導入部再考①
いつとも知れぬ時、ここはどこかの建造物の中にあると思われる広く薄暗い空間。辺りには夥しい数の蝋燭、時折、その先で灯火が揺らめく。まるで時が止まっているかのような静謐の中、何かの儀式の最中なのだろうか。中央の床に血腥い赤色で巨大な魔方陣が描かれており、その上に珍しいオレンジ色の美しい瞳をした一人の少年が佇んでいる。少年の周囲には大人、子供、老人と、人種も年齢も服装もバラバラな7人の男女が、彼を中心に円を描くような形で立っている。一見、少年の周囲にいる7人に共通点はないようにみえる。しかし、よく見ると皆真剣かつ尋常ならざる面持ちで魔方陣の上の少年を警戒して一定の距離を保って睨みつけている。
「こうやって、僕らが8人で集まるのはいつぶりだろうね」
「ルイス、貴様、何のつもりだ?」
オレンジ色の瞳をした少年が言葉を切った矢継ぎ早に、神父の格好をした若い男が刃物のような鋭さを孕んだ一声を少年に投げかける。それを皮切りにして周囲の者もそれぞれの思いを言葉にして口にする。
「どうしちゃったんだよ、ルイス!? 君がしようとしている選択はこの世界だけでなく全ての世界に破滅をもたらす、それがわからないわけじゃないだろう!?」
「気が狂れたか、ルガリア」
「稀代の魔術師、ルイス=ル=ルガリアも堕ちたものだ」
「かつてありとあらゆる世界、この世界だけでなく異世界までの知識や魔術を窮め、共に人類に旧くから貢献し続けてきた我が旧友ルイス……残念でなりません」
「ルイス……もう、遅いぞ、逃げられない。 こうなってしまっては手遅れだ」
オレンジ色の瞳をした少年の名は、ルイス=ル=ルガリア。7人の殺気と侮蔑の視線、そして言葉が集中する中央で、虚ろな薄ら笑いを浮かべながら底が見えない真っ暗な天井を見上げている。
しばらくしてルイスは目をおもむろに閉じた後、ゆっくりと顔を下におろす。再び彼が目を開いたとき、彼のオレンジ色の瞳に映っていたのは、険しい顔をして彼の方を見つめる漆黒の長い髪を持つ少女、ロウ=アルト=ミシュアの姿であった。
「わかってるさ、ロウ。 みんな、少しロウと話をさせてもらえないか? 決して時間を稼ごうだなんて思っちゃいない、口頭で魔術を使おうだなんて野暮なことも考えていないから安心しておくれよ」
7人とは対照的に随分と落ち着いた様子のルイスの言葉に、その場の誰一人として微動だにせず、言葉を発しない。ほんの少しでもルイス以外の誰かが動いたら、まるで何もかも、現在の均衡を成り立たせているありとあらゆることの全てが崩れ、壊れてしまうかのような、そんな気さえするほどこの場の空気は張りつめている。だが、平静の中にいるルイスは、そんなことはお構いなしに取るに足らない日常会話でも楽しむかのようにロウに話しかける。
「僕は思っていた。 人生も、運命も、この世界すら、等しくドブに流れる澱みたいなものだって。 生も死も全く不可解だ。 これだけ長い間、ただひたすらに真理に通じる道と真理こそが僕にとっての真価であり、また真の意味であると思い、魔道の道を探究してきたわけだが……全く、他愛のないものさ。 案の定、わかったことはなんてことないことだった。 ふふ、一体個々の人間が辿る生と死のパターンにどれほどの意味や価値があるというのだろうね? 生と死が存在することの真の意味や真価は? 僕が辿り着いた答えは、等しく無価値、等しく無意味という結論だった。 これは呪いだと思わないか? 生と死、生きて死ぬということは呪いなんだ。 誰がかけたのか、何がかけたのかはわからない、人の身なら永遠に解けることのない不可解な呪い。 生と死を繰り返し、繰り返し、繰り返す、その螺旋の中に存在しているという呪い。 だけど、その答えにたどり着き、絶望した時のことだ。 僕には光が見えた。 その光は僕の眼に、僕がかつて見たことのある何よりも……そう、それはとてつもなく歪んだものに映って見えた」
ルイスは左手を掲げ、左手の甲に刻まれている不気味な紅色の燐光を放つ髑髏蛾の刺青を一同に見せつけた。
「歪んだ光とは今この左手に埋め込まれている代物……これさ、君達がここに僕を殺しに来た理由でもある」
ルイスの言動と行動に7人の表情がより一層険しくなる。今にも垂れ流しに放たれているこの場の殺気がルイスに襲い掛かり、彼を殺してしまいそうで、この状況はまさに一触即発の中にあった。
