附録 昔語り
本篇からちょっとはずれて、瞳子の子供の頃のお話を書いてみました。
***『お気に入り登録100名様越え』企画です***
本当にありがとうございます。
「おじいちゃん。 おくらにへんなんがあるねん」
その時私は小学校に上がる前だったと思う。
春休みや夏休み、冬休みという「休み」が付くたびに大阪の祖父の家に預けられていた。
祖父の家に向かう高速道路が近畿に入った瞬間に、私は大阪弁を話しだしたんだそうで、今でもそれは語り草になっている。
祖父の家は、第二次世界大戦の大阪空襲のときにも被弾を免れたらしく、100年は経っている古い家屋だった。
もちろん、トイレやお風呂は家にはなく、靴を履いて門構えの近くの場所に建てられた専用の場所にあった。
トイレはそれこそいわゆる「ぼっとん」で。
小さい私は怖くて、夜のトイレはいつも祖父に付き添ってもらったことを覚えてる。
お蔵も敷地内にはあったものの、もちろん靴を履いていかなければならなかった。
私の建物好きはこの祖父の家に由来すると思う。
「なんや、瞳子。 へんなもんってなんや?」
大きな目が印象的な祖父は近所でも評判の好々爺で、誰もが祖父のことが好きだった。
もちろん私も祖父が大好きで。
いろんなことを知っていて、なんでも根気良く教えてくれるこの母方の祖父が本当に大好きだった。
「あんな? おっきなえぇあるねん」
「おっきな絵? そんなんお蔵にあったかな?」
「うそちゃうもん。 ほんならいっしょにみてえや」
祖父の皺の深い手首を引っ張って、外にあるお蔵まで引っ張っていく。
古い匂いとしか言いようのない独特のにおいを放って、お蔵は扉を開けてそこにあった。
「ほら、おじいちゃん。 これこれ!」
そういって瞳子が差した絵は背景しか描かれていないもので、その背景も室内の変な方向からの構図で普通なら絵にしないようなものだった。
「ね? へんな絵やんな?」
瞳子は自分が初めてこれが見つけたようにすごく得意げに祖父に自慢した。
「ああ、これかぁ。 瞳子はようこれ見つけたなぁ」
「おじいちゃん、しんじてくれるん?」
「うん? なんでや?」
「だって、おばあちゃんにゆうたかて、おばあちゃんは『これは絵ぇやない』っていいはるねん。 『これは鏡や』ゆいはるねん」
何度祖母をお蔵に連れていって何度祖母に同じ言葉を言っても、帰ってくる言葉はいつも同じで。
それなら祖母ではなくて祖父に一度言ってみようと思い立って、祖父を引っ張っていったのだけど、その祖父が祖母の言うとおりというのではなくて、私の言うことを信じてくれたときは本当にほっとした。
「あんな、瞳子。 このことは他の人にはだまっとき」
祖父は指を一本立てて口に持っていき、しーっとかすれた声を出した。
祖父の年齢の人にはあまり見られないほどのお茶目な人だった。
「なんで? なんでだまっとかなあかんのん?」
せっかく「鏡」ではなくて「絵」として見てもらえる人に出会ったのに、自分の言うことは間違っていないと言ってくれる人を見つけたのに、黙っておかなければいけないのは納得がいかなかった。
「これはなぁ、瞳子とおじいちゃんだけの秘密や。 秘密、知ってるやろ?」
「しってる! ゆびきりしてだれにもはなしたらあかんねん」
「そうや。 瞳子はよう知ってるなぁ。 そうや、ゆびきりしようか」
そういって指きりをして、『絵』のことは祖父と私の二人だけの秘密になった。
それから、母の実家に行くたびにお蔵に入り、不思議な絵を見ることが多くなった。
鉛筆や画用紙を持ちこんで、「絵」の絵を描くことも多くなった。
ある時、実家にいってすぐにお蔵に行くと、『絵』が変わっていた。
背景はそのままで、男の子が描かれていたのだ。
その男の子は、とても不思議な格好をして、それでもその格好は上等のものだとわかるほどのもので。
椅子の上でうたた寝をしているように描かれていた。
――――――王子様や。
絵の中の男の子は、小さな私にとって王子様だった。
自分よりも少し年上の男の子。
綺麗な変わった服を着て、柔らかそうな黒髪を椅子の背もたれになびかせて。
――――――きれいや……。
ぼうっと見とれていると、家のほうから私を呼ぶ声が聞こえた。
