導入部再考④
白ゆり学園の最寄り駅の南神山駅から火碌線、藍羽田駅方面の電車に乗って10分ほどで八蛇駅に到着する。八蛇駅を降りるとすぐ、下町風の活気ある八蛇商店街の通りに出る。八蛇商店街を10分ほど歩いた西側の外れには閑散とした住宅地があり、そこには特徴的な青い家がたっている。青い家から東側の方の道に進み、2つ目のT字路の小路を進んでいくと少し広い道に出る。その道を5分ほど歩くと寂れたアンティークショップみたいな外観のお店が見えてくる、そこがりんりん堂だ。
「毎回思うけど、りんりん堂って変な場所にあるよね」
「圧倒的穴場です」
「てか17時10分だぜ、約束の時間に遅れてるけど大丈夫なのか?」
「マスターは心の広い人だから10分ぐらい気にしないと思う」
約束の時間に少し遅れてりんりん堂に着いた3人は、黒い蝶の飾りがついた古風な雰囲気の扉を開ける。すると、ふわりと漂ってくるのは、スカスカと頭が冴えるようでいてなだめるかのような心落ち着く不思議な香り。毎回、ショップの扉を開けると決まってお香の匂いが漂ってくるのだが、今日の香りはペパーミントの香りであった。
オカルト関連のグッズにはまるで興味がない桃子だが、お香の匂いも含めて店の雰囲気は初めて中学生の時に環に連れられてきた時から案外気に入っていた。薄明かりのこじんまりとした店内にびっしりと展示されているのは何に使うのか想像するのが難しい相も変わらず奇妙な品の数々。中には河童のミイラと書かれたそれっぽいものや全長30cmの巨大ベトナムムカデの標本、顔の部分だけをくり抜いたと思われる不気味なかつて等身大のメイド美少女フィギュアだったものなどなど奇天烈なものもある。
「等身大の美少女フィギュアって顔の所くり抜くだけでこんなに気味が悪いものになるのかよ。 ま、ともかく、毎度のことだが俺には悪趣味なところだぜ……」
琉瑠人は不気味なものに耐性があまりなく、少々顔を青くする。
「んー、いないな。 ますたーっ! 畔村環ですーっ! 遅れてしまってすみませーんっ!」
「おおーぅ、きたきた」
環の大きな声に反応して店の奥から声が返ってきた。その数秒後に店の奥から顔をだしたのは、無精ひげをだらしなく伸ばした少しこわもてに見える長髪の男、彼は花柄の健康サンダルを履き、背中に大きなウロボロスの刺繍が施された甚平を着ている。
「やぁ環ちゃん、桃子ちゃんと琉瑠人君も、こんばんは。 みんなが来るのを心待ちにしてたんだよー、ほんとによく来てくれたね」
そう言って嬉しそうに3人に近づき、歓迎ムードで出迎える彼がりんりん堂の店主、輪積太一である。輪積とともに彼の愛猫、黒猫のサムも店の奥から姿を現し3人を出迎える。
「さて早速だけど、僕のお店を手伝いに来てくれたサービスとして、最近修得した新しい英国式交通安全のおまじないを君達にかけてあげよう」
「おー、それはまた楽しみなっ!」
輪積は突然レジのカウンターからごそごそと掌に収まるか収まらないかぐらいのサイズの黒いドクロを3つ取り出してカウンターの上にあげた。
「は? 何言ってんだこのおっさんは、不吉なドクロを取り出して交通安全だって? 呪い殺すの間違いじゃないのか?」
「呪い殺すだなんてとんでもない。 これはれっきとした交通安全のおまじないのはず……あれ? でも、待てよ、こっちは交通事故の呪いの方だったっけ? いや、やっぱりこっちが交通安全でよかったはずだ」
「不吉な予感しかしないんだが。 そういうわけのわからん悪趣味なのは環と桃子にだけやってくれ……俺はパスで」
「あ、わたしも遠慮しとく……」
「いつでも、かもーん!」
受け入れ態勢ばっちりの環とは対照的に桃子と琉瑠人は輪積の怪しすぎるおまじないに危機感を募らせ、拒絶をはっきりと示す。
