【1】邪神の神殿
地球での日々にこの世界の記憶はなかった。
しかし地球で出会ったあの兄妹は恩人であり、俺に名を与えたあの兄妹はいつの世も、何よりも大切な存在であることは分かる。
――――遠い、遠い昔。
終わることなく繰り返されてきた失望と、終わらぬ裁きの果てに忘れてしまっていたものが、そこにはあったから。
「けれどキナとソウまでこちらに召喚されたのは女神の気まぐれか、それとも創世神の意思か」
――――いや、そもそも順番が、違うのか……?
彼女たちをこちらに招くために俺は地球に降り立ったのか。
「どちらにせよあの2人を迎えに行かないと言う選択肢などない」
大切な、大切な存在。
――――しかし迎えにいくにしても確認しておきたいことがある。
「ところで、ここは……」
まぁ、俺のための祭壇であることは明らかだし見覚えもすごくあるが。
棺からのそのそと外に出れば、久々に動いた弊害か関節がコキコキ言う。クガタチは……別にコキコキは言わねぇけど。
「ここは邪神さまの主神殿だ」
「まぁ、そうなるか」
祭壇からてくてくと降りてくれば、おのずとファウダーも付いてくる。
神殿の中の壁やら柱は素材は俺の姿をそのまま映すくらいにはピカピカに磨かれている。
年齢は20代半ばで固定されているが、地球ではだれもそれに疑問を持たなかった。もしかしたら創世神がそうなるようにしたのかもしれない。
――――あ、いや、違う。
キナだけは俺がずっと変わらないと言った。
さらに黒髪は地球のままだが……いや、元々この世界から黒だったはずだ。細身な体格もそのままである。
しかし地球では【黒】に補正されていた瞳は今は紫に戻っている。
俺の瞳がキレイだと言ったキナの目にはこの色が映っていたのだろうか。
――――だが。
「おい、ファウダー」
「どうしたの?邪神さま。ハァハァ」
とたんにクールなポーカーフェイスを崩してだらしなく涎を垂らし出すファウダー。元々こうだった気も、まだ違う姿だったころは違ったような気がするのだが。
「服は……?」
「え……着るの?」
どういう意味だそれは。
「着るだろそりゃぁっ!?ちきゅ……っ、異界だと通報されて逮捕されんだよ……!」
今俺、真っ裸だけども!?
「通報……逮捕……?邪神さまを……?殲滅する?」
「何でいちいちそんな物騒な思考に移るんだよ……!」
「物騒……?普通じゃない?」
そんな普通聞いたことねぇよ。いやコイツにとっては……普通か。
「とにかく何か服をくれ。さすがに全裸なのはちょっと困る」
一応大事なところはクガタチで隠してはいるものの何か心もとない……っ!
パンツがないと心もとない!パンツって……大事なんだよ、そうか、パンツはこのためにあるのか……っ!
※※※
暫くすれば、顔の前に黒い面をした神官服の者たちが衣服を持ってきた。
彼らの面にはファウダーが身に付けているエンブレムと同じシンボルが描かれている。俺の……邪神を象徴するエンブレムだ。
「なぁ、コイツらは……」
服を受け取りつつファウダーを見やる。
「彼ら彼女らは邪神さまの眷属として邪神さまの神殿を守り、世話をする存在だ」
コイツらも眷属……そう眷属ね。ファウダーにそう言われると、そう言われればと本能の中にすとんと収まった。だからこそのあの面。
女神からのギフトを奪われ、人間ではないものにされてしまった存在。
時には人柱として、魔族として、邪神への生贄として、呪具として。
その後彼ら彼女らは女神の信徒……人間に戻ることを選ばず邪神を選んだ。だから眷属とした。
「そうか……そう言う存在だったな」
バッと服を広げればどこか親しみを覚える祭服だ。
「でもこれ、どうやって着ればいい……?」
そう漏らせば黒面たちが手を差し出す。着せてくれる……ってことなのか。
服くらいは自分で着たいが……そもそも地球で着ていた衣服とはまる違い、着方が分からないのだから任せる他ない。
パンツだけは断固として自分で穿いたが、後は彼ら任せだ。
西洋の祭服のようだが、中に身につける長衣は何故か横にスリットが入っており、その下はズボンとロングブーツ。
しかもその上にそれが定位置のように、クガタチが数本巻き付いてくる。
「あ、おい。何か無意識に動くっつーか」
両肩に掛かるように、それから手首にも。でもまぁこの方がしっくりくる。
その上にケープのようなものを羽織らされる。さらに極めつけに……胸元には彼らの面のシンボルと同じエンブレムが付けられた。その形の通りの目印だ。
「これで完璧だ!」
どこか懐かしく、しっくりとくるようにも感じる。さて、着替え自体は終わったし……。
「早速俺が召喚された場所へ行きたい。多分キナとソウもそこにいるはずだ」
クガタチを放つことはできるが……遠いと言うか何と言うか。
「場所がよく定まらないのは目覚めて間もないからか、女神の気が弱まっているからか。何か……普段よりも調子が狂う」
