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滅殺のオーバーライン  作者: 7GO
ムーンライト・ムーンダウン
10/19

4





 どうにも落ち着かない。アカリは床に座りながら、身動ぎした。



 何かに縋るかの如く、服の上から太腿を触る。痛みはない。傷も消えた。

 アカリは襲われたあの日の翌日、仕事を休み、きちんと治療に行った。

 いくらディストピアの極みと謳われる0系列地区でも、医療的な技術は優秀だ。

 無論、『外』ほどではないし、そもそも金額がかなり掛かる。保険などは勿論ない。

 アカリはそれなりに稼ぎを持っていて、また散財もしない。何日かの通院で、銃槍はあっさりと塞がった。


「まだ、痛むのか」


 コウスケが、両手にカップを二つ持って、そうアカリに声を掛けた。


「ううん、もう大丈夫」


 アカリは首を横に振って、湯気が立つカップを手に取る。中身は合成緑茶だった。

 そこでふと、アカリは部屋の片隅に、割れた白いサイバーグラスがあることに気づいた。

 確か、最新式のサイバーグラスだ。アカリは、それについてコウスケへ話を聞こうとして、やめた。

 あれも、『仕事』で盗ったものなのだろう。彼の『仕事』に言及するのは、傷を抉るような行為なのだ。

 彼女は黙って、カップを口元に運んだ。









 ――あれから、一ヶ月が経っていた。

 アカリは仕事が休みの日毎に、こうして彼の家を訪れていた。


 最初は、お礼の為だった。

 如何な事情が双方にあれど、結果、アカリがコウスケに助けられたのは事実。

 アカリの心中にある靄の様な気掛かり、それも後押しはしたが、彼女は、助けてくれた礼をと、多少値が張る合成クッキーを持って、彼の家に趣いた。

 また会うとは思っていなかったのだろう、コウスケは目を瞠りながら、それでも、アカリを家へと入れた。  


 アカリは、気になっていた。気になって、しょうがなかった。

 コウスケの事情。コウスケの思考。コウスケの存在。

 知りたかった。分かりたかった。何を考え、何を為そうとしているのか。

 空っぽの自分を埋めるための何かを、足掻く如く求める様に。

 初めてだった。両親が死んでから、誰かに、他人に、ここまで興味を持つなんて。


 だけれども、その事をアカリの方からは切り出せなかった。

 あまりにも無粋で、失礼だからだ。他人の領域に、興味本位で足を突っ込むなんて。

 次いで言えば、さり気なく聞く、と言うのもアカリには出来なかった。

 ある程度のコミュニケショーン能力は持っていたが、ことプライベートな話題は、彼女の苦手分野なのだ。話すのも、聞くのも。





 ――コウスケは、誰に言われずとも、自分から、自身のことをぽつりぽつりと話し始めた。

 まるで、誰かに聞いて欲しかったと言わんばかりに。

 






