別冊Ⅱ 黒綺
一体どこまで我慢を強いられなければならないのか?
さきほどから瞳子の手が私の体を這いまわる。
手を止める場所場所が怪我のあった所だと思われるから、本人は怪我の確認をしているつもりなんだろうが……こういう風に撫でまわわされて、私が起きないとでも思っているのだろうか?
襲いたくなる。
撫でまわる手を掴んで頭の上で押しつけ、組み敷きたくなる衝動を。
もしくはこのまま足を瞳子の身体に押しつけ、思う存分瞳子の身体に唇で私のしるしをつけ回したくなる衝動を。
堪えるのにどのくらいの忍耐が必要か、瞳子はわかっているのだろうか。
昨日の実験で召喚したモノは、予定していた騎獣とは違い、強大な皮のような羽を持ち鋭い牙と爪を持つ龍だった。
どこで召喚呪文を間違えたのかは全くもってわからない。
術式に間違いはなかったはず。
それなのに騎獣は現れず、なぜそれ以上の高位である龍が召喚されたのか?
今まで私の召喚魔法に失敗はなかったので、無防備に見守るだけであった臣下どもが防御の魔法も虚しく次々とその鋭い爪に倒されていく。
魔力上位の龍相手にその魔力ですでに劣っている人間の防御魔法なぞ、かけていないにも等しいものだから。
召喚した本人である私が龍を抑えないと、龍は黒く染まって闇に落ちてしまう。
そんなことになったら、この国は滅びてしまうだろう。
私は焦った。
もし……もし、私が失敗したのなら。
この国に私以上の魔法使いはいない。
それは必然的にこの国の崩壊を招くということだ。
この国の皇太子であったこともあるこの私がこの国を崩壊させるというのか……?
己が召喚の失敗を償うべく、そしてあわよくば龍をわが友とするために持てる知識と魔力と時間をかけて、龍を抑え込むべく挑んだのだ。
戦いは、召喚を始めた早朝からほぼ一日。
召喚した直後はそれこそ不愉快な状況に暴れていた龍だが、その後は一見しただけでは私と龍が単に睨みあっているだけにしかみえない、そんな戦いであった。 が、その実は頭に鳴り響く龍の声と魔力に押し潰されないように攻防していた。
ちっぽけな人間よりもはるかに龍のほうが体力的にも優れている。
このまま私の体力が不足して、魔力よりも先に精魂つきはててしまのうではと怪しんだ直後、龍は動きを見せた。 その暴力的な緒を横に振り、私に攻撃を仕掛けてきたのだ。
そのあとのことは、あまり覚えていない。
気がつくと龍は肩に乗れるほどの大きさになり、私はあちこちに怪我を負っていた。
起き上がろうとしたときに背中に強い痛みと熱量と背から身体に流れ伝ってくる血液が負った怪我の大きさをものがたり、それは死と直結していることに否が応でも気付かされた。
このままでは――――――。
瞳子の顔が脳裏に浮かぶ。
ねこだったときによく見せた、とろける様な優しい顔。 怯えた顔。 怒った顔。 ―――――笑った顔。
まるで死に逝くときに見ると云われる走馬灯のように浮かんでは消えていく。
駄目だ。
このままでは。
持てる最後の力を振り絞って、私は異次元の瞳子の家へと飛んだ。
そしてなんとか姿見まで辿り着くことができた。
どんっ!
「と……瞳子……!」
姿見を叩きつけて、半身を呼んだ。
いつもと違う私の声を聞きつけて現れた瞳子だったが、私にはもう魔力が残っていない。 瞳子のところまでどうしても行けない。
けれど今ほど瞳子の力を欲するときはなかった。
魔法具を付けて、こちらに渡ってくれさえすれば――――!
「きゃあぁぁ! 黒綺っ!?」
悲鳴に近い瞳子の声を聞いて、なんとか瞳子のガラス戸と姿見がつながったことを確認した。
「瞳子。 こちらに……来……」
どさっ
「黒綺ぃぃっ!」
瞳子の悲鳴を最後に、記憶がない。
半身である瞳子であれば私を癒すことなど容易いのだが、ただどうすればいいのか分からないはずだった。
それなのに、次に気付いた時には傷口がすべて無くなっていた。
血の気がないためにふらふらとしてはいたが、それでも傷口の痛みやうずきがないというのは身体を随分と楽にしていた。
横には裸で眠る瞳子がいた。
たぶん、冷えた私を温めてくれていたのだろう。
愛おしい。
寝ている瞳子の濡れた長い髪をひと房掬いあげ、唇を落とす。
血の味がする、美しい髪。
半身だからというだからではなく、瞳子という存在が私を癒してくれる。
ふらつく身体を圧して、瞳子を寝室のベッドへと運んだ。
床の上では疲れ切った身体を休ませることなどできないだろうから。
そして私もそのまま、横たわる瞳子の横に滑り込み、抱きかかえるようにして眠った。
瞳子の柔らかくて温かい肌を、手に、足に、胸に感じる。
規則正しい息が、私の胸を擽る。
その体温が存在が、私に力を与えてくれる。
―――――離れられない。
この存在を知った以上は、私は離れては生きてはいけない。
束縛。
そうだ。 私は瞳子に縛られている。
からめ捕られている。
それでも瞳子を知りえなかった昔になど戻りたくはない。
――――――この至福を知ったからには。




