#7 胎動と蠢き
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隔離観察から三日が過ぎた。仇岡夕陽は、見た目こそ落ち着きを取り戻していた。体温は平常、脈も安定。瞳孔反応も問題ない。
だが、その"静けさ"が逆に不気味だった。
医療部の綾瀬真理医監は、モニターの前で息を詰める。仇岡の脳波データには、依然として小さな乱れが残っている。それはまるで、心臓の鼓動の裏で別の命が微かに蠢いているようだった。
観察室の映像では、仇岡はほとんど動かない。ただ、眠るたびに、『右手の指先だけ』が、一定のリズムで動いていた。
「この動き……パターン化してる?」
眉をひそめ、データを解析する。数時間後、結果が出た。
それはモールス信号だった。解析された内容は、たった一文。
NAOKI NAOKI OMAÉHA DAREDA
ナオキ ナオキ オマエハ ダレダ
直木は画面を見つめたまま、無意識に唇を噛んだ。
……誰だ? 俺が?
その瞬間、背筋に冷たいものが走る。感染は、単なる病ではない。何かが意識を"侵食"している。
その夜、直木は仮眠室に一人残り、仇岡の脳スキャンデータを拡大していた。右側頭葉の奥に、奇妙な空白があった。血管も神経も通っていない、人工的な『隙間』。
「……なんだ、これは」
拡大画像には、幾何学的な線が走っていた。まるで脳の中に"設計図"が浮かび上がっているようだ。
綾瀬医監は、それを「概念杯」と名付けた。
感染体は、仇岡の脳内で"誠実"という概念を物質化し、形を持つ存在へと変えている……。つまり、思想が生命として生まれようとしているのだ。
「生まれる……?誠実が……」
呟いた声が、やけに遠くに響く。視界の端で、名札の文字が一瞬裏返って見えた。
胸の奥が、ざらりと軋む。
綾瀬が端末越しに呼びかける。
「直木先生、あなたも検査を。反応が出ているかもしれません」
「……俺が感染していたら、誰が仇岡を止める」
短く答えると、通信を切った。
その瞬間、施設全体が暗転した。
停電。
非常灯の赤い光が、研究棟の壁を不気味に照らす。どこからか低い唸りが聞こえ、監視モニターの一つが再起動した。
画面の中、仇岡がゆっくりと目を開く。
その唇が、かすかに動いた。
「……"誠実"を、生むのは俺ダ」
直木は立ち上がった。その瞬間、机上の端末が自動的に起動し、赤い光が直木の顔を照らす。ディスプレイに浮かび上がる冷たい文字。
《感染コード照合:一致率72%。対象:直木爆士》
耳の奥で、何かが蠢いた。
脈とは異なるリズム。
心臓ではなく、もっと深い場所。
脳の底から。
ぐぐ、と熱い圧迫感。
血流が逆流するような感覚と共に、世界が震えた。
生まれている。
自分の中にも、何かが。
それは痛みではなかった。『誠実』という言葉の輪郭が崩れ、黒い粒となって頭の中に散っていく。直木は壁に手を突いた。立つのにも必死だった。
そのとき、仇岡の声が遠くで響く。
いや、違う。脳の内側で響いていた。
『ナオキ……ナオキ……お前は、どっちだ』
直木は答えられなかった。誠実とは何か。己は正しいのか。その定義が、心の奥でぐらぐらと揺らいでいく。
静かな夜の研究棟で、ひとつの鼓動が、確かに始まった。
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