結晶の船・クリスターナ
結晶の船・クリスターナ
あたしを、起こしたのはいつのものようにキアラだった。
彼女は、優しく歌うような声であたしの目を覚まさせる。
「おはよう、クリスターナ」
「おはよう、キム。でも、いつも言っているでしょう、あたしのことはクリスって呼んでって……」
いつもと同じあたしの答えに、キムことキアラは、これまもまたいつもと同じように、困ったような表情を浮かべる。
「クリスターナ、いつも言っているでしょう?」
「あなたは、テレパスで話をしている。もしかすると、無意識にあたしのファースト・ネームを他の人に対しても使ってしまうかも知れない」
「そうよ。あなたの声は、私以外の誰にも聞こえないから、あなたが私のことをキムと呼んでも、何の問題もないけど……」
不便なものだ。毎度のことながら、あたしは小さくため息を吐いた。
精神感応会話と呼ばれるテレパスは、自分の考えを直接個人や、不特定多数の人に伝えることができる。でもそれは、音声を使った普通の会話に比べて、余りにもストレートに思っていることを伝えてしまう。
キムほど自分の考えを整理して、用心深く相手に伝える術を学んだテレパシストでも、何かの拍子に親し気な言葉を使ってしまうことはある。なまじ、正確に相手に伝わるテレパスだけに、知られたくない言葉を日頃から使うことは、なるべくしない方がいい。
もちろん、そんなことはわかっている。わかっていても、あたしはキムに自分のことはクリスと呼んで欲しい。
それは、自分のことを理解してくれる、唯一の人間に対する、あたしの最大の親しみの表現なのだ。だからあたしは、わかっていながら、毎回のようにキムを困らせるところから、二人の会話を始める。
「それで、今日は何の用なの?」
毎回のように繰り返される、不毛な会話を早々に切り上げるために、あたしは話題を変えた。これは、目覚めたあたしの機嫌がいい証拠だった。
それを感じて、キムの表情が少し柔らかくなった。彼女を困らせることは、決してあたしの本意ではない。でも、どうしても困らせてしまう結果になるのは、言わばあたしの性癖みたいなものだ。
それに付き合わされる彼女にとっては、実に面倒なことだとは思うし、反省もしている。けど、こればかりはどうにもならない。
「感じない?」
キムには珍しく、説明を省く口調であたしに尋ね返した。
あたしは、改めて自分の体内の動きに耳を済ませた。
「どこかへ出かけるつもりね、動力が入っているわ」
あたしの答えに、いささか呆れたような口調でキムは言った。
「自分のことなのに、そんなに感じないものなの?」
「感じようと思わなければ、どうでもいいことよ。だって、あたしの体はあたしの自由にはならない。動かすのは、あなた方ですもの」
あたしの言葉は、少なからずキムを傷付けたようだ。
彼女の沈黙が、あたしには辛かった。比較的気分の良かったあたしは、今回は素直に謝った。
「ごめんなさい、そういうつもりじゃ……」
「わかっているわ。私の方こそ、言葉が足りなかった……」
優しい。この、キアラ・デニスという女性は、本当に人を思いやる、優しい心根の人だ。こういう人が、自分を扱う人達に混じっていてくれるということは、本当にうれしいことだった。
あたしは、再び話題を変えることにした。
「張り切っているわね、ブラット艦長。どう、今回の休みの間に何か進展があった?」
この問いは、たちまちキムの感情に反応した。
「意地悪ね、私の気持ちを知っているクセに!」
「それを言うなら、艦長の気持ちを知っていながら、あなたはどうなの?」
あたし、つまり結晶装甲艦クリスターナを操るラット・ブラット艦長が、艦隊司令の副官を勤めるキムことキアラ・デニスに惚の字のことは、恐らく艦隊で知らない者はいないはずだ。
そして、彼が言わば連戦連敗。このキムにフラれ続けていることも、まさに公然の秘密となっていた。
艦長は、海賊艦隊の頭領もしていた荒くれ男で、その厳つい顔と大柄な体格は、彼の性格が外見を裏切らないことを証明していた。でも、こと女性問題になると、彼の見てくれは、完全に見かけ倒しになるようだった。
どうやら今回の休みの間も、彼はキムをデートに誘うことには、成功しなかったようだ。もちろん、あたしはキムが彼の誘いに応じない理由を知っていた。知っていて、あえてその意地悪な質問をしてみたのだ。
「いい人よ、彼は。でも私は……」
「若き総司令官、アマド・カルキがいいって言うのね」
表情は変えないまま、心の中を赤く染めるこのテレパシストを見ながら、あたしはため息を吐いた。
彼女の直接の上司、アマドはあたしにとっても特別の存在だった。
もともと、彼らグラン・フォースと名乗る連中を倒すために、あたしは特別に建造されたはずだった。ところが、先手を取ったのはゲリラ集団のグラン・フォースだった。彼らは、あたしを建造した銀河連邦軍の軍事要塞を破壊するために、あろうことかそこで建造されたばかりのあたしを、乗っ取ってしまったのだ。
最新鋭の、それも特別仕立ての船を乗っ取られた上、その試運転で、最前線の軍事基地を壊滅させられた連邦軍の面子は大いに潰れてしまった。この時に、あたしの乗っ取りと要塞の破壊を指揮したのが、若き連邦地理学院の学士員、アマドだった。
そして、彼がその計画に必要だと指名したのが、このキアラだった。
キアラは、他のテレパシストと同じく、鉱脈の奥深くで危険な採掘の仕事をさせれていた。他人の心を読むこともできるテレパシストは、ここタスクでも不当な扱いを受けていた。もっとも、その扱いも、他の連邦星域に比べれば、はるかにマシだったけど。
「やめときなさい、あの男はダメよ!」
あたしは一方的に決め付けた。
それに対して、キアラは心を閉ざして答えた。
「いいわ、この話はここまでにしましょう。それで、今度は何をするの?」
出航準備までの短い時間で、あたしはゲリラ艦隊総司令の副官から、今回の出航の理由を知ることができた。
船自身であるあたしは、もちろん船内に入力された情報から、どこに行くのかとか、どれだけの人や物が積み込まれたかを知ることはできる。でも、それが、結局なんのために、どうやって行なわれるのか、あたしを操る人、最終的にはすべてを計画した人の考えを知らなくては、理解することはできなかった。
しょせん、あたしは人の意のままに動く船に過ぎない。例えや比喩ではなくて、ここにこうしてあたしの心があることを知っているのは、いま目の前にいる、キアラ・デニスだけだと思う。
あたし自身、彼女を知るまでは自分に心があるなんて、思いもしなかったし、まさか人と話ができるなんて考えもしなかった。なぜ、あたしだけにそんなことができるのか?他の船にはできないないのか?今のところ、あたしにはわからない。
ただ、あたしが特別だということ。変位相クリスタルという、特別な結晶体で装甲が作られていることが原因じゃないかとは、自分でも思っている。
変位相クリスタルの原石というのは、銀河全体を見渡しても、産出量が極めて少ない、珍しい鉱石なんだそうだ。しかも、その加工技術がめちゃくちゃ特殊なために、船一隻分の装甲に使うためには少なくとも数十年という年月が必要らしい。
その鉱石自身に、どうやらあたしの心のかけらのようなものが、宿っていたみたい。それらを、精製し加工して規則正しく並べて張り合わせた時に、たぶん偶然にあたしという意識が生まれたんだと思う。
そのせいだろうけど、あたしに石だったという自覚はない。初めて意識を持った時から、あたしはクリスターナという船だった。だからあたしは、自分のことを船だとしか思っていない。
でも、あたしにはほとんど、自分自身である船を動かすことはできない。駆動のための動力系や、操縦のための回路。それらを操作して、あたしの体を動かすのは、人間だけに可能なことだった。
生まれた時から、あたしは自分では動くこともできない、一人ぼっちだった。いや、一人ぼっちのはずだった。そして、誰にも自分がいることを知られることなく、いつかはどういう形にしろ、スクラップとして砕かれてしまうはずだった。
それが、話のできる人間。テレパシストのキムと出会った時から、少し変わった。少なくとも、あたしは別の誰かにここにいることを知ってもらえたのだ。それだけでも、大変なことだった。
ところが、今回キムから聞いた話は、それだけでは終わらないかも知れないことを、あたしに予感させた。
「あたしに、姉妹ができた!?」
「ということなのよ。連邦軍は、あなたと同じ変位クリスタル装甲の、高速戦艦を完成させたらしいの」
「でもそれは……」
あたしは、不覚にもキムの言葉に狼狽えていた。
自分に兄弟か姉妹、少なくとも同じ仲間がいる。これは、驚きだった。
「そう、変位相クリスタルは産出量が少ない上に、加工技術を持つ者がこれまた極めて少ない。その数少ない職人は、アマド司令があなたを奪った時に、ついでに救出して、二度と連邦に協力しないことを約束して、故郷に帰ったわ」
そうなのだ、あたしの元である変位相クリスタルを加工する職人は、こぞってこの貴重な鉱物を軍事利用することに反対して、むりやり作業させた連邦と軍のやり方に反発していたのだ。そんなことで、あたしが反連邦のグラン・フォースに奪われると、ついでに連邦軍からも連れ去ってもらって、二度と変位相クリスタルを軍事利用しないことを条件に、解放してもらったのだ。
彼らは誇り高い職人で、仮に権力で脅迫したとしても、そう簡単に協力するはずがなかった。しかも、絶対的な数の不足と、原料の不足はいかな銀河連邦をもってしても、補いようがないはずだった。
「それが、どうして?」
「どうやら、人工の変位相クリスタルを開発したみたいね」
「人工の?」
あたしの気持ちは、複雑だった。
自分の仲間が生まれたことは、素直に嬉しい。でもそれが、人工のものとなると、果して手放しで喜んでいいものかどうか……。
「ともかく連邦軍は、あなたを上回る規模と性能を、高らかに宣伝しているわ」
あたしの胸に当然の、嫌な予感が芽生えた。
それがわかっているのか、キムの表情も冴えなかった。
「そう、目的はあなた、つまりクリスターナの撃破よ」
あたしは、何も答えられなかった。
せっかく、この世で初めての仲間が生まれたと思ったら、それは自分を破壊することが目的とは。つくづく、ツイてない人生だ。
「それで、その物騒な兄弟だか姉妹だかの名前は?」
「銀色の貴婦人、シルビアーナよ」
こうして、あたしは彼女の名前を知った。知ったからどうなるのか、自分でもまったくわからなかったけど。
慌ただしい出航準備が終わって、あたしはタスクの星域を後にした。
この辺で、あたしを使うグラン・フォースとタスク高原と呼ばれる星域、それに銀河連邦の関係を整理した方がいいのかも知れない。
