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滅殺のオーバーライン  作者: 7GO
ファイブメンバーズ・ファイブインサニティ
14/19

2(了)




 地区07。


「ハァッー、ハアッー……ハァッー」


 薄暗い路地裏に、荒い息の男が居た。

 左右を高いビルに囲まれた、細い通り。

 そこで男は、コンクリートの壁に寄りかかった。

 背中に、冷たい感触が伝わる。男はちらりと己の右腕を見た。


 ぐじゅぐじゅと蠢く、自分の腕。

 抉られた肉が戻る感覚。千切れた筋肉が繋がる感覚。失った血潮が補充されていく感覚。

 男は目を瞑り、呻いた。


 ――回復が、遅い。


 男はオーバーラインだ。

 正規覚醒のオーバーライン。

 しかしそんな超常の生物である筈の男は、無様に息を切らせ、あまつさえ肉体の修復も覚束無い。

 当たり前だ。男は、先程からずっと、執拗な攻撃を受け続けているのだ。

 オーバーラインは、決して無敵ではない。

 確かに、彼らは大凡首を刎られない限り死にはしない(もっと言えば、脳が無事なら即座に肉体が戻る)

 だが、そんな生物の域を超えた異常回復能力も、無制限ではないのだ。


 分かる。男は感じていた。

 一線を超えたことによる超絶的なスタミナ。

 それが、多大なダメージによる肉体修復に使用され、ガリガリと削られていく様。

 汗が、冷や汗が、脂汗が止まらない。

 ヒトを超えた筈なのに、まるでヒトの様に、男の身体は悲鳴を上げていた。


「ハァッー……クソッ、クソッ、クソ……」


 悪態を吐くその様でさえも、覇気がない。

 何故こうなってしまったのだろうか、男は自問した。


 オーバーラインになって、彼が先ず考えたのは『外』に出ることだった。


 『外』に出て、この絶望的な地区から抜けて、煌びやかな生活を送る。

 それが男の目的だった。


 オーバーラインなら、それが出来る。『外』の世界でも、彼らは重宝されていると男は聞き及んでいた。


 外に出る為に突破しなければならない検問。

 地区09にあるその門を抜けるのは、通常のヒトにでは無理だ。

 強固な壁、強固な防衛システム。

 時たま脱出せんとするヒトも多いが、先ずそれが成功することはない。


 ヒトだからだ。力なき、ただのヒト。


 俺は違う、俺はオーバーラインだ、男は自分に言い聞かせる様に呟いた。腕の肉の蠢きは、未だ収まらない。


 地区09には、ヘイトレッドの本部がある。

 そしてそこは、処刑機関の部隊員であるオーバーラインの棲家でもあった(そこに住んでいない『例外』もいるが)


 それは、防衛システムでは手に負えない外に出ようとする野良のオーバーラインを迎撃する為なのだが……効果は薄い。

 

 人手が足りないのだ。0系列地区は地獄の如く治安が悪い。

 ヘイトレッド達はいつも馬車馬の如く、本部から離れて処刑を繰り返している。


 タイミングさえ間違えなければ、ヘイトレッドとかち合わずに突破することは、それ程難しくはないのだ。

 成り立てであるオーバーラインの、この男でさえも。


 しかし。

 目測を、誤った。

 詰まる所、男がこうして呼吸を整えるハメになっているのは、見通しが甘かったからだ。


 男は、『外』に出る前、利己的な復讐を行った。

 低賃金で、過酷な労働を強いていた、勤め先の金属加工の工場。


 堪った鬱憤を、男は晴らしたのだ。工場にいる気に食わなかった上司や同僚を、男は殺めた。


 それが不味かった。殺しの快楽に浸ったのが不味かった。

 復讐をするのならさっさと済ませれば良かったのだ。

 時間を掛け過ぎたのだ、男は。


 拷問じみた殺しに愉悦な笑みを浮かべていた男の元に、工場から連絡を受けたヘイトレッドが現れた。


 男は逃げた。男は比較的判断力を保っているオーバーラインだった。

 戦うことはなかった。負けると分かっていたからだ。男は幾分冷静で、またそのヘイトレッドを知っていた。


 くすんだ色の金髪に、靡く赤いマント。鎧の様に体全身を覆った特殊クロム鋼。手にある長い刺突剣。


  

