エピソードⅧ
ずっと私には必要のないことだと避けてきた。中学の時だって、何とか一人で乗り越えてこれたのだ。
しかし、今回は難しい。高校入ったばかりだから親と先生の関係を強固にすべき為にも、全世帯の両親が参加しなくてはならない。
私の親も、参加しなくてはならない。不可能だというのに。
『三者面談』
私が一番嫌いなビッグイベントだ。
前々からプリントが配布されて、今週行われる三者面談の告知がされていた。
申し訳ありませんが、進路に重要なお話をする為にもお仕事をお休みするなどして都合のつくようにしてください。といった内容だったと記憶している。
けれど、どうせ私の家には関係のないことだと適当にファイルに突っ込んでしまったからどうも曖昧だ。
まあ、曖昧にしろ何にしろ緊急事態は変わらない。どうやって亡くなった両親を連れてこいと言うのだ。
霊能力者を雇って天国から連れてくる? イタコに頼む? そんなことが出来たら私だってすぐにやっているよ。
今まではこんな時一番目の兄に代わりに行ってもらっていたが、今回は出来ない。兄にあんなことをしておいて頼めるはずがない。
チラリと薄くなってしまった指の傷を見た。あの時、私がしてしまったこと兄にされたことを思い出して耳まで熱くしてしまう。
そう、とにかくだ。私はどうにかしなくちゃいけないのだ。この緊急事態を一番目の兄の力を借りずにやり過ごすために。
しかし、そう考えると出てくるのは一人。二番目の兄の姿だった。
兄は去年この学校を卒業したばかりにしろ、既に働いている社会人の一員なのだ。未成年という点でダメと言われてしまうかもしれないが、頼めるのは二番目の兄だけだ。
三番目の兄に頼むとしたら相当の勇気が必要になる。何で俺に頼むんだ、テメェと罵られること間違いなしだ。
それに三番目の兄は現役高校二年生。一つ上なのだ。そんな兄に頼める訳がないし、代償が怖いから頼みたくない。
だから、三者面談があと二日に迫った日の晩御飯の時に二番目の兄にさりげなく聞いた。
「翔兄ぃ。明後日の放課後ってさ、空いてる?」
「なぁに? デートのお誘い? それなら、いつでも空いてるけど。というか、無理矢理でも空けるけど」
「い、いや……そんなんじゃなくて……」
ブンブンと顔を振ると向かいに座る三番目の兄と目が合った。しばし目を合わせた後、チッと舌打ちを打つ。
わ、私が三者面談のことで話したいことに気がついたのだろうか。そういえば、三番目の兄も今週中に行われる予定だ。どうするのだろう。
「と、とにかくっ。予定は入ってないの?」
「ん。勿論」
兄は柔らかい笑顔を浮かべると、パクリ、スプーンをくわえる。二番目の兄は私の右斜め前に座っている……だから、食事中は視線が交差するのは珍しいのに咀嚼をしながらも兄は私を捉えたままだ。
何で見るのだろう。何か変なところがあるのか、と挙動不審に頬を触った。何故か、熱い。
刹那。ブヂュッ……! とウィンナーが断末魔の叫びを上げて、胴体を半分に引き裂かれた。もとい、三番目の兄がフォークでウィンナーを力強く刺した音で、私は目を丸くさせた。
三番目の隣に座る、二番目の兄もまた視線を向けた。けれど、酷く冷淡な目であった。
「……うっせーよ」
低い、三番目の声。反射的にごめんなさいと謝るとすかさず二番目の兄がフォローに入ってくれた。
「別に今のは茉央のせいじゃないよね」
「……は?」
ブヂュッ、ブヂュリ。悲鳴は微かにしか聞こえない程になったというのに、兄のウィンナーへの攻撃は終わらない。心底ウィンナーに生まれなくて良かったと思う。
「えっ、もしかして僕と茉央が楽しそーに会話してて羨ましくなったのー?」
ニヤニヤと私に向ける様な意地の悪い笑顔で三番目の兄をつつく。ああ、ダメだよ。そんなことをしたら。と思うが私の想いは届かない。
