自主製作 第七話
「と……瞳……子……!」
だんっ! だんっ!!
ガラス戸を叩く振動が、空気を伝って洗面所まで聞こえてきた。
「え?! 黒綺、どうしたのっ?!」
バスタオルをささっと身体に巻いて急いでリビングのガラス戸まで行くと、ばんばんと戸を叩く音が聞こえるけれど、黒綺は姿を現さない。
「……黒綺? 入っていいよ?」
いつもとはあまりにも違う黒綺の来訪で、何がどうなっているのかさっぱり分からない瞳子はこわごわ声をかけてみた。
「……瞳子……。 頼む、こちらに来てくれ」
切羽詰まったような、苦しいような、喘ぐような。
そんな声に押されるようにガラス戸に手を差し伸べても、指は当たり前のように弾かれる。
「黒綺……?」
「魔法具は、はめているか?」
「今ははずしているけど」
「付けてくれ」
その短い会話の間すら、黒綺の声は掠れて、ぜいぜいと荒い呼吸もガラス越しに聞こえてくる。
一体どうしたんだろう、昨日までは普通に元気だったのに。
急いで洗面所に置いてある首輪をつかみ、向こう側に行くならとバスタオルを取ってホームウェアに着替えて戻ると、ガラス戸の向こうから痛みを堪える黒綺の悲痛なうめき声が聞こえてきた。
「黒綺、魔法具つけたよ」
「……そうか。 ではその付けた手……をここに翳して」
「……こうかな」
言われるままに手のひらをガラス戸に翳すと、ぶうんという音とともにガラス戸に両手を体に巻いてうずくまる黒綺の姿が映し出された。
「きゃあぁぁ! 黒綺っ!?」
悲鳴に近い瞳子の声を聞いて、うずくまっていた黒綺が顔を上げた。
その顔はまるで死人のような色をして、けれど頭部から流れ落ちる血の赤がグロテスクな印象を与えた。
「瞳子。 こちらに……来……」
どさっ
「黒綺ぃぃっ!」
言葉を紡ぎ終わる前に崩れるようにその場に倒れてしまった黒綺の、名前を叫んでもピクリとも動かないその姿をガラス越しにしか見ることができない。
黒綺を助けたくても助ける手立てが思い浮かばない。
こうやってまるでテレビのようにガラスを通して見ているしかないのか。
でも、向こう側が見えているのなら、もしかしたら行けるのかもしれない……!
翳した手をそのままガラス戸に押し付けると、
にゅるり
異世界への扉は開かれた。
「黒綺!!」
姿見から身体を出すと、そこには先ほどガラス越しに見た通り、黒綺がうつ伏せになって倒れていた。
急いで駆け寄り、倒れた黒綺の身体に手をかけると、マントがべっとりと濡れていた。
驚いてその手を見てみると、手のひらには赤い血が付いていた。
怪我をしてる?! 傷はどこ?!!
重く苦しそうなマントを脱がせ、傷を探そうと着物に似た衣裳をほどいていくと、黒綺の背中に動物の爪にえぐられたようなグロテスクな傷口がぱっくりと開いていた。
そこから鮮血が溢れるように流れ出す。
止血! 止血しなくちゃ!
ああでも、何でいったい止血したらいいんだろう。
四肢であれば傷口より心臓に近いところを縛ればいいのだけど、背中だと……どうすればいいのかわからない。
大動脈を傷つけられているのであれば……もうすでにこの世にはいないけれど、でも黒綺はまだ生きているから大丈夫のはず。
そうすると、傷口をくっつけて押さえればいいのかな?
考えている間にも、背中からの出血は止まらない。
瞳子は寝室に行き、シーツを割いて包帯代わりにしようと思いついた。
急いで。 急いで! ほら、がんばれ!!
自分を叱咤しながら、見たこともないほどの酷い傷口をふさぎ、動かすたびに痛みに呻く黒綺に「ここにいるから。 大丈夫だから」とやさしく励ましてなんとかシーツを巻きつけ終わった。
「大丈夫。 黒綺は助かる」
自分に言い聞かせるように呟くと、黒綺の傷だらけの手をとって、祈るようにキスをした。
その手に水が付いているのを見て、瞳子は自分が泣いていることを初めて知った。
私が泣いてどうする! しっかりしろ!!
ああ、他にも怪我をしているかもしれない。 見て見ないと。
片方の袖で涙をぐしぐしとふき取り、他の怪我を確認しようと黒綺の手を放そうとした時、何か違和感を感じて手を見てみたら――――――さっきたしかにあった傷がない。
――――――――――どうして? どうして傷がなくなってるの?