 何年か前、コウスケはオーバーラインになった。

 その理由はアカリは未だ知らない。その話は、彼は語らなかった。


 オーバーラインになって、彼は全能感と、高揚感、そして変化した己への困惑を覚えた。

 そして、勢いあまり――切っ掛けは、彼自身もうろ覚えだそうだが――地区の自警団を、殺めてしまった。

 ヘイトレッドに入らない理由は、そこにあると言う。


「多分、足は着かないよ。もう大分前のことで、目撃者もいなかった筈だ。だけど」

「だけど?」

「仮にも地区を守る自警団を殺した、こんな俺が、その上位機関のヘイトレッドに入っていい筈、ないだろ……」


 コウスケは寂しげにそう語った。

 アカリには何も言えなかった。

 人を殺す。あまりにも日常過ぎるその言葉は、だけど、重い。

 宙に浮かぶ雲より軽いここの生命を奪ったコウスケは、けれどその重圧で、縫い付けられた様に地べたに縛り付けられていた。

 罪悪感は抱かなかったと言う。抱かなかった自分に恐怖したと言う。


「偉そうに何かを語っても、所詮は汚い人殺しさ」


 その瞳は暗黒に満ちていた。アカリはその目をじっと見ていた。




 そして、彼の妹、名をユウナと言うらしい――その存在が、コウスケが『外』に出ない、出れない理由だった。

 ユウナは昔から体が弱く、何年か前から寝たきり状態。呼吸器系に問題を抱えていると言う。そんな彼女を連れて、『検問』はとても突破出来ない。

 今のユウナは言葉を発することさえ難しいと、コウスケは言った。


「病院は……」

「もう、とっくの昔に匙を投げられたよ。なんだったら、早いとこ死なせたほうがあいつの為だ、なんて言われたりさ」

「そんな」

「社会的にも、あいつは死んだことになっているだろうさ。もう大分、表に出ていない」

「……」

「だけど俺は、死なせたくない」


 ぞっとする程、冷たい声だった。アカリは目を逸らさなかった。


「死なせは、しない。生きている、生きているんだ。だけど、俺の選択は正しいのか? ホントは、ユウナは死にたいんじゃないか? でも、俺は生きていてほしい。俺は、ただ苦しませているだけなんじゃないか? 自己満足に浸っているだけなんじゃないか? あいつは何も言わない。言えない。俺には分からない。だから、俺は繰り返すしかない。ヒトを殺して、金を盗って、あいつの命を保って、来るかどうかも分からない、ユウナの体が良くなる日を、待つしかないんだ」


 そこでアカリは、オーバーラインは涙を流せるのだと、初めて知った。



 彼は矛盾の塊なんだ、アカリは薄ぼんやりとそう思った。


 かつてした罪の後ろめたさをどこかで感じて、大手を振って地区を守る機関に入ることを拒んでいる。

 しかし病気の妹、その命を保つ薬代を稼ぐため、汚い仕事、ほぼ強盗殺人の様なことを、続けなければならない。

 もっと楽な稼ぎ方もある。コウスケはオーバーラインだ。適当な工場を襲えば、纏まった金が手に入る。

 でも、彼はやらない。お世辞にも、十分な金を彼は持っているとは言えない。けれど、やれない。


「憧れていたんだよな」

「……何に?」

「笑っちゃうような、見返りなく誰も彼も助ける、正義の味方、そんなやつに」


 古いアニメみたいなさ、とお馴染みの自嘲の笑みをコウスケは浮かべた。



(この人は、色々な物を持っている。持ってしまっている)


 強大な力。守るべき存在。罪。かつての憧憬。

 その折り合いを付ける妥協策が、夜毎に行う偽悪の殺しだった。

 アカリはそう判断した。

 何もかもが重すぎる、耐え難い重荷だ。

 それを、コウスケは何年も、孤独に背負い続けているのだ。



 アカリの胸中には、様々な感情が去来した。

 コウスケとその妹への哀れみ。絶望的な世界への、ぼんやりとした怒り。


 そして、形はどうあれ、ぎっしりと中身が詰まっているコウスケへの羨望。


 そう思う自分を、アカリは嫌になった。自己嫌悪。それもまた、長らく抱いていない感情だった。



 二人が出会って一ヶ月。

 コウスケは、アカリに少しずつ、己の事を話した。



 両親は遥か昔に死んでいて、他身内はいないこと。

 かつて、機械整備の職に就いていたこと。今はもう辞めたこと。

 あの銀の腕は、放置してる倉庫を偶然見つけて、そうしてこれは使えると思い、失敬したこと。


 

 まるで乾いた布に水を入れるかの如く、アカリの中にコウスケの過去が滲んでいった。

 




 そうして今、机を挟み、今日も二人は対峙している。




『ゴホッ……ゴホッ! はぁ、はぁ……ゴホッ』



 隣の部屋からユウナの喘ぎが聞こえてくる。

 アカリはカップを両手で持ちながら、コウスケを見た。


 俯いている。表情は、見えない。

 もう何度も、その光景をアカリは見た。

 ユウナが咳き込む度に。喘ぐ度に。

 コウスケはその度に顔を伏す。


 そして、その後。


「……は、はは、ホント、俺、らしくないオーバーライン、なんだろうなぁ」


 コウスケは、くしゃりと顔を歪ませるのだった。

 あるいはもう、涙を流す寸前ではないかと思うほどに。

 ユウナは薬による生命維持の副作用で、人前に出せない見た目になってしまったらしい。

 アカリは、彼女に挨拶もしていない。そもそも、あいつはきちんと認識もできないだろうと、コウスケは言った。

 その代わり、アカリは電子写真を見せてもらった。まだ幼いコウスケと、その時から既に頬がこけていた、どこか己に似ている少女。

 二人は、笑っていた。


 コウスケは今、泣きそうだった。

 

