【0】邪神の目覚め
――――俺は死んだのだ。守ると誓ったのに。
よくある異世界召喚。しかし召喚した世界に不要と見なされれば、それは何の意味も持たない。
いや、しかし使いどころはある。少なくともこの世界の連中は俺を殺すことで、俺のキナとソウの心を痛め付けることを選んだ。
【目覚めなさい】
脳裏に懐かしい声が響く。落ち着いた、男性の声だ。
【我が愛しき子よ】
あぁ……還って来たんだな……。
遅ぇよ……。
でもそうならざるを得ない何かがあったのだろう。あれほど満ち溢れていた女神の加護が、世界を満たしていないのだ。
それが何よりも……悲しいのだ。こんな感情は初めてなはずなのに、一時地球に在った俺の心はそれを【悲しみ】だと告げてくる。
女神に一体何があったのか。
――――そして。
「俺は、生きている」
死んではいない。俺を完全に殺すことなど、俺の想像主にしかできようもないのだ。
見上げた天井には、見覚えのある神話のレリーフが刻まれている。
「……懐かしいな」
思わず腕を伸ばそうとすれば……。ゴツンと肘がぶつかる。
「しかし……キツい」
俺が入れられているのは石の壁にぐるりと囲まれた箱のようである。腕をぶつけないようのっそりと上半身を起こせば。
「マジで石の棺。しかもここは……祭壇か」
ふと記憶がとぎれとぎれに降ってくる。手足や胴は普通なのに棺から無限に湧き出す無数の黒い腕。
「お前たちは……いや、俺の一部だ」
腕には人間の手に等しいものがついているが、何本もの腕関節が連なりバキボキと伸びている。人間の指にあたるものは骨格の流れを無視して反対側に曲がったり、関節を列ねて伸び縮みする。まさに天井の神話のごとし。
「よし……全て自分の意思で動く」
その脳の思考回路がどうなっているのか、この世界に創造された時からそうなのだから分かるはずもない。
それがそう動くことが【当たり前】なのに、地球での【俺】がそれは異様だと訴えてくる。
この……【クガタチ】を。
「俺は……何だったか」
現に死んだはずなのにこうして肉体が動き、生きている。この世界の住民たちはそれを何と呼んだ。
ふと、キラキラと光輝くステンドグラスに気が付き見上げる。
「……創世神」
地球では創世神の意思でこの世界の記憶を封じられたが、今ならば分かる。心の奥底には常に創世神の存在があった。
創世神が世界を創った。
世界を管理する女神を生み出した。
地上に生命を根付かせるための創生樹の種を蒔いた。
そして創生樹は根を張り幹を伸ばし、枝を伸ばし実をつける。
俺があなたを忘れるはずがない。たとえあなた自身が俺の記憶を封じたとしても。
それを象徴するようにステンドグラスに描かるのは創生樹の側で創世神の傍らに寄り添う……。
「あぁ、目覚めたんだな……!邪神さま!」
その時後ろから声が響き、ハッとして振り返る。
そこにいたのは20代前半に見える青年だった。しかしその見た目が彼の正しい年齢を示さないことは何故か分かる。
顔立ちは整っており、地球にいたらあっという間にモテモテになりそうである。
しかしその瞳孔は縦長で、まるで獣のように怪しく光る金色。髪は藍色だが前髪の左右に一房ずつ銀色のメッシュが走っている。格好はよくある異世界ファンタジーものの冒険者のように見えるが……。
この男、今、俺を何と呼んだ……?
「……誰?」
知っている。この男を知っている。しかし断片的にしか思い出せない。
「あれ、異界から呼び戻されたバグかなぁ……?」
呼び戻された……?俺はあの日いつものようにキナとソウを迎えに行って眩い光に包まれた。しかし何か招かれざるものが滑り込んできた。女神の力が世界に満ちていないのにはそれも関係しているのか……?
