プロローグ
爽やかな柑橘類の香り。スッキリしているのに、深みのある味わい。
熱すぎない程度に暖められた液体が、私の口の中に爽やかさを伝え喉を潤す。
「おいしい」
「さすがは公爵様のところの茶葉ですね」
「ムク様。こんなに美味しい物、私たちがいただいてしまってよかったんですか?」
「良いのよ。私だけ飲んでたって、あなたたちが美味しさを知らなったら自慢してもあんまり羨ましがってもらえないだろうし」
「アハハッ。ムク様ってば性格悪いことを言いますねぇ」
「まさか、次に手に入れたら自分だけで飲むつもりなんですか~!?」
「ウフフッ。どうかしら?」
ウフフッ、オホホッと皆で笑いながら手に入れた高級品のお茶を楽しむ。
そんな私は、パール子爵家長女、ムク・パール。
ほどほどの身分をいただいているから、こうしていつも優雅にお屋敷の庭などでお茶会を楽しんでいる普通の子爵家の令嬢。
特に剣の道などに進むことも学問の道に進むこともせず、世間一般がイメージする令嬢らしく優雅な毎日を過ごしているの。
なんだか最近は国境近くで戦争が起きそうだとかで我が家の人は忙しくしているけど、そんなこと私には関係なし。
もし関係があったとしても、どこかのお家の人が戦果を挙げたからつながりを作るために婚約しろとか言われるくらいかしら?
とりあえず、ことが起きるまでは私に影響なんてない。
…………はずなんだけど、
「なんだか騒がしいわね?」
「もしかして、お屋敷に襲撃者がきたりとか?」
「ちょっと。ムク様の前でそんなことを言ったら不敬よ?」
「あっ、申し訳ありませんムク様」
「いえいえ。気にしないで頂戴。せっかくのお茶会中に騒がしくしている我が家のものが悪いのだから」
近くまでドタバタと音が聞こえてくる。せわしなくて、優雅さが足りないわね。私の爪を煎じて飲ませてあげたいわ。
しかも、なんだかその音はだんだんと近づいてきて。
こんな優雅なお庭にはふさわしくないごつごつした金属の鎧をまとった我が家の騎士が現れたかと思うと、
「お嬢!大変だ!当主様が雲隠れしやがった!!」
「…………は?」
「しかも、後継者はお嬢にするらしい!今日からお嬢が子爵だって!」
「……………………は?」
当主、つまりお父様が雲隠れした?私が次の子爵?
悪い冗談だと思いたいけど、伝えに来た騎士の焦り具合からそれはなさそう。
「ハアアアアァァァッァ!!!!????あのクソ親父!私に押し付けて逃げやがったなぁぁぁぁ!!!????」
「ムク様。お言葉が汚いですよ」
「子爵就任、おめでとうございます」
「お祝いを述べさせていただきます」
あのバカ狸ぃぃぃぃ!!!!
戦争が起こるから巻き込まれたくなくて逃げたんでしょうけど、押し付けるなら私以外にもいっぱいできそうな人間はいるじゃない!特に、お兄様だっているし弟達だっているんだから、次期当主としての教育を受けていたそっちの数人に押し付けた方がよほどうまくいくはず。
なんで私に押し付けたのよぉぉぉぉ!!!!
「この優雅に過ごす私に全く優雅じゃない地位を押し付けてくるなんて。もがれたいのかしら?」
「ムク様。そのお言葉からは優雅さを感じられませんよ」
「ムク様。叫ぶことも優雅なことなのですね。勉強になります」
「あなたたち。嫌味が過ぎるわよ。そんなこと言われなくたって分かってるわ…………ただ、悪いけどお茶会はこれで終了になってしまうわね。私も子爵となるなら調整が必要そうだし」
「ああ。分かりました」
「こちらで勝手にお茶やお菓子は頂いておくのでお気になさらず」
「ムク様、頑張ってください」
ひ、ひどい。
お茶会に誘った子たち、私が参加できなくなっても自分たちで続けるつもり見たい。主催者は私なのに。お茶もお菓子も私が準備したのに。ついでにここ、私の家なのに!
