龍の堕とし児
「あんた、今年のお盆は必ず帰ってきなさい!」
電話口で母の話を聞いてから暫く経った後、俺は丘水村の自宅へと帰って来ていた。
残暑残る昼下がり、縁側の風鈴がぬるい風にチリンと鳴いた。
「あんた、祭りの準備はどうしたの?」
「え、俺出るの?」
そんなことは聞いていなかったと母に抗議するも、「仕方ないじゃない、今年はあんたの番なのよ」と碌に説明をしてくれない。
「別に選ばれなければ大丈夫だから。あんた、ちゃんと牛肉は食べていないわよね?」
「あ、あぁもちろんだよ」
嘘である。俺は都会の大学に通ってすぐ、付き合いで焼肉に行った。こんなにも美味いものがこの世にあるのかと食べに食べまくった。
村の掟なんて、俺には知ったことではなかったからだ。
「それならいいわ。今年20歳になるあんた達を龍神様に見せないとならないんだからね」
母はそう言って、近所の家まで出かけて行った。
俺は仕方ないので、呼ばれていた丘水神社へと歩いていくことにした。
「あちぃ」
ポタリと汗が土に落ちた。
こんな暑い中で何もやらなくてもいいのではと思わなくはないが、仕方がない。俺は神社の鳥居を潜り、中にある家のインターホンを押した。
「いらっしゃいね」
神主は俺を涼しい部屋に招いた。俺は出された麦茶を飲みつつ、ニコニコとする神主と対面した。
「ようこそ来てくださった。今時は都会に出たら帰ってこない若者が多い中、君は良い子だな」
「ウッス」
良い子と褒められては悪い気はしない。俺は麦茶を飲みつつ緩んだ頬を隠した。
「それで、ちゃんと牛肉は食べて来たかね?」
俺はその言葉に不穏なものを感じ「どうしてそんなことを聞くんですか?」と聞き返した。
「龍神様はな、昔は牛をよく好まれていたんだ。龍神様に気に入られるのは、やはり牛を食べた者とされている」
「その、龍神様って何すか」
俺が聞き返すと、神主は大変驚いていた。
「君は何も知らずにここに来たのか」
「あ、はい」
神主は少し考えた後、龍神様の説明を始めた。
「龍神様はな、昔々この地を興して下さったのだ。山脈の一部を削って、水湧くこの地を人の住める場所にしてくださった」
「あ、なんか聞いたことある気がする」
「そうだろう。そして、人々は龍神様を祀ったのだ。いつもの豊かな水の恵みに感謝するためにな」
「なるほど」
俺は神主の話に納得した。
「じゃあ、俺は具体的に何をすればいいんすか?」
「龍神様の御供として、舞を奉納するのだ」
「え、踊るってことすか」
神主は俺の言葉に頷いた。俺は村イベントの中でも特に面倒そうなものがやってきたと逃げ出したくなった。
「これは非常に栄誉なもので、これを断ると君の家族の肩身が狭くなるだろうな」
俺は母や祖父の顔を思い出し「やります」と答えた。
「まずは、この服に着替えてくれ」
そうして出されたのは、白いばかりの袴だった。
「着方がわかんねー」
「私が着せる」
あれよあれよという間に、俺は白い袴を着せられていく。
「これ、帯切られたら終わりじゃないっすか?」
「そうだ」
俺は神主の言葉に「心許ねー」と言いつつも、村の行事ならば仕方がないと着せられるがままになっていた。
神主は俺に踊りを教えた。
「そこでこう。膝を曲げて腕を上げ、こちらを向く」
「ウッス」
俺は神主の言う通りに動き、汗だくになりながらも稽古を終えた。
「ところで、俺以外の奴は?」
「今年帰って来たのは君だけだ」
「マジか」
小さな頃は同い年の幼馴染が何人かいたはずだが、誰も帰ってこなかったらしい。なんて薄情な奴らなんだと思わなくもないが、確かにこんな踊りとかさせられるのは面倒だろうなと思い直した。
「これなら、当日も大丈夫だろう。明日の夕方にまた来ると良い。その時が本番だ」
やっと俺を解放した神主は、そう告げて俺を家に帰した。
「母さん、ただいま」
「よく帰って来たね。おかえりなさい」
母は俺の好きな料理を机山盛りに作って待っていてくれた。
「もしかしたら、お前が選ばれてしまうかもしれないからね」
「選ばれる?」
「そう、龍神様はね、時折出来の悪い子を良い子にして戻してくれると言うからね」
俺は母の言う意味が分からずに「どゆこと?」と聞き直した。
「あんたにいつも言ってたじゃない。悪い子は龍神様に食われちまうよって」
「それがどうして良い子になるんだよ」
俺が唐揚げを摘みながら聞くと、母は「龍神様のご加護をもらうと、良い子になって帰ってくるんだよ」と言った。
「あれさ、あるでしょ。大仏の鼻の穴と同じ大きさの穴を通ると良いとか、神社に輪っかがあって通るとご利益があるとか。それの一環で、成人の儀式の時に、龍神様の胎内回帰をするんだよ」
「ふーん」
俺はよく分からなかったので、適当に相槌だけ打っておいた。
その晩、俺は虫の声で目を覚ました。違う、スマホに連絡が来ていた。懐かしい幼馴染からだった。
[お前、まさかとは思うが実家に帰っていないよな]
[実家はマジでヤバい。帰ってるんだったら早く逃げろ]
「んー?」
[俺今実家だけど大丈夫だよ]
[明日、なんか神社で踊るみたいなんだよね。ダンシング!]
