンダーに戻した。マリは何も言わなかった。
扉が開く。
「『外』のこと、考えとけよぉ!」
マリの背中へ、イチローはそう声を掛けた。
返事はなかった。
扉が閉まる音だけが響いた。
イチローは深く煙を肺に入れた。咥えたタバコがジリジリとフィルター付近にまで火を近づける。
吐き出されるは揺らめく白煙は、いつものようにそこにあり、いつものように儚く消えた。
「控えたほうがいい、ね」
白い煙が舞う部屋でイチローは独りごちる。
机のキューブ端末に触れ、未だ起動していたホログラムを消してから、彼は目を細めた。
「そういや、前はよく言われたなぁ。タバコ、抑えろって」
煙草を床に落とす。
――これも怒られていたな。掃除が大変だ、と。
今やそれはない。マリは何も言わない。
イチローの脳裏に過去がフラッシュバックの如く閃いた。
虚空を見る。煙の向こう側に微かに映る、かつての日々の幻影。
「……はは」
乾いた笑いを出して、イチローは目頭を押さえた。
煙が目に沁みたのだ、そう自分に言い聞かせた。