「これは僕にとっての希望だった、歪な形の希望。 これを完成させたとき、僕は人に、僕自身にかつてない価値と意味を感じた。 試してみたいと思った。 この世界に生まれ落ちたのはもう随分と大昔の話だけど、なんだか今までで一番純粋な気持ちになれた気がするよ。 人の可能性を……いや、僕自身の可能性を試してみたい、ただ純粋にそう思った。 人の身でありながらこの不可解な因果を通り抜けることは可能だろうか? もし可能なら、その先に何が待つのかってね……」
ルイスは物思いにふけるような表情で顔を下に俯き気味にして、まるで独り言でも呟いているかの様だ。
「この左手に刻まれた術式の発動によって、僕はやがて術式そのものと同化していき、ありとあらゆる世界に破滅をもたらし続ける呪い、この呪いそのものと一つになるはずだったんだ。 察しの通り、最初に”僕に喰われる”のはこの世界のはずだった。 恐怖がなかったのかと聞かれれば、僕も葛藤にとらわれた取るに足らない人間だったということだろう。 この恐ろしい術式を発動させるかどうかでずっと迷っていた……そしたらロウ、君に気付かれてタイムオーバーというわけだ。 今僕を取り囲んでいるのは、かつての友たち。 そして、おそらくはこの世界で史上最高峰と思われる7人の魔女や魔法使い達だ」
ルイスは楽しそうでいて、悲しそうな顔で自嘲気味に笑う。
「あははは。 全く、僕はこれだけ人でありながら人の道を大きく外れる可能性を探求し続け、異端の道を辿って来たというのに。 最後の結末はどこにでもありふれているような呆気ないものになってしまったものだ。 運命に裏切られたのは、僕の……いや、あるいは偶然か。 全くつまらない人生、運命だった。 けれども不思議と清々しい気分だよ、この術式を試さずにすんでほっとしているのかもわからない。 生と死ってのは本当に不可解なものだね」
ルイスの姿は、達観ともつかず、諦観ともつかず、誰よりも満ち足りているかのような幸福な人間の姿にも見えるし、誰よりも悲しんで絶望しているかのような不幸な人間の姿にも見える。やがて、ルイスは微笑みを浮かべたまま、言葉を発しなくなり、長い長い沈黙がしばらく続いた。
「話すことは以上か、ルイス?」
「あぁ……ごめんよ、聞いてくれてありがとう」
笑顔を保ったまま、彼の目からは一筋の涙が零れ落ちた。
「さて、話は終わった。 遺言を聞いてくれてありがとう。 好奇心に支配され、君達を裏切ることになってしまったといえども持つべきものは友達だね」
7人はルイスがいかなる動きをとったとしても対応できるように身構える。しかし、そんな7人の姿を目にしてルイスはまた笑う。
「はは、心配しなくても抵抗する気も毛頭ないよ。 僕はもう完全に諦めてる、君達相手じゃ逃げるのはもう無理だからね。 交渉の余地もないことは最初からわかってる。 いっその事、この左手の呪いごと好きなように殺してくれ」
「罪な男だ」
「ルイス、君が道を誤ってしまったことに気付けなかったことが悔しくてならない……」
「はじめるぞ」
7人のうちの一人、神父の格好をした若い男ギィがそう言って呪文のようなものを詠唱し始め、他の者もそれに続けて詠唱を始めていく。
最後まで躊躇していた様子のロウが詠唱を始めるとともに、この場に膨大なエネルギーが密集しはじめ、やがて7人の中央、ルイスの真上に大きな輪と輪を繋いだような∞の形をした炎を形成した。
「かつての友よ、そして世界よ……然様なら、永遠にっ」
ルイスが別れの言葉を告げ終えた瞬間、大きな∞の形をした炎はちょうど真下、ルイス目掛けて墜落した。ルイスの全身は∞の形をした炎に包みこまれ、その灼熱の中で灼かれる。人肉が焼け、むせ返るような異臭が辺りに立ち込める。その苦痛の中にいながらルイスは声一つ上げず、身じろぎ一つしない。
「ダメだ……私にはやっぱりできない」
10数秒ほど経った頃だろうか、突然、炎は消えてしまった。ロウが吐露した想いとともに詠唱をやめてしまったからだ。
「どういうつもりだ、ロウッ!?」
ロウに対してギィが怒気を含んだ声で憤る。
「済まない、ルイスを、見逃してやってくれないか……」
ロウは切実な表情でしおらしくその場の者達に請う。
