導入部再考②
○○県、旧神山市で大規模なバイオ研究の都市再開発計画が始まってからはや5年が経った、西暦2020年の5月8日のこと。ここはバイオ研究のために都市全体を一新した新しい神山市、新神山バイオ技術研究都市、通称”ユーフォリア”のほんの一角である。学校やオフィスが多い白ゆり区の一番大きな駅、南神山駅周辺にて。現在の時刻は8時8分。
制服を着ている学生やスーツ姿のリーマン、OLが犇めき合う。
耳を立てずとも聞こえる、ごくごくありふれた雑多な音。目の前に広がるのは慌ただしい光景、である。
そんな中、この辺りじゃそれなりに名門の中高一貫校、神山白ゆり学園の制服を着た女子高校生が南神山駅の入り口正面から歩いて出てくる。
黒髪おかっぱ風、髪型のせいかやや童顔に見えるその白ゆりの女子高生は、一見すると地味で目立たない。顔を近くでよくみれば特徴的な八重歯に愛らしい目、美形の少女であることがわかるのだが、そこまで近づくものはほとんどいない。充血気味で常にカッと見開かれている目の下には、濃くて不吉なクマが浮かび、パクパクと上下する生気の薄い口唇からは、ジークンドーがどうのこうのという独り言がぶつぶつとつぶやかれる。どこからともなく滲み出る近寄りがたい負のオーラ、何とも言えない異常な雰囲気を醸しだしている。近くですれ違う通行人の中にはギョッとした表情をして避ける者もいるほどに。そんな彼女の名前は鬼丸桃子。
「おはよう、桃子っ!」
不意の大声に桃子はびくりと反応した。
桃子にいつものように馬鹿でかい声でおはようの挨拶をしてきたのは同じ白ゆりの制服を着た女子高生、畔村環。華奢な体躯、前髪が完全に目にかかり、さらに黒縁のメガネをかけているオタクっぽい少女。そんな外見からは想像がつかないほど大声で挨拶をしてくるのが彼女の特徴的なところである。
桃子はいつものように少しうるさそうな顔をしてやや元気なく環に挨拶を返す。
「うげ、相変わらず声でかっ。 おはよう、たまき」
徹夜で大好きなカンフー映画をハイテンションで見ていたため、疲労していて頭痛気味の桃子の頭に環の大声は少々堪える。
「元気がないぞよっ! 今日も放課後の部活動があるんだから授業中はしっかりと睡眠を取っておいてね!」
環はそう言って眠気覚ましのつもりで桃子の猫背をバシンと叩いた。
「痛だっ!」
眠気が一瞬吹き飛ぶ。しかし、しばらくすると眠気は復活してくる。痛みは中々消えないというのに、桃子は涙目になりながらそう思った。
「ふぁ、不謹慎だけど今日もいつものパターンかぁ。 はぁーあ。 毎日、眠気に勝てないせいで全然授業についていけないよぉ、このままじゃ初の中間だっていうのに赤点ががが」
あくびをして、ヒリヒリする背中を右手で撫でながら、桃子はため息まじりに首をうな垂れ、肩をがくりと落とす。
「なんだそんなこと心配してたの?」
「む、そんなことって! いっつも成績優秀な、ついでに言わせてもらうと地味でオタクな外見の割に運動神経抜群で級長もそつなくこなす環にはこの憂鬱な気持ちはわかるまいっ!」
少し誇らしげな顔で桃子はきっぱり言い切った。
「わからないが?」
「ぐぬぬ」
まるでそんなことは当たり前だというような環の反応が桃子は少し口惜しい。
「まぁでも、中間期末のことなら安心して」
「え?」
「私に任せておきなさいっ、赤点コースに乗っかっちゃってる憂鬱な幼馴染みに救いの手を差し伸べてあげよう」
「ほんとっ!?」
「もちもち、だからしっかり睡眠をとって”うろぼろす部”の活動に専念してね!」
「おーけー、おーけー、イエスマンっ!」
「じゃ、今日も放課後は一旦部室に! その後、廃工場地帯に忍び込む計画を立てるから!」
「え……廃工場地帯?」
「うん」
「マジ?」
「うん」
「あそこの辺り、ユーフォリアの立入禁止区域に指定されてるし、変な噂こそ聞いたことないけど、不気味な感じのするとこだからあんまり行きたくないんだけどなぁ」
「人が近づかなさそうだから探索のしがいがあっていいんじゃない」
「そうは言ってもあそこ立入禁止区域だし」
「だからそこが秘密がありそうでいいのっ」
2人が話しながら校門の前まで来たところでちょうど学校のチャイムが鳴る。
「あ、私、級長の仕事あるから早めに行かないとだっ。 じゃ、さっきも言ったけど放課後よろしくっ、アデュー!」
校門の前まで来ると級長をしている環はHRの準備があるらしく走っていってしまった。
「あ、アデュー……」
桃子も気怠い体を引きずりながら3階まで階段を上り、遅れないように教室に行く。
いつものように席に着き、HRが始まり、睡魔とともに今日月曜日の時間割で、授業を過ごす。
そして放課後。今日の授業も快眠を貪り、すっかりクマが消えた桃子がユーフォリアオカルト研究サークル、通称うろぼろす部の部室に入ると部員は一人を除いて3人が集まっていた。