#2 酩酊と追跡と滑走
良ければブックマーク&評価お願いします!!
暖簾が濡れ、煙が滲む。
居酒屋『ねぐら』は、秋の雨を吸い込みながら淡く灯っていた。
直木 爆士はその扉を押し開け、ほっと息をついた。フェラーリを降りた瞬間から、冷えた体が再び火照りだすような感覚がある。
「お疲れさま、直木先生。どうしました、悪い夢でも見ましたか?」
カウンターの奥から、里葉先生が笑った。目尻にかすかに皺を刻むその笑顔は、穏やかで、それでいてどこか哀しげだった。
「……夢どころか、現実の方が悪夢ですよ」
直木は苦く笑い、熱燗を頼んだ。徳利から湯気が昇り、木の香を纏った湯呑に注がれていく。二人の間に、仕事帰り特有の静寂があった。
しかし、その静寂を破ったのは、あまりにも耳障りな声であった。
「大将、スーパードライください!!」
まるで脳髄を擦るようなその声に、直木の手が止まる。湯呑が震え、湯気が揺れた。
「……まさか」
ゆっくりと振り向く。あの忌々しい黒雲のようなアフロが、カウンター席の隅で揺れていた。
仇岡夕陽。
なぜ中学生が居酒屋にいる。なぜ、名札をつけていない。直木は立ち上がった。
「貴様、何故此処にいる!!」
周囲の客が驚き、ざわめく。だが仇岡は、いつものように半笑いで肩をすくめた。
「先生、偶然っすよ~。偶然、ここが安くて美味いって聞いたんで」
「未成年が居酒屋に入るのはそもそも駄目だ!!それに名札を着けぬとは何事だ!!」
声が雷鳴のように響く。里葉先生が慌てて間に入る。
「ま、待ってください直木先生!!今日はもう飲みましょう、ね?」
「いや、だめだ、里葉先生。これは教育の問題じゃない。誠実の問題だ!!」
そう言い放つと、直木は店を飛び出した。仇岡も舌打ちをして、まるで待っていたかのように立ち上がり、走り出す。
再び雨が降り始めていた。
直木はフェラーリへ飛び乗り、エンジンをかける。
「逃がすものか……!!」
タイヤが水飛沫を上げ、夜の道路を裂く。街灯が線を描き、フェラーリの赤が流星のように駆け抜けた。
だが、あの悪夢の再現が訪れる。仇岡は、ローラースケートを履いていた。雨の坂道を滑走するその姿は、まるで罪なき悪魔のようだ。
「またその姑息な手か!!」
直木はハンドルを握りしめる。燃料メーターが、赤く点滅していた。
ガソリンが、切れる。
通信機を取り出し、叫んだ。
「こちら直木!!仇岡追跡中、支援を要請する!!」
少しのノイズの後、静かな女性の声が返る。
「了解しました、直木先生。ヘリを回します。無茶はしないで」
その声に安堵し、そして熱が再び燃え上がる。
遠くから、ローター音が響いた。
雨雲を裂き、黒い機体が現れる。軍用ヘリ『AH64 アパッチ』。
ハッチが開き、ロープが垂れる。
直木はフェラーリを急停止させ、窓から身を乗り出した。
「名札を着けぬ者、逃げても無駄だ!!」
彼はロープを掴み、宙に舞った。風が唸り、雨が斬る。下には光るアスファルト、前方には滑走する仇岡。ヘリの中で待つのは、操縦桿を握る里葉先生。
「まったく……あなたって人は」
「誠実のためなら、命も惜しくない!!」
夜空を裂くサーチライトが、仇岡の背を照らす。直木爆士の胸の名札は、冷たい雨に濡れながらも、確かに輝いていた。
良ければブックマーク&評価お願いします!!