「バカな! まさかありとあらゆる世界に破滅をもたらす要素を生かしておくつもりか!? できるわけがないッ! こいつのやろうとした選択がどれほど狂っているものかわからないわけじゃあるまい! それとも貴様までルイスの歪な気にあてられたとでもいうのか!?」
怒り狂うギィ。
「待ってくれ、ギィ。 争いや対立ごとは僕達が最も望まない選択のはずだ」
その場にいる着物と袴を着ている少女、クロエが怒り狂うギィをなだめるように会話に割って入る。
「そういえばロウ、君とルイスは僕たちの中では特別仲が良かったね。 ルイスを死なせたくはない君の気持ちはわからなくはないよ。 だけどルイスを、この呪いを生かしておくことがどれだけ危険なことなのか、それはこの場の誰もが知っている紛れもない事実だ。 残念だが、一刻も早く僕もルイスを魂ごと葬り去るべきだと思う」
正しいことを言っているクロエに返す言葉が見つからず思い詰めた様子で沈黙するロウ。
「うーん、でも……ま、私も、迷いはしたけど。 命まで取ることはないんじゃないかって思ってたけどねぇ」
追い詰められるロウを救ったのは腰のまがった老婆、キティである。キティはルイスを殺す必要はないと思っているらしく、その思いをその場の者達に伝える。
「なんだと!? キティ、貴様まで何を言いだす!?」
「こら、ギィ、年寄りに汚い言葉を吐くでない。 ちなみに、まだしゃべってない3人の意見を聞かせてみてはくれないかい? どっちみち、ロウちゃんが同意しなければ完全にルイス坊やを殺すことはできないからねぇ」
キティの言葉に、それまで無言だった者達が口を開く。
「ルイスは今までの功績が尋常じゃなく大きいから、それに免じて命まではとらなくてもいいと私も思う。 彼には個人的に色々世話にもなった」
スーツを着てひげを生やした貫録のある中年男、リアムは低い声で話す。
「私も命まで取らなくてもいいと思います」
眼鏡をかけた知的な美女、ミミは泳いだ目で自身なさそうに話す。
「リアム……キティ、ミミ、貴様らは、貴様らは本気で言っているのかッ!?」
「ギィ、本当はあなたにとってもルイスは特別で大切な存在のはずだったのでは? あなたがルイスに憧れていたのを私は」
ミミが目を泳がせながらギィにそう言いかけた。
「黙れッ! 黙れよッ! そんなことは今は関係ない!」
ギィはミミの言葉が癇に障り、凄まじい怒りをあらわにする。誰よりも純粋に人間の真価と真の意味を追い求めるルイスの姿にギィは憧れを抱いていた。真に尊敬に値し、憧れの対象であり、友であったルイスに裏切られたギィの絶望は、ロウに知らせを受けてこの場に来た時からずっとやり場のない怒りに取って代わっていたのである。その想いが、ミミの言葉で噴きだしたようだ。
「十分関係あることです、あなたの動揺を見れば、その、えっと、わかります……」
「うるさい! ロウ、キティ、ミミ、リアム、貴様らはみすみす世界の破滅因子を完全に排除できる可能性を見逃すとほざいておるのだぞ! 私情がどうのこうのと言っていられるはずがない!」
「おいおい、少し落ち着けよギィ。 誰も破滅因子である呪いを見逃すなんて言っちゃいないぞ」
まだ幼く見える小さな男児のマルクが激情に駆られているギィの言葉を指摘する。
「だが、左手の呪いはルイスの魂と完全に同化しているだろう!? もはやこれは奴の魂ごと散り散りにして葬り去るしか呪いを消し去ることはできまい!」
「うーん、魔力を使っている神経器官を全て引き抜いた後、無限大に広がる異次元の空間に落とし込んで封印するのは? スポットを開いて、スポットとスポットの狭間の最下層とかに封印すれば間違いなく呪いの脅威事態は無効化できるはずだよ。 ほぼ殺すのと同義だし、正直このまま魂ごと消し去るよりむごいことかもしれないけど。 かつてこの世界の文明を正しく導くのに共に貢献してきた旧友を自らの手で殺してしまうよりは幾分かはマシな選択な気がする」
マルクは淡々と自分の意見をギィだけではなくその場の一同に向けて述べる。
「このまま7人が同意して詠唱を唱え続ければ、この場で完全に破滅因子の可能性を終わらせることができるというのに……むざむざそのような選択をするというのか!?」
「ギィ、この場で禍いの可能性の元凶である呪いをルイスごと完全に絶ってしまいたいという君の気持ちは正常で正しい物だし、私情を排して正しい選択を遂行しようとする君は尊敬に値すると私は思う。 だけど私には、正しさだけでこの問題を片付けるにはルイス=ル=ルガリアという私達の友はあまりに大きな存在過ぎた……」