 ヘイトレッド、序列四位。


 ――騎士のネルク。



 気取ったあの若い『騎士』の様子を思い出し、男は苛立ちをぶつける如くにコンクリートの壁を叩いた。

 ビシリと罅割れる壁。右腕はもう治っていた。砕かれかけたプライドは、治らない。

 逃げたのはいい。だが、逃げ切れなかった。そして、戦って勝てるビジョンも浮かばない。

 汗が、止まらない。脳が警鐘を鳴らしている。



 『騎士』の動きは遅かった。少なくとも、小一時間、男は死ぬことなく逃げ回ることができた。

 『騎士』の剣は速かった。避けきれず体に無数の損傷を受けた。

 『騎士』が、男の前に現れた。



 男が息を呑んだ。汗がいっそう吹き出るのが分かった。。


「ここまでかね」


 整った顔立ちの赤いマントの男、――ネルクは、壁に凭れかけている男にそう言った。

 長く細い刺突剣は、彼の手で鈍く光っている。


「私は、他の騎士たちと比べ、あまり脚力に自信がないのだよ。かつて主君の為に戦った時も、私はこの鈍足の所為で――」


 ネルクは朗々と語った。緊張感もなく、また意味不明な語りだった。

 男は歯噛みした。


(畜生! こんな狂人なんかに!)


 自分を棚上げして心中で吐き捨てる男。

 だが実際、このネルクと言う男は狂っていた。当たり前のように。


 ネルクは狂人だ。

 スタンダードな、『思い込む』タイプのオーバーラインだった。



 ネルクは、正規覚醒のオーバーライン全員が、かつて中世を駆けた『騎士』の生まれ変わりだと思っている。

 騎士の魂が、このディストピアの世界に迷い込み、生まれでたヒトに宿ることで力を授けている、そう思い込んでいる。

 そしてその事実を正確に自分だけが理解している――彼はそう思っており、そう狂っていた。


 ネルク、と言うのも無論本来の名前ではない。ヒトとして名は既に捨て、彼の中にはない。

 世を正す高潔な騎士、ネルク。それが今の彼だ。



 この狂い方は、割とマシな方の狂気であった。


 思い込むタイプのオーバーラインは、ないものが見え、有るものを否定し、事象を都合よく解釈する。

 

 そのタイプは往々にして、妄想の矛盾点を突かれた時に激昂し取り乱すことが多い。

 そう言った場合、自我を保つ為にヒトを殺め、物を破壊し、無理やり矛盾をなくそうとする。



 ネルクにはそれがない。

 彼には突かれて戸惑う矛盾が存在しない。



 科学的にオーバーラインの仕組みが解明されている昨今。

 特定の塩基配列を持つのが前提条件の上で、世界全体に広がっている化学物質がその塩基配列に浸透し、そこで絶望感情から出る脳内分泌物質により、オーバーラインは産まれる。

 また、その特定塩基配列を持っていなくても、アウェイクと言う薬物補正により、強制覚醒させることも可能だ(その場合、確実に自我が崩壊する)


 そういった事実が明るみになっていてもなお、ネルクの主張を論破することは難しい。


 証明が出来ないからだ。オーバーラインが中世騎士の生まれ変わりではない、と言う証明。


 無論、科学的に、生まれ変わりである、と言う証明も出来ない。ネルクが勝手に言っているだけだ。


 悪魔の証明。

 悪魔がいないことは、証明できない。だから、悪魔はいる。

 そんな言葉遊びめいた、あやふやな理論。


 それでも、彼には矛盾がない。

 狂ってはいるが、彼の中では、確固たる歪んだ真実が金字塔のごとく輝いてる。



「それにしても、ユイ殿には困ったものだ。幼いながらも騎士の一端なれば、もっとそれらしい風格あって如かるべきだと、私は常々言っているのだが――やれやれ、なまじ実力がある故、彼女は話を聞かない」



