表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
滅殺のオーバーライン  作者: 7GO
ムーンライト・ムーンダウン
11/19

5

 斜めに突き飛ばされたアカリは、目を白黒させながら地面に尻餅を着いた。

 直後、高らかに夜を染める金属音。



 アカリは何が起きたか、はたまたこれから何が起きるのか、全く理解できていなかった。




 ただ、赤熱するブーレドを振り上げた、青いサイバーグラスを着けた女――マリが、いつの間にかコウスケに接近、そのまま刃を振り下ろしたのは、朧げに見えた。




 コウスケは、銀の腕を顔の前で交差させ、その頭部への斬撃を防いでいた。

 先の金属音は、機械腕と刃の衝突音だ。

 きぃいいん、と地獄の底から唸る駆動音をマリのブレードが奏でた。更に赤く光る刃。

 そしてそれを銀の腕で受ける、闇に満ちた瞳の、男、コウスケ。


「この子は、俺と何の関係もない」

「……」


 コウスケは両腕に掛かる恐るべき剣圧に耐えながら、低い声で言った。

 マリは何も言わず、ただ愚直に刃を強く押し込む。


 顔を強ばらせながら、コウスケは交差していた腕を払うように解いた。

 マリの刃は弾かれ、彼女自身もその腕の力に押される。

 彼女は己の隙を潰す為、弾かれた勢いを利用して、その場で後ろに仰け反りバク転、一度地面に手を着いて飛び跳ね、コウスケと距離を取る。


 長く後ろ手に詰められた黒髪は揺れ、鏡面反射加工の青いサイバーグラスは光り、鮮血色のジャケットがはためく。

 油断も遊びも慈悲もない殺戮人形が、そこに居た。

 マリはブレードを両手に持ち、胸の前で斜めに構える。




「ふぅーっ……」


 対するコウスケは短く息を吐いて、銀の腕の両拳を合わせた。

 途端、バチバチと音を立て、両拳から出る青白い紫電。

 パワードスーツ、ガルヴォルンの目玉機能、雷撃。

 今コウスケが着けているのは腕だけだが、雷電は問題なく機能している。

 ――いずれはこうなると分かっていた。闇の瞳で、彼は瞬きせずに対峙している女を見る。

 それが今なのだ、コウスケは右腕を引き構えた。



 マリは紅色のジャケットをはためかせ、大地を蹴った。コウスケもまた前進した。

 女の刃が振るわれる。男の右拳がそれを迎撃する。

 赤熱光と青白の電撃が衝突し、スパークの如く、一瞬闇夜を照らした。

 右腕で刃を抑えながら、コウスケは左の拳を振るう。鎌の様なショートフック。紫電を纏い、拳が光る。


 マリは瞬時に前足を動かし、コウスケの腹部へ蹴りを放った。

 腹部に浅く沈む脚。僅かに距離が生まれる。左の拳は宙を撫で、右の拳とマリの刃は離れた。


「ぐっ……」


 呻くコウスケ。

 蹴りの威力は弱い。まだ、問題ない。


 しかし、楽観は出来ない。 

 もう、マリは次の攻撃を仕掛けていた。


 横薙ぎに振るわれる赤熱のブレード。

 首を狙った一撃を、コウスケは機械腕を縦に構え、受ける。

 特殊クロム鋼で出来た銀色の腕は、多少の衝撃・熱ではビクともしない、のだが。


(拙いっ)


 焦燥が浮かぶ。

 きぃいいん、きぃいいいん。処刑宣告の如くに唸り光る、ブレード。

 異臭がコウスケの鼻に届く。僅かに、微かに、溶かされている。腕が。

 

(受けてるだけでは、駄目だ!)