とりあえず返信してみたが、返事はこない。時間を見ると既に丑三つ時であった。寝ているのだろう。
明日に備えて俺はスマホを切ってそのまま寝た。
そして、寝過ごした。時計は12時を回っている。
「今日は神社行くんでしょ!」
俺は昨日の残りの唐揚げを食べつつ、母にそう急かされていた。
「あんた、本当に牛肉なんて食べてないでしょうね?」
「う、ウッス」
母は低い声で俺に再度確認してくるが、俺はあまりの迫力に本当のことは言えず終いだった。
「よく来たね」
神主は昨日と同様にニコニコと俺を迎えてくれた。
「龍神様は清い神様だ。だから、君もまずは身を清めてくれ」
そう言われて服をひん剥かれた俺は、滝で水浴びをしていた。夏だというのに水はかなり冷たく、身体が冷え切った頃に神主は俺にタオルを渡してくれた。
「次は、龍神様について学ぶと良い。ここに資料があるから、適当に読んで過ごしてくれ」
俺は書庫に通され、目の前に様々な書物が置かれた。俺は読むのが面倒だと思い、一番簡単そうな絵本を一冊読むこととした。
[昔々あるところに、一人の男がいました。その男は農家の末っ子で、渡された田畑は下々畑と呼ばれる日も当たらない砂利だらけの乾いた場所であり、作物は何も育ちませんでした]
「下々畑って何だよ」
スマホで調べてみると、[江戸時代などの近世における、畑の生産力を示す最も低い等級]のことらしい。昔は米が年貢として税金の代わりになっていたらしいので、これは致命的だろう。
[ある日、男は洞窟に入りました。そこで目にしたのは、一体の龍神様でした。男は龍神様に水を願うと、龍神様は洞窟に穴を開け、滝として田畑を潤しました。男は神社を建てて、龍神様を祀りました。これが、丘水村のはじまりです]
「ほぇー」
俺は何も興味がなかった村の成り立ちを少し知り、何となく興味を持つこととなった。
スマホで色々と調べてみると、龍神とは水の神様で、つまりは洞窟を割ったら水が吹き出したのを神様に見立てているのではないかというのがAIの見解だった。
「なるほどなー」
俺は龍が見れるのかと思ったのに現実的な話となって、つまらなくなり絵本を閉じた。
「そろそろ時間だ」
神主が俺を呼びに来た。そして神主は俺にこの前の袴を着せた。俺も二度目だったので戸惑うことなく袴を着せられていた。
「では、今から歩くから、気をつけて着いて来てくれ」
「えっ、聞いてない」
「言ってないからな」
神主はフッと笑うと、俺の手を引いて山道を歩き始めた。
山道は意外と歩きやすくなっており、俺は何度も躓きかけながらも、陽が落ちる前には洞窟に辿り着けた。
「この奥だ。私はここで待っているから、君一人で行くんだ」
「え、嫌です」
俺は神主の腕を掴むと「仕方ないな」と神主は俺を先導するように歩き始めた。暗くなって来たので俺がスマホを出してライトをつけると、「私が持とう」と神主がスマホを持って先を照らしてくれた。
洞窟の中には水晶が埋まっているのか、時折チラチラと光を反射して綺麗だった。
洞窟の奥には、チロチロと水が流れ出して溜まっている場所があった。
「ここの水を飲んでくれ」
「はい」
俺は疲れていたのもあり、素直に水を飲んだ。その瞬間、ぐらりと視界が歪んだ。
「少し休むといい」
神主のその言葉を最後に、俺は意識を失った。
「その小僧が今年の成人か」
声ならぬ声、低く耳から受け取った訳ではない不思議な振動に、俺は目を覚ました。
何だか硬質なものが擦れ合う音がする。だが暗くてよく見えない。俺は咄嗟にスマホを出そうとしたが、神主に渡したことを思い出した。
「暗い」
「そうか」
ボウッという音と共に、水色の炎が灯った。俺が身体を起こすと、まずは波打つ髭が目に入った。次に、長い蛇のような身体、身体に比べて小さな腕の先にある鉤爪、そして、頭にある鬣。
俺の側にいたのは、馬鹿でかい鉄色の龍だった。
「はぁ、マジ……?!」
俺は目の前の存在が信じられず、間の抜けた声を出した。龍は首を傾げて俺を見る。
「お、俺をどうするつもりだ!?」
「お前は胎内回帰の為にここへ参ったのだろう。なぁに、すぐに終わるさ」
龍はそうして大きな口を開けた。
※
丘水村。古くは、オカミの村と呼ばれたその地は、儂が興した村だった。
儂は別に神ではない。人智の及ばぬ点では神と同義だろうが、どちらかと言えば妖に近いだろう。
儂は、今ではこうして信仰の為に髭と腕を持ち合わせてはいるが、元はと言えば蛇の妖である。しかし、企みが功を奏し、今の儂は神とも呼べる存在と相成った。
オカミとは、龗。古くからの水神の名を冠したこの村で、水を恵む代わりに儂は生贄を求めた。等価交換、とは言わぬ。だが、儂のお陰で避けられた諍いはいくつもあった。
「な、なんだ?!」
流石にまずいと思った小僧は慌てて立ち上がって逃げ出した。儂はカッカと笑い「逃げろ逃げろ」と焚き付ける。
ここに逃げ場なぞ無いからな。
「はぁ……はぁ……」
儂の尻尾に追われ疲れた小僧は、岩場で転けて倒れ込んだ。馨しい血の香りが、食欲を刺激する。恐らく牛を食べたのだろう。牛は駄目だと聞いてはいなかったのか?