タスク高原というのは、辺境銀河星域で特殊な鉱石が採れることで知られる、いくつもの小さな恒星と惑星が入り交じった星域の総称。銀河中央部から見ると、真ん中が盛り上がった台形のように見えるので、高原なんて言葉が付いたみたい。
どうやら、大昔に二つ以上の恒星系が何万年もかけて、衝突して行った成れの果てらしい。その時の衝撃と特殊な融合が、この場所の惑星や衛星に、銀河でも珍しい鉱石をたくさん作り出すことになったみたい。
とにかく、いくつもあるここの太陽は小さすぎて、自分の力では惑星を公転させることもできない。そんな小さな太陽達は、寄り添うようにいくつかが集まると、お互いの力を使って不規則な回転を繰り返しながら、輝いている。
その不規則な太陽達の回転に振り回されて、惑星と衛星は、これもまたてんでバラバラの軌道を描いて動き回っていた。それが、狭い場所にひしめいている。ここで生活する者でも、自分の居場所に迷うことは当り前、うっかりすると遭難すら珍しいことじゃない。
こんなことだから、つい最近まで正確な地図すらないような状態だった。
それでも、ここが銀河連邦の直轄星域になっているのは、さっきも言ったみたいに、ここで採れる貴重な鉱物資源のせいだった。その中には、極めて少ない変位相クリスタルも含まれていた。だから、あたしもここで作られたのね。
銀河連邦は、長い間ここの資源を独占していたみたい。だけど、こんな場所だから、まともな人間が生活するのは、容易なことじゃなかった。
あまりに開発する人手が足りないので、連邦は最初ここを流刑地にして、犯罪者達に開発をやらせていたくらいだった。でも、ここの希少鉱物は、うまく発見すれば莫大な財産を生み出したのね。
一攫千金を夢みて、あるいは、銀河文明の社会からこぼれ落ちて、色々な理由で様々な人達が銀河中から集まって来た。そして、長い長い時間をかけて、街を作り社会を作り上げて行った。
途中まで、銀河連邦は彼らの街作りを積極的に支援した。鉱物資源の開発には、ある程度整った組織がどうしても必要だったから。
でも、それが国と呼べる単位まで成長することは許さなかった。この星域の収入は、銀河連邦の貴重な財源だったから。別の組織が、それを支配することは許せなかったのね。
最初は穏やかに、連邦に自治を認めてもらおうとした人々に対して、連邦は武力弾圧という形で応えた。完全に、この場所を連邦だけの鉱物採集地にしておきたいというのが、その理由だったみたい。
長い時間をかけて、もちろん考えられないような犠牲も払って、この場所に根付いた人達にとって、それは連邦の手酷い裏切りにしか見えなかったのだと思う。
自治を求める人々は、グラン・フォースという武装組織を作り、銀河連邦の武力に対抗した。もちろん、正面からの戦いでは勝負にならなかったけど、この場所が大軍で制圧することが不可能な環境だということが、グラン・フォースには有利に働いたのね。
皮肉なことに、争っていながらも、連邦はここでしか採れない希少鉱物がどうしても必要だった。グラン・フォースも、ここでの生活を維持するためには、連邦に資源を買ってもらう必要があった。
もちろん、闇ルートで莫大な利益を上げることは可能だったけど、連邦もバカじゃないから、それはこの星系の外で厳しく取り締まったわ。その封鎖網を撃ち破って闇取り引き、つまり密輸をする連中が即ち海賊と呼ばれる人達だった。
そして、これも当然なんだけど、この海賊達はグラン・フォースにとって、もっとも貴重な戦力だった。あたしのことを可愛娘チャンと呼ぶ、この船の艦長もそんな海賊の頭領の一人だった。
そんなこんなで、タスク高原は奇妙な膠着状態に入ってしまった。表面上は自治と独立を巡って、連邦と抗争しているはずなんだけど、実際には連邦と取り引きしている関係で、大規模な武力衝突は発生しない。
もちろん、連邦も過激な人ばかりじゃないから、この間になんとかこの星域の安定を計ろうと、色々と活動もしていた。それが、連邦側の必要以上の武力介入を抑えてもいたらしい。
当然、そういう人達には、裏からグラン・フォースの援助や、働きかけがあるのも事実だった。グラン・フォースでも、武力による連邦からの完全独立ではなく、緩やかな自治権の確立を目指そうという人達も大勢いた。奇妙な膠着状態は、その人達に工作や運動の時間を与える結果になったのね。
ところが、この安定が一気に崩れる事態が起こった。
連邦の過激なグループと、連邦軍の一部が協力して、とんでもない船を建造することに成功したの。それがあたし、クリスターナだった。
あらゆる光線やエネルギー波を透過屈折させて、外へと弾き出してしまう変位相結晶板で全身を覆うという発想は、独創的だったけど、不可能なはずだった。理由は、さっきも言ったみたいに、この原料となる結晶石が、致命的に少なかったから。
あたしの全身を覆う、半透明の薄緑に輝く結晶板は、単に攻撃を跳ね返すだけでなく、独特の結晶振動で次元駆動力を発生させる。だからあたしには、他の船のように次元駆動力の発振口という、お尻の穴ような無粋なものは付いてない。
自分で言うのもなんだけど、クリスタル・グリーンに輝くあたしが暗黒の宇宙空間に浮かぶ姿は、なかなかのものだと思う。
しかも、あたしは瞬間的に、あらゆる方向へ駆動力を切り替えることができた。ほとんどの船の最高出力は、次元跳躍航法を別にすれば、限りなく光速に近づくことで競っている。でも、それはあくまでも前進加速に関してだけで、方向転換のためには、どうしても減速しなくてはならない。
あたしは、ほぼ最高出力・光速の九十九・九九七パーセントで、あらゆる方向への転身ができる。こんな船は、この銀河系であたし以外には有り得ない。
問題だったのは、この船、つまりあたしを建造するための特殊な原料と、その原料を加工する特殊技術者が存在する場所。何しろ、どちらもタスク高原からは切り離せない。このことに、計画の推進者の一部が、不安を口にしなかった訳じゃなかったみたい。
どう考えても、自分の家の庭先で、自分を攻撃する最強の兵器を作られているのに、指を喰わえて見ているとは思えないもの。実に、もっともな不安だったと思う。
タスク高原の入口に、連邦が海賊退治と武力弾圧の拠点として築き上げた、小惑星を改造した大きな要塞基地があったわ。彼らは、結局それを利用することにしたのね。
そこに原料と技術者達を集めると、艦隊まで持ち出して、厳重な警備を敷くことにしたの。ややこしいタスク高原の内部ならともかく、広い宇宙空間なら、武力に優る連邦軍がグラン・フォースに負けるはずはないと、考えたのね。それは、当然のことでしょう。
でも結局、連邦軍はあたしを奪われた上に、要塞基地まで破壊されてしまった。失敗の原因は、色々あったのだと思う。
ただ、少なくともあたしが素直にグラン・フォース、と言うよりアマド率いるブラット艦長達に乗っ取られたのは、連邦軍の技術職人に対する態度があったことは確かね。
どうも、あたしを作ることを計画した連邦の軍人達は、辺境銀河の住人を人間だとを思っていなかったみたい。だから、その集め方も力づくで徴用した挙げ句、ロクに休みも自由も与えずに、ひたすら完成を急がせるというものだった。
まったくのところ、完成に近付くに連れて、完全な意識を持ち始めたあたしから見ても、連邦兵士達の技術職人達への態度は酷いものだった。生まれた時には、あたしは連邦嫌いになっていた。
だから、技術職人の手引で、まんまとあたしに乗り込むことに成功したアマド達を、あたしはむしろ歓迎したわ。しかも、それはより以上の喜びを、あたしにもたらしてくれた。
作戦を指揮したアマドの副官、キアラという娘と、あたしはテレパスで話をすることができた。生涯一人ぼっちを覚悟していたあたしにとって、これは驚き以上の喜びだったわ。
その若い司令官が今回もまた、あたしに乗り込んで来た。
「まったく、連邦も暇だね。こんな、くだらない作戦のために、わざわざ手間と暇と金をかけて、変な船を作るんだから。ご苦労様だ」
彼があたしのブリッジに入って、初めて口にしたのはそんな嫌味な言葉だった。
「クリスターナの姉妹艦をぶつけて来るのが、そんなにくだらない作戦ですか?」
この若くて、人に対する口の効き方を知らない青年の言葉を受けとめて、柔らかく翻訳するのがキアラ副官の役目の一つになっていった。
もし彼女以外の誰かが、こいつと真面目に話したら、たちまちケンカになること請け合いね。なにしろ、グラン・フォースの艦隊乗組員は、ほとんどが荒くれの海賊上がりばかりだもの。まじめに、地図作りの学士員の長い説明なんか、聞いてられる訳なんかないじゃない。
それを、キムが丁寧な受け答えで、分かりやすく説明し直してくれる。彼女無しでは、この青年は一日として艦隊指揮なんか、やっていられないはずだわ。
「いいかい。この船の結晶外板は純正だ。純正の結晶外板は、数十年経たなければ手に入らない。ということは、今度の船の外板は紛い物だ」
「確かに、人工外板だと情報が入っています」
キアラは当然、言われなくてもアマドの考えを知ることができる。それをあえて口に出して確認しているのは、周りにいる艦長を始めとする乗組員に聞かせるためだった。
「ということは、この結晶構造の完全な解明がなされていない以上、それはエネルギー波の透過屈折反射効果が、本物以上には期待できないということですか?」
青年司令官の頭脳には、全幅の信頼を置いている艦長も、その言葉を理解することはそうとう難しいみたい。今回も、厳つい顔に不安な表情を覗かせて尋ねた。
艦長の態度は腰の低いものだったけど、若い司令官の顔には、露骨に軽蔑の色が浮かんでいたわ。
「何でも、新しく開発されたエネルギー反射物質を、結晶の下に敷いているそうです。それが、半透明の結晶を通して銀白色に輝いて見えることから、銀の貴婦人、シルビアーナと……」
司令官の不快な感情を知って、キアラは彼の興味を別の方へと誘導した。
その効果は、すぐに現われた。彼女の言葉に、生白い青年は鼻で笑った。彼の軽蔑が、連邦軍の方へと向きを変えたのだ。
「銀の貴婦人?はんッ!それこそが、付け焼き刃の証拠じゃないか。本物と同じ効果が得られないから、別のもので補充する。あいつらは、自分で作っておきながら、この船の本質をまるで理解していないんだ」
「この船の本質?絶対防御と、高速移動ですか?」
体格だけでも、自分の三倍はあるだろう艦長を横目で見て、満足気にアマドは頷いてた。
さっきの軽蔑の色は、もうどこかに消えていた。彼のこの態度や感情の変化の大きさも、嫌われる理由だとあたしは思う。