たしかに傷があった証として、手の甲にはまだ血が付着している。 けれど、そこにあったはずの傷がみあたらない。
えーっと? えーっと??
黒綺、もしかして傷がふさがるのがとてつもなく早い特異体質だとか?
それとも魔法を使って……そうそう、治癒魔法っていうんだっけ?こういうの。 ゲームでもあるもんね、治癒魔法。 それを使ったのかな。
傷がなくなった手と反対の手をみてみたら、まだ傷が塞がっておらず、そこから血がじわっとにじみ出てきていた。
え? 治癒魔法じゃないの?
じゃあどうしてここの傷はなくなっているの……?
さっきまでたしかに合った傷が、綺麗に無くなった手。
傷がなくなる前に何をした?
―――――――――まさか……まさかさっきのキス?!
冗談きっつ。
でも、冗談みたいな話を黒綺と出会ってから沢山経験してきたんだから、もしかして本当にそうなのかも?
そう思って、試しに治っていないほうの手の傷にキスをした。
しゅううううううう
傷口が急に熱をを持ち、蒸気とともに細胞がまるで意思を持つかのように綺麗に再生していくのがわかる。
……うそみたい。 私のキスで怪我が治るなんて!
でも、この力があれば背中の怪我を治せるんじゃ……!
いてもたってもいられず、ほどけないようにきつく結んだシーツを苦戦しながらほどき、露わになったえぐり取られた皮膚の上にキスを一つ落とすと―――――――やはり先ほどの手と同じ効果が表れた。
すごい! これで黒綺が治る!
意識を失っている黒綺に「まっててね」と声を掛け、そのまま背中の傷に唇を落としていく。
黒綺の血が唇を伝って瞳子の舌に、口に入っていく。
黒綺の血の味が感じられる。 けれど、それを厭っている暇はない。
流れゆく血は、すなわち黒綺の命なのだから。
これ以上一滴の血も流させないために、まるで猫が傷を舐めるように瞳子は傷に舌を這わせていった。
その這わせた場所から次々と蒸気が立ち上り、細胞が再生されていく。
小一時間くらいそうやって傷を舐めていくと、黒綺の怪我と怪我は見事に無くなり癒されていた。
「よかったぁ……!」
口の中の血が気持ち悪いけれど、それよりも黒綺の怪我が無くなって、本当によかった。
あとは、黒綺の血で汚れた服を替えたいけれど、この家に着替えがあるのかな。
身体についた血も拭き取ってあげたいし。
ああそれに、こんな床じゃあ治るのも治らないから、せめてソファに寝かせないと。
包帯代わりに使ったシーツをキッチンに持っていき、そこでささっと洗って軽く絞って黒綺の身体を拭き始める。 けれど血の量が多かったのかすぐにシーツは真っ赤に染まるので、洗っては拭き、拭いては洗いを繰り返ししてやっと綺麗に血が拭けた。
それが終わると、寝室に戻ってクローゼットに何か入っていないか確かめたけれどやはり本来の住まいではないせいか何もなく、仕方がないので枕と蒲団を運んで、黒綺の頭の下に添え、包むように蒲団をかけた。
黒綺の落ちついた寝息を聞いてやっと瞳子も自分のことを考える余裕ができたので、そのままお風呂に行き熱いシャワーを浴びて日ざまづいたときに髪についた血や舐めたときに顔についた血を洗い流した。
ホームウェアは黒綺の血で汚れてしまったので、シャワーを浴びたときに一緒に洗ってしまった。
服はないけど、タオルがあるからいいよね。 どうせ黒綺は意識がないし。
バスタオルを巻いて黒綺のいるリビングにもどると、黒綺は身じろぎもせずそこに眠っていた。
傷口を塞ぐまでに流れ出た血のせいで、血の気が全くない青白い顔と蒲団にくるまってもまったく体温を感じさせない身体。
いくら傷口が塞がっているといっても、ここまで血の気がないのは……。
まずい、と思う。
シャワーを浴びた後のほかほかした身体。
これを湯たんぽにすれば少しはましになるかも?
濡れたバスタオルを外し黒綺に巻き掛けた蒲団のなかに潜り込んみ、自分の体温が少しでも伝わるようにと黒綺の身体にできるだけ密着した。
そして疲れからそのまま寝入ってしまった瞳子なのでした。