 ネルクは喋る。意味のない事柄が、絶えず口から飛び出る。

 彼は見抜いていたからだ。男に、もう逃げる力がないことに。

 だから語る。物事を語り、騎士を語り、真実を語り、男の堕落した魂を救うべく、語りかける。ネルクは狂っているのだ。


 男は、やぶれかぶれに拳を構えた。壁から体を引き剥がし、ネルクと真っ向に対峙する。

 銃はない。弾切れ。電磁ブレードは折られた。素手で挑むしかない。

 それでも一矢報わんと、男はネルクに向け、右腕を振り殴りかかる。 


「マリ殿は騎士として文句の付けようがないが、淑女としてはあまりにも血に塗れている。この時勢、仕方ないことではあるが……おお、なんと呪われた世の中であろうか」


 騎士はひょいと顔を傾ける。男の拳が虚しく宙を突く。ネルクの語りは止まらない。

 男は右足で上段蹴りを放つ。剣のような鋭い蹴り。けれど。


「ユータ殿は人柄は申し分ないが、如何せん自力が足りぬ。惜しむらくは『以前』の騎士として格が低かったのであろう、ままならぬものだ」


 当たらない。避けられる。空を切るだけの脚。男の体勢が崩れた。ネルクは所在なく右手の刺突剣をぶら下げながら、しかし何もせず、ただ喋る。

 体勢を戻す。男の右拳。当たらない。左のフック。当たらない。前蹴り。紅のマントがはためき、軽く避けられる。


「ユイ殿は論外、ヒロキ殿は感傷的過ぎる。ふむ、だからして――」


 ネルクは一度言葉を切った。騎士の黒い瞳が男を捉えた。

 男はたじろぎ、拳の動きが止まった。止めさせられた。

 ネルクが剣の切先を男に向けた。男は咄嗟に距離を取った。


 無駄だった。



「人の話は、きちんと聞きたまえ」



 瞬間、ネルクの剣が揺らめいた。

 高速の連続刺突。薄暗い路地裏に、肉と骨の割れる音が刹那に六回響いた。


 何も言えず、何も出来ず、男の顔に無数の穴が空いた。

 眼球抉れ、あちこちから血が溢れ、脳漿を撒き散らしつつ、男は死んだ。


 