 状況を打開せんと、咄嗟に空いている拳を構える。

 しかしそれが振るわれるより前に、マリはブレードから左手だけを離し、素早い動きでホルスターの銃を抜いていた。


 トリガーが引かれる。


「なっ……に!?」


 悪鬼を彷彿とさせる強烈な剣戟、からの唐突な銃撃に、男は目を剥いた。

 放たれた至近距離のマグナム弾。向かう先は、必殺狙いの頭部だ。

 オーバーラインの異常超過された反射神経で、体を斜めにしながらも、コウスケはかろじうて凶弾を避ける。

 少しだけ右のこめかみを掠った。皮膚を裂いて、傷が生まれ、血が流れ、そしてすぐ塞がる。


 避けられないものではない。弾丸軌道を予測できれば、回避は十分に可能だ。そして銃弾が掠る程度なら、すぐ回復出来る。

 しかし。

 コウスケは厳しい目でマリを見据える。その視線には大型の拳銃。

 彼が普段売り捌いている様な、ヒトでも楽に扱えるチャチな銃ではない、殺傷力重点、高威力の50口径。

 オーバーラインと言えど、その威力は無視できるものじゃない。急所の直撃は必殺。それ以外でも当たれば消耗は大きい。

 直様回復はするが、体力は失う。それはジリ貧への入口だ。


「おおおおおおおおおおおお!」


 夜に轟く咆哮。

 コウスケは腕に力を込め、片手持ちで圧力が落ちたブレードをがむしゃらに払い除けた。

 銃撃を避けた崩れた体勢のまま、別の拳をマリの腰目掛け打つ。


 マリは身体を捻り、軽やかにそれを避けた。纏った雷撃さえも、掠りもしない。

 そのまま片手持ちの刃で、斜めに振り上げる様に斬撃を飛ばす。

 狙いは変わらず、ただ一点。男の首だ。



 頭を後方に引き、辛うじて刃をかわすコウスケ。

 そのまま後方へ跳躍し、着地。距離を取る。

 即座に右の拳を引き、地を蹴り上げ、勢い付けながらマリへ向かった。


 しかしマリは無表情のまま、マグナム銃を撃つ。マズルフラッシュが二回瞬いた。


「くっ」


 当てるつもりがない、牽制の弾丸。

 コウスケは体を左右に揺らし、二発とも完璧に回避することが出来た。しかし、突進の勢いは削がれてしまう。



 一瞬だった。それは、刹那の出来事だった。


 コウスケが蹈鞴を踏み、マリは銃を投げ捨て、両手で正中にブレードを構え、そして。


 呟く。囁く。処刑宣告。







「滅殺」





 コウスケは、周囲の風景全てが鈍化したかのように極めて遅く動いているのを感じていた。

 ちらつく街灯。寂れた建物。向かい来る天使。全てが鮮明に見えた。

 赤熱するブレードが紅の光を引いて、切っ先が夜天を指していた。女が短く跳躍しているのが見えた。

 見えただけだった。動けなかった。オーバーラインの超感覚をしてもなお、マリの動きは、見えただけだった。

 

 これは、走馬灯の一種だ。

 死ぬ直前に、命が尽きる寸前に、オーバーラインの異常発達した反射神経が、今際に見せている、死の一歩手前。


 死ぬ。


 これは、死ぬ。直感的にコウスケが悟る、分かり易い絶望。

 夜の中央を断罪する様に、真っ直ぐに掲げられたマリのブレード。

 近づく刃。近づく終わり。

 

 いくつものオーバーラインを屠った、彼女の光熱唸る刃。

 その必殺の斬撃を――






「ユウナ」




 コウスケは避けた。

 体を斜めに傾けた。ヒートブレードの熱温が分かる程の紙一重で、致死の振り下ろしを回避した。

 土の地面が削れる音を置き去りにして、マリが後方へと過ぎていく。



「……ユウナ」


 決して出来なかった筈の回避に自分でも呆然としながら、コウスケはまた妹の名を呼ぶ。

 脈絡のない言葉。何故かは分からない。理由は暗黒に隠れている。

 しかしこれ以上なく、己の力が高ぶるのを感じた。


「ユウナ」


 妹の名を呟く度に、妹の姿を思い描く度に。一度超えたラインの、その先が見える様な幻視。

 ユウナユウナユウナユウナ俺がユウナユウナユウナ死なせはユウナユウナユウナユウナしないユウナユウナユウナ。

 頭が一色に塗りつぶされる。闇色の想いが、コウスケの全身を迸った。



 それらを疑問に思う前に、咄嗟に体を反転させ、後方へと過ぎ去ったマリを見る。

 先の一撃は辛うじて避けられたが、またあの理不尽までの超速度を発揮させられたら――


「……」


 しかし、マリは仕掛けては来なかった。

 彼女もまた即座に体を反転させ、アパートを背景にコウスケと向き合ってはいたが、正中にブレードを構えたまま、動かない。

 変わらず、無言。無表情。無感情、に見えるが――



(連続しては、使えないのか……?)


