#6 彼の呪者たちによって痣に侵食された皮膚、さえも
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昼休みの終わり、教室のざわめきの中で、仇岡の視線だけがどこにも焦点を結ばなかった。誰かを見ているようで、誰も見ていない。瞳の奥に、うっすらと波打つものがある。それは感情ではなく、反射のような反応だった。
「……仇岡、大丈夫か?」
直木は机の隣で声をかけた。仇岡は、何拍か遅れて首をこちらへ向けた。顔色は土のようにくすんでいる。唇の端が震え、言葉の形だけが空中に浮かぶ。
「……ここに……来るな」
その瞬間、直木の耳がわずかに痛んだ。声が、低周波のように鼓膜を震わせる。他の生徒たちは気づいていない。まるでこの教室の音が、仇岡の周囲だけ変質しているかのようだった。
「……お前、何を……」
そう言いかけたとき、仇岡の右手が机を掴み、血の気を失った指がギリリと机を抉る。次の瞬間、机が倒れた。乾いた音が廊下まで響き、クラスが静まり返る。
「……来るな、って言ってんだよ!!」
仇岡は叫んだ。だがその声は『彼自身の声』ではなかった。金属を擦るような響き、合成音のような歪み。教師が慌てて駆け寄る中、直木はその手首を掴んだ。
冷たい。まるで体温が失われている。首筋の下、制服の襟元から覗く黒い模様。それが昨日より濃くなっている。まるで、内側から染み出してくるかのように。
その夜。直木は校舎の裏の駐車場で、スマート名札《REGIS-04》を起動させた。画面に現れるのは暗号認証の連鎖。
「誠実監査局 医療部・神経感染対策班」。
仇岡の症状、一般病院では対応不可能。概念感染の可能性あり。入力完了と同時に、画面に微かなノイズが走った。
【認証完了。搬送を指示する。担当:綾瀬真理 医監】
夜明け前。仇岡は救急車にも似た黒塗りの車両で、極秘裏に誠実監査局・地下医療棟へ運ばれた。
MRIのモニターに映し出された仇岡の脳は、まるで電子回路のような発光を帯びていた。脳波は不規則に跳ね、一定周期で強い波を発している。医療スタッフが息を呑む。
「……まるで、外部からの信号ね」
モニターを覗き込みながら、綾瀬真理医監が低く呟いた。
彼女は三十代半ば、元神経研究の専門家であり、今は局の医療部指揮官。白衣のポケットには、「概念感染監理官」と書かれた銀色の名札が光っていた。
「感染源は……『あの場所』か?」
直木の声は震えていた。
「断定はできない。ただ、パターンが一致する。誠実局案件、それも、内部からの波及よ」
綾瀬の目が鋭く細まる。
「つまり、君たち局員の誰かが『媒介』になった可能性がある」
直木は、何も言えなかった。自分たちが誠実を監査する立場でありながら、その誠実が感染して人を壊す。
皮肉な話だ。
そのとき、観察窓の向こうで仇岡の体が跳ねた。心電図が暴走するように波打ち、仇岡が低く唸る。
「……ここに……来るな……」
声が二重に聞こえる。仇岡の声と、それに重なる『何か』。ノイズ混じりの低音が、直木の胸骨に響く。
「ここに来るな、誠実局の犬」
直木の呼吸が止まった。仇岡は眠っている。口も動いていない。それでも、確かにその声は聞こえた。
綾瀬が眉をひそめる。
「……知覚している。感染体が、こちらの存在を理解している」
医療スタッフの間に緊張が走る。
「誠実局の内部情報が漏洩している可能性があります」
「いいえ、それ以前の問題よ」
綾瀬は呟く。
「感染体が“概念”を通して情報を共有している。これは、言葉ではなく――意志そのものの侵食」
直木はただ、胸の名札を握りしめていた。自分の指が震えているのを感じながら、心の底で確信する。
仇岡の中で起きているのは、病気じゃない。
何かが、棲みついた。
その夜、直木は夢を見た。
黒い水面。無数の人影。
そして、あの声が、頭の内側で囁いた。
『……君も、もう遅い……』
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