名残惜しかったけれど、母に呼ばれてしまっては行かないといけない。
どうせまた後から見れるし。
深く考えずにお蔵を後にした。
「おじいちゃん。 えぇかえたん?」
祖父と二人きりになったときに、ずっと聞きたかったお蔵の絵のことを聞いてみた。
「なんや。 藪から棒に」
「えぇのなかに男の子おるやん」
「……男の子?」
祖父は全く分かっていなかったようで、二人でお蔵に絵を見に行くことにした。
すると、椅子に凭れかかって寝ていたはずの男の子は書かれておらず、前の不思議なアングルの部屋だけの絵がかかっていた。
「……おらへんようになってる。 なんでやろ……」
さきほどまでは確かに描かれていた綺麗な綺麗な男の子の絵が、そこだけぽっかり無くなって、元の部屋だけの絵に戻っていた。
「おうじさま、いたのに……」
こんなことなら母に呼ばれた時に行かなければよかった。
男の子って乱暴で意地悪で、カッコいいなんて思ったことは一度もなかったのに。
絵の中の男の子は、たしかに私にとって王子様以外何物でもなかった。
それなのに。
「なんや。 この絵ぇに、男の子おったんか?」
「……うん。 ほんまにおってんで? うそちゃうで?」
泣きそうになった私の目線に合わせるように祖父はしゃがみ込んで、その大きな手を私の頭にぽんぽんと置いた。
「嘘やなんて思ってない。 瞳子が見たんは本当に王子様かもやで?」
にっこりと笑った祖父の顔は、私の言葉を肯定してくれていた。
「でもなあ。 ほんま驚きやで? 瞳子に見えるなんて思わんかったわ」
「?」
「これはな。 おばあちゃんが言うように本当は鏡なんや。 でもな。 瞳子にもおじいちゃんにもこれは鏡とちゃうやろ?」
「う……うん。 ちゃう」
「これはな。 そういう力がある人にしか見えへんもんやねんで? 和子(瞳子の母親)には見えへんかったのに、瞳子にみえるようになるやなんて。 運命かもしれへんな」
祖父の言ったことは、小さな私には半分も理解できなかった。
けれどその時にまた、秘密を共有して、祖父と指きりをしたことは覚えている。
それからしばらくして、祖父が亡くなった。
わたしはお蔵の絵の前で、祖父と二度と会えないことを理解して、そして周りの悲痛な雰囲気に圧倒されて泣き崩れていた。
すると、ぽんぽんと、祖父が前にしてくれたように頭をやさしく叩く小さな手を感じた。
その優しい手を感じて顔を上げると、絵の中の男の子の手が絵から飛び出して私の頭に置かれていた。
「泣くな」
男の子は王子様らしく横柄な態度で、それでも泣いている私を気遣っているのがわかった。
「泣くな。 あいつが悲しむ」
あいつというのが誰かわからなかったけれど、王子様が言うのだから泣くのは止めようと努力した。
なんとか泣きやんで、絵の王子様にお礼を言おうとしたら、そこには誰もいなかった。
ただいつもの部屋の風景だけがそこにあった。
しばらく待ってみても当然のように何も起こらなくて、先ほどのことは泣き疲れた私の夢か何かだと思ってお蔵を後にした。
あれから何度か母の実家に行くものの、お蔵の絵は「絵」ではなくただの「鏡」になっていて、私の記憶がおかしいのかどうか誰にも聞くことができなかった。
それでも『王子様』は私にとって憧れで、必要な時に手を差し伸べてくれる人だった。
大人になって、私は『王子様』が書かれている小説を読むようになった。
ロマンス小説はクラッシックになるとお姫様と王子様の話が多くて、自分をお姫様にたとえて読むと、あの絵の王子様が何時でも私のそばにいてくれて、何時でも私を励ましてくれる錯覚に陥ることができた。
クラッシックのロマンス小説をほとんど読破してしまうと、次は現代のロマンス小説にのめり込んだ。
王子様を主人公の男性にして、自分は主人公。
いつでもどこでも王子様と私は最後には幸せになっていく。
たった二回しか見たことのない王子様をロマンス小説を読むことによって私はずっと追いかけている。
今日も新しい本を読んで、あの時の王子様をみじかに感じれたらと願った。
えーっと。
ちょっと堅苦しい文章になってしまいました(泣)
瞳子がロマンス小説を読むきっかけになったお話でした。