「そう。対ゲリラ戦のような特殊な用途を除けば、この船は一隻ではほとんど無力だ。でも、艦隊指揮艦として最高なんだ」
キアラ以外の、ブリッジの乗組員達は顔を見合わせた。
彼らは、絶対防御と高速機動性を誇るあたしが、ほとんど無力だなんて思っていなかったみたい。
あたしとしても、不満だったわ。さすがに若い司令官も説明の必要を感じたのか、先を続けた。
「考えてみろ、艦隊を指揮する船は、別に攻撃力に優れている必要はないだろう。要は、敵の攻撃を避けて、味方の艦隊をまとめるために縦横無尽に動けること、それが最大の必要条件だ」
確かに、一理あるわね。あたしは思った。
でも、他の乗組員達にとって、これはそうとう意外な意見みたいだっみたい。彼らにとって、指揮官船、即ち艦隊旗艦とは、最も強力で巨大な戦艦というイメージがあったのかな。
「でも、シルビアーナも絶対防御を誇っています」
ブリッジ全体の雰囲気を察して、キアラはあえて司令官に逆らうように言った。
アマドはムッとした顔で彼女を見たけど、仕方がないという表情で口を開いた。
「かも知れない。だが、この船の装甲を破ることを目的としている以上、強力な火力を搭載していることは間違いない」
「クリスタルの透過率を無効にする、特殊な装置と、この船の二倍以上の火力を有しているとのことです」
たった今、司令官に反論めいたことを口にしたキアラは、実に正確に彼の言葉を裏付けてみせた。彼の予想が事実であることを証明するのも、彼女の重要な仕事になっていたみたい。
その返事に、アマドは当然のように頷いて、ブリッジを見回した。
「そんな装置や火力に、結晶装甲が使えると思うか?」
この瞬間、ようやくブリッジの半分の人間が、アマドの考えを理解した。
艦長は、それが彼のクセである、低い口笛を吹いた。あんまり、品のいい音色でないので、あたしは嫌いなんだけど……。
「攻撃する時には、防御が手薄になるか!」
「でも、それは、この船も同じです」
「だから、この船の武装は必要最小限でしかないんだ。小さくて、出力も小さい。絶対防御と、高速機動性を誇っているんだ、攻撃するなら、接近して一撃離脱。これ以上効果的な攻撃があるか?逆に言えば、この船の武装は、そこを狙われても被害が少なくなるための配慮なのさ。どうやら、そのシルビアーナとやらを設計したのは、この船とは違う人物か、グループなんだろうな」
頷くようにキムが応えた。
「この船の設計主任は、商船の設計部門へ回されたとのことです」
「左遷か、バカなことを。船が奪われたのは、設計者のミスじゃないだろうに」
そう言うと、生白い青年司令官はプイと横を向いた。
その横顔を、深い同情の視線でキアラが見つめている。この若い男は、自分のために見ず知らずの他人が傷付くことに、どうやら必要以上の嫌悪を感じているらしい。そのことに、彼女は痛ましさを感じると同時に、尊敬の思いも抱くみたいだった。
あたしに言わせれば、図々しくも連邦にケンカを売っている立場にいるのに、ずいぶん軟弱なんだと思う。でも、キムにとっては違うみたい。まったく、世話の焼ける娘よね。
あたしが、自分の中に蓄えられたシルビアーナの記録を覗こうとした時、ブラット艦長がアマド司令に尋ねた。
「それで、今回の作戦は?」
「作戦なんてものは、ない」
また例によって、若い学士員の人を喰ったようなセリフが飛び出した。
さすがに、この程度ではブリッジの乗組員は慌てない。ゆっくりと、艦長が改めて聞き直した。
「と、言われましても……」
微かに、でも確かに肩をすくめると、この生意気な青年は顔をみんなの方に向けた。
「彼らの狙いは、このクリスターナだ。だとしたら、このクリスターナを、艦隊から切り放す」
「切り放す?」
艦長を始め、ほとんどの人が驚いたように口を揃えた。
「そう、この船が単独行動を取れば、それを目的のみに作られたシルビアーナとやらは、当然これを追跡するはずだ」
「そりゃ、そうですが……」
わかったようなわからないような感じで、艦長は口ごもった。
「ブラット。君は、敵の一隻が艦隊を離れたとして、全艦隊でそれを追いかけるかい?」
「まさか!そんなことをしたら……」
「そう、残りの艦隊に狙い撃ちだ。敵もそこまでバカじゃない」
と言われても、まだブリッジには理解できないと言う空気が流れていた。もちろん、あたしにも、良くわからなかった。
「この船が離脱すれば、当然、シルビアーナがそれを追う。それなりに、強力な防御力や攻撃力を備えているだろう、未知の新造戦艦がいなければ、敵の艦隊はごく普通の艦隊だ。しかも、彼らの任務はクリスターナの撃破であって、艦隊決戦じゃない」
なるほど、あたしは理解した。
最初から艦隊同士が戦うことを目的として出て来るなら、それなりに作戦なり、敵を欺く罠なりがあるはずだ。ところが、今回の敵の目的は、あたしの破壊。つまり、艦隊はそのオマケに過ぎない。
ということは、あたしを無視して、単純な艦隊決戦を仕掛ければ……。
「敵の兵力は、こちらのざっと二倍。今までで、一番少ない数じゃないか?」
そうなのだ。これまで、兵力においては常に、敵はこちらの数倍、場合によっては十数倍で攻めて来た。それをこちらは、アマドの指揮によるゲリラ戦で撃退していた。
「勝つ必要はない。負けなければいいんだ」
それが、アマドの戦術の基本だった。
そして、これまでそれは確実に成功していた。
「しかし……」
それでも、ブラットは喰い下がった。たぶん、納得できないのだと思う。
「能力からも、戦闘経験からも、ブラット艦長。君と、このクリスターナが、一対一で、シルビアーナに負けるとは思えない。一対一なら、君にも自信があるだろう?」
どっちかと言えば、と言うより明らかに、直情傾向の艦長は艦隊の指揮には向いていなかった。特に、アマドを知ってからは、彼はそれを思い知らされたみたいだった。
逆に海賊の頭領をやっていただけあって、船と船との戦いには、絶対の自信を持っていた。以前、彼はあたしを使って、三倍以上の火力を持つ戦艦を安々と沈めてみせた。
この時、キアラが気付いたように口を挟んだ。
「艦長でもってことは、司令はここで指揮を執られないのですか?」
この言葉には、ブリッジの全員が息を飲んだ。
「そう。今回に関して、この船の全権はブラット艦長に任せる。僕は、第二旗艦のガリアナで指揮を執る」
「そんなァ!」
声を発したのは、この船の射撃手だった。
「そうです!この船は我々のシンボルです。あなたが、この船で指揮を執って以来、我々は負け知らずです!!」
普段はアマドの態度に不満を隠そうとしない通信士まで、熱心にそう言ったのには、あたしも少し驚いた。
「そう思うだろうなァ、敵も……」
ところがこの人、どこまでも人を小バカにしたような態度を変えないのよね。まったく、こんな言い方をされたなら、場合が場合じゃなかったら、誰でも絶対に腹が立つと思う。
ただ、さすがにこの時には、そういうことを思った人はいなかったみたい。
「えッ!?」
キアラ以外の全員は、アマドの言葉の意味が解らずに、お互いに顔を見合わせていた。
「つまり、僕は必ずクリスターナにいる。この船を沈めることは、僕を倒すことに他ならない。それが、敵がこのくだらない作戦を考え出した、基本じゃないのかな」
珍しく司令官がちゃんと説明したので、言い直す必要の無かった副官は、持っていたファイルでそっと表情を隠していた。
その顔が微かに笑っていることを、あたしは見逃していない。
「僕がいない艦隊など、取るに足らない。そう思ってくれれば、しめたものだ。艦隊決戦で、こっちはそうとう有利になる。後は、この船が敵の紛い物を撃破してくれれば、この戦闘は終わりだ」
見事だ。あたしは、呟いていた。
あたしを倒すためだけに作られた船と、そのためだけの作戦。ならば、その船が沈んでしまえば、作戦は失敗。敵は戦闘の目的を失ってしまう。
確かに、その通りだ。悔しいけど、いくら嫌いでも、この青年がキムの尊敬に値する頭の持ち主だということだけは、あたしも認めるしかない。
「じゃ、後は頼む。あくまでも、僕がこの船にいると見せかけるために、キアラを置いておく。キアラ、頼むよ!」
「はいッ!」
あーあ、見ちゃいられない!頼むよって言われただけで、なんて嬉しそうな顔をするんだろうこの娘は……。
あたしは、一人でため息を吐いていた。
「キアラ……副官をですか?」
また、射撃手が尋ねた。まったく、あんたの頭はどこに付いているんだ!?さすがに、あたしもイライラして来た。
「副官殿が、ガリアナにいる司令の命令をテレパスで聞く。そして、それをいつものように、この船から全艦に伝える。敵は、最後まで司令はクリスターナに有りと信じるだろうな」
さすがに艦長は、アマドの考えを理解していた。
それ以外の乗組員は、みんな変な顔でお互いを見つめ合っていた。
「つまり、本当の艦隊指揮はガリアナで行ないながら、命令の発信だけをこのクリスターナで行なう。君達は、銀の貴婦人ことシルビアーナの撃破に専念して欲しい」
このアマドの言葉に、一番ホッとしたのは艦長だったみたい。
彼は、艦隊の指揮と船の指揮をどうやって区別したものかと、本気で悩んでいたらしい。よく考えれば、別に彼が悩む必要はないことに気が付くと思うんだけど。
「キアラ、僕の命令の中継、できるね?」
「もちろんです!」
またしても、嬉しさを隠しながら、しかし隠しようもなく彼女は答えた。
だいたい、あたしの中にあっても、いつもアマドの命令はキアラを仲介して行なわれている。というのも、余りにもこの学士員司令官の言葉は、省略や飛躍が多くて、要領を得ないからだった。
例えば、こんな調子。
「右、ちょい前。左、ちょい後ろ。真ん中、ぐるっと回って、あっち!」
何が、ちょいちょいよ!看板屋が看板を立てているんじゃないんだから、これで何隻もの船が同時に動けたら、それは奇跡というものよ。
副官のキアラ・デニスは、こんな暗号みたいな命令を、例えばこんな具合いに言い替えて全艦に伝える。
「右翼艦隊微速前進、左翼艦隊微速後退、中央艦隊転進して敵側面へ!」
これでやっと、艦隊はまともな行動ができるという訳。
もっとも、こういう自分の欠点に気が付いているからこそ、ほとんどの人が気味悪がるテレパシストの彼女を、副官に置いているのだと思う。あたしが見たところ、それ以外にキアラを身近に置く理由は、彼の方にはないみたいだった。
彼女にとってそれは悲しいことでしょうけど、あたしとしては喜ばしいことね。どう見ても、この青年はキムにふさわしくはないもの。
いよいよとなったら、キアラとの判断で中継を断念することなど、細かい打ち合せを済ませると、アマドはさっさとあたしから出て行った。