 彼女の青いサイバーグラスの鏡面が、無意味に月光を反射させている。表情はない。瞳も見えない。

 何を考えているか分からないそんな彼女を見て、コウスケは訝しむ。


 ヒトを超越した、オーバーライン。

 そんな言葉でさえも嘲笑うかの様な、あの異常速度。


 しかし、アレがどの様な理屈の上での動きかはコウスケに分からなかったが、そう易々と扱えるものではないと、彼は判断した。

 何か条件があるのか、体に負荷が掛かるのか、幾らかのインターバルが要るのか、それとも回数制限か。

 分からない。しかし、現時点では、マリは未だ動いてない。



(ならばっ!)



 コウスケは再び互の拳を打ち付け、雷撃を起動し直す。バチバチと高まる紫電と戦意。

 右腕を引き、溜めを作った。

 こうなれば、とにかく攻勢を強めなければならない。

 アレが来ない内に、アレを使わせない様に、より速く、より強く。

 

「俺はっ、俺は!」


 コウスケが叫ぶ。土を蹴り、拳を振りかぶり、前進する。

 マリもまた、それを迎撃せんと油断なく構えた。


「俺はっ!」 


 ――ここで、ここで死ぬ訳には。俺は、おれは、おれは。

 

「ユウナっ! 俺は!」


 紫電の鉄腕と赤熱の刃が、また夜に交わった。






 アカリは目の間で繰り広げられる超常の戦いを、離れた位置で茫洋と見ていた。

 正直な話、人外の戦闘の全貌を、一般人たる彼女では殆ど視ることは適わなかった。

 バチバチと閃く青白い雷電、きぃいいんと唸る赤熱光。打ち付け合う拳と刃、その衝突音。

 理解できたのは、そんな抽象的なことだけだ。

 あまりにも速すぎる。彼らの動きが。

 あまりにも遠すぎる。ヒトとオーバーラインの距離が。


 アカリは困惑の最中にあった。

 手を付き地べたに座り込みながら、彼女はこの状況への理解が追いついていなかった。


 なぜ、コウスケの元にあの滅殺が来たのだろうか?


 コウスケは人殺しだ。犯罪者だ。

 夜毎に人を殺め、貴重品や武器を奪い、それを売り生計を立て、売った武器が、また犯罪に使われることもあるだろう。

 善行とは、程遠い。

 それは、言い逃れできない事実。


 しかし、この地区において、その行為に果たしてどれだけのマイナスの価値があるのか。

 彼に助けられた者も、居るだろう。アカリの様に。

 そしてコウスケは、無為な罪を犯していないはずだ。彼が相手にしているのは、『殺されても文句が言えないやつ』だけ、その筈だ。

 保管されていた強化外骨格を盗んだことか? それだけで、滅殺が動くのか?

 もしかして、かつての過ちである、自警団の一人を手にかけた報いが、今になって訪れているのだろうか。


 アカリには、分からなかった。

 ヘイトレッドの行動倫理や観点は、普通のヒトたる彼女には、全く分からない。

 コウスケが『処刑』される理由が、分からない。しかも、事前の話し合いも罪の読み上げも何もない、いきなりの行動だった。


 殺戮人形。まさしくその通りだ。ただ殺すためだけの人形、機械。

 それが、滅殺のマリ。


 そして、今、紛いなりにもその『0系列地区最強のオーバーライン』と殺し合いをしているコウスケ自身も、アカリには遠く感じた。


 ――あんなにも強かったのか、と。


 滅殺と言えば、アカリでも知っているらぐらい、ここでの死の象徴だ。

 敵対は死に繋がる、純粋殺意。

 そんなアカリにとっては別世界染みた存在のマリと、心を惹かれた寂しげに笑うコウスケが、互を滅しようと、拳を、刃を振るっている。

 あるいは互角であるようにさえ、アカリには思えた。あの滅殺とあのコウスケが。



 噂よりもマリが弱いのか?