「あ、ごめん、もう始めちゃった……途中で中断すると交通事故の呪いに変わるらしいけどいい? 実際、呪いの効力の方もおまじないと同じく効果絶大みたいで、交通事故とは限らず飛行機事故、水没事故、山道での転落事故とか色々と事例があるようだよ」
3つ目の黒いドクロの上に3本目の白い蝋燭を立て終えた輪積は、少しの茶目っ気を含めてそう言う。
「おおぅ、私にも後で教えてマスターっ」
「ま、じ、か……」
「勘弁してくれよ、マジで。 一体なんなんだ、ちゃったってなんなんだ、どういうことだそれは、あんたはなんなんだ」
オカルト好きの環はともかくとして、桃子と琉瑠人は輪積の話を信じたくはないが割とそういう類の話は気にしてしまう方で思いのほか大きなショックを受けた。特に琉瑠人は神経質にぶつぶつと独り言のような文句を数十秒言って悲嘆に暮れていたが、結局、交通安全のおまじないを続行することにした。桃子も同様である。
輪積はしばらく目を閉じて呪文のような言葉をお経のようにぶつくさ唱えていたが、突然気合を入れて奇妙な咆哮を発する。
「るぁぁあぇいっ!」
琉瑠人は輪積の咆哮に必要以上にびくりとした。
「よし、おっけー。 これで君達の交通安全は僕が保証しよう」
「もう勝手にしてくれ」
おまじないを最後まで終えた3人はバイトの店番と掃除を開始する。
「前々から気になってたんだけど、輪積のおっさん」
「おっさんて、僕、まだ24歳なんだけど」
「え? いや、冗談は流しておいて」
「ひどいなぁー」
「実際この店って客は俺達、ってか環以外に来るもんなのか?」
「3日に1人くればいいほうだね」
「それ店って呼べるか疑わしいレベルだろ、よく今まで潰れなかったな」
「ま、趣味でやってるお店だしね。 別に儲からなくていいんだ、本業は別にあるし」
「じゃ、客なんてこねぇんだから店番なんてする必要ねぇだろ」
「ひどいなぁー、でも確かにそう、だな……じゃあ琉瑠人君には地下の倉庫の方を整理してもらおうかな」
「大したこともしないのに金だけもらうのは俺のポリシーに反するし、任せとけよ」
「じゃあお願いね」
琉瑠人は輪積に頼まれて地下倉庫へ続く階段を下りていった。桃子と環は店内をほうきやはたきで掃除する。
「ところでさー、輪積って本業なにやってるの?」
店内をほうきで掃きながらなんとなく桃子は輪積に尋ねる。
「いっつもため口呼び捨てだよね、桃子ちゃんは。 ま、琉瑠人君も似たようなもんだし、別にいいけどさ……本業は前にも聞かれたけど秘密だよ」
「なんか輪積には申し訳ないけど、まともな本業してなさそう」
「あ、それは私もずっと思ってた」
「君達は、3人ともほんとに失礼な高校生達だ」
そんなやり取りを時折挟めて2時間が経った。店内にあるゴシック調の大きい古時計の音が午後7時を知らせるとともにバイトの時間は終了する。環が琉瑠人を呼びに行く。
「思いのほか倉庫が広いし、どこにおいていいのかよくわからん変なものもたくさん置いてあって今日じゃ終わらなかった、すまん」
「まぁ明日もあるし」
「まぁそうだな」
「じゃ3人とも今日はありがとう、また明日夕方5時からお願いね」
3人は了解の返事をしてりんりん堂を去る。
翌日、火曜日の放課後、いつものように学校を終えた3人は今日も予定通りにりんりん堂に来た。今日のお香の香りは甘ったるいバニラの香りであった。
「じゃあ、今日もお願いね」
「あいあいさっ」
「任せとけ」
「がんばるぞー」
昨日、店内の掃除は2人がかりだったので、今日は環が一人で店内の方を軽めに掃除して、倉庫整理を桃子と琉瑠人で行う。中々重い品物もあって倉庫整理の方は一苦労した様子だが、バイト終了の7時までには無事に終わった。輪積は終始満足そうにしていたが、3人の仕事ぶりを見てというより、3人が店に来てくれていることに満足している様子であった。
「とても助かったよ、ありがとう。 じゃこれお金ね」
「ありがとうございますっ、ますたーっ!」
