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滅殺のオーバーライン  作者: 7GO
ハートフル・ハートビート
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 ハートフル・ハートビート





 地区06。


 マリは殺風景な自室にて、いつもの様にサイバーグラスのメンテナンスを行っていた。

 宙に浮かぶ調整用電子ホログラムをタッチし、指を滑らし、時には思案して、また指を滑らす。

 情報が流れ、数字が流れ、図形が流れ、文字が流れ、しかしホログラムの背景は変わらずの赤。警戒色の、赤色。


『ちょっと大分キツイっすね』


 メンテナンス用の古い機械がそうガイダンスする。

 マリはそれを無視して、冷たい空気の部屋で、孤独にホログラムに指を踊らさせていた。  

 座っているフローリングの床には何も覆われていなく、ただ寒々しかった。




 彼女のサイバーグラスは、もうかなりのガタが来ている。

 古いからだ。生産から幾分の時が過ぎた、使い込まれた装着型通信端末。

 昔は、それでも最新式だった。

 当たり前の話ではあるが、使用限界を超えたこの青いサイバーグラスも、『当時』は新鋭のデバイスだったのだ。



 当時の話、昔の話だ。



 ホログラムの背景が、赤混じる黄色になった。


『微妙なラインっすけどね』


 告げる音声を聞いて、マリはまた指を動かそうとして、止まった。

 これ以上は、恐らく意味がない。

 時折ノイズが混じり、あるいは連絡に支障を来す可能性さえあるが、それでもこれが精一杯の調整だ。

 マリは軽く息を吐いた。その吐息には、少し寂しげな色が乗っていた。


 ――いつまで、使えるのだろうか。


 だけどその感情は、決して顔には出ない。出すことが出来ない。

 人形のごとく、マリの顔は整っており冷たく硬かった。



 こうして『処理任務』がない時、マリは只管にメンテナンスを行っている。

 ブレードや銃の手入れも勿論するが、主に彼女は古いサイバーグラスにより時間を掛けている。


 その行為は、極めて効率性が低かった。

 情報端末は物にもよるが大体は消耗品だ。

 日々の手入れを欠かさず長く使うことが悪いは言えないが、必要性の観点から見れば、それは疑問の余地が残る。


 徹底的に使い込み、限界が来れば最新のモードを購入する。

 ヘイトレッドに勤めている彼女には、そう言った取っ替え引っ替えの消費が可能だ。

 碌に資産がない他の住民ではあるまいし、マリが一つの消耗商品に執着する謂れはないのである。本来は。 


 理由。

 理由があるのだ。この青いサイバーグラスを、彼女が使い続けている理由が。



 マリは塗装の剥げたメンテナンス機器を一瞥して、接続コードを乱雑に抜いた。

 サイバーグラスを手に取り、愛おしげに、丁寧にその表面を撫でた。

 鏡面反射加工のメタリックな青い光沢が、部屋の天井から降る電光を映している。


 マリは目を閉じた。

 昔を。当時を。思い出そうとした。思い描こうした。

 やめた。


 鈍るからだ。無駄な感傷や多感な人間性は、刃を曇らし殺意を濁らす。

 サイバーグラスを顔に着ける。マジックミラー仕様のサイバーグラス越しに、透明な世界をマリは見た。

 そこでマリは笑おうとした。己を、嘲笑おうとした。



 ――無駄な感傷?