ギィとクロエ以外の5人はロウの言葉に共感するところがあるようだ。
「甘い、甘すぎる……!」
ギィは怒りと失望の中で強く拳を握りしめる。
「もういい、貴様らの認識の甘さはよくわかった! 付き合い切れない、封印は7人いなくても可能だろう、勝手にするがいい! 俺は消える!」
ギィはルイスと6人に背を向け、その場を去ろうとする。しかし、数歩進んだところでギィは振り返った。
「ただ、消える前に一つ言わせてもらう! 封印によって効力自体は無効化できるだろう、しかし呪いの可能性まではなくなりはしない、それがわかっているよな!? よく覚えておくことだ、どのような結末を招いたとしてもその結果の責任は常に自分にあるということを!」
「ああ、わかってるよ。 ギィ、ありがとう」
「ふんっ」
ギィは言いたいことを言うといつの間にかその場からいなくなっていた。
ギィが去った後、6人で話し合いが行われ、ロウがルイスを封印する儀式を執り行い、5人がサポートする形となった。最初は、完全にルイスの魂ごと呪いを消し去ることに賛成だったクロエは、一人だけではどうしようもないので結局ルイスを封印するという案に協力してくれることになった。
儀式が始まる、先ほどの炎で死にかけているルイスの身体から呪いを発動させるための力を使う神経回路が全て引き抜かれる。これによって全身は不随状態となり、脳や思考は完全に凍結される。
「ギィは心配していたけど、実質これはほとんどルイスを殺すようなものだ」
6人がルイスに別れの言葉を告げているとき、まだルイスには意識があった。神経回路を抜かれ、これから無限大に広がる異空間の奈落に堕とされてしまうという状況にもかかわらず、ルイスはなぜか完全に諦めたはずの自身の人生と運命、そして可能性に、不可解さとともに自分の存在をはるかに超えた新しい希望のようなものを感じていた。
「これでもう、会うことも……然様なら、ルイス、永遠に」
ついに神経回路が全て抜かれて、無限大に広がる異空間にルイスの身体は落とされ、彼は奈落へと堕ちていく。
まだほんの少しだけ残っている、やがてすぐに尽きる霞のごとき思考のエネルギーが、途切れかける彼の意識の中に自然と言葉を形成する。
不可解な因果の中 生と死
また呪われたギニョルがとぐろを巻いて
渦
穢れを食んで 闇を追い
独白
merciless
連鎖する
微睡みが地べたを
merciless
連鎖する
この叫びが聞こえるか?
merciless
連鎖する
荒唐無稽な螺旋の
彼方を見つめた あの向こう側に手を伸ばし
真偽の紅 地平線 命は埋もれ
冥
穢れと混じり 闇は這う
独白
merciless
連鎖する
虚空に吊られ 裂けた胸部
merciless
連鎖する
爆ぜる音 鼓動の音 哭く
merciless
連鎖する
荒唐無稽な螺旋の
独り 誰もいない この場所で
確かな不確かさ 取り残された永遠と ここに
独白
merciless
連鎖する
荒唐無稽な螺旋の
下卑ている 誰しもが皆
終点なく流れていく
人生も運命も
ドブ川の澱みたいなもので
だけど だけど 螺旋の 螺旋の 螺旋の彼方
歪な光 一筋の……
苦しみが 悲しみが 喜びが 虚無が 嘆きが 絶望が 恐怖が 戸惑いが 後悔が
寂寞が 驚きが 幸福が 苛立ちが 憎しみが 充足が 怨嗟が 慈悲が
何もかもが平等で 何もかもが不平等なこの正しい世界で
何もかもが自由で 何もかもが不自由なこの狂った世界で
善悪の狭間に揺れる
それでもただ 少しでいい
僕は 爛れ切った僕は
『人の葛藤を愛したい』と
純粋で力強く、それでいて清らかな魂に刻み付ける、この愚かしき思いの丈を。
君は自身の人生を、たどる運命を。そしてその結末を、不可解なその因果を、果たして愛することができるだろうか?
最後に、答えを知らずに求めること、それは人の純粋な姿で、僕は人のもっとも汚く美しい姿であると思う。
全てに然様ならを。
”あんりみてっど。どぅーむ”
親愛なる彼の者に我が紅き刺青を捧ぐ。
いつの日か、どこかで、我が可能性が花開くその時を夢見て。
~ルイス=ル=ルガリア~
オレンジ色の美しい瞳から光は消えていき、彼の意識は完全に途切れた。