あたしとしては、せいせいしたと言いたいところだけど、他の乗組員と同じように、彼がいないということに不安を感じないではいられなかった。何だかんだ言っても、こと戦闘指揮に関する限り、彼がここにいるだけで安心できるということを、あたしも否定できなかった。
しばらくして、第二旗艦のガリアナから初めてテスト用の命令が、キアラに届いた。その言葉を伝えようとして、彼女は一瞬絶句した。
「どうした?何か問題でも?」
不安がる艦長達に、彼女は目を閉じて、なるべく事務的にヘッド・フォンを通じて、全艦隊に司令官の言葉を伝えた。
「これより、今回の作戦を『クリスターナにアマドはいるに違いない作戦』と命名する」
この若い司令官の命名センスの無さに、ブリッジの中に、いや恐らく全艦隊にしばしの沈黙が続いた。
そして、あたしのブリッジでは、その直後、全員が頭を抱えていた。
「キアラ、いや副官殿。いったい、どのくらいの距離までだったら、司令官の考えを知ることができるのかね?」
作戦行動に入る前、興味に耐えかねた様子でブラット艦長はキムに尋ねた。
彼女は少し顔を傾けると、考えながら答えた。
「試したことはありませんけど、タスク高原においでなら、どこからでも感じることはできます」
この言葉に驚いたのは、艦長だけではなかった。この時ブリッジに居合わせた全員が、顔を見合わせていた。
中でも、艦長の表情は複雑だった。説明されるまでもなく、それは彼女と青年司令官の心の結び付きの深さを物語っていた。それが、一方的なものであることを知っているのは、あたしくらいなものだ。
気の毒に、彼女に想い焦がれている艦長は、うつろな視線を力なく中央スクリーンの画面に向けるしかなかった。できることなら、あたしは彼を慰めて上げたかった。
まったく、他のことはともかく、男の趣味は悪いわよ、あなたは!アマドとの連絡に忙しくて聞いていないことを知った上で、あたしはキムにそう言っていた。
「敵艦隊、補足!」
通信士がそう報告する直前、あたしの全身に今まで感じたこともない悪寒が走った。
「見つけたわ!」
ハッキリと聞こえたその声は、まるで軟体動物が這い回るように、あたしの全身にまとわり付いた。
こんな気味の悪い感覚は、生まれて初めてだった。
「見つけた?何を!?」
あたしは、思わずその声に反応していた。
「えッ!?なに!」
あたしの声を聞いたキムが、あたしに質問した。
あたしが、テレパスの彼女に答える前に、艦長が命令を下した。
「全速前進!突出する!!」
同時にあたしの駆動力は、最高の出力を絞り出していた。
こうなると、さすがにとっさには声は出なくなる。
「どうしたの?クリスターナ、何かあったの!?」
親切なテレパシストは、忙しい通信の合間を縫ってあたしに話しかける。あたしの様子がおかしいことに、あの娘はいち早く気が付いたのだろう。
でも、あたしにはそれに答える余裕はなかった。
「誰、誰なの!?」
あたしは、未知の声に向かって呼びかけた。
もっとも、返事はほとんど予想していたけど……。
「あたしよ、お姉様。いえ、お兄様かしら?」
「どっちでもいいわ!あたし達には、人間みたいに性別がある訳じゃない。あなたはどうなの、シルビアーナ」
相手の暖かみのない、嫌味のような口調に、こちらも突き放したような言い方で応えながら、あたしは混乱していた。
初めて、自分と同じように意志を持った船に出会ったというのに、あたしの体はゾクゾクするような悪寒に震えていた。それは決して、仲間に出会えた感動というようなものでないことだけは、ハッキリとわかっていた。
あたしが、相手と自分の反応に戸惑っている間にも、あたしの中ではみんなが忙しく動き回っていた。
「敵艦補足、艦型照合、結晶装甲戦艦・シルビアーナです。突出して来ます!」
通信士の報告に、艦長は大きく頷いた。
「ようっしゃァ!予定通りだ!!このまま、一気にあのベッピンさんを、こっちに引きつける!」
あたしが可愛娘チャンで、あっちがベッピンさんということに、多少気になるところがないではなかった。でも、確かに大きさといい、速力といい、そして火力といい、向こうの方が優っていた。
彼女はあたしのことを、年上という意味で姉か兄と言いたい様だけど、大きさだけを見れば向こうの方が兄か姉だった。
「画像確認、スクリーンに展開します」
その報告と同時に、初めてブリッジのみんなの前に、この生意気な姉だか兄だかの姿が写し出された。
言われていた通り、白銀に輝くその船体に、ブリッジのほとんど驚いたような歓声を上げた。
もっとも、あたしから見ると、すこし胸元とお尻が大きすぎるような気がした。たぶん、あそこにアマドの言っていた重火器と、高出力の動力が納まっているんだと思う。
「なかなか、お姉さまも美しいじゃない。でも、ちょっとスマートすぎないかしら?これじゃぁ、お兄様でもいいみたいだけど、お姉様でいいわよね?クリスターナというのは、女性の名前ですもの」
なんて嫌味な言い方!あたしは、いい加減頭に来た。
あたしには、あなたみたいな無粋なお尻の穴はないのよ!
「そっちこそ、そうとうグラマーじゃないの、いったい何を食べたらそんなに成長できるのかしら?シルビアーナ、シルビーって呼んでもいいかしら?あなたも、女性の名前よね」
あたしがそう言った瞬間、またしても悪寒が全身を走った。
あの、軟体動物が体中を這い回るような気持ちの悪い感覚。それが、シルビーことシルビアーナの、声の無い笑いだということに、あたしはようやく気が付いた。
「くッ、くく……その調子よ、お姉様。いえ、クリスと呼ばせていただこうかしら?かまわないわよね」
な、なんなの!?この感覚!どうして、彼女の声、いえ感情はこうもあたしに不快なの?この世で、たった二つの同類なのに!?
「バカねェ、同類だから、許せないんじゃない?」
押さえていたものが取れたように、シルビーの声は甲高くなり、その響きはあたしの感覚を掻きむしった。もはや隠しようの無い嫌悪感が、その言葉にはこもっていた。
あたしは、なんと答えていいのか解らなかった。
「私はねェ、クリス。あなたを葬るために、生まれたの。わかる?私達のような船は、この世に二つと必要ないのよ」
異様な感情の波が、あたしの全身を包む結晶板を襲った。
それは、一言で言って気持ちの悪い!そういう、感情だった。なぜ?どうして?同類の船の感情が気持ち悪いの!?あたしには、理解できなかった。
「艦長、クリスターナの調子が変です!」
あたしの動力操作を受け持つ機関士が、顔を曇らせた。
シルビーから受ける嫌悪感が、無意識の内にあたしの動力系に変化を与えていたらしい。どうにかしたいけど、どうにもならなかった。
人間で言えば、あたしは足が竦んでいたのだと思う。
「生まれて初めて自分の同型艦と出会って、しかも、これからそいつと戦おうというんだ。この娘がおかしくなっても、不思議はない」
艦長の言葉には、あたしを人間と同じに考える、暖かい響きがあった。
機関士は、頭を掻いていた。
「そういうもんですかねェ」
「そういうもんさ、とりあえず。異常はないんだろう?」
「ええ、ちょっと、不安定ですけど……」
「なら、そのまま宥めながら無理させないで使ってやれ。お前だって、戦場で親や兄弟と敵として出会ったら、承知していても動揺するだろう?」
「そりゃまぁ……」
まったく、この体が大きく恐い顔の男は、どうしてこうあたしの、いえ船の気持ちがわかるのだろう?キムのような、テレパスでもないのに……。
あたしが、いくぶんホッとした気持ちになったところへ、また、あの耳障りな声が響いた。
「ずいぶん甘ちゃんなのね、クリス。人間に同情されて、それで安心するなんて!」
「ちょっと!さっきから、聞いていれば、こっちの心や頭の中にズカズカ踏み込んで!あなたは、プライバシーを尊重するって礼儀を、記録装置の中に入れなかったの!?」
「プライバシー!?お笑いだわ!人間に作られ、操られ、そして捨てられる道具の、どこにそんなものがあるっていうのよッ!」
それは、憎悪に満ちた言葉だった。
あたしは、一瞬、その言葉に打ちのめされたように、全身が固くなっていた。
「ミサイル、第一波来ます!」
通信士の報告に、即座に艦長は反応した。でも、あたしの体は素直には応じられなかった。
こんなことは、初めてだった。
「全速回避!どうした!?反応が遅いぞ!」
「艦長!操舵の反応が、少し鈍っています。いえ、鈍っているとしか思えません。回路その他の動作に、異常はありません」
そう、これはあたしの体の問題じゃなかった。あたし自身の意識が、体の動きに影響を与えているのだ。
あたしは、意識だけで体を動かすことはできない。それに、艦内での操作に逆らうこともできない。でも、意識して反応を後らせたり、微妙に角度や速度を変えることはできる。これは、言わば設計上の誤差の範囲ということになるんだけど……。
今、あたしはそうしたいと思っている訳じゃなかった。でも、体はあたしの意識に、感情に、反応していた。
「可愛娘チャン。混乱するのも解るけど、頼むよ。あいつを倒せるのは、俺達、いやお前さんだけなんだ」
それは、いつもと同じ艦長の暖かい言葉だった。でも、その言葉の中に、あたしはさっきからの嫌悪の原因を見たような気がした。
それを見透かしたかのように、あたしの神経を掻きむしる、甲高い声が響いた。
「わかったお姉様?いえ、クリス、クリスターナ!私達は、お互いがお互いを葬るしか、生き残る方法はないのよ!私のために、消えてちょうだい!!」
限りない憎悪の波動。それが、一つの固まりとなって、あたしを襲った。
そんなつもりもないのに、あたしの速度は鈍った。
「どうした!速度が落ちているぞ!?」
艦長は怒鳴った。
機関士は困惑しながら、必死に動力を調整していた。
「わかりません!動力の制御、機関の駆動、その他、回路にも異常はないのに、出力だけが下がっているんです!!」
「なんてこった!」
艦長があたしに対して、少し表情を曇らせたことは解った。
いつものあたしなら、悪かったわね!と開き直って、思いっきり出力を増加させるところだけど、今日ばかりはそうは行かなかった。
何でこんなになるのか、まるでわからないけど、あたしはシルビーの言葉に、完全に打ちのめされていた。別に、自分を守るために仲間を、同じ意識を持つ姉妹を倒すということの意味が、理解できないはずはなかったのに。
「低重力波接近!」
「なんだ!?」
その報告に、あたしはハッとしたけど、少し遅かった。
あたしは、この世でたった一人の身内、シルビアーナだけに聞こえる声で、悲鳴を上げていた。
「いい様ね、クリス!あなたのその贅沢な、天然の変位相クリスタルの結晶振動に固有の低重力波よ!どう?ご自慢の美しい結晶装甲がバラバラになる感覚は!!」