「召喚されたのならならエーデルシュタイン王国だが……邪神さまの調子が狂ってるのは想像がつく」
「どう言うことだ?今はどうなっている」
確か国自体は昔からあったな。初代勇者が召喚された頃にはあったはずだ。
「現在人間の王が治める国としては世界最大の国」
へぇ……そらぁ立派なもので。
「定期的に女神の召喚が行われ、勇者や聖女などのチートジョブとスキルのこもったギフトを受け異界より招かれる」
「昔と変わらんな。女神から特別な加護を受けているのは相も変わらず。俺が召喚された以上、女神の力は確かにあったのだろう」
「だが弱まっているのか」
「ああ。俺に干渉できないほどに微弱なものとなっている」
だからこそ……。
「そこへはどうやって向かえばいいか……」
やはり……上手く探れん。
「なら女神の神殿では?この世界にはさまざまな神がいるが、まず一番に人間たちに崇められるのが女神」
「まあな。女神は召喚を担当し、この世界の住民にギフトを与えるのが役目だ」
「うむ。だから女神の神殿なら世界各地にあり、エーデルシュタイン王国の王都にもある。邪神さまなら女神の神殿に自由に出入りできるだろう?」
「え……?あー……そうだったか……?」
通常ファンタジー世界に女神と邪神がいれば対立していそうなものだが、女神は敵ではない。
「……そうだな、行けそうな気がする」
それができる……それが分かる気がするのだ。クガタチがしなるように湧き出す。
「お前も連れて行くがいいか、ファウダー」
俺が不在だった時期のこの世界を知っているファウダーもいた方が安心だろう。
「言われなくても……ハァハァ……付いてくから……っ!」
ビクッ。何だか並々ならぬ執念を感じたのだが。まぁいい。
――――さて、エーデルシュタイン王国王都の女神の神殿へ向かうか。ファウダーを連れていれば大体の座標が分かってきた。
「思えばお前は……この世界に魂が移った時からずっとエーデルシュタイン王国には縁があるものな」
「ふん……腐れ縁だ」
ファウダーが視線をそらす。全く素直じゃねえな。
そして足元から湧き出る闇の沼……探湯沼が俺とファウダーを包み、女神の神殿へと手を伸ばす。
――――その、途中。
『……ケテ』
『……ダレカ……』
俺の纏うクガタチが、声なき声を拾う。
人間でないものにされた声を聞くのはいつ以来であったか。
そして懐かしい空気が頬を撫でる。
俺たちを覆うクガタチが剥がれ探湯沼がまた足元に収縮していく。
「ここが女神の神殿か」
ひとっこひとりとしていないその祭壇はどうみても寂れている。
先ほどと同じデザインの祭壇の間。ステンドグラスには創世神にこの世界を任された女神の様子が描かれる。
「しかし……今まで留守にしていた邪神の主神殿でさえ、いつ俺が帰還してもいいように眷属たちが日々管理していたと言うのに」
「ああ。王都の女神の神殿が何故か管理もされていない」
「女神、どういうことだ……?」
女神の声は聞こえない。やはり何かあったのか……?
そして途中聞いたあの声も気になる。女神の声が届かないことに関係しているのだろうか……。
「ファウダー、ここは女神の神殿で間違いないよな?」
記憶はそれほど混濁していないはずだ。
「まぁな。ここは何千年も前の神代から女神の降り立つ場として時には補修を、建て替えをしながら受け継いで来た女神の主神殿に違いない」
だよな……?なのに。
「どうしてこんな……」
まさか女神を祀っていないのか……?身体の中からゾワリと沸き立つものがある。
「女神の化身である大聖女ってのがいるらしいな。召喚もそいつが仕切っていた」
「大聖女……か。あの女が……女神の化身?」
あんな女が……?
「そのようだ」
似ても似つかない。女神を騙るとは愚かにもほどがある。
「その偽物を女神として祀っているから、この国では女神が祀られなくなってしまったってことか」
「だが人間たちがそうしても、女神はこの世界の住民や召喚者にギフトを与える」
「まあな。それが女神が創世神から与えられた役目だからだ。そして俺もそうだ。たとえ人間たちが邪神と呼ぼうが何だろうがどうだっていい」
「俺も堂々と愛しい邪神さまとお呼びしよう!」
「愛しいは余計だっつの。しかし……俺たちにとっては創世神が与えた役目こそ全てだ」
だから人間たちがどう思おうと言おうと……。
「創世神の造り上げた世界で神の真似事をするなど……許されない」
ふつふつと沸き立つそれは、足元で闇色の探湯沼を煮立たせる。
「その大聖女がいる場所は」
「この神殿に併設する大聖女の宮殿だ」
「はん……っ。女神を騙るくせに、暮らす場所は神殿ではなく宮殿か」
もはや神ですらない、別のものである。
「召喚者たちはそこで世話をされるはずだから、きっと邪神さまが探している人間どももそこにいるんじゃないか?」
「なら、決まりだな」
向かうは大聖女の宮殿だ。




