自主製作 第十五話
黒綺に貰った首輪と全く同じ作りの首輪をしたつやのある黒壇色の綺麗な猫が、瞳子の目の前でじっと食い入るように見ているように見えた。
そして隣の千紗に猫の目線が移ったかと思ったとたんに駆け出して綺麗なジャンプを見せたかと思うと、千紗の胸へと飛び付いた。
「きゃああああっ!? なんなのーーーーっ! 急に私の豊かな胸に飛びついてくるんじゃなーーーーーーーいっ!!」
さすが千紗。こういう時でも自分を賛美する姿勢を崩しません。
瞳子が妙なことに関心をしている間も、件の猫は千紗の胸にぐりぐりと頭を擦りつけ、しがみついていた。
その有様を見て『千紗の美しさの前には猫すら発情ですか?!』と小声で言ったにもかかわらず、千紗から鋭い目線で避難されてしまった瞳子。
「ちょっと、瞳子! そんなこと考えている暇があるなら、この子を剥がすの手伝ってー!」
珍しく千紗が慌てた風なのが面白くてそのまま放置しようかと考えていたが、やはりこのままではいつものカフェでも入りづらいからと千紗を手伝って猫を剥がそうとしても、余計にしがみついてしまってどうしようもなくなった。
「だめだわー、これは。 ……お昼どうする? このままじゃあどのお店も入れないし」
「んじゃあ私がコンビニで適当に見つくろって買ってくるから、そこの公園で座って待ってて。 その間にその猫、剥がせるのなら剥がしてみたら?」
くすくす笑って瞳子がそう提案すると「仕方ないわねー」と諦めた様子で猫を見つめた千紗が、ふと思い出したように笑って言った。
「そうやって、笑っているほうが瞳子らしいよ?」
「!」
「じゃあ、てきとーにお願いするからねー」
そそくさとその場を後にして千紗は公園へと向かったが、瞳子といえば千紗の言葉に軽くショックを受けたように立ちすくんでしまった。
『笑っているほうが』、千紗はそう言った…………わたし、笑うことができてるんだ?
そっか。 笑えるんだ。
黒綺のことを振り切ろうとして前の生活に戻してしまおうとして、それがうまくかみ合わずぼろぼろになっていた自分を分かっているだけに、黒綺という存在を思い出すものを見ただけで――この場合は猫の首輪だけれど――私はなんなく笑うことができる。
どれだけ黒綺のことを想っているのだろう。
どれだけ黒綺のことを愛しているのだろう。
たった数カ月の出来事が瞳子の心に深く刻み込まれ、瞳子に影響を与えたのか。
その時になってやっと瞳子は自覚した。
すでに大阪の祖父母も父母も鬼籍にはいって久しく、瞳子には近親者というものが存在しなくなっている。
瞳子には、彼女をこの世界につなぎとめる者がないに等しい。
ただ、唯一友人である千紗の存在と、別の世界という未知のものに対する恐怖心が瞳子を向こう側へといざなわない。
そう考えると瞳子を縛るものは瞳子自身で。
この一ヶ月の間考えては蓋をしてきた想いが瞳子を揺さぶる。
―――黒綺の世界に……!
コンビニで温めたラザニアとサラダを買って公園に行くと、そこには日当たりのいいベンチに腰をかけた千紗とその千紗の膝の上で満足げに座っている猫がいた。
「遅かったわねー?」
ちょっとだけ恨めしそうに瞳子を見上げつつも、やたらになつかれた猫に対してはやさしく頭からしっぽにかけて撫でつけていた。
「ん~。 混んでたからね。 それにラザニア、温めてきたし」
そういいながら千紗の隣に座ると、千紗の分を取り出して渡した。
そのラザニアを受け取りながら、千紗は残ったもう一つの瞳子の分のラザニアを指して「それも頂戴ね?」といって奪っていった。
「ちょっ……! 千紗!?」
いくら大食いでもそれはないんじゃないかと思うんだけど。
瞳子が千紗から袋を奪い返そうとしたときに、千紗の膝の上の猫が立ち上がり、瞳子の袖を噛んで引っ張った。
「うわっ?! この猫、千紗の味方だねっ!?」
「……違うわよー。 その猫は瞳子の味方だよ?」
「いやいや確実に千紗の味方でしょ。 ほらまだひっぱるじゃん」
「あのねー? 瞳子はこのままこの猫と一緒に家に帰ったほうがいいと思うよー?」
千紗の目じりを上げてにんまりと笑う様をみて、瞳子はなぜかいつもの尻尾を見たような気になった。
「……なんで?」
「ん~。 猫ちゃんに聞いてみたら~?」
そういうなりごそごそと袋のラザニアを広げて、パクパクと美味しそうに食べだした。
「あ! それは私の!」
「ふっふっふ。 これは今日の情報代というものです。 ほおら、見覚えない?」
そういって猫についた黒綺の魔法具そっくりの首輪をみて『あっ!』と気がついた瞳子に、満足そうに千紗がうなずくと
「ほら。 家に帰ったら? 会社のほうには私が言っといていあげるから。 理由は何とでもお任せあれですからね~?」
「あ……ありがとう! 千紗、恩に着る!!」
そういいながら猫をむんずとつかんで、瞳子は猛ダッシュで自宅のほうに向かって走り出した。
あとに残された千紗は、ゆっくりと味わうようにラザニアを平らげていく。
これがこの世で一番美味しい食べ物のように。
「これでハッピーエンドにならないと、本当にあいつをぶっぱなしてやる」
私の苦労を知りやがれ!と一人ごとをいいながら、サラダも平らげる。
そうして一息ついてから、どうやってあの課長を撃退するか考え始めた千紗だった。