 感じた以上にコウスケが強いのか?



 分からない。

 アカリには、やはり何も分からなかった。

 彼女には、何も分からない。分からないまま、世界は進む。









「はあっ!」


 裂帛の気合と共に煌く雷纏う銀の拳は、踊るように体を捻るマリに当たることなく、虚しく宙を舞う。

 しかし怯まず、間髪入れずにコウスケは脚の爪先を尖らせ、対するマリの足を払おうとする。


 滅殺は、動じない。

 マリは小さくその場で飛び上がり、そのまま宙に浮いた状態で前蹴りを放った。


「がっ……!」


 腹部にマリの靴底がずしりと沈む。今度は、重い。

 細脚からの物とはとても思えない、重機の様な一撃。

 傷はない、内蔵も骨も未だ無事だ。しかし、その衝撃でコウスケの体はくの字に曲がった。


 そして、容赦ないマリの追撃。

 彼女は空中姿勢のまま体を捻らせ、その場で一回転。

 赤光が舞回り、腕を長く伸ばして、勢いそのまま、コウスケの首へと刃が向かう。


 刃が襲うギリギリの所でコウスケは腰を落とし、これをかわす。

 ブレードが頭上を通過する。浮いた前髪が赤熱に捉えられ、僅かに散った。


(……ユウナ)


 勝てない。

 コウスケは、死の音がじわじと近づいて来ているのを感じた。

 先ほどの超速度の斬撃を抜きにしても、埒外に強すぎる。

 こちらの攻撃は軽くいなされ、あちらの攻撃は常に死を纏っている。

 格の差か。純粋戦闘力の差か。戦闘経験の差か。

 同じオーバラインであったとしても、滅殺のマリはあまりにも群を抜いていた。



「ユウナ」


 だけど、それでも。まだ。こんなところで。

 

 コウスケは、覚悟を決めた。黒き闇に、身を委ねた。

 右腕をぐっと構えた。深く、強く、右の拳が脇に沈む。


 跳躍したマリの着地際を狙い、コウスケは左腕の拳を真っ直ぐに飛ばす。

 それは、あまりにも愚直で、隙だらけの拳。

 当たらない。彼女は素早く体を横に動かし、コウスケの拳はまたも空を切る。

 伸びきった腕。そこに目敏く構えられるブレード。きぃいいんと機械音が鳴り、瞬くように刃が光った。


 斬撃一閃。


 鮮やかな血飛沫と共に、コウスケの左腕が肩ごと斬り飛ばされた。



「ユウナ」


 コウスケは笑った。痛みも喪失感も感じなかった。コウスケは笑ったのだ。それは乾いた笑みだった。

 バチン、と一際激しく紫電が闇に轟く。

 刹那のカウンター。左腕を犠牲にして力蓄えたコウスケの右拳が、マリの腹部に突き刺さった。


「っ……!」


 その衝撃で、マリは後へ吹き飛ぶ。宙に上がり、しかし姿勢制御、体勢を立ち直し、土を抉りながら着地。

 たらりと彼女の口から一筋の血が流れた。


 コウスケの捨て身の一撃は、マリの肉を、骨を、内蔵を、無惨に食いちぎったのだ。

 彼女の服の繊維や脂肪が紫電に焼かれ、それらが異臭を放つ。


 マリの脇腹は、電撃に焦がされ、拳大の風穴が空いていた。 

 


「ユウナ、ユウナ!」


 コウスケの左肩からは、もう血が出ていなかった。

 代わりに、傷跡がぐにゃりと脈動しだした。それはあたかも別の生物かのように、不気味に波打っている。

 彼は徐に切り落とされた左腕に近づき、それを拾い上げた。


「ユウナ! 俺は!」


 出来ると思えば、出来ないことはない。

 彼は、オーバーラインの真理を、漠然と掴んでいた。

 

