自主製作 第十三話
しらじらと空が明るみ始め、鳥の声が締め切ったマンションの瞳子の部屋まで聞こえてくる。
―――――あまり寝れなかったな……。
ソファの上で丸くなって固まった身体をうーんと伸ばして、朝の気合を入れた瞳子は夜入り損ねたお風呂に入ってから、そのまま朝のルーチンをこなしていく。
慣れっていうのはおっそろしいなあ。
ここ何日かしなかったことも、身体が覚えているから簡単にできるし。
千紗を何時起こそうかと考えながら、とりあえず朝食を用意する。
洋食系を用意したかったけれど、黒綺にごちそう(?)してしまったために材料が乏しくて、今回はおかゆと冷凍していた鮭を焼いて和食にした。
用意が整ったので衝立の向こうにいる千紗を起こしに行くと、すうすうと寝息を立てて気持ちよさそうに眠っていた。
顔色、戻ったかな。 目の下のクマも取れたようだし……よかった。
安堵したとたん、きらっと目が輝いてしまった瞳子は「千~紗~っ! おっはよっ!」といいながら掛け布団をぽーんと剥いでしまった。
そして体中をくすぐり始めると、ぎゃははと綺麗な顔からは想像もつかないしわがれた声で笑いながら千紗は跳ね起き、枕でばんばんと瞳子に応戦した。
ひぃひぃいいながらお腹を抱え、「お……おは…よっ!」といっては枕を投げる。
まるで修学旅行のお約束のようなノリでしばらく二人でじゃれあっていた。
「ひぃ~、もっもうたんまっ!」
「こっちの情勢が勝ってるからって、逃げる気か?!」
「あほあほ瞳子! 時間!!」
「あーーーーっ!」
温かかったはずの朝食はすでに冷えていた。
二人でそれを掻き込んで、身支度を整える。
そして急いで会社に向かったのだった。
会社に着くとロッカールームにはいり、パートのおばちゃんたちの心配と詮索をはねのけながら制服に着替える。
そして自分の席に座る前に直属の上司である課長のデスクに向かって、課長に無断欠勤のお詫びと謝罪をしに行った。
「……こまるんだよね。 急に休まれると」
「申し訳ありません」
「そんなに体調を崩しているんだったら、このさい長期休暇でもとっておく? まあそのときは辞表を書いてもらうけどね」
「いえ。もう大丈夫ですから」
「……病気だから仕方がないだろうけど、もう少しちゃんと体調管理してもらわないと困るからねっ!」
軽快な口調とは裏腹に、黒ぶち眼鏡の真ん中を押し上げながら瞳子を上から下まで弄るように見て、課長はねっとりとにやついた。
――――――どうせ男とでもしけ込んでたんでしょ
そうその目は呟いていた。
瞳子は吐気を催しそうな目線をきっちりと受け止め、自分は何も悪いことをしていない、病気で休んでいたのにという姿勢を全く崩さなかった。
けれど、急に変な目つきで見るようになった課長とこれからずっと仕事をしていかなくてはいけないのかとうんざりしたが、千紗の機転のおかげでこうやって病欠扱いされていたのだからと自分の気持ちに蓋をした。
「本当に申し訳ありませんでした」
もう一度だけ深々と頭を下げて課長に礼をとると、さすがにもともと自分のミスが瞳子の残業を招いたとわかっているだけにそれ以上の追及をせず「もういいから」といってしらじらしく机の上の書類に目線を落とした。
自分の机に行くと、休んだ間の書類が山のように積まれていた。
決済が必要なもの、納期がすでに終わっているもの、見積り期限が今日のものetc.。
ちょっと見ただけでも、課長がしなければいけない書類を全部瞳子に丸投げしているのがわかる。
仕方なしに積まれた上から仕分けをしていき、期限の過ぎたものに対しては相手先にお詫びの電話を入れ、見積りするものはすぐに業者に連絡をして無理やり割り込んでしてもらう手筈を整え、机の上の書類がある程度片付いたのは昼休み入って5分は過ぎたころだった。
「瞳子? ランチいける?」
「ごめんごめん。 行けるよ! 大丈夫!」
疲れ切った顔を千紗に向けて、そのままロッカーまで行き財布だけを持ちだして二人でいつものカフェに出かけて行った。
いつものカフェの、いつもの席に案内され、いつものランチを二人で頼むと、ひそひそ話が始まった。
ちなみにこのカフェに会社の人間が来ることはまずない。
だから誰にも聞かれるわけでもないけれど、話す内容が内容なだけにどうしても周りに聞かれたくなくてひそひそと話してしまうのだった。
「で?」
「……またですか? その手を前にも喰らったことが……」
「ふーん。 で?」
腕組をしてわざと反り気味に椅子に腰を掛け、目を細められて追求を始めた千紗に、瞳子はまるで蛇に睨まれた蛙の気分を存分に味わっていた。
―――――脂汗まででそう……
「で? いったいどういうことかなー?」
態勢はそのままににっこりとほほ笑む千紗のなんと恐ろしいことか!
―――――さすが悪魔・千紗。 追及の手を緩めようとは全くもって思ってなんていないよね
「えーっとですね? 黒綺がですね。 死にそうなほど大けがを負ったわけです」
「ふーん? その割には昨日見たときは元気そうだったわよー?」
「そうそう! 元気そうでしょ? あれはねー、私の力らしいです……」
「はあ?! なーに寝ぼけたことをいっちゃってくれちゃいますかね、この女は!」
「……そうですよねー」
そりゃあね、私だって自分が体験していないと全くもって信じられないですよ、本当に。
けれど本当なんだから信じて下さいってば!
それから事の次第を事細かに千紗に報告をしつつ、出てきたランチを食べ終わる頃に話が終わって現在に至るわけですが。
「ふーん。 まあ要約すると、瞳子ってば黒綺の『半神』と呼ばれる存在で、黒綺に癒しを与えることができるってことなの?」
「そういうことになりますかね?」
「そういうことにしかならないんじゃないのー?」
「ふーん。特異点だわー」と遠い目で自分のファンタジーな世界に入って行きそうな勢いの千紗だったが、我に返って瞳子に注意した。
「でもね。 どんな方法でもいいから連絡取れたでしょ? そういうの、大事だからね」
「友達辞めちゃうぞ~」と頬に手を添えて可愛い子ぶって言われてしまいました。
恐ろしい……。
けれど、千紗という友達がいるから、私は何とかやっているのです。
ありがとうね、千紗。
「じゃあもちろん、今日は瞳子の奢りでねっ! ごちそうさまっ!!」
そういって伝票をちゃっかり私に渡すのは、さすがです。
でも初めっからそうするつもりだったよ、千紗。
仕事に戻ってからも休んだ分以上に働かされて、結局定時には上がれず、なんとか家に帰りついたのは夜9時を少し回ったころだった。
一応病欠で休んでいたんですけどね……さすが課長。自分の仕事を全部私に押しつけてくれました。
首を回しながら部屋に入るといつものように通勤着を脱ぎすてて、ソファにダイブした。
そしていつもの癖でソファ横に置いてある紙袋から、ごそごそとロマンス小説を取り出す。
表紙の男女は、相変わらずの熱愛ぶりを発揮するかのごとく絹のシーツに皺を作ってまっぱで戯れていて、瞳子はちょっとうんざりしつつもパラパラと中をめくっていた。
結局全部読んでしまった瞳子だったが、ふと黒綺が訪れなかったことに気がついた。
まあ、あれだけ体力や魔力がなくなったんだから、仕方がないよね。
そう自分で納得をして、ベッドにごそごそともぐり、そのまま寝ついてしまったのだった。