「なら、子爵就任祝いにはもっと良い物持ってきなさいよ!」
「え?」
「やっぱり私はここで帰ろうかな」
「ムク様がいなくなるのに私たちだけで楽しむなんて、ねぇ?」
「問答無用!もう決定事項だから!!」
「「「えぇ~」」」
不満そうな顔をするお茶会の参加者たちに背を向け、抗議される前に早々に執務室に向かう。
まずは雲隠れしたというお父様の居場所を探してみて、あとはお父様の言伝なども聞かなきゃいけないわね。
「うぅ~。なんでこんなことに」
「なんで、と言いつつも大まかな事情は理解できているのでしょう?お嬢様」
不満を口にしながらお父様の執務室に入った私を出迎えたのは、冷たい男性の言葉。
部屋の中に居たのは、それなりに年を取った眼鏡の男性。
「ローレン?あんたはお父様と一緒に行かなかったの?」
「ええ。私も置いて行かれました。もし見つけたらぶんなぐ…………失礼。余計なことを言いかけました」
ローレン。本名はローレンツ・エブブ。
クソ親父の補佐官で、その役職の通り私生活から政務、財務、防衛など様々な面でクソ親父のサポートを行なっていた人。
クソ親父からはそれなりに信用されていたと思っていたのだけど、今回逃げる時には連れて行ってもらえなかったらしい。本人もそれを気にしているようで、クソ親父に対する怒りがそれなりに感じ取れる。
「さて、話を戻しますがお嬢様、いえ、子爵様も今回どうしてお父上が急にお立場を譲られたのかは何となく理解されているのでしょう?」
「…………まあ、ね」
ローレンの指摘に、私は少し苦々しく思いながらも頷く。
あのクソ親父と言えど、わが身かわいさだけで立場を捨てて逃げるとも思えない。
それに、きっとあのクソ親父が本気で姿を隠そうとするなら、影武者とかを使って死亡の偽装工作をするはず。今回みたいに探されるという可能性はなくなるようにするはず。
となると、やはり今回の行動は意味があるわけで、
「突然の雲隠れによる継承の際の混乱。それを理由にして、次の戦争での徴兵人数を低く抑えられるようにしたってことよね?」
「そうでしょうね。何とも思い切った策ではありますが、実際今回に限ってはできるでしょう」
急に当主がいなくなって、今までろくにそういう教育も受けていなかった令嬢が子爵になる。そんなことをすれば当然家は混乱するわけで、上の人達も配慮はしてくれるようになる。
そろそろ起きそうだという戦争にも連れていく人の数を少なくできるから良い事ではあるのかもしれないけど、
「なんで私なわけ?」
「当主としての教育を受けていないご家族の中で、1番マシだったから、でしょうか?私にもその辺りの詳しいことは分かりかねます。相談もされておりませんので」
「そんなことは分かってるわよ。でも、近くに居たんだから情報はいろいろと集まってるはずだし、予想くらいはできるでしょ?本当にそんな理由だと思う?」
もしお兄様だったり弟だったりが次の当主として指名されていれば、引継ぎの際に混乱が生じたという言い訳を使いにくい。だから、そうした教育を受けていない人間が選ばれたというのは分かる。
そしてその中でも比較的頭の出来がマシで、それなりに顔が広くて、そして配下とも昔からほどほどにつながりがある。1番無難な選択肢ともいえる私が選ばれたということは分かる。
でも、逆に言えばそれだけの理由で私が子爵になるとも考えにくい。
「ろくに教育をされてない私が運営をしたら、家が滅びかねないわよ?徴兵される以上の人間が職に困って飢えることになるんじゃないかしら?」
「そうですねぇ。となると、子爵様に特別な何かを見出された、とか?」
「特別なこと、ねぇ?」




