三冊目 第一話
『私の上司は最悪。 いつも周りにはスーパーモデル並みの美女がいる。 彼女達は別れた後に貰う花を用意しているのが私だと知っているのかしら――――。 ローマ一の広告代理会社に社長秘書として勤めだして半年。 社長のビジネスにおける天賦の才と発想力の豊かさは尊敬に値するけれど、女に対してのだらしなさは不愉快以外何物でもない。 だから私は自分の本当の気持ちを隠して彼に接し、信頼を得ている。 捨てられ続けられる女たちのようにはならない。 でも私の容姿じゃ彼も振り向くことは決してない。 ところが彼は自分にしな垂れかからず、彼の莫大な財産にも興味がない私に興味を持ち始め、事あるごとに休日だろうが私を手元に置きたがった―――――』
失敗。
まじで失敗。
読んだことがありすぎなシュチュエーションでした。 がっくり。
仕事の帰りがけに古本屋でしこたま買い足したラブロマンス小説。
その中で主人公二人の表紙絵が素敵なものからピックアップして読み始めたのに。
この前と違うのは、舞台だなー。
イタリアだし。
この表紙の絵の男前に、確実に騙された。
浅黒い肌で短めのすっきりとした漆黒の髪。 肩幅が広くて無駄のない筋肉。
そして何よりも、彫が深いけれどシャープな顔立ちが素敵なんだなあ。
仕事疲れでふらふらしていても、どうしても止められないロマンス小説の魔力。
玄関を上がって直ぐに着替えて、がさごそと古本屋の安い紙袋からお気に入りの一冊を取り出して読み始めたのは、夜十時過ぎ。
今はもう十一時だからそろそろこのあたりでやめないと、明日の仕事に差しさわりが出る。
まだ週半ばなので、さっさと見切りをつけて直ぐにお風呂に入って出てきたのが十一時半で。
髪を乾かして、ベッドに潜ったのが真夜中を過ぎようとしたころだった。
コンコンコンコン
―――――ガラス戸を叩く音がする。
コンコンコンコン
……無視できるなら、したいんですけど。 はふ。
コンコンコンコン
「瞳子」
「あのね? 部屋に電気が付いてないときは寝てるのよ?」
ガラス戸を前にして、どうせ言っても無駄なんだろうなあと思いながらも言わずにいられなかった。
「入れてくれぬか」
「……どうぞ」
はあ。 諦めが肝心です。
瞳子が二重ロックの鍵を開けてガラス戸を引こうとしたとき、いつものようにガラス面が浮き出て、人型になり、そしてそこから件の変態が抜け出てきた。
「―――――え? えええええ?????」
「何をそんなに驚く? こうやっていつも来訪しているだろう?」
ち……ち……違うわっ!
そんなことで驚いてるんじゃない!
「どうして……顔が違うのよ! ってか、さっき読み始めたばかりの本の主人公じゃない!」
ガラスから抜けてできた男は、確かに昨日までのシャルルと違って短く切った漆黒の髪に切れ長の目、けれど彫が深くて瞳子がたぶん今までの本の中で一番男前だと思っているその人の顔だったのだ。
「……アレッシオ」
「違う」
「ヴィンチェンチオ」
「違うな」
呆れた顔でシャルル(仮名・すでに顔は違う)は否定した。
無駄だとは思いつつも、どうしても主人公の名前しか思いつかない。
でもその顔は「アレッシオ」なんですってば!
シャルル(仮名)改めアレッシオ(仮名)、に決定。
「こちらの世界の名前は、本当に面白いな? ただ瞳子が付けてくれた名前にはどの名前も及ばないが」
口の端を少しだけあげて微笑むのは、反則的に格好がいいです。
ぼーっと見惚れます。
見栄えって恐ろしい。
…………あれれ?
『こちらの世界』?
「こちらの世界って、何?」
「……これは失言だな」
ちょっと横を向いて、古典ギャグのようにごほんごほんと咳き込みながら誤魔化そうとしているのは、正直驚きです。
誤魔化すならせめてもっと分かりづらく誤魔化してほしい。
「あー、なんだ。 頼みがあるんだが」
「……なに?」
「瞳子がいつも飲んでいる『こうひい』を淹れてくれないか」
「珈琲? ……別にいいけど」
アレッシオのいう『こうひい』の発音が変でちょっと気になったけれど、この場を離れられるいい口実なのでそそくさとその場を離れた。
その間にアレッシオがテーブルにある黒綺の首輪を袂に隠したことを、私は全く気付けなかった。