「あいつの苦しそうな咳は、もうずっと聞いてきたのに、なんで、今になって……今まで、誰かに話したことなかったから……なんか、変わったのかな、俺」

「……誰にも?」

「ああ、誰にも、何も言ってない」

「……妹さんは、知らないの? その……色々」

「色々。君は、時々言葉が足りないな」



 ほっとした様に顔を和ませて言うコウスケに、アカリは少し顔を赤くする。

 手にあるカップの熱が、そのまま顔に移った様に感じた。

 

 一ヶ月の間で。

 ――アカリは、コウスケに好意を抱いていた。

 それは肉体的欲情を伴う様な生々しいものではなく、幼子の如く未だ淡いものだった。

 彼女は、こと恋愛の経験はない。元より同年代の異性との接触は少なく、また、生来より、彼女はあまりに他人へ干渉しない人間だった。

 だからこそ、アカリは殆ど唯一と言っていい、心を許していた他人――両親の死に、強いショックを抱いたのだ。


 初々しく、純情な、好意。

 もしくはそれは、命に関わる状況下で知り合ったから起きた、吊り橋効果の様なものなのかも知れない。


 しかし確かに、それは恋心だった。




 コウスケの行いが、百正しくて、間違いは零で、誰もがそれを認めている、なんて考えは、アカリは持っていない。

 所詮は人殺しだ。

 物剥ぎだ。

 何かと理由を付けても、それは変わらない。

 言い訳や事情を並べても、コウスケは間違いなく殺人者なのだ。

 今日だって、僅かに血の臭いが何処からが漂っている。微かにだが、確かに死の臭いが、この部屋にあるのだ。

 コウスケは何も言ってはないが、恐らく己を助けたあの夜の様に、昨晩人を殺め、金目の物を奪ったのだろう。



 だけど、こんなマチガイの塊の様な世界で。

 守るべき者の為に。

 自身の人間性に悩んで。

 まるで前時代のアニメーションの登場人物の様に。

 だけれど孤独に戦う彼の姿は。

 


 空っぱのアカリにとって、どうしようもなく魅力的に見えた。

 役にも立たないまともな倫理観は、アカリにはない。0系列地区を象徴しているように。



(恋、しているの? 私が?)


 何かの冗談だと、アカリは思う。

 空虚な自分が、オーバーラインに恋をする。

 笑ってしまう。笑ってしまいたかった。

 笑えなかった。


 落ち着かない。この家に来て。彼の顔を見て。彼と話をしていると。

 理屈ではなく、本能で。


 鼓動が、高鳴る――


「……ま、言ってないよ。色々。殆ど寝たきりで、意識がはっきりしてないんだ。薬の所為でね。俺の言葉も、どれだけ届いているか……」

「あ……うん」


 また、自己嫌悪。

 妹のユウナは苦しみ、兄のコウスケは夜毎に誰かを殺す。

 そんな中。恋だの何だの言う自分。

 アカリは己を恥じて、少し瞳を下げた。

 カップの中にある薄緑の液体。そこに映る、自身。

 ゆらゆらと揺れる水面に、シャギーが入った髪と、赤に染まる顔が見えた。

 まるで、指摘されているみたいだ。いい加減、認めろよと。

 誤魔化す様に、カップを傾け、ぐいと一呑み。


「あちっ」

「おいおい」




 日が、沈む。

 アカリがコウスケの家に訪れる時、大体は昼に来て、夜に帰る。


 やることは何時も同じだ。

 水が落ちるように、コウスケの口からぽつりと過去が出て、アカリが相槌を打つ。

 その繰り返し。そして、アカリは自宅に帰る。

 別れ際、アカリは来週訪問するか否か、言わない。コウスケも聞かない。

 けれど週末ごと。アカリは会いにいく。コウスケも、受け入れる。

 これもまた、その繰り返し。

 今日も、そうだと、思っていた。お互いに。

 



