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名札警察チェイスチェイス-名札無き疾走-  作者: あきら810%
第一章 名札、嘲笑、そして酩酊
11/12

#11 境界

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 誠実監査局・第三区分研究棟。地下三階の隔離医務区画は、常に低温に保たれている。白い蛍光灯の光の中、仇岡はベッドに横たわっていた。点滴の管が腕に刺さり、脳波計が淡く点滅している。

 だが、数値は安定していなかった。周期的に波形が乱れ、時折、ノイズのような電子音が室内に響く。まるで「脳そのものが電波を発している」ようだった。

「……あの子、まだ目を覚まさないんですか」

 直木の声には焦りが混じっていた。

 医療部隊主任・笹尾が無表情のまま答える。

「覚醒はしている。だが――こちら側に"いない"。脳活動の一部が、別の層に接続されている。意識の断層だ」

 モニターに映る仇岡の脳波。その一部はノイズではなく、外部干渉信号のパターンを示していた。

 誠実監査局の解析端末には、こう記されている。

 《対象:仇岡夕陽。異相接触レベル=E→B級に上昇》

 直木は拳を握りしめた。あの夜、彼が発動した干渉による強制安定化処理は、確かに異相体の実体化を抑えた。

 だがその"代償"として、仇岡の意識は完全に裂かれたのだ。

 ――つまり、「救った」のではなく、「切り離した」にすぎない。

 重い扉が開く。入ってきたのは監査局長、桐島篤臣。

 黒のスーツに、銀縁の眼鏡。その眼差しは冷たい鋼のようだった。

「直木爆士。報告を読んだ」

 低い声が響く。

 直木は姿勢を正し、敬礼する。

「――命令違反だ」

 その言葉は冷水のように落ちた。

「現場での干渉は、A級認可者のみ。

 君の権限では、あの規模の断層安定化を起動することはできない。

 それをやったということは……自動制限を解除したな?」

 直木は沈黙した。

 桐島は歩み寄り、机の上に報告書を叩きつける。

「君の"力"は確かに有効だった。だが結果を見ろ。対象は安定していない。むしろ異相因子が局内に流出している。今この瞬間も、医務課の4名が感染検査を受けているんだ!!」

 空気が張り詰めた。桐島の声は、怒りではなく"恐怖"を含んでいた。

 それほどまでに、この異相体の事例は異常だった。

「同じ手段はもう使えん。干渉の出力に、異相が学習を始めている。次に同じ処理を行えば、逆侵食が起きるだろう」

「じゃあ……俺はどうすれば……」

「――考えるな、命令を待て。それが監査局の兵だ」

 冷たい言葉。だが、直木の胸の奥には別の火が灯っていた。

 仇岡を失いたくなかった。

 彼を『実験体』として見捨てることなど、絶対にできなかった。


 その夜、研究棟を出た直木は、ひとり屋上に立った。

 街の灯が遠く霞み、夜風が肌を刺す。

 胸の名札が微かに震える。

 差出人不明。だが、そのメッセージにはこう書かれていた。

 「局のやり方に従うな。異相は内部にいる」

 直木は顔を上げた。

 その瞬間、遠くの空が揺らいだ。

 黒い波のような『影』が、街のビルの上を這っていく。


 ――境界が、また一つ、流出した。

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