「ふむ」


 ぶん、とネルクは長細い剣に付いた血と肉片を振り払った。

 整った端正な顔は、一つも揺らぎがない。


「やはり穢れ切った騎士に、話は通じないな」



 敵対するオーバーラインには、かつて裏切りや汚職に手を染めた邪悪な『騎士』が宿っている、ネルクはそう考えている。

 薬物覚醒、精神崩壊のオーバーラインは、『騎士』の生まれ変わりではない一般人が、退廃的現在技術を使いその真似事をしているだけ、ネルクはそう考えている。


 ヘイトレッドの同僚たちは、それなりに評価はできるが、如何せん彼には物足りず――


「私が導かねばなるまいな、この終末地区を。まったく、ここには狂人が多すぎる」


 倒れた穴だらけの男を一瞥して、ネルクは呆れた様に薄く笑った。






 地区08


 赤茶色の土がただ広がる工場の跡地。

 草や木、転がる石さえここにはなく、空っぽの大地の上に極彩の雲が浮いている。


 女と男が向かい合ってそこにいた。

 痩せ細った女の瞳は、虹色。



「あぶ、あぶぶ、に、とびら、鍵。虫が、あか、あかな、に、にぃぃ」


 誰にも理解できない言葉が、女の口からぶつぶつと漏れる。

 言いながら、女はがむしゃらに腕を振り回した。

 細腕から放たれる処刑鎌の様な腕撃が、男の脇腹を抉った。


 ガリガリと骨が削れる音が、何もない地に吸い込まれる。

 血肉がびちゃびちゃと土に落ち、男の割れた骨が空の下に晒された。


 そして、ぎゅるぎゅると歪な音が響いた。


 すると、骨も肉も血も何もかも、直様元通りになった。

 男の腹部には傷も何もなく、ただ裂かれた服だけが、先ほどの女の腕が当たった証左だった。


「……」



 男は無言で、祈る様に目を閉じた。目下に浮かぶ窪んだ隈が殊更に強調される。


 男は、それぞれに赤い包帯が巻かれた腕を広げて、大きく胸を張った。


 導かれるように、女のデタラメの拳が、男の心臓部分を叩いた。

 肉体が弾ける音が響き、消える。

 突き刺さった女の拳が男の胸から引き抜かれる。その表面の皮が刺さった骨で傷つき血が流れ、一つうねり治った。


 直後、男からぎゅるぎゅると収束音。

 男の欠けた骨肉も筋肉も神経も血脈も瞬時に元通りになり、服だけがぽっかりと穴空いている。


「にじが。にじが扉扉扉羽虫虫、あ、なんでなんでななでななんでなんで」


 女の口が開かれては、不明瞭な呟きが漏れ、虚しく薄れていく。

 男が緩慢に目を開いた。その瞳には、哀しみと憐れみに満ち満ちていた。



「その魂に、救済を」


 男は腰に差していたナイフを取り出した。

 刃渡り十cm程の、白銀に煌くナイフ。


 ちかり、と光が白刃に反射した。男の腕が残像めいて動いた。


 ナイフが、女の胸元に刺さった。


「あが、ああい、あああいいいいいいいいいいいいい」


 狂った苦しみの喘ぎを上げる女。ぐねぐねと胸元が蠢いて、刺さった刃がぽとりと落ちた。

 虹色の瞳が、ぐるぐると回った。



 男はまた腰から二本目のナイフを取り出した。

 構える。巻かれた真紅の包帯が僅かに解かれて、その先端繊維がバサリと風に舞った。


 男のナイフが煌く、その刹那。

 女の瞳から、一条の涙が流れた。


「こんどは、もっとしあわせなせかいで」

「……承知」


 空気を切り裂いた残響が、赤茶色の地面に沈む。


 女の頭部が切り落とされた。

 細い首の断面から血が一際出て、頭と同じく、女の身体が地に倒れた。


「……レスト、イン、ピース」


 男のその言葉はどこまでも哀しみに溢れていた。彼の瞳と同じように。

 一度膝付き、男は両腕の包帯を外した。不健康に白い肌が、煌めいて顕になった。

 男は、女の首から絶えず流れる血を指で掬い、自身のそれぞれの腕に文字を書き始めた。

 それは理解不明なデタラメな文字で、おどろおどろしく、彼にしか理解できない、女の為の弔だった。彼は狂っていた。


 ヘイトレッド、序列五位。


 ――弔辞のヒロキ。



 ヒロキは腕に血文字をなぞりながら、ブツブツと呪文の如き言葉を吐く。

 それには何の科学的意味はなく、ただの自己満足だった。


 ――自己満足。


 ヘイトレッドであるヒロキは、利己行動心の塊だ。あくまで彼以外から見れば、だが。

 処刑機関に所属している筈の彼は、精神崩壊した危険なオーバーラインでさえも、慈しみを欠かさず接する。


 何の意味はないのだ、本来ならば。


 無防備に攻撃を受けるのも。

 すぐに回復する心臓へのナイフの突き刺しも。

 その呪術的な言動も、何もかも。


 それは共感出来得ない、謎めいた儀式。


 何の根拠もない、自己満足の戯言虚動だ。

 だけどヒロキは、これこそがオーバーラインの救済になると、信じて疑っていなかった。

 そういう類の狂人だった。



 アウェイク使用のオーバーライン。

 彼らの自我は崩壊しているが、希に一瞬だけ、正気を取り戻すことがある。

 理由や原理は未だ不明だ。解明されてないブラックボックスの一つ。


 その瞬間こそが、ヒロキにとっての『救済』の成功だった。

 呪われたナニカから救われ、ヒトに戻る。無論、すぐまた精神は混沌に落ちるが、その前にヒロキは首を刎ねる。

 救っているのだ。少なくとも、彼の中では。



 ――ヘイトレッドのオーバーライン。

 彼らはそれぞれ、処刑執行の目的が違う。


 滅殺は処理。害悪の処理。

 次点は守護。地区や人の守護。

 握撃は仕事。生活と趣味嗜好を維持する仕事。

 騎士は退治。邪悪な『騎士』を認めない退治。


 そして弔辞は、ヒロキは、救済だ。


 崇高な儀式を経て、堕ちた魂を救済する。

 それが己の産まれた意味だと、彼はそう思っていた。狂っていた。



 何もない大地に、血風が少しだけ舞った。

 意味あり気に吹いたその風は、世界が女の願いを受け入れたかの様に、ヒロキは思えた。彼はそう解釈した。

 また赤い包帯を腕に巻き直しながら、ヒロキは救済の完了に、満足気に笑った。






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