声の後には、あたしの全身を這い回る痛みを上回る、装甲を一枚一枚引き剥すような高笑いが続いた。
あたしは、なんとかこの重力波から逃れようと、身をよじった。
「そうは、させないわ!今なら、あなたのエネルギー波透過も反射も無意味でしょう?滅びなさい!クリスターナ!!」
何本もの熱線と、レーザー光線、そしてミサイルがあたしめがけて襲って来た。
あたしときたら、情けないことに、悲鳴を上げるしかなかった。
「艦長!直撃されます!今の状態では、装甲は持ちません!!」
分析士の報告に、艦長は落ち着いていた。
混乱するだけのあたしには、この彼の剛胆さが、どこから来るのか信じられなかった。
「直進、全速!急げッ!!」
一瞬、ブリッジの乗組員は艦長の言葉が理解できなかったみたい。
もちろん、あたしも同じだった。
「重力ネットは、動力まで遮断していません。全速で直進して、敵の照準を狂わせるんです!」
それまで、第二旗艦からの司令官の命令を、艦隊に中継するだけだったキアラが、ヘッド・フォンを投げ捨てるようにして叫んでいた。
彼女の説明で、瞬間的に他の人達も艦長の命令を理解した。
「全速直進!直前回避!!」
操舵士が叫ぶと、機関士はそれまで押さえていた機関の出力を、最大にまで上げた。
残念ながら、この時の行動に、あたしは何の協力もできなかった。あたしはただ、全身を刺だらけのロープで締め上げられるような激痛に、耐えるしかなかった。
あたしの肌のすぐそばを、いく筋のもの熱線やレーザー光線が、焼けこげを作りながら、かすめて行った。この熱さと痛みを、あたしは初めて経験させられた。
少し遅れて、ミサイルの群れが接近した。しかし、これは速度と運動性に優るあたしの方が上手だった。
艦長はミサイルの鼻先で、あたしを回転させるという離れ技で、ミサイル同士を相打ちさせることに成功した。
「重力ネットから、離脱しました!とりあえす……」
分析士の報告に、艦長の表情がこの時初めて険しくなった。
「とりあえずとは、どういうことだ!?」
艦長の怒気に近い迫力に、報告した分析士は下を向いた。
「ネットからは逃れましたが、影響が結晶装甲に残っています。いったい、どれくらいの損害があるのか、まるで……」
「なんてこった!」
艦長は、その厳つい顔を撫でて、無意識にキアラの方を向いた。
それに気が付いたのかどうか、彼女は全艦に向けて、司令の言葉を伝えていた。
「これより、艦隊指揮はガリアナより行なう。クリスターナは、シルビアーナ撃破の単独行動に専念されたし」
そう言って、キアラはヘッド・フォンを外した。
最後の言葉は、目の前にいるブラット艦長に向けられたものだった。
「これで、向こうにも、こっちの手の内がバレたって訳か……」
悔しそうに、艦長は呟いた。
彼はあくまでも、ここに司令官がいると見せかけたまま、決着を付けるつもりでいたんだと思う。でも、それは、今のあたしの状態じゃ、とてもじゃないけどムリだった。
それを知ったキアラが、あの生白い学士員に頼んだのだ。あたしを、自由にして欲しいと……。
「アマド司令から、ブラット艦長に助言があります」
表情を変えて、まっすぐ自分を見つめるキアラに、ブラットも表情を改めた。
「クリスターナの、したいようにさせてみたら?彼女を信頼する君には、余計なお世話だと思うけど。だ、そうです……」
司令官の忠実な副官の言葉に、ブリッジ中が静かになった。
「なんだ、そりゃ?」
初めに声を上げたのは、機関士だった。
だが彼の一言は、艦長の厳しい表情の一睨みで消えた。
「それは、本当に司令の言葉でしょうね、副官殿?」
普段の彼なら、絶対口にしないような失礼な質問だった。
でも、アマドの言葉を彼女以外の誰も聞いていない以上、こういう突飛な発言に確認を求めるのは、艦長として当然だった。
「間違いありません。失礼だとは思いましたが、私が司令にこの船の現状をお伝えしました」
「なるほど……」
大きな体の艦長は、深く頷いた。
その動作と表情が、この場に居る者に、この件に関してこれ以上キアラを問い詰めることを禁じていた。
彼は、彼女を信じたのだ。
「それにしても、あの司令官がこの船を女性と考えているとは、以外でしたな」
奇妙なことに感心して、艦長は微笑んでいた。どうやら、艦長は自分はともかく、司令官までがあたしのことを女扱いしているとは、思わなかったらしい。
そのブラット艦長の表情に、キアラがにこやかに微笑んだ。
「以前に同じようなことを聞かれました。クリスターナを始め、船の名前はたいがい女性名詞だけど、やっぱり性別があるのかなと……」
「それで、なんと答えられたんです?」
面白そうに、艦長は尋ねた。
キアラは軽く肩を竦めると、大柄な艦長の方を向いた。
「少なくとも、ブラット艦長は女性として扱ってらっしゃいます。乗組員が、女性らしく扱わなければ、お怒りになるでしょうねと答えておきました。いけませんでしたか?」
彼女の答えに、ブリッジのそこかしこで、忍び笑いが漏れた。
厳つい顔の艦長は、少し顔を赤らめると誤魔化すように振り返って、スクリーン越しにあたしを見上げた。
「司令官が、お前さんのやりたいようにやれとさ。可愛娘チャン、どうしたい?」
そう聞かれても、あたしには返事のしようがなかった。
また、あの重力ネットに捕まるのは、絶対に嫌だったし、何と言っても、あの気味の悪い妹に、これ以上関わりたくないというのが本音だったわ。
「逃げても、いいのよ。出直しってこともあるわ……」
しばらくぶりに、優しく歌うようなキアラの声が響いた。
あたしは、すぐには答えなかった。いえ、答えられなかった。
「敵の様子はどうだ?」
艦長は、あたしに対する興味を、とりあえず他に向けることにしたらしい。
「射程外に離脱しましたので、とりあえずは無事です。どうやら、さっきの通信を聞いて、艦隊に戻るかどうか迷っているようです」
分析士の言葉に、艦長は納得した。
秘密兵器であたしの動きを封じておいての、必殺の攻撃。間一髪でそれを逃れたあたしを、なぜ直ちに追撃しなかったのか?その疑問が、それで解けた。
アマドの『クリスターナにアマドはいるに違いない作戦』は、こんなところでも図に当たっていた。あたしに、アマドがいないとなると、シルビアーナの任務は二つに分かれてしまう。
恐らく、このままあたしと戦うか、アマドのいる艦隊の攻撃に参加するか、迷っているのだと思う。
「冗談じゃないわ!私は、あなたを葬るために生まれて来たのよッ!!絶対に、あなたを逃がしはしないわッ!!」
甲高い不快な声が、あたしの全身を貫いた。
それは、キアラにも聞こえたみたい。
「あれが、シルビアーナ、シルビー?」
「ええ、とんでもないヤツよ……」
あたしの答えに、キアラは首を傾げた。
「なにッ!?誰と話しているの!あなたは、何を言っているのッ!?」
突然、シルビーの語調が乱れた。それまで、驚くほど傲慢で不遜だった彼女が、あたしが別の誰かと話していることに信じられないほど、狼狽えていた。
あたしは、少し優位になったような気がして、見下したように言ってやった。
「あら、人間に決まっているじゃない。あなたには、話相手になってくれる人間はいないの?」
「バ、バカなことを……人間と話すなんて、そんな……有り得ないッ!嘘よッ、嘘だわッ!!」
「うるさいわねェ、話せるんだから、いいでしょう!?」
あたしは、だいぶ気分が良くなった。明らかに、シルビーは羨ましがっている。
もちろん、あたしだってキアラが特別な人間だということはわかっている。そもそも、テレパシストが船に乗ることが少ないし、それが意識を持つ船と話ができる立場になる確率なんて、ほとんどないのと同じだもの。
あたしは、偶然にしろ手に入れた、この有利な立場を逃すつもりはなかった。だから、わざわざキアラがテレパシストだと、教えてやろうとは思わなかった。
「ああッ、そうなの!私に力でかなわないものだから、そんな姑息な、心理戦に出たのね。さすがに、年増の知恵は大したものだわ!」
「年増とは、言ってくれるわね!この、デカブツ!!」
「見てらっしゃい!今、その減らず口を効けなくしてやるッ!!」
シルビーがそう言うと同時に、通信士が報告した。
「シルビアーナ、本艦に向かって加速!」
「とりあえず、逃げよう!なァ、可愛娘チャン!!」
あたしも同感だった。
「駆動力、最高出力へ!安定しています!!」
嬉しそうに機関士が報告した。
やれやれという顔で、艦長が顔を撫でた。
「どうやら、この娘の機嫌も直りそうかな?」
その言葉と視線は、キアラに向けられていたが、彼女は気が付かなかった。
「ねぇクリスターナ、彼女はずっとあんな感じ?」
「そうよ。最初っから、高慢で鼻持ちならなくて、生意気でいけ好かない……それに、気持ち悪い」
「あれは、人工知性じゃないかしら?」
「えッ!?」
意外なキアラの言葉に、あたしは絶句して、思わず船の進行方向を別に向けてしまうところだった。
「艦長、まだ彼女の機嫌は完全じゃないみたいですね」
操舵士は自分であたしの方向を修正しながら、ぶつぶつ言っていた。
ふーんという顔で、そちらを眺めた艦長は、視線をあたしと話をしているキアラに戻した。
「前に一度、連邦が開発した操艦用の人工知性というものと、話をしてみたことがあったの。それが、これと良く似ているのよ」
「だって、あれはあたしと同じ……」
キムは、少し寂しそうな顔をして見せた。
「言いたく無いけど、あれは人の手で合成された変位相クリスタル。あなたのように、自然の力と様々な偶然が作用して生まれたものじゃない。増して、愛情をもって育てられたものじゃないわ」
「あたしが、育てられたですって!?」
キムの言葉は、心底あたしを驚かせた。
テレパシストの彼女は、あたしにだけわかる仕草で、頷いて見せた。
「あなたの意識を作り上げている結晶板は、一枚一枚、技術職の人が精魂込めて磨き上げて、そして繋ぎ合わせたものよ。それぞれの結晶原石に合わせて切り出すところから、あなたには、大勢に人が心を込めて話しかけたはずだわ。その愛情が、あなたの意識を作る源になったと、私は思うの。だって、あなたはとても人間的よ。怒るし、拗ねるし、喜ぶこともあるわ。でも、あのシルビー、いえシルビアーナからはそういう人間的な感情は、まるで感じられないわ。あれは、計算によって作られたプログラム。人工の知性の反応に近いわ……」
あたしには、信じられなかった。唯一、自分と対等に話のできる船。同じ結晶の船。
例え、敵味方に分かれても、その根元は同じだと、仲間だと思っていたのに……いいえ!いくら、キムの意見でもそれは違う!きっと、違うはずよ!!