「小僧、牛はうまかったか?」
儂がそう聞いてやれば、小僧はみるみる内に顔を青くした。漸く分かったのか。言い伝えは半ばと見える。
小僧は今度こそ必死に逃げ始めた。だが、逃げ場はどこにもない。何故なら、ここは儂の神域だからだ。
盆の頃、此岸と彼岸のあわいがここへの道を開く。此岸はとうに神が絶えて久しいが、それでも神との道はまだ残る。
儂が尾で小僧を突くと、「ひっ!」っと小僧は飛び退く。それが面白くて何度も繰り返す内に、太々しくも小僧は何も反応しなくなった。
「お前、俺をどうするつもりだよ」
「聞いていないのか?」
小僧は頷いた。儂は騙し甲斐があるとムクムクと悪戯心が湧き上がるが、そんなものはおくびにも出さずに小僧に説明してやった。
「胎内回帰だ。儂がお前に力を授けてやろう」
「……どうすればいい?」
男というのは、力という言葉に弱い。あの時もそうだった。
「お前はただ、儂に食われれば良い。ゆっくり、ゆっくりとな……」
小僧は頷いて、大人しく儂の鉤爪に捕まった。儂はそのまま顔まで小僧を持ち上げてから、
「お前、騙されやすいと言われた事はないか?」
と、意地悪くも聞いてやった。すると、小僧は「離せ!」と必死にもがき始めた。これが良い。力無き者の抵抗ほど、可愛らしくも無様なものはない。
儂は口を歪めつつ、パカリと開けた口の中に頭から小僧を捩じ込んだ。
まずは喉を通る感覚。ゴキゴキと音が鳴っているのは、小僧の肋骨やらが折れる音だろう。喉越しは悪くはない。喉に引っかかる手前で無理やりに押し込むのが、乙というものだ。
次に食道に差し掛かると、小僧は必死に身を捩り始めた。体内で悲鳴が木霊し、食道に爪が立てられる。だが、そんなものはスパイスにしかならない。ばたつかせる足ごと、胃の中に放り込んでやった。
胃は、久々の獲物に歓喜して消化液を出し始めた。小僧は踠くが、抵抗は無意味。小僧は最初、溺れる事や溶かされる事に恐怖していた様だが、そうではない事に気づいたのか、抵抗が一瞬止まる。
儂は曲がりなりにも神だからな、人の言う食事とは訳が違う。
そして、自分が何を失いかけているのか、小僧はやっと気づいたようだ。胃の中で、長く、長く断末魔が聞こえる。そして、静かになったものを、儂は腸へと送る。
暫くの後、ずるりと小僧だったものが尻から排出された。
「息子よ」
儂が一声掛けると、神社の神主をやらせている息子が現れた。
「新しい容れ物だ」
「ありがたく頂戴します」
息子は神主と呼ばれていた肉体から抜け出し、その蛇体を露わにした。そして、今まで使っていた肉体を丸呑みすると、素早く消化してしまった。
一回り大きくなった息子は、脱皮を始めた。儂が見守りながら、息子は無事に脱皮を終えた。よく見ると、前肢の部分に爪のような突起物がある。
「息子よ、大きくなったな」
息子はシューシューと返事をした。まだ、神通力は使えないものの、少しずつ力を伸ばしていた。
そして、小僧の口に入り、喉を通って胃に入り、そのまま存在を溶かすようにして小僧の抜け殻になった身体を乗っ取った。
「父様。この肉体は若々しくて御座います」
「そうか、それは重畳。これからも励むと良い」
※
私の息子は、一人で儀式に臨んだ。そして、別人のように良い子になって帰って来た。
「母さん、いつもありがとう御座います」
そう言って、息子は鮎を丸呑みにした。あれだけ嫌いだった川魚が、今では好きになっていた。
もしかしたら、息子は牛肉を食べていたのかもしれないと思ったが、既に問い詰める悪い息子はいない。
あの憎まれ口が懐かしいと思いつつ、自分の老後やこの村のために、息子は良い子になる必要があった。
私はそうして、必死に自分を納得させようとしていた。