 飛ばされた左腕を、肩の傷口に強く合わせる。ぐちゃりと潰れたような音が響いた。


 分かる。


 失った筋肉が伸びるのが、骨が伸びるのが、神経が伸びるのが、肉と肉が繋がり合うのが、コウスケにははっきりと分かった。

 多少接触がずれていても問題はない。大体の向きさえ合っていれば、問題なく、斬られた腕さえも繋がる。


 これが、これこそが、オーバーライン。


「俺は! 俺は俺は俺は俺は! ユウナ! 俺は!」


 最早ヒトではない。形だけ似た、別の生命体。

 そういう生き物なのだ、彼らは。


 

 そう、彼らは。



「…………」


 マリはブレードを片手でだらりと下げたまま、棒立ちだった。

 目はコウスケから離さない。ぐじゅりぐじゅりと奇妙な音が己の脇腹から聞こえても、彼女は目を離さない。


 マリの腹部もまた、再生しようとしていた。 


 雷撃に焼かれた内蔵が戻る。砕かれた骨が戻る。千切られた血脈が戻る。焦がされた皮膚も戻り、服破れ現れた白い彼女の肌が、街灯に照らされた。

 凍えるマリの顔からは、雷撃のダメージは見えない。我慢しているのか、それとも効いていないのか。

 ただ超然と、殺戮の人形はそこにあった。

 

 マリは一時的な内蔵破損による口から垂れた血を、片手で乱雑に拭った。

 再び、ヒートブレードを正中に構える。

 静かで、それでいて猛烈な殺意の圧力を、コウスケは感じた。



「ユウナ。来るのか。ユウナ。アレが」



 コウスケはマリと向かい合い、漆黒の瞳で滅殺を睨みつけた。

 ――ここが死線だ。

 斬られた左手を動かす。動く。繋がっている。

 両拳を打ち付ける。紫電が唸った。









「コウスケさん!」

 


 アカリは叫んだ。

 腕が飛び、体に穴が空き、互いに血肉をばら撒いて、そしてすぐ元通り。

 そんな地獄の様な光景に、アカリはただ叫ぶことしか出来なかった。

 彼女にも、その叫びが何を意味しているのか分からなかった。

 それでも叫んだ。夜に叫んだ。答えはなかった。










 肉片と血脈が辺りに飛散して、土色の地面を汚している。

 夜の奥底から、世界を呪うような生暖かい風が吹いた。

 血の臭いが。肉が焦げた臭いが。酸臭が。

 相対する二人を囲うように、大気に舞った。








「滅殺」

「ユウナ」






 マリの囁きとコウスケの呟きが交差し、そして。



 瞬速の赤が、夜を無情に彩った。



「あがっ……!?」


 二度目の異常速度からの振り下ろし。

 コウスケは避けきれなかった。体を僅かに横移動することで、真っ二つになるのをは避けたが、今度は右腕を持っていかれた。

 機械腕の境目付近、肘より少し先の部分が切り裂かれる。独楽の様に、離れた腕が空中を回転した。



「ユウナ! ユウナ! ユウナ!」


 血流が噴水の如く沸きいでても、コウスケは怯まない。竦まない。その瞳はただ暗闇の中だ。。

 碌にマリの姿を確認せず、後ろ向きのままバックステップ、残った左腕を薙ぐように強引に振り回す。


 それは執念か、または、オーバーラインの超常的な直感か。

 半ば自棄気味に伸ばされた銀の豪腕は、雷撃を纏い、確実にマリの体を捉えていた。





「滅殺」




 筈だった。



「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」



 闇の帳に響く、男の絶叫。滅殺の超加速。

 今宵三度目の振り下ろしの刃は、コウスケの腕が振り切れる前に、その左腕を斬り崩した。

 きぃぃいんと終を告げるブレードの駆動音が、黒き夜を満たす。

 ごろん、と二対の腕が地面に並ぶ。機械の拳がバチバチといっそう青白く輝き、やがて消光した。

 

