自主製作 第十六話
猫を抱きしめながらタクシーを捕まえて、家路へと急いだ。
さっきまでは千紗にしがみついていた猫は、今はおとなしく私の胸に抱かれている。
―――――たぶん、この黒檀色の猫は、ライ。
ライの髪色をした猫。
千紗にしがみついた猫。
そしてなにより、黒綺がライに渡したはずの首輪をはめている。
千紗は、なぜか物に対して固執する。
それは子供のころからの癖らしく、自分のものには必ず『千紗マーク』を付けるのだ。
それがどんなに高価なものでも。
そうしないと自分のものになったというイメージが湧かないそうで、黒綺から首輪を受け取った時点でこっそりと爪でマークを付けたそうだ。
さすが千紗。 やることが素早い。
そのマークを公園で千紗に見せられると、猫が付けていた黒綺の魔法具の首輪に似たものは、魔法具そのものとなった。
タクシーを降りて家の中に入ると、思った通り猫はダッシュしてガラス戸の前に行き、前足で指差した。
―――――向こう側へ。
そしてテーブルの上にあった黒綺の魔法具を指して「にゃあっ」と鳴く。
「わかった」
瞳子が手首に魔法具をはめると、猫はそれを見計らってガラス戸に前足をかざした。
するといつもの様に前足がゆっくりとガラス戸にめり込んでいく。
瞳子はあわてて猫のしっぽをつかんで、そのまま一緒にガラス戸の向こう側へと渡っていった。
にゅるり
いつものごとく、水溶き片栗粉の表面に身体を入れ込んだような感覚に陥ったが、それも一瞬で終わって今度は目の前に大きな壁が立ちはだかった。
どんっ!
「……ったあい」
今しがたまで掴んでいたはずの猫の尻尾は何処かに消え失せ、そのかわりに壁だと思ったものが動き出す。
「義姉上」
―――――まーだその呼び方してるんだ?! 黒綺、約束を守ってないよ!
痛めた鼻をさすっていると、目の前にあったので壁だと思ったライが恐ろしい形相で瞳子を睨んでいたことに気がついた。
「どうしてくれるんだ?」
開口一番、ライが不機嫌にそう吐き捨てた。
その意図が全くもって理解できませんが。
「えーっと? ……何のこと?」
当惑気味にそういうと、ライはソファにどっさりと腰をかけて頭を抱え込んでしまった。
けれど瞳子にはライがどういう意味で言っているのかまったくつかめなった。
「義姉上……カイに一体何を言った?」
「何をっていわれても、何のことだかさっぱりわからないんだけど。 黒綺がどうかしたの?」
「カイは……あんなカイは見たことがない。 義姉上に原因がないとしたならば、一体何が原因でカイをあそこまで苦しめているんだ?」
まるで自分に非でもあるかのように苦しそうに呟くと、ライはそのまましばらく考え込んでしまった。
なにがなんやらさっぱり飲み込めない瞳子は、ライがわざわざ猫の姿になってまでここに瞳子を呼びこんだのかすら理解できず、ライをただじっと見ているしかなかった。
「義姉上」と呼びかけた瞬間に瞳子の腕を掴んで、ライは懇願するように瞳子の手に頭を下げた。
「義姉上。 リエンに来てはくれないだろうか」
「リエンに?」
「そう、リエンに。 カイの様子がここ一カ月おかしいのだ。 いままでも部屋にこもっていたこともあるんだが、今回は期間が長すぎる。 心配になって見に行っても部屋に結界をはって入ることすら許されない。 こんなことは未だかつてなかったことなんだが……それだけではない。 カイの負の感情が強すぎて、周りに影響が出てきた。 カイの部屋から放射線状に植物が枯れ出している。 それなのにカイは感情を消すこともせずそのまま放置している。 そんなことも今までのカイならば考えられない行為なのだ」
「……どうして、そんな状態に?」
「それがわからんのだ。 私としては義姉上が関わっていると判断したので、魔力を溜めて、カイの魔法具の力も借りて義姉上のいる世界に行ったんだが」
「義姉上に覚えがないとは」予想外だとばかりに頭をさらに下げて、ライは私に願った。
「一緒にリエンに行ってはくれないか」
「行きます」
これこそ抵抗されるだろうと予測していたライにとって、瞳子のあっさりとした快諾に拍子抜けしてしまった。
―――――たしか義姉上はリエンにはいくつもりがないと言っていたんだが。
でもその気持ちが変わったのかもしれない。
ただ問題は、義姉上はリエンのものではないということ。
リエンに界渡りするにあったって、名前の刻まれた魔法具か、もしくはリエンでの名前があればこの間の千紗のように苦しまなくても済むと思うんだが……。
私が義姉上に名前を授けたらカイは私を決して許しはしないだろうし、私の名付けでは義姉上に効力があるのかどうかもあやしい。
「義姉上。 覚悟のほどは?」
「大丈夫だと思う。 それにこの首輪があるし!」
腕を上げてライに手首にはまった首輪を見せたが、ライの顔色はさえない。
その魔法具はこの特別な空間と瞳子の世界を行き来するために必要な補助具であって、ライの世界を行き来するためのものではないのだから。
異世界と異世界を繋げ、行き着するためにはそれこそ膨大な魔力と知識が必要になる。
黒綺はこの瞳子のために作った空間(家)によってそれを緩和させて界渡りを楽にしていた。
ライの少ない魔力でも瞳子の世界に渡れたのは、すでに黒綺が道を開いていたことと、その黒綺の魔力が詰まった魔法具があったからにほかならない。
けれど、義姉上が界渡りを自分の世界ではない世界にするとなると―――――義姉上の身にどういう風な影響が起こるか全く分からない。
そのことをライは瞳子に言えずにいた―――――その危険を冒してもカイのもとに瞳子を連れて行きたかったのだ。