「馬鹿だよね。葵も、慧も。僕みたいに正直に生きないとー……嫌われちゃうよ?」
三番目の兄は力強く机を叩いた。激しい机の軋む音に私は反射的に体を縮めるが二番目の兄は微動だにしない。
「何。何の意思表示な訳?」
軽い兄の言葉にはチクチクと鋭い棘が無数に生えていた。恐らく兄のことだから、丁寧に棘の先には毒を塗っているのだろう。
「……俺はお前の愛情表現が嫌いだ」
三番目の兄は激しく椅子を鳴らして立ち上がると、また兄を睨む。
「まだ、葵兄さんの方がましだ」
「止めてくれない? アイツと僕を比較するの。凄くムカつく」
「……」
三番目の兄は何も言わずに食器を持った。しかし、まだ中にはご飯が残っている。
「あ、慧兄ぃ。さげるなら私がやるから大丈夫だよ」
「良い。これは自分の部屋に帰って食うから」
はね除ける様な言い方だが、残さずに全部食べようとしてくれるのは嬉しかった。
「二人っきりにしてくれて、ありがとー」
二番目の兄はチラチラと手を振りながら笑っていた。やはり、いつもの腹にナニかを抱えた笑顔だった。
今更ながら思う。こんな兄に三者面談を頼んで大丈夫なのだろうか。嫌い、じゃないけど二番目の兄なら何かやらかしそうな気がする。
その点、一番目の兄は安心だった。理解できない単語を並べてはくるものの、先生の前ではちゃんと保護者代理をしてくれた。
本当はお兄ちゃんに頼みたかった……なんて、思っていることをバレたら二番目の兄に殺されてしまうだろう。密かに身震い。
その夜は明後日が酷く不安で、睡眠もまちまちにしか取ることは出来なかった。
翌日の朝。ううん、と目を擦って開けた時に違和感に気がついた。私の部屋に誰かいる。擦ってボヤけてはいるが、人のシルエットが感じられる。
私の部屋に兄達が入るはずがない。なんだ、夢か。人に触れたら、簡単に掴めた。夢にしては感触がしっかりしてる。不思議。
頭上から降りてくる「むっ!?」という声が一番目の兄とそっくりで、私の夢のクオリティに驚いた。
いくらお兄ちゃんに話したい事があったからって、夢の中でこんなに精巧に作るなんて、ブラコンじゃないか。私は、絶対にブラコンなんかになったりしないんだから。
ああ、どうして捻くれた事しか考えられないんだろう。本当に伝えたい事があるのに。
今なら。このやけにリアルな夢の中なら言える気がするから。言わないと。
「お兄ちゃ……ぁ。私ね、明日、三者面談あるの。前、お兄ちゃんに迷惑かけて嫌われちゃったから、翔兄ぃに頼もうかと思ったけど。やっぱ、や。お兄ちゃん、来てくれる?」
「私でないと駄目なのか?」
その人は慎重に私に聞く。もう、当たり前なのに。
「お兄ちゃんじゃなきゃダメなの。私が、やなの。お兄ちゃんがわたしのことやなのは知ってるけど、来て欲しいの」
キチンと呂律が回らない中、一番目の兄そっくりのその人に私の思いを言うと妙にスッキリした気分で瞼が軽くなった。
「ふあ、スッキリしたあ……」
その人を掴んでいた手を離して、ベッドの上に投げ出した後、心のつっかえが消えた私は安らかに深いところに落ちていった。
夢なのに、さらに夢をみることなんて出来るんだ。と、曖昧な思考回路の中考えた。
再び寝に入った私は、その一番目の兄そっくりな人が本当に兄で現実だなんて知りもしない。
ましてや、兄が「三者面談、か」と言いながら、穏やかに眠る私の頬に唇を押し付けたことなんて知ることはない。
時計を見ると、短針が七時を過ぎていた。
や、やばいっ。と、飛び起きてボサボサの髪を手で整えながら急いで一階に降りる。
まだ急いで用意すれば間に合う時間だけど、ご飯を作ったり何なりを済ませていない私には時間は殆どない。
居間には既に一番目の兄がいた。新聞を読んでいる。そして、二番目の兄も。少し癖のある髪の毛をくりくり弄りながらテレビを眺めている。
「ご、ごめんなさい……寝坊して朝御飯作れないっ!」