 コウスケの左腕の先が。右腕の先が。

 彷徨うように、冒涜的に傷跡を動かす。剥き出しの折れた骨が揺れ、ピンク色の肉が跳ね、微かに見える神経繊維が踊った。

 血は流れていない。やろうと思えば、また腕を繋ぎ合わせることも可能だろう。その隙があれば、だが。



 両腕を失った今、それは、もう。


「ユウナ、ユウ、ナ……」


 もう、勝ち目はない。

 ガクリと膝を付き、コウスケは死を悟った。

 彼は上体を反らし、視線を斜めに向ける。そこに、刃を振り切った後ろ向きのままのマリがいた。体は猫背のごとく、丸まっている。



 斬撃の勢い余ったのか、少し離れた所で彼女は緩慢な動作でコウスケへ振り返る。



 月が。街灯が。刃の熱光が。

 なにかおぞましい物を見せ付けるように、暗示的にマリを照らした。

 鮮烈な赤色のジャケットが揺れ、後ろ手一本に纏められた黒髪は、場違いに流麗だ。 

 そして、人形の如き白き顔は。


「……く、くくく」


 歪んでいた。全てを嘲笑うように、頬が歪にせり上がっていた。そう、彼には見えた。

 獣が喉を鳴らすような音が、微かにコウスケの耳に届いた。

 ここで初めてコウスケは、ぞっとした。

 機械的に無表情な筈の彼女が、劣悪な笑みを浮かべていたのだ。


「……」


 しかしそれはコウスケの錯覚だったのだろうか、また見えた時には、彼女はいつもの無表情に戻っていた。

 マリは真っ直ぐに姿勢を正し、何も言わないまま、コウスケへ向い、一歩、地面を踏んだ。



「……ユウナ。ユウナ」


 コウスケは目を瞑った。

 ここで、もう、終わりだ、終わりなんだ、そう思った。

 両腕を失った痛みは感じなかった。彼は漠然と自身の終わりだけを感じていた。

 彼が終を悟っても尚、ぐるぐると頭を駆けるノイズの様な暗闇は、消えなかった。


 死神の如き人形が、赤熱の刃を揺らしながら近づいて来る。


 そこで。



「……もう、やめて、やめて下さい……!」



 か細く脆弱な声が、コウスケの耳に届いた。

 瞳が開かれる。弾かれた様に首を動かして、コウスケは見た。


 アカリ。

 腰が抜けたのだろうか、地面にへたりこんだまま、アカリはそれでも精一杯の力を込めて、滅殺に向けて言う。



「もう……これで、これで終わりにしてよ……」


 懇願する様に、祈る様に、声を震わせて、アカリは言った。

 赤刃を右手に歩みを進めるマリに、けれどその言葉は届かない。

 瞳隠したマリの顔はどこまでも無表情で、どこまでも冷酷に見えた。

 情見えない滅殺の様に、アカリは気圧されながらも言葉を止めない。


「わ、私……私、その人に助けられたの……! 救って、救ってもらったんです! だから、だから……ねぇ、ねぇ!」



 しかしアカリの哀願の言葉に耳を貸さず。

 人形の歩みは止まらない。

 辺りに飛び散った血溜まりに足跡を着け、踏みにじり、やがて到達するは膝立ちの男。



 コウスケはマリを見ていなかった。

 ただ呆然と、瞳に涙を浮かべるアカリを見つめていた。




 マリは男に対し、処刑の刃を――



「だめっ……! やめて! もうやめて、お願いだから、お願い……!」


 アカリの悲鳴のような声。

 人形はそれを無視。


 鈍色の柄に白魚の指。刃は紅に唸り。その切っ先は、首筋定めて掲げられて。


 振るわれる、その寸前。


「アカリ」


 コウスケは言った。

 何処までも澄んだ声だった。


 アカリは息を呑んだ。

 時が止まった様だった。



 マリは刃を振りかざした。

 慈悲も情けもなかった。



「ごめんな」



 コウスケは笑った。その瞳に闇はなく、汚れた泥をかき分けたかの様に、ただ透明だった。 

 灯火照らす、月の下。赤熱が光り、踊る。


 コウスケの首が飛んだ。


 



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