「また今度、寂しくなった時にでもお願いするね」
「寂しいからバイト頼んだんかいっ」
最後に挨拶を済ませて3人は店を去ろうとする、しかし、ここで輪積が呼び止める。
「あ、ちょっと待って。 最後に一つ、大人の僕から君達に伝えておきたいことがある」
3人は急に改まり、いつもとは様子の異なる輪積に少しの不可解さを抱く。
「最近、ユーフォリアは物騒みたいで行方不明者が多発しているみたいなんだよ。 危険な場所、人気がなさそうな場所、人目につかない場所には近づかないことだ、特に廃工場地帯とかはね」
輪積の言葉に3人はそれぞれ別のことを考える。
桃子は、輪積はオカルトショップをやるぐらいなのだから、環と同じような考え方をすると思っていたが、今の忠告で割とまともなことも言う人なのかと少し彼の印象が変わった。
「意外とまともなことも言えるんだ、輪積」
琉瑠人は、輪積の言葉に疑念を抱く。
「行方不明者、が多発だって……?」
なぜなら琉瑠人はユーフォリアのニュースを中学生の頃からほぼ毎日欠かさずチェックしているが行方不明者など多発しているどころか一件だって聞いた記憶がないからだ。
「俺はその手には乗らないけどな」
琉瑠人は単に輪積が自分達を脅かそうとして適当なでまかせを言っているのだと思った。
環はというと内心ギクッとしたが、華麗に猫をかぶる。
「あっはっはっはー、そんなところ行くわけないじゃないですかマスターっ」
「環ちゃん、君が一番行きそうなんだよ」
環は忠告を受けてもそこにオカルトの噂があるのなら、勿論危険な場所、人気がなさそうな場所、人目につかない場所にバリバリ近づくつもりだ。
「あ、環が暴走しそうになったらわたしが止めるから大丈夫だぜ、輪積」
「桃子ちゃんがいれば安心できる……というわけでもなさそうだけど、誰も止める人がいないよりはマシか」
「おい」
「ま、僕からは以上だ。 お店のお手伝いはまた今度機会があったらおねがいね」
3人は挨拶を済ませ、りんりん堂を後にする。
3人が去って数時間後のりんりん堂店内、鋭い目つきで売り物の護符を眺めるにやけた長髪の男、先ほどの物腰が和らかな輪積とはまるで雰囲気が異なっている。そして、彼の肩の上には黄色い目の1匹の黒猫である。
「我が主、まさか貴方ともあろう方がタリスマンをあの子供らに付与した時は驚きました」
「別に焼きが回ったわけじゃないさ。 単なる気まぐれだ、暇つぶしにはちょうどいい。 特異な時代に生まれ出る珍しいものには、少しでも長く触れていたいと思うものだ、そうは思わないか? なぁ、サム」
輪積が話している相手は誰でもない、人語を話す黒猫サムである。
「はぁ。 というと、あの子供らに肩入れなさるおつもりですか?」
「さぁな」
サムの問いかけに対し、輪積は不敵な笑みを浮かべる。サムは輪積のはっきりしない態度に何も言わず、しばらく彼の真意を探るかのように彼の横顔をじっと見つめる。
「確かに、すぐに終わってしまっては惜しいと思う気持ちがあるのも本当だ。 しかし、どうだかな。 期待はしている。 もしかしたら、僕がまだ見ぬ可能性を見せてくれるかもしれないから」
「まさか、あの娘は力を持たない。 単なる人間の小娘に過ぎませんよ?」
「君にはそう見えるか。 しかし案外、人間が辿る運命の力というものは奇妙なものでね。 中々侮ってはいけないものなのさ。 魔法生物の君には解しがたいだろうね」
少々得意げに輪積は人間についてサムに語る。
「そういうものですか」
「ああ。 ところでサム、僕がどう動くのか気になるかい?」
「ええ、それは勿論」
「ふ……おそらくだが、君にも動いてもらう機会も出てくるだろう」
「命とあらばいつでも、我が主」
「まぁいずれにせよ、もうじきユーフォリアの裏側で幕が開ける。 すでに彼女らは渦の中、久方ぶりに愉しみだ……」
午前0時、ゴシック調の大きい古時計の音が店内に鳴り響いた。