「思えば、俺は自分のことを話してばっかりで、君のことを全然知らない」


 バッグを持ったアカリにコウスケはそう言った。

 突然言われたその言葉に、アカリはぴたりと動きを止めてしまう。

 コウスケは深い闇の瞳を湛えながら口を開く。



「……今でも、生きていてもしょうがないって……思っているか?」

「……分からない」


 アカリは目を逸らさない。逸らしたくなかった。呑まれそうな程の、深い黒。

 ――いっそ、呑まれてしまいたいと、心奥で密かに思う。

 いや、それは心の奥では止まらなかった。

 溢れてしまう。どうしようもなく。


「だけど、また、次の休みも、ここに来たいって……そう、思ってる」


 ――言ってしまった。だけど、後悔はなかった。


 どちらかが言い出したことではない、自動的に出来た二人の不文律。

 次はどうするか、互いに何も言わない。

 それは、お互いへの気遣いだった。嫌なら来ない。嫌なら家に入れない。

 この終末的な地区で、浅く短い関係性を保つ意味なんて、どれだけあるのだろうか。


 だけど、アカリは、彼女は。もっと、深く、長く。




 これが、アカリの本心だった。

 コウスケの問いへの返答にはなってないような、そんな言葉。

 だけど、本心だ。

 次も。次も。次の休みも。また、コウスケと。




 コウスケは、彼女に近づき、腕を背中に回して正面から彼女の体を抱いた。優しく。包むように。


「っ……」


 アカリは息を呑んだ。ただ、抵抗はしなかった。

 コウスケの厚い胸板に、アカリの顔が埋まる。

 少しだけアカリから体を離し、腕を彼女の腰に絡めたまま、コウスケがアカリの瞳を覗き込んだ。


「俺も、君が良ければ、俺も、俺も会いたい。君のことを、知りたい」



 アカリは何も言わなかった。ただ、こくりと頷いた。

 コウスケの深淵に、女の顔が移った。その女の瞳は潤んでいた。



 電光だけが見守る中、二人の影が、重なった。








『ゴホッ……ゴホッ! はぁ、はぁ……ゴホッ』







「コウスケさん、それ、着けていくの?」

「夜も遅いんだ。一応な、一応」

「だって……その、変だよ、すぐなのに」

「でも、君に何かあったら……これさえあれば、俺は大抵の奴には負けない」



 深夜。アカリとコウスケはアパートのエントランスの前に居た。

 コウスケは、パワードスーツの腕部、あの銀の腕をきっちり両腕に着けている。

 

 アカリは、今までコウスケの家路までの送りを断っていた。

 だけど、今日は。今は。一緒にいたかった。いれるまでは、一緒に。


 しかしコウスケは、何やら重装備だった。たかが十分掛からない道で。オーバーラインが本気の装備だ。

 あまりにも物々しい様子にアカリは笑ってしまう。今までの彼女では考えられない、幸せな笑み。


 微かにアカリは思う。どれくらいの時間、この日々を過ごせるのだろうか、と。

 けれど思い直す。未来は透明で、かつ遠い。可能性は計り知れずに未知数だ。

 いつか、ユウナの体調が良くなり、コウスケが罪悪から解き放たれ、例えばヘイトレッドに加入を許されれば。

 そして、自分がその隣に居られれば。

 それは、己をどれだけ満たすのだろうか。分からない。けれど、アカリは笑う。

 アニメーションの如く都合のいい先を信じて、無垢に笑う。



「ふっ、ふふふ……」

「なんだよ。俺は真剣だぜ」

「ごめんなさい、でも、なんだか笑いたくて」

「おいおい……」


 古い街灯が微かに光る闇の中で、二人の男女は歩んでいた。

 月が見ている。雲も遮れない淡い光が、二人を導く様に照らす。二人はゆっくりと歩く。

 絶望の世界で。狂気の地で。決して何も解決しないけれど。けど、それでも。

 まるで、力を合わせ、手探りながら、深淵から抜け出す様に。未来へ向かう様に。

 真っ直ぐと、二人は歩いてく。







 ――それは、どれだけ稚気な夢なのだろうか。






 

 コウスケが止まった。



 どうしたの、とアカリは言おうとした。

 けれど、言葉に出来なかった。


 丁度二人の正面。道の真ん中で。ぼんやりと、赤い光が見えた。

 影が見えた。人が見えた。女が見えた。

 刃が見えた。赤熱。それは煌めいてた。

 天使が見えた。人形が見えた。殺意が見えた。


 終わりが見えた。


 絶望が見えた。



「離れろっ!」

「コンバット」


 コウスケが叫びながらアカリを突き飛ばすのと。

 滅殺のマリが囁いたのは、殆ど同時だった。




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