「……分からない。でも、思い出してきては……いると思う」
「そう?何だか邪神しまらしくない様子だけど、俺は邪神さまの眷属だから、邪神さまが俺を忘れても、ちょっとらしくなくても邪神さまへの崇拝は揺るがない」
そう言って棺の傍らに跪きにこりと微笑む男。はたからみればクールなイケメンのレアな微笑み。しかし見方を変えれば尋常ならざる狂気にもとれる。
「俺はファウダー」
「……ファウダー」
脳裏に【混沌】と言う文字が浮かぶ。
そしてファウダーは先ほどまでの笑みを不自然なほどに吊り上げた。
「あぁ……っ、嬉しイっ!邪神さまが俺の名前を……っ、キッヒヒヒヒヒッ、何十年ぶりだろう!!?」
ビクッ。
さっきまでのクールなスマイルはどこに行ったぁっ!?はっきりいって恐怖の変貌なんだが。いきなり変わりすぎだろ、二重人格か!!
しかもひと通り笑い終えれば、サッとクールなポーカーフェイスに戻る。
いや、ほんとコイツ何!?信用してもいいのか……いや敵とは思えない。何よりソイツの胸元に輝く天秤のエンブレム。
地球での天秤座のシンボルに似ている。Ωの下に横棒一本を引いたものだ。しかしΩの球体部分は紫の目玉を模しているように見える。
「俺は死んだと思ったが」
いや、人間相手に死ぬはずもないんだが。
「邪神さまは不老不死の生き神だから、たとえ心臓や脳ミソが貫かれようと、串刺しにされようと、魔法で焼かれようと、自動で肉体が再構築されて復活するだろう?」
「……っ」
それは俺の死因じゃないか。正確には死んでいないが。大聖女とか言う女が出てきてギフトがないのだから人間ですらない屑だと殺された。
あれはキナとソウに恐怖を埋め込み言うことを聞かせるためか。そしてその時のことをまるで見てきたかのようにファウダーは嬉々として語るのだ。
「自動で、肉体が……か」
再生したって言うのか。いや、現に再生している。しかも地球では少しだけだったものまで、それ以上に無数に湧き出ている。そしてファウダーの言うことが正しいことも分かるのだ。
「お前……見ていたのか」
「邪神さまの眷属だもの……!お迎えに行くに決まってるじゃないか。邪神さまに会えるのをとっても楽しみにしながら迎えに行ったんだから。でも……召喚早々人間たちに肉体を粉々に刻まれ焼かれるなんて……ハァハァ……っ、俺も邪神さまにされたいイイィィッ……っ!!!」
何でコイツは喜んでんだ。そして自分もされたいとか何言ってんのコイツは……っ!そしてまた顔がものっそい狂気顔になってんぞ。
だがそれがコイツなのだと俺の本能が告げてくるのも事実である。
「あー……全くお前は」
「邪神さまの俺への理解み……ぐふふ」
「……喜ぶな、呆れてんだ」
「ええ?でもそれもいい」
いいのかよ、コイツは。
「でもせっかく無事に復活されたのだから……うへへぇ、どうする?まずは何をする?人間たちの粛正、弾圧、それとも……大量虐殺?」
候補がヤバすぎないか……!?
だけどやること。やること……ね。
俺はもう一度創世神のステンドグラスを見上げる。そして創世神に寄り添うのは人間たちが邪神と呼ぶものだ。
「俺は……あれは俺だ」
「あぁ、邪神さまのお姿……っ!いつ見ても素晴らしい……っ!」
ファウダーが狂々として叫ぶ。
「創世神……」
俺を異界に……地球に飛ばしたのは創世神だ。何のために。いや、きっと知るために。
覚えている。
俺は創世神に告げた。
【神の裁きを受け入れず罪を犯し続ける人間など、滅ぼしてしまえばいい】
創世神は悲しそうな顔をしていた。
【では、見てきなさい】
俺はクガタチと記憶を封じられて異界に飛ばされた。戻ってきたと言うことは、俺は創世神の意図したものを得られたのか……?
【そして選びなさい】
――――選ぶ。何を……。いや、決まってる。
「……キナとソウを、迎えにいく」