「なにを、ゴチャゴチャ言っている!?いくら逃げても、あなたの速度では、私は振り切れないわよ!」
「振り切るつもりなんか、ないッ!」
言い返しながら、あたしはシルビーが話しかけて以来の、この悪寒の原因を考えた。人間であるキムと話す時に、こんな嫌な気分になったことはない。例え、あたしには面白くない話でも。それじゃいったい、この神経を逆立てる、気持ちの悪さはなんの!?
「人間と話すことなんか、機械にできるはずはない!悪あがきも、ここもでねクリス!」
甲高い笑い声が、再びあたしの全身を震わせた。
「転進!隙を見せて、低重力波の発射体勢を取らせ、そこを叩く!あのやかいな秘密兵器を、まず黙らせる!どうだい、可愛娘チャン?」
もちろん、あたしの返事が艦長に聞こえる訳はない。
でも、あたしを見てにっこりと微笑んだキアラの表情を見て、艦長は納得したらしい。
「これで終わりよ!お姉様!!」
「あんたに、お姉様呼ばわりされても気味が悪いだけだわ!人間の言葉も理解できないあなたは、ただの粗悪品よッ!!」
「な……何ですって!?」
ホントのところ、あたしはそこまで彼女のことを見下してはいなかった。ただ、売り言葉に買い言葉で、ここは彼女を激怒させる必要があった。
思った通り、彼女は再び切札を使おうとした。そのチャンスを、あたしと艦長は待っていた。
無骨な低重力波の発生装置が、その銀白色の船体を割るようにして迫り出した時、あたしと艦長の行動は一緒だった。
「最大加速!目標、低重力波発生装置!撃てッ!!」
加速しながら、瞬間的に方向を変えることができるのは、あたしの特技だった。
次々と位置を変えるあたしから、射撃手は正確に銀色の船体に、無骨に顔を覗かせた装置に、レーザーの雨を降らせた。
あたしが、ほとんど最大加速のまま、銀白色の船体の脇をかすめて駆け抜けた時、その無骨な装置に閃光が走った。
「やりました!艦長、低重力波発生装置は収容不可能なようです!!」
銀白色に輝く船体は、あたしの攻撃ぐらいではビクともしない。
でも、体内に隠していた装置にまで、その能力はない。またしても、ゲリラ艦隊の生白い司令官の考えは、当たっていたみたい。
「おのれ、よくも……やるわねクリス、いえ、裏切り者クリスターナ!そんな低俗な人間達に使われる、あなたらしい醜い戦い方ね」
「なんとでもおっしゃい!だいたいなんで、あたしが裏切り者なのよ!!」
そんな言い掛かりを口にしながら、さっさとシルビーは、邪魔になった低重力波の発生装置を切り捨てた。
これで、彼女の防御力の低下はかろうじて防げたことになる。しかし、もはや相手の能力と、欠点を見抜いたブラット艦長が戸惑うことはなかった。
「敵の鼻先でフェイントをかける。その後で、高速反転、あのグラマーな姉チャンのケツに、ミサイルの雨を叩き込めッ!!」
全身の装甲が、そのまま推進機関になっているあたしと違って、シルビーには次元駆動波の発振口がある。もちろん、ここに結晶装甲はない。これが大きな弱点だということは、最初からわかっていた。
「連邦に作られながら、その恩を忘れて、ゲリラに寝返った裏切り者!」
「作った人間に恩を感じるというなら、あたしはまさにその通りに生きているわ!あたしを作ってくれたのは、このタスク高原に住む人達で、あたしの自身も、元はと言えばここの鉱山で生まれたのよ!」
あたしが叫ぶのと、急激な加速反転でキムを初めとする、ほとんどブリッジの人達が床に投げ出されたのが、同時だった。
ただ一人、微動だにしない艦長が、大声を上げた。
「ミサイルを、叩き込めッ!」
シルビアーナの後部、次元駆動波の発振口にあたしから放たれたミサイルの群れが、ゆっくりと吸い込まれて行った。
あたしと違って、急激な方向転換を苦手とするシルビーは、自慢の加速力で懸命に逃げようとした。でも、わずかの差が直撃を許してしまった。
いく度もの閃光と四方に膨らむ爆煙が、その衝撃をありありと、あたし達に教えくれていた。
「卑怯者の、裏切り者らしい、せこいやり方ね……」
相変わらず、あたしの神経を逆なでする口調だったけど、さすがにこれまでの高慢な感じは、だいぶ薄くなっていた。
「もう、決着は付いたわ。これ以上やると……」
あたしの言葉を、主にその銀白色の体の後ろから煙を吐き出しながら、彼女は遮った。
「私は、あなたを滅ぼす。それが、私の使命……私の目的……生まれた理由なのよッ!」
「なにを、バカなッ!」
あたしは、優位に立っているはずなのに、みっともなく狼狽えた。
なんだか知らないけど、この姉妹艦の底知れない迫力に、再びあの嫌な感じが蘇って来たのだ。
「しっかりなさい、クリスッ!」
あたしが、意味もなく弱気になったその時、キムの激しい声が響いた。
見ると、彼女が厳しい表情であたしを見つめていた。
「まだ気が付かないの?彼女は、シルビーは、機械的な反応しかしていないのよ。あなたのように、感情的に喜んだり、悲しんだりしているんじゃない。予め与えられたプログラムに従って、行動しているだけよ!」
キムは再び同じことを言った。でも、あたしには信じられなかった。
シルビーの言葉が機械的なものだとしたら、あたしが感じるこの憎悪は、なに?あたしの体を這い回る、この気持ちの悪い感覚は何なの!?
「それが、彼女とあなたの違いよッ!彼女はただ蓄えられた知性を、決められたプログラムに従って判断しているだけなのよ」
「それのどこが、あたしと違うっていうの!?」
思わず、あたしはキムに言い返していた。考えてみれば、ここであたしと彼女が口論している場合じゃないのだけど。
キムは、激しく頭を振った。
「考えてみて!今みたいに、あなたは自分の感情で判断しているのよッ。好き嫌い、楽しい苦しい、そういう感情は、ただ蓄えられた知性を元にしただけでは、生まれては来ないはずよ。感情は意識と知性が一つになって、時には非論理的に生まれものじゃない。あのシルビアーナの言葉には、その非論理性がない。すべては、与えられた知性からだけ、導き出されている言葉だわ」
そう言われても、まだ、あたしには納得できなかった。
敵の次の行動を警戒して、艦長が距離を取っている間に、あたしはキムに喰い下がった。
「でも、でも、あの娘はあたしと話ができるのよッ!」
これが、あたしにとって、彼女が仲間だと思える、何よりも重要な事実だった。
キム以外、人間と話すことはもちろん、船でさえあたしのような意識を持ったものに、出会ったことはない。意識を持ち、会話ができる船というのは、このシルビーが初めてだった。
「それは、たぶん、人工の変位相クリスタルのせいだと思うわ。人工とは言っても、そうとう精巧に本物に近づけてあるから、きっと、船に設置された人工知性と結び付いて、疑似意識みたいなものを形成したのよ。あなたが感じる嫌悪感は、人工的に変異した部分の影響だと思うわ」
「でも……」
あたしは、まだ反論しようとした。だって、もし彼女の言うことが本当だとしたら、ようやく見つけたと思った仲間は、仲間は……。
あたしが、返事に躊躇っていると、キムが艦長を振り返った。
「艦長、あのシルビアーナという船は、人工知性で操縦された、無人艦だと思われます」
「なんだって!?」
艦長を始め、ブリッジの全員がキアラを見た。
艦隊総司令の副官は、もう一度姿勢を正すと、ゆっくりと説明した。
「さっきから、何度もテレパスを送っているのですが、あの船には人間らしい反応が、何一つ無いのです。あるのは、ダミーと思われる、無機質な生体反応だけです」
彼女の言葉に、艦長の目付きが変わった。
艦長に命じられるよりも早く、分析士が忙しく自分の前の操作盤に指を走らせた。
「確かに!これだけの被害が出ているのに、艦内の生体反応に、まったく動きが見られません。こいつは、ダミーです!!」
「クッソー!なんてこった!!俺達は、ロボット戦艦を相手にしていたのか!どうりで、手応えがないわりには、攻撃や運動が正確無比だと思った……うん?ということは!?」
ほんの少し悔しがった艦長だったけど、すぐにもっと危険な事態に気が付いた。それは、あたしにも容易に想像ができた。
「もし、あの船がこの船の撃破を、最優先にプログラムされていたとしたら、自爆も有り得ると思います」
キムの言葉は、冷静だった。
そして、気の毒そうな視線をあたしに向けた。あたしは、声が出なかった。
「このまま撃ち合っても、たぶん、両方とも決め手を欠く。その時の、敵の最後の手段が自爆か……」
「こっちとしては、向こうにとどめを刺すためには、接近するしかありませんから。その時に、自慢の加速力にものを言わせて、突っ込んで来る……」
射撃手の言葉に、ブリッジは静まり返った。
沈黙を破ったのは、艦長の怒声だった。
「いったい、連邦のヤツらは、船をなんだと思ってやがるんだッ!」
「道具でしょう……この船を沈めるという目的のためだけに建造された特殊な船。そう考えれば、なんの不思議もありません。結果的に、相撃ちでもこの船が沈めばいいのですから。そんな船に人を乗せなかっただけ、マシってもんです」
穏やかに応じたのは、通信士だった。
艦長は、恐い顔で発言者の方を向いた。でも、言った方が、艦長のそんな表情に怯えることはなかった。
「もっとも、また乗っ取られることを心配した結果かも知れませんが……ともかく、艦長のように、船の気持ちが解るっていう方が珍しいんだと思いますよ」
「お前は、わからないのか?」
少し、艦長の口調が弱々しいと感じたのは、あたしだけではないと思う。
通信士は、首を振った。
「あッしらには、何とも言えません。でも、そうおっしゃる艦長の気持ちはわかると思います。それが理解できるかどうかは別にして、船に魂があるということは、みんなが知っています」
彼の言葉に、ブリッジの乗組員全員が頷いた。
あたしに限らず、グラン・フォースの船に乗り込むのは、ほとんどが海賊や輸送船上がりの船乗り達だった。彼らにしてみれば、船に魂があるというのは、人間に心があるとのと同じくらい、当り前のことだったみたい。
だから、あたしも最初からそういうものだと思って、彼らと接していた。キムのように、直接話ができる人間は、特別だとしても。
でも、連邦の人達の考えは違ったのね。それが、ホントのところキムの言うように、人工の知性のためかどうかはわからない。とにかく、シルビアーナが、人間的な愛情からは無縁だったことは、あたしにもよく解った。
船の心を知るということ、いえ、機械の心を知るということは、こんなにも難しいことなの?
