一冊目 第二話
うっわー、ありえなーい。
だいたいロマンス小説の表紙を飾る男って、二枚目俳優ばりばりなんですけど。
脂肪なんていっぺんもなくて、頑丈そうな筋肉で。
黒い瞳黒い髪。 そして西欧人特有の彫の深い顔立ち。
見慣れないハンサムさ。
目のやり場に微妙にこまってしまう!
いや、待て。
この凄い美形さんは、変態なんだよ!
そこ、大事。
「やはり、瞳子ではないか」
ふわんと柔らかくて太い声で、嬉しそうに目じりに皺なんて刻んで名前を呼ばれてしまった―――――え? どうして「瞳子」が私だとわかるの?
そして「さあ私の胸に飛び込んでおいで!」とばかりに両手を広げ、美形な変態は私に近寄ってきた。
「よ……よるな! この木刀が目に入らぬか!」
「そんな弱そうな木の刀なぞ、何とも思わん。 ……瞳子。 やっと会えてうれしくないのか?」
えっと。
私、変態さんとは初対面ですが?
私が未だかつて会ったこともない変態と会えて嬉しいなんてどうして思うんだろう?
それにしても美形の切なそうな顔っていうのは、破壊力がすごいね。
それだけで全てを許してしまいそうになるよね。
駄目だ駄目だと思いなおして、木刀を握る手を強めて瞳子は目の前の男をぎっと睨みつけた。
「瞳子……」
ため息をつかれてしまった。
これって、私が悪いのか? 私が悪人か?
この超絶美形な変態にため息をつかれるほど、私が悪いことをしたのか?
「前、はだけてるぞ?」
その言葉にまさかと思いながらゆっくりと目線を下に下げると……
「ぎゃああああああぁぁぁっ!」
叫びながら座り込みましたとも!
そして足元に落ちた布を拾い上げて、今さらながら隠しましたよ!
「ぷっ」
「笑うな!」
羞恥で耳まで真っ赤になるのがわかる。
羞恥で足に力がはいらなくて、体勢を整えようにもうまくいかない。
変態の前でこんな格好じゃあ、どうしようもない。
「赤くなった瞳子も可愛いな」
耳元で低く呟く声に、瞳子は思ってもいないところがじんと疼いたことに驚いてうつむいていた顔を上げると、変態な美形の顔が目の前にあった。
襲われる!
けど、逃げれない! 足に力がはいらない!
「……そんな顔をするな」
私が怖いのに、私のほうが怖いのに、その変態は私以上につらそうな顔をする。
そして私を見ない様にするために、この状況の中、顔を背けたのだ。
――――変態の不審者なのに。
私の頭があまりの恐怖でおかしくなったのか、そのつらそうな顔がみたくなくてつい手が伸びてしまった。
寂しげに下を向いた顔にかかった黒い髪の毛をそっと払ってあげて。
浅黒の、よくみたら意外とごつい顔を両手にはさんで、私はおでこをこつんとくっつけていた。
「そんな顔、しないで」
「……瞳子」
もし襲われるとしたら、さっきからその機会は十分にあったはず。
うん。 そうだよね。
それなのにそんなそぶりも見せてなかったのに、勝手に怖がったのは私。
まあ、不審者だし。 現れ方が奇術だし。 こわがるのは当たり前なんだけど。
なんでかこの人、私を知っているようだし。
だから、大丈夫。
「ねえ? あなたの名前、知らないんだけど?」
「名前? 名前なら知っているだろう」
「知らないよ。 だって今日初めて会ったでしょ。 ……まさかストーカー?」
「すとーかー? すとーかーとはなんだ?」
はい。 外国人説、なくなりました。
それとも英語圏説か?
どちらにしても、生粋の外国人ならこんなに流暢に日本語は話せないでしょうな。
「私の名前、本当にわからないのか?」
「いや、そもそもあなたを知らないから」
その言葉を聞いたときの驚いた顔がすごい!
「がーん」という効果音が聞こえてくるかと思ったわ。
「……そうか。 瞳子は分かってくれると思ったのだが」
「まったくわかりません」
あ。 思いっきり今とどめを刺したようです。
効果音すら聞こえなくなりました。
「わかった。 瞳子が思い出すまで、私は何度も訪ねよう」
……ちょっとまて?
立ち直り、早すぎませんか?
ってか、この美形な変態、またここにやってくるつもりか!
「結構です」
やばい。 私の馬鹿!
ここは下手にでて、二度とこの部屋にやってこない様に仕向けるところでしょ。
それなのにきっぱり言っちゃってまあ……本当に学習能力がないわ、我ながら。
どーしよ。
「ふふ。 瞳子はあいかわらずだな」
あれ? 笑っていますよ。
どういう変態さんでしょう?
ともあれ、なんとなく助かった感あり?
「今日は時間がないので帰るが、またくる」
ちゅ
首筋に軽くキスをして、変態な奇術師はやってきたガラスサッシに手を入れてにゅるっと姿を消したのでした。
……ちゅ?
ちゅ、したよね。 首筋に?
ふ……ふはははは。
そして私はそのままソファに倒れこみ、現実逃避という名の気絶をしたのでした。
**********
カーテン越しに、高く上った太陽が見える。
やばい! 遅刻!
乾燥した肌が、化粧を落とし忘れて寝たことを物語っていた。
ペーパーバックを読みながら寝たようで、パジャマも着ないで下着姿のまま。
まあこの方が早く着替えられるけどね。
それにしても昨日は変な夢をみたなあ。
読んでた小説の主人公が、この部屋にやってくるわ、私を知っているようだわ。
そして……そして。
帰りがけに首筋にキスしていった!
うわぁ
思い出すだけでもわけがわからない状況で。
そして首筋に、キス。
未だに誰にもされたとこじゃないとこなのに!
わたしって、欲求不満さん?
恥ずかしくなって冷水で顔をざぶざぶ洗って、タオルでごしごしと余分なことを忘れ去るように擦る。
顔を拭き終わってタオルを下げると、件の首筋がみえた。
そう簡単には忘れられない。 それが夢でも。
腰が砕けるような低く響く声で、私の名前を呼んでくれた。
意外とかわいらしい一面もあった美形の変態さん。
帰り際に、首筋にキスをして……
ん?
ええええええ?!
キ……キ……キスマーク!?