 無意味なものだと切って捨てるのなら、何故彼女は、機能限界に近いサイバーグラスを使い続けていると言うのか。

 答えは、分かりきっていた。


 彼女は強い。オーバーラインとして、0系列地区最強の名に恥じない実力を持っている。

 ともすれば、『外』に居る幾人かの強大で著名なオーバーラインと比べても、決して遜色はしないだろう。

 そんな事実は、マリに何の情緒も与えない。

 興味がないからだ。他者の強弱、己の位置、世界の評価。


 マリは滅する為に生きている。地区の害悪を。殺すために。処理するために。

 それだけ。それだけだ。狂った人形であればいいのだ。躊躇い覚えない、機械じみた狂気の殺戮人形。

 それだけでいいのだ。


 それだけでなければ、いけないのだ。

 いけないのに。



 サイバーグラスのつるりとした表面を指でなぞる。

 理解はしているのに、彼女は無意味な行動を繰り返す。

 そんな『ヒト』じみたノスタルジックな行為に、マリは笑おうとする。

 出来なかった。

 頬の筋肉はぴくりとも動かず、まるで鋼鉄で出来ているかの如くに、冷たく硬かった。







 この時間は、自宅待機だった。

 マリは次いで、愛剣であるヒートブレードの手入れを行った。

 研磨石で刃を研ぎ、柄と刃の境界部にある丸い赤熱発生機構にメンテナンス機器を接続して、内部調整を施した。


 調子を確かめる為に、スイッチを入れる。

 きぃいんと聴き慣れた駆動音を耳にして、接続コードを抜いてから立ち上がり、二三、軽く刃を振った。


 ぶちり、と何かが切れる音がした。


 マリはブレード赤熱を消して、刃を鞘に納めた。

 背中に手を当てる。

 マリの纏められていた腰ほどの長さの髪が、扇のごとく広がっていた。


 着けていた形状記憶型伸縮性金属の輪状の髪留めが、日々の激しい戦闘により遂に寿命を全うしたのだ。


 マリは床に置かれている腰程の大きさの箱に近づき、引き出しを開ける。

 微かに眉を顰めた。


 髪留めは、確かにそこにあった。

 けれど、幾日か前に買い貯めした筈のそれは、残り一つになっていた。

 マリは引き出しに孤独に鎮座する鈍色の髪留めを手に取り、流れる黒髪を後ろに詰めて纏める。


 少し、逡巡する。


 ストックがなくなってしまった。

 日常的に人外の動きを繰り返す彼女にとって、髪留めの複数所持は不可欠だ。場合によっては、今日にでも千切れてしまう可能性すらある。そして長い髪は戦闘に邪魔だ。

 サイバーグラス端末を用いヘイトレッド本部に連絡すれば、そう日数掛からずに髪留めがマリの元に届くのだが……


 マリは一度鞘ごとブレードを床に置き、乱雑に置き捨てられていた赤いジャケットを、黒い長袖インナーの上に羽織った。

 そして手早く50口径マグナム銃が収められているホルスターを手に取り、腰に巻く。

 鞘を拾って、伸びている紐状の収縮金属を身体に巻き付かせる如くに纏わらせて胸元で接合。ブレードを背負う格好になる。


 サイバーグラスに触れ、端末を起動。

 メーリング、とぼそっと呟き、それから「地区06周辺警護の為一時外出」と囁く様に言った。

 彼女の囁きは、マリの名のもとにヘイトレッド本部へ文字化して届いた。

 直接通信を取っても良かったが、本部は常に忙しくあり、また速やかな報告が必要な案件とも思えない。


 ヘイトレッドは、多忙だ。

 彼女が決断的にこうして「外出して髪留めを買いに行く」ことを選択したのもその為だ。

 一番忙しいのは戦闘部隊員のオーバーラインであるマリ達なのだが、裏方の『ヒト』だって、十二分に忙しく、人手も足りてない。

 マリが頼めば、彼らは一も二もなく彼女の為に動くだろう。それが小間使いの様なものであったとしても、だ。



 ――別に大した手間でもない。


 彼女は心中でそう呟く。髪留めが売っている商店はこの地区内にあるし、そこへ行くのにも物を買うのにもさして時間は掛からない。

 今ある自宅待機、という状況も、任務や命令ではなく本来は休暇的な意味合いだ。彼女の自由時間なのだ。

 それなのに周辺警護と嘯いたのは、ある種マリの見栄の様なものだった(警護という意味合いは嘘ではないが)


 だって、『髪留めを買いに外出』なんて、あまりにも、あまりにも――


 ――あまりにも、なんだ?


 マリは短く首を横に振った。捨てた筈の人間性が顔を出してしまったようにマリは感じた。


 軽く部屋を見渡す。適当に衣類がばら蒔かれていて、ゴミ箱に携帯食品の袋が積まれており、水が少しだけ入ったボトルがきらりと光っている。

 後は、雑貨が入った箱と、古いメンテナンス機器だけがある。

 これだけ。マリの部屋はこれだけだ。寝具の類さえもない。マリには必要ない。座って目を閉じるだけで、彼女には休息として事足りる。



 この部屋は、まるで己自身を映している様だと、マリは思う。己の精神を反射する鏡だと。


 殺風景で、必要最低限の物しかない。余計なものがない。

 それはマリの在り方そのものだ。害悪への純粋殺意。それさえあればいい。




 だけど、ならば何故、彼女は本部ではなく、ここで暮らしているのか。

 他のヘイトレッド、オーバーラインとは別に、どうしてここに住んでいるのか。



 この部屋の存在こそが、そのままマリの人間性の証左だった。



 かつてここで過ごした、大切な思い出。



 空っぽの様に見えて、空っぽではない。

 捨てた様に見えて、捨てられていない。




 笑う、マリは笑おうとする。


 わざわざメンテナンスに時間を割かず、新しいサイバーグラスを購入すればいいのでは?

 広がった長髪が邪魔ならば、いっそ切ってしまえばいいのでは?

 他のオーバーラインと同じく、地区09のヘイトレッド本部に住めば、任務効率も上がるのでは?



 彼女には無駄が多い。殺戮人形らしくない、非効率な動きが多い。

 情け容赦なく問答無用に首を刎ね、戦闘矜持を持ってない故に刃を交じらせている最中にも抜け目無く銃を放つ、そんな彼女が。彼女でも。

 実情は、不完全な存在なのだ。突き詰めたとしても、マリは機械にはなれない。あくまでそう見えるだけだ。



 笑ってしまいたくなる。0系列最強が、滅殺が、人形が、このザマだ。



 しかし例え自嘲でさえも、マリは笑うことが出来なかった。



 滅殺のマリは、笑えない。



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