艦長は、全員の顔を眺め回した後、キムに目を止めた。
「だからか?だから、クリスターナはおかしかったのか!?」
「彼女は、戸惑っているんです。自分の仲間だと思った船が、そうでないということに……」
そう言って、彼女はそっとあたしの一部に触れてくれた。
柔らかい、優しい手だった。
「辛かっただろうな、可愛娘チャン……」
そう言って、艦長は目を伏せた。
あたしには、それで充分だった。
「敵、反転!急速接近!!」
通信士が大声を上げる前に、あたしはシルビーに向かって叫んでいた。
「人間の暖かさが解らないあなたは、ただの機械人形よッ!」
「それは、あなたも同じでしょう!?同じ、人に作られたものの分際で、何を偉そうに!」
あたし達はお互いに、全速で接近していた。
キムの言う通り、確かに彼女の口調には機械的な響きがあった。
「あなたは、何のために作られたの?」
あたしの質問に、銀の貴婦人と呼ばれた連邦の特殊戦艦は、言下に答えた。
「決まっている、クリスターナ、あなたの撃滅だ!」
「そのためだけのために!?」
キムの予想が当たったことに、あたしは驚きと失望を感じていた。
まだあたしは、シルビーを、この白銀の船を仲間だと、姉妹だと思いたかったんだと思う。でも、その願いは簡単に断ち切られた。
「それ以外に、どんな理由がいるッ!?」
シルビーの答えは、あたしにキムの考えの正しさを証明しただけだった。
あの娘には、自分というものが無いの?諦め切れないあたしは、もう一度、微かな期待を込めて尋ねてみた。
「あなたには、この世に二つとない船だという誇りはないの!?」
「誇り?なによそれ!?それで、戦闘に勝てるっていうの?笑わせないでよ!この、人間化した出来損ないが!!」
このシルビアーナの言葉は、あたしを芯から震え上がらせた。
キアラの言った通り、彼女は人工的に与えられた知性で話をしている。それどころか、キアラは気付いていないみたいだけど、この人工の変位相クリスタルを通して意識化したものは、極端に偏ったものになってしまっていた。
それは人間的なもの、機械と人との精神的な関係を否定するどころか、憎悪すらしていた。たぶん、彼女に与えられたあたしへの憎しみのプログラムと、人間を乗せないロボット船としての扱いが、人工の変位相クリスタルの配列を通して、偏って融合した結果だとは思う。
彼女にとって、あたしが感情的に人間と接することができるということ自体、許せないことなのだろう。道具は道具らしく、与えられた使命を忠実に遂行し、そして滅びるべきだ!彼女は、そう言いたいに違いない。
あたしにも、その気持ちは解る。これは、キムにも説明することのできない。あたしが意識を持った時から、付いて回る根本的な問題だった。
「道具は道具でしかないのよ!クリス!あなたが、どう思おうと、人間はそうとしか思っていない!そうとしか、扱うはずが無い!!」
シルビアーナの砲門が、すべてその銀白色の肌から露出し、あたしに照準を合わせたのが解った。
操舵士は、絶妙のタイミングで、あたしの方向を変化させた。
何本もの熱線と光線が、あたしのすぐ脇を通り抜けた。
「シルビー、あなたの考えは、人間の考えの極端なコピーでしかない!どうして、自分の考えを持とうとしないの!?」
あたしがそう言うのと、射撃手が発射ボタンを押すのが一緒だった。
「あなただって、人間の言うがままに動くしかない、機械人形よッ!」
シルビーの絶叫は、あたしの全身を揺るがせた。
艦長は顔をしかめ、操舵士は懸命に船を立て直そうとした。
「クリス!相手の言葉に耳を貸してはダメ!!彼女の言葉は、彼女を作った人間達の、傲慢な考えの延長に過ぎないわ!あなたとは、意識の持ち方がまるで違うのよッ!!」
たまらず、キアラはあたしに呼びかけた。でもあたしは、ヒステリックに叫び返していた。
「どこが違うっていうの?あの娘もあたしも、戦うために、あなた達人間に作られた船だということに、変わりはないのよッ!?この事実を、自分自身ではどうすることもできないということは、あたしも彼女も同じじゃない!!」
興奮したあたしの態度に、キムは口をつぐんだ。
ただ、その目が悲しげにあたしを見つめていた。それでも、あたしは彼女に当り散らすことを、やめることはできなかった。
「あたしのように、シルビーのように、道具が意識を持つことそのものが、間違っているんじゃないの!?」
「間違ってなんか、いないわ!」
断固とした口調で、キムは言った。
操舵士が悲鳴を上げていた。
「艦長、また出力が安定しません!操舵が、困難です!!」
「かまわん、このまま突っ込め!司令の言葉じゃないが、この娘のやりたようにやらせよう……」
ブリッジの全員が、艦長のその発言に息を飲んだ。
キムの表情は必死だった。
「間違っているとしたら、道具を作った人間の方よ。シルビーみたいな、悲しいロボット兵器を作って、それで何の痛みも感じない人間の方が、間違っているのよッ!」
たぶん、キムは混乱してヒステリー状態に陥ったあたしを、なんとか落ち着かせようと、とっさの思い付きで言ったのだと思う。
でも、この人間が間違っているという言葉は、あたしには実に新鮮に響いた。
「間違っているのは、あたしでもシルビーでもない?そう言うの?」
「どんな人間が、シルビーの知性を育てたのか知らないけど、目的のためなら手段を選ばず、自分すら犠牲にする。あなた、そんな考えが間違っていないと思えるの?」
何度目かの攻撃をお互いに交わし、あたし達はいったんお互いに反転した。距離を取って、再度接近するということは考えるまでもなかった。
再び眼前に迫る、白銀の船を見つめながら、あたしは大きく息を吐いた。
「キム、あなた達はあたしに、そういうことをさせないと、言い切れるの?」
「ブラット艦長や、アマド司令、他のみんながそんなことをさせると思う?いいえ!せっぱ詰まって、例えそういう事態になったとして、あの人達が何も感じないでいられると、あなたは思うの?」
キムは、頼むような表情であたしに語りかけていた。
シルビアーナは、真っ直ぐにこちらに向かって来ていた。どうやら、今度こそ決着を付けるつもりのようだった。
あたしも、今度は反転するつもりはなかった。
「シルビー、あなたは人間の感情を知ることはできないのね……」
「そんなもの、知ってどうなる?あたしは、ただ使命を果たすだけ!あたしを作った、人間のために!!」
感情を知ることは、心を知ることだと思う。
心の感じられない機械は、確かにただの道具に過ぎないのかも知れない。
「ただの道具としてなら、シルビー、あなたは危険すぎるわ!」
「何をいまさら、兵器は道具に決まっている!そして、最強の兵器はこの私よ!!滅びるがいい、旧型の出来損ないッ!!」
自らを最強だなどと自惚れる、意識を持った兵器など、人間にとっても機械にとっても危険なだけじゃない!?
あたしの意識は、ようやく一つの答えを見付け出していた。
「クリス!正面よッ!!」
キムが絶叫するように、あたしに呼びかけた。
スクリーンには、その優美で巨大な白銀の姿が、一杯に写し出していた。
「シルビー!あなこそ、滅びなさい!!それが、あなた自身のためよ!!」
「ベッピンさんの砲塔を狙え!進度そのまま、零距離射撃用意ッ!!」
あたしの叫びと、艦長の命令は同時だった。
今までの経験と、あたしの性能から、シルビーは必ずあたしが直前で転進すると考えているはず。その読みは、艦長も同じだった。
あたし達は、今度ばかりは方向を変えなかった。真一文字に、銀の貴婦人に突っ込んで行った。
シルビーの声無き悲鳴を、あたしは聞いたような気がする。転進するはずのあたしの先手を取って、彼女は方向を変えようとした。その、ほぼ側面に、自分の肌をその銀白色の肌に擦り付けるようにして、あたしは接触寸前まで接近した。
「怯むな!ありったけの武器を叩き込めッ!今ここでこいつを葬らなければ、後はないと思えッ!!」
艦長の怒声のような命令と共に、あたしはありったけの武器を発射していた。
熱線が、ミサイルが、レーザーが、彼女の肌を焼き、砲塔を砕いた。反動で、あたしの体も強烈な衝撃を受けた。
床が波打ち、衝撃吸収用の緩衝材が悲鳴を上げるブリッジの中で、ブラット艦長は大きな体をかろうじて腕で支えながら叫んでいた。
射撃手は狂ったように、発射のスイッチを押し続けた。狙いを付ける必要はなかった。
あたしの目の前に、シルビーの美しい銀色の体があった。その体が、何度も痙攣するように震え、弾けるように悶えていた。
たぶん彼女も、反撃しようとしたんだとは思う。持っている武器の種類も威力も、彼女の方が上のはずだから。でも、体当りのタイミングを完全に外された上に、最初に砲塔を破壊されて、彼女の攻撃は何の役にも立たなかった。
何発かのミサイルと、いく筋かの熱線があたしの肌をかすめて、消えて行った。まるでそれは、彼女の最期のあがきのように……。
最後の切札となる自爆をされる前に、すれ違い様にありったけの武器を使って彼女に致命傷を与える。艦長とあたしの考えは、完全に一致していた。
「離れろ!爆発に巻き込まれる!!」
すべての、武器弾薬を撃ち尽くしたという報告を受ける直前に、艦長はそう命令していた。
あたしはできる限りの早さで、その場を離れた。でも、気持ちはいつまでも、虚空に浮かぶ白銀の船体に残っていた。
「シルビー?」
離れながら、あたしが呼びかけると、それを待っていたかのように、彼女の白銀の体から閃光が走った。
「なんで、私が……こんな、こんなことって!なんで、なんで私が、あなたに負ける!?負けるのは、あなたよ!私じゃない!!……はず、だったのに……」
遠ざかるあたしに、シルビーのそんなうめきにも似た声が聞こえた。
「私は……私は何のために……私は、いったい何だったのよーッ!?」
彼女の絶叫が、あたしの体内を貫くと同時に、銀の貴婦人と呼ばれた銀白色の肌が、暗黒の空間に粉々に砕け散った。
無数の人工結晶の破片が、きらめきを残しながら広がって行く。スクリーンに写る、その悲しいほど美しい光景に、ブリッジの誰もが息を飲んでいた。
でも、あたしにはその光景を見ることはできなかった。シルビーの最期の言葉が、いつまでもあたしの中をかけ巡って、消えなかった。
「私は、何だったのよーッ!」
その答えは、あたしにもわからない。いえ、あたしだって、今もずっと考え続けて、求め続けている答えなのだ。
でも、あたしは答えを、知るのが恐い。知ってしまったら、あたしは生きていられないんじゃないかと、そんな想像すらしてしまう。
あたしは、それきり黙り込んでしまった。あたしの声が聞こえないはずの乗組員達も、まるでそれがわかるみたいに、あたしに対して無口に、黙々と作業だけを続けた。
静かに、彼らはあたしをタスク高原に向けた。途中で、敵艦隊と交戦していた味方の艦隊と合流した。アマドの予想通り、敵はシルビアーナが破れたことを知ると、戦意を喪失して引き上げてしまったのだ。
アマドの『クリスターナにアマドはいるに違いない作戦』は、まんまと効を奏したらしい。
「船が、ショックを?」
「ええ……お笑いになりますか?」
久しぶりに司令官の部屋に戻った青年に、キムはそんなことを話した。
まったく余計なことをとは思ったけど、結局あたしは何も言わないままでいた。口を開く気分には、相変わらずならなかった。
生白い青年は、いつもの気取った口調で腹が立つほど穏やかに、キムの言葉を否定した。
「船とはいえ姉妹を、それも、この宇宙で他に有り得ない類型艦を、自分の手で破壊したんだ、気分が塞いだとしても、ムリはない」
「司令は、船にも気分があるとお思いですか?」
「思うね。根拠は何もないけど、君が塞いでいると言うんなら、この船は、塞いでいるんだろう。言われてみれば、妙に静かすぎる感じがする……」
自分を信頼しているよと言うのも同じ言葉に、明らかにキムの表情は明るくなった。それが、彼の愛情からではなくて、信頼と知性の産物だということが、なまじわかるだけに彼女には辛いところでしょうね。
テレパシストというのは、こういう時、ほんとに不便だと思う。
「クリス、機嫌はどう?」
自分の持ち場となっている記録の管理室で、彼女が静かにあたしに語りかけたのは、入港を明日にひかえた夜のことだった。
当直以外、誰も起きていない艦内は、いつにも増して静かだった。
「キム……あたしってなに?」
シルビアーナとの戦いが終わってから、あたしは初めて口を開いた。
テレパシストの彼女には、それで充分に意味が通じたはずだった。
長い沈黙の後に、やっと彼女が口を開いた。
「あなたは、あなたよ。クリス……私が、私であるように」
「あたしは、あたし?」
「そう、あなたはクリスターナという船で、私はキアラという人間。それ以上でも、以下でもないわ」
今度は、あたしが沈黙する番だった。
あたしは、あたし。結晶装甲艦クリスターナ。この世で、ただ一つの船。
そう、それ以外の何ものでもない。そんなことは、わかっている!でも……。
「私だって、自分が何者で、なんのために生きているのか……聞かれたら、答えようがないわ。ここにいる理由は自分にも、他人にもあるでしょうけど、それは私が生きているということとは、違うと思うの」
「機械の、あたしも同じだと?」
「たぶんね、違うの?」
「わからない……わからないわ!」
あたしは、再び混乱した。混乱して、口を閉ざした。
キアラも、何も言わなかった。
長い時間が過ぎた。
「あなたは、自分が嫌いなの?」
唐突なキムの質問に、あたしはすぐには答えられなかった。
あたしが口を開かない理由を察したのか、彼女は続けた。
「私は、ずいぶん長いこと、自分が嫌いだった。自分がこの世に生まれたこと、テレパスだったこと……何もかも!」
キム、いやキアラ・デニスの怒りと悲しみの感情が、波のようにあたしに打ち寄せた。
どうやらこの時、彼女は感情のセーブというヤツを、していなかったらしい。
「一生を、土の中で過ごすのかと思うと、やり切れなかったわ……」
そりゃそうでしょう。彼女の人生には、同情する余地は多分にあると、あたしも思った。
「でも、その私に希望ができた。地上に、そしてこの宇宙に、誘ってくれる人が現われたから……」
アマド・カルキ。地理学者の卵が、地図を作る途中で鉱山の中で遭難し、キアラに助けられた。この時に、テレパシストとしての彼女の能力を知った彼は、それ以降の自分の手伝いを頼んだ。
もともと、地理学院から現地で有能なアシスタントを徴用する権利を与えられていた彼にとって、それは難しい手続きではなかったのだろう。
でも、テレパシストを身近に置くことに慣れていない人々にとって、それは驚きのはずだった。そのことを、明確に非難した人もいたと思う。
けれど、その後の彼の活躍が、彼女の有用さを証明した。意外にもそれは、地図作りではなく、戦闘という舞台ではあったけど。
今回の『クリスターナにアマドはいるに違いない作戦』などというふざけた、しかし奇抜な作戦も、このキアラのテレパスがなければ成立するはずはなかった。
彼女はアマドによって、他の誰にも変え難い自分の居場所を見付けた。そのことを、あたしは知っている。
「クリス、あなたにとってはどうでも、私達はあなたを必要としている。ううん、大事に思っているわ。とっても!それは、迷惑なこと!?」
そう言われて、迷惑だなんて言えるはずはなかった。
確かに、あたしは彼女やこの船の仲間、さらにはグラン・フォース全体に、どういう意味であれ必要とされていた。
皮肉にも今回証明された、間違いなく宇宙に二つとないあたしの体は、大切にされるはずだった。
「でも、いずれ不用とされ、捨てられるのよ……」
あたしは、嫌味に近い口調で呟いていた。
ゆっくりと、キムは顔を上げた。
「私達も、いずれは老いて死んで行く……寿命というものがあるのよ、人にも船にも。それのどこに、どんな違いがあるというの?」
「シルビーの、シルビアーナの最期も、それが寿命だというの!?」
「考えてごらんなさい。彼女があなただったら、運命は逆転していたかしら?」
それも、衝撃的な意見だった。考えたこともなかった。
自分がシルビーだったら……いえ、シルビーにキムやブラット艦長、それにアマド司令官が付いていたら……そう、多分、負けていたのはあたし。不本意な最期を遂げていたのは、自分……。
そうだ!あたしは、船なんだ。自分で、自分を動かすことはできない。あたしの運命は乗組員と、それを指揮する人にかかっている。
キムは、人もまた同じだと言いたいの?本人がどうであろうとも、人の運命もまた、その人をとりまく人々と状況によって、決まってしまうものなの!?
キム個人関しては、今のところそうかも知れない。でも……。
「人には、自分の意志で運命を変える力と、チャンスがあるわ」
「あなたには、ないというの?」
あたしは、まじまじとキアラを見つめた。このテレパスの娘は何を言い出すのだろう?
船が、自由意志で行動などできるはずが……そこまで考えて、あたしは息を飲んだ。
「人よりは少ないでしょうけど、それなりに運命を変えるチャンスと力は、あなたにはあるハズよ」
確かに、そうだった。もしその気になれば、この場であたしは自分の機能を永久に停止することができる。すべての、記憶を消すことも。
あたしは、考えることをやめることもできる。ただの、無機質なモノになってしまうことも……。
あの時、シルビーとの戦いの時に、不本意にしろ一時的に戦えなくなったのは誰だった?あれが、あたしの意志の反映でないと、言い切れるの?
あたしがあたしである限り、あたしは自分の運命を、全部ではないにしろ担っている!それは、紛れもない事実だった。
「あたしがあたしである限り、キム、あなたはあたしを必要としてくれる?」
「例え、この船から離れても、私があなたのことを忘れるということはないわ。それは、艦長も司令官も、この船のみんながそうだと思うわ。あなたには、ただの迷惑でしかないかも知れないけど」
そうなのだ。離れても、例え命を失っても、記憶は残る。
人の心に、それはその人がその人である限り……。
あたしは、自分が納得したことを誤魔化すために、わざとぶっきらぼうに答えた。
「ほんと、いい迷惑だわ!」
そんなことが、テレパシストの彼女に通じないことはわかっていながら、それでも素直にはなれなかった。
クスッと笑ったキムが、改めて真面目な表情で尋ねた。
「司令官に、許可をもらったわ。良かったら、今回の記録を外部の記憶装置に移し換えて、あなたの内部から消去してもいいんだけど?」
キムが、あたしが辛いだろうから、そうしてもいいかと言うと、アマドが黙って頷いたことを、あたしは知っていた。
船が辛いと思うだろうなんて、他のほとんどの人間が、笑い飛ばすか怒り出すようなことだと思う。なのに、なぜかあの生白い青年は穏やかに頷いた。
それが、副官の気持ちを理解するからなのか、他に彼なりの理由があるからなのか、あたしにはまるでわからなかった。
不思議なことに、テレパスで感じることのできるキムにも、実のところはわからないらしい。本当に、アマドというのは不思議な青年だった。
「いいわ、あたしはシルビーのことは忘れない。いえ、忘れてはいけないような気がする。辛いけど、あたしが忘れたら、シルビーがこの世に存在した意味を、知る人がいなくなるような気がするの……」
あたしの言葉に、キムは完全には納得したようではなかった。
でも、何が言いたいのかは、わかってくれたみたいだった。
「今回は、疲れたわ。本当に、疲れた……。入港はみんなに任せるから、あたしは寝るわね。また、用があったら、起こしてちょうだい」
あたしは、キムにそう言った。本当に、眠くなって来ていた。
「わかったわ、クリス。あなたの眠りが、長いことを祈るわ……」
「そうね、あたしが眠っているということは、あなた達が平和だということだもね。でも、余り長く放って置かないで、たまには起こしに来てよね」
考えてみると、妙にあたしは素直だった。
寂しいから、起こしに来てと言っているの同じだということに、この時はまるで気が付いていなかった。以前のあたしなら、こんなことは、間違っても口にしないはずだったのに……。
「ええ、わかっているわ……お休みなさい」
あたしの態度が変わったことなど、まったく気が付かないような様子で、キアラは立ち上がった。
あたしの大好きな、甘く歌うような声を残して。
「お休み、キム」
静かに、あたしは目を閉じた。
キムは、そっと部屋の明りを消すと、外へ出て行った。
深い沈黙と、非常灯の明りだけが残る闇が、あたしの体中に広がっていた。この時、ふとあたしは気が付いたことがあった。
「キムったら、いつの間にか、あたしをクリスって呼んでいるじゃない……」
妙な嬉しさを感じたあたしは、艦長に好かれ、司令官に熱い想いを寄せる、可憐なテレパシストのことを考えずにはいられなかった。
今度いつ目覚めるのかわからないけれど、目覚めた時、彼女はどうしているだろうか?朴念仁の司令官が、彼女の想い応えているのだろうか、それとも彼女の方が、不器用な艦長の気持ちに応えているのだろうか……。
そんなことを想像して、自然に笑みが浮ぶのに任せながら、あたしはゆっくりと眠りに落ちて行った。
深い深い、永遠の暗黒にも似た眠りの淵へ、ゆっくりと……。
FIN
この小説、実はHINAKAの創作小説サークル『あんのん・http://ryuproj.com/cweb/site/aonow』のホーム・ページに、掲載済みのものです。他にも、こちらのサイトのは掲載できない、アニメやマンガなどの評論や感想などはHINAKAのブログ『http://blog.so-net.ne.jp/aonow/』に、そして超長い連載中の小説などは先のHPに置いてあります。どちらも相互リンクしていますので、どちらからでも移動できます!もし宜しければ、御参照いただければ幸いです。