第三話
私は急いで玄関を開けに行った。
「・・・どうしたの、イリス君?」
「イリス君・・・?」
しまった。つい、心の中の呼称が出てしまった。
「勝手に呼んでごめんね。それで、どうしたの?」
とりあえず大声は聞こえなかったはずだから喧嘩ではないだろう。本を読み始めると周りが見えなくなるので自信はないが。
「別に。ただ単にこっちに来ただけだ」
・・・・・・君はツンデレキャラか。
「あそこに居辛いならそう言えば良いのに・・・」
「別に居辛くなんかない!勝手に変なこと言うな!」
はいはい。そういうことにしておいてあげるよ。
素直じゃないところに思わず笑ってしまって再びイリス君に怒られてしまった。
だって君で遊ぶと面白いんだな、これが。
ウィリアムさんと陽菜さんはからかう前にこっちがからかわれるし、学校の友達もからかうなら命を懸けろ!と言わんばかりの危険人物だらけで、いろんな意味でストレスが溜まっているのだ。
「まあ、とりあえず上がるならどうぞ」
何にもないけどね、と言い置いて一歩下がる。それに顔を顰めるイリス君。
「お前・・・無防備すぎだろ」
「うん?・・・そういう心配は要らないよ。私、有段者だし」
痴漢も捕まえたことあるよー、と笑いながら言うとイリス君は少し顔を青褪めて後ずさる。
何にもしないなら攻撃しないから大丈夫だよ。
結局隣は居辛いからこっちに逃げてきたイリス君と今はお食事中。
今から夕食の準備をすると言うとイリス君は自分も手伝う、と申し出てくれた。
・・・・・・はっきり言って勝負にならないくらいイリス君の腕前はすごかった。
一体何をどうしたらそんな包丁捌きが習得できるのか!と問い詰めたいくらいの手早さで、段取りも手際が良かった。
私はキャベツとかキュウリとか盛り付けただけでほとんど何もしてない。
「おお!すっごくおいしい!」
いつもより豪華な料理の数々に私が感嘆の声を上げながらイリス君にお礼を言うと、別に、とそっけなく返された。けど、心なしか耳が赤い。
可愛いなぁ。
「それより、何で一人暮らしなんだ。普通日本の学生なら親と一緒に住んでるんだろ?」
まあ確かに。それが一般的な考え方だね。
「うーん。それほどの理由ではないかな」
「じゃあ何で・・・」
「ただ単にお父さんもお母さんも私が気に入らないから、ここに放り込まれただけ」
さらりと言った内容にイリス君は驚き、箸を落とした。
うん、まあ。唖然て言葉が今ほど似合うときはないってくらい反応してくれてありがとう。
「それは、十分それほどの理由だろう!」
なに呑気な声でバラしてんだ、と怒られてしまった。むう。
「そう言ってもねー。私の中ではそんなに重要じゃないし」
そう。私にとって、それはもう”どうでもいい”に分類されている。彼らは私を娘だと思っていないだろうし、私も彼らを親と思っていない。正に”血の繋がった他人”なのだ。
だから、気にしなくて良いんだよ。でも、怒ってくれてありがとう。
「・・・・・・」
イリス君はもう何も言えないとばかりに怒りながら食事を再開した。
それから、私たちはまた他愛のない話をしながら同じ空間にいた。まるで、そこにいることが当たり前のように馴染んでいる彼に内心驚きながらも、それに甘えてしまっている自分を自覚して。
これは少し危ないのかなあ、何て頭の片隅で考えながらイリス君の質問攻撃をのらりくらりとかわしていく。
というかイリス君。ちょっと質問する量が多すぎるんじゃないの?
◇ ◇ ◇ ◇
もうそろそろ夜の十一時になろうとしても、イリス君は隣の部屋に帰る気配を全く見せなかった。
「イリス君。君はいつまでこの部屋に居座る気?」
「ん・・・?ああ。もうそんな時間か」
まったく時間の流れを気にしていなかったのか、イリス君は私が持っている本――買うのに一ヶ月も待ってようやく手に入れたイギリス文学の本だ――を読んでいた。
「そろそろ隣に戻ったほうが良いんじゃないの?」
ウィリアムさんも多分心配してると思うし。
「・・・そうだな」
そう呟きながらも機嫌が急降下していく。
戻りたくないんだろうなー、なんて考えながらもさっさと追い出そうと考える私。流石に年頃の女の子としてその一線は越えたくないからなぁ。
「なあ。その・・・この部屋に泊めてもらえないか」
「駄目」
即答してしまった。
あ、イリス君が明らかに落ち込み始めた。意外に繊細だったようだ。
「うん。流石にそれはちょっとね・・・」
「いや、俺も変なこと言って悪かった。・・・じゃあな」
そう言って玄関へと歩き出してそのまま出て行く。
うーん、イマイチ扱い方が分かりにくい人だなぁ。でも純情ってわけでも無さそうだし。・・・ま、いっか。
結局考えることを放棄した私は着替えて眠りについた。
もちろん、ベッドに入ってすぐ熟睡できる神経の持ち主ですから、全くもってイリス君のことなんか考えてもいませんでしたよ。