「んー。じゃあ、朝ご飯に茉央を食べるよって言いたいところだけど、そんな時間もなさそうだねぇ」
二番目の兄がテンパる私を察して、少し距離をおく。
「良い。買って食す」
一番目の兄は新聞から目を反らさずに言う。若干兄の横顔が赤らんで見えた。でも、気のせいだ。私が慌ててるから見えるだけ。多分。
何故か分からないけど、その兄の横顔を見てほっと安心した。もしかしたら、昨日の夜変にリアルな兄の夢を見たからかもしれない。
とか、考えている余裕は私にはなくて。
とりあえず、私がご飯を作らないと絶対に怒るこの場にいない三番目の兄の為に以前冷凍保存した、私特製ハンバーグを温める。
もしもこんな日があったら、と念のため冷凍しておいて良かった。
そのハンバーグは三番目の兄の朝ご飯となるはずだ。あと、軽くご飯を詰めてフリカケを乗せたらそれだけでお昼ご飯の用意は終了。
短縮しまくって、頑張り続けた結果その日家を出たのは八時前といつもよりも少し早かった。これなら、ちゃんとした物を作れば良かったと後悔しつつも自転車を漕ぐ足は緩めなかった。
* * *
二番目の兄と、明日の三者面談のことについて話したいからずっと居間で待っていた。しかし、九時を過ぎても兄は帰ってこない。
どうかしたのかと携帯を開くと一通のメールが入っていた。
「う、そでしょ……?」
私は驚愕していた。二番目の兄からのメールがあまりにも有り得ない文面だったから。
『ごめんねぇ。仕事で、明日の三者面談行けなくなっちゃった』
なんとも、軽い。全く悪びれている様子を感じ取れない。
何で、来れると行ったじゃないと罵ることも出来ないから私はただ『そう。お仕事頑張って』と返信をした。
パタンと携帯を畳んでから、さてどうしようかと首を捻った。もう、いっそのこと先生に話すか。そうしよう。
申し訳ありませんが、と言って。しかし、ここで三者面談しなければ進路に深く影響すると担任が言っていたのを思い出した。
ああ、もう。どうすれば良いって言うのよ。
けど、最後に残る手段は見えている。一番目の兄。ごめんなさいと謝って、来てくださいと頼む。当初、それが心から嫌だったはずなのに今は何故か頼んでも大丈夫かもしれないという自信があった。
昨日の夢があったから、だと思う。
ウンウン、居間で唸る私の前を風呂上がりの一番目の兄が調度通りかかった。偶然にしてはあまりにもタイミングが良い。
私はこの奇跡の様なタイミングに心を押され、一番目の兄の背中に向かって言った。
「おっおっ、お兄ちゃんっ!」
「……何だ」
兄の頭髪はまだ濡れていて、小さな水滴が頬を伝って落ちた。
「あの、こないだのこと、謝りたくって……」
「む?」
兄の頭上にハテナマークが見える。
「あの、私がお兄ちゃんの写真立てを割った……」
「ああ。あの話は既に終わっただろうが。両方が悪かったと謝ったと記憶しているぞ」
夢と同じような兄の優しい笑顔に胸がきゅうっと、熱くなる。良かった、兄が兄で。お兄ちゃんが碧お兄ちゃんで。
「そっ、か……良かった」
「他に何か言うことはないのか?」
なら、自室に帰るぞと髪の毛をわしゃわしゃ乾かしながら言う兄の服の裾を引いた。怖い訳じゃない、けど顔をあげられないから目線は下のままだった。
「……あります」
兄の視線が私のどこを動いているのか分からないこの状況にとても緊張する。
「お兄ちゃん……私の三者面談に付き合って下さい」
ゴクリ、喉の鳴る音が聞こえた。でも、自分のものなのかどうかも分からない位に私は一つしか考えられなかった。
目線の先は僅かに震えて、兄の返事を待っていた。
そして、兄の口から優しい穏やかな笑い声が聞こえてきた。目線を上げると、柔らかい表情の兄がいた。
「当たり前だろう。私が行かないとダメなのであろうが」
兄の笑顔にナゼか胸が熱くなった。