自主製作 第十一話
がーがーがががーっ
何日か世話になっている家の掃除をしようと、瞳子は納戸の中にあった掃除機を引っ張り出した。
コンセントを見つけて掃除機を動かし始めると、鼻歌まで出てくる。
気持ちいいなあ。 やっぱり綺麗にするってすっきりするもんね。
黒綺のいる寝室は一番後からにして、リビングはやっぱり……沢山血が落ちたから、もう一度ちゃんと拭いておかないと。
そんなことをつらつらと考えて掃除をしていると、後ろから黒綺が抱きついてきた。
「ひあっ」
不意に抱きつかれるとどうしても変な声が出てしまう。
なかなかこういったスキンシップに慣れない瞳子だった。
「なにをしている?」
「ん~、掃除」
「別に今しなくてもいいいだろう?」
「だって、黒綺は元気になったよね? だから」
一体何の話だとばかり、黒綺が片方の眉を上げて質問を返した。
「ほら、だって。 もう怪我もないし、顔色も戻ったし、そろそろ潮時だと思う」
「……潮時?」
「だって私も仕事があるもの。 千紗もきっと心配してる。 こんなに長く連絡しなかったことなんてないし」
そのことを思うと、本当に千紗には申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
同じ職場なだけに、迷惑をかけているだろう。
「仕事など……。 瞳子、このままリエンに来たらいい」
「駄目だよ? そんなことを簡単にいったら。 私は今の生活を捨てたくないし、働いて自分自身を養うということがとても好きなんだから」
そんなことは知っている―――――瞳子と千紗が仲良く過ごしているあの世界を見てみれば。
ライも言っていたことだが、瞳子の世界は存外に面白い。 そしてあの世界にこそ魔法が溢れている。
そんな世界の住人を、私の世界にと願うのは難しいことなのだろう。
黒綺の端正な顔には深い悲しみが見てとれた。
「願いは叶えらないものなのか……」
「そんなことはないよ?」
いたずらっ子のように微笑んだ瞳子は、前に黒綺と話していたことを思い出していた。
――――――瞳子の手料理を食したい
黒綺と一緒にまどろんでいた昼下がりにふいに黒綺が言った言葉だった。
『なんでいきなりそういう話になるのかな?』
『千紗と一緒に朝食をとっていただろう?』
瞳子の作る料理は、姿見を通して美味しそうな匂いが立ち込めそうなほどだった。
千紗も瞳子も本当に美味しそうに食べていた場面が思い出され、黒綺は瞳子の作る料理を食べてみたくて仕方がなかった。
『うーん。でも食材ここにはないよ?』
『あちら側に行けばいいではないか』
『あ、そっか。 ……でも黒綺の魔力が回復したら、ね?』
『ああ、約束だぞ』
あのときの黒綺の目じりを下げて笑った顔は忘れられない。
その時のことを思い出しながら、瞳子は黒綺の『願い』を叶えようと思ったのだ―――――ただ、黒綺にしてみればそれも確かに『願い』だが、それとはまったく違う質の『願い』を叶えて欲しかったのだが。
わざとはぐらかしているのではないだろうか……?
そんな風に思ってしまう自分が浅ましかったが、それでも瞳子の天然ぶりを間近で見てきただけに否定も肯定もできない自分が忌々しかった。
そんな思いを振り切って、瞳子の腰に手をまわして、ちゅっと額にキスを軽くおとす。
黒綺の何気ないしぐさが瞳子にはまだ慣れなくて、顔を真っ赤にして俯いた。
「んじゃあ、部屋もある程度片付いたし、黒綺の願い通りご飯作ってあげる」
腰にまわした黒綺の手を自分の手に絡ませてリビングの片隅にある姿見の前にやってくると、姿見からすすり泣く声が聞こえてきた。
「え? どういうこと?」
「ちょっとまて。 場を広げるから」
黒綺が姿見に手を翳すと、そこに映し出されたのは見慣れた瞳子の部屋だったが、まだ魔力が戻りきっていないのか、焦点の合わない画像を見せられているようにぶれて見えた。
二重三重に重なった画像だったが、誰もいない部屋に人影らしきものが映し出された。
「……、空き巣? でも空き巣ならソファの上で泣かないよね?」
「あれは……千紗ではないか?」
―――――――え? 千紗?!
その人影を千紗だと確認した瞳子は、姿見にすがりつき手のひらを叩き始めた。
「千紗っ! 千紗っ!」
びくっと身体を震わせて、千紗が涙で濡れた顔を上げてガラス戸を見た。
「……瞳子?」
―――――――やっぱり、千紗。
千紗のその姿があまりにも悲痛で、何か悪いことが起こっているに違いないと瞳子は焦った。
「黒綺、早く向こうに!」
「分かった」
黒綺は持てる魔力を集中させて画像のブレを無くしてから、いつものように手を姿見に入れ込んだ。
にゅるり
姿見の向こう側である瞳子の世界に、二人は戻っていったのだった。
「……瞳子!」
ガラス戸から瞳子と黒綺が姿を現すや否や、千紗は駆け寄って瞳子に抱きついた。
「瞳子瞳子瞳子瞳子っ!」
わんわんと声を上げて泣く千紗を、瞳子はどうしていいかわからず千紗の長い髪をただ撫でていた。
「どうして連絡してこないの! どんなに心配したと思ってるの! ……ずっと、ずっと向こうに行ってしまって帰ってこないんじゃないかと、心配してたのよ!」
「……ごめんね、千紗。 でもこれには深いわけがあって……」
まるでメロドラマのような陳腐な言葉しか思い浮かばず、瞳子は黒綺に助けを求めた。
そんな瞳子をみて、千紗の何かがぶちっと切れた。
ばしっ
「……千紗?! なにしてるの?!」
「だって……! ぜんぶ黒綺が絡んでいるんでしょう?! 一体何日あっちに行っていたと思っているの? 会社だって……会社だって3日も続けて休めば誰だって不信に思うわよ!」
叩かれた頬を擦りながら、黒綺は千紗を見下ろして謝った。
「すまん、千紗。 どうしても瞳子を帰せなかったのは私のせいだ。 ……心配をかけた」
「そうよ! 心配なんてしまくったわよ!」
「……千紗……」
「ごめんね。 ありがとう」そう呟くと、瞳子は千紗に思いっきり抱きついた。
そうしないと、自分がどんなに千紗に迷惑をかけて、そして心配をかけているのかと思って居た堪れなくなるから。
「せめて……。 これからはせめて連絡だけはしてきてね?」
「うん。 ありがとう、千紗」
抱き合う二人を黒